第14話 作戦会議②
「ただ……腑に落ちないことも多いのよね」
「何だ、フィーネ?」
しかめっ面をして呟くフィーネに、ユナが訝しげな視線を向ける。
「以前も言ったけど、ガラール紋章院に残っている文献を総合すると、人型の吸血鬼は吸血対象に特別な感情を抱くことが多いらしいの。下位の獣じみた吸血鬼たちとは違って、『食べられれば何でもいい』というわけではない……まあ、その辺りはそこの吸血鬼王さんの方が詳しいと思うけれど」
「けっ……知るかよ」
ルヴィスは悪態を吐き捨てた。
返す返すも、この手の話題は苦手だ。ルヴィスが嫌いだと分かっていて話を振ってくるてフィーネが、憎たらしくて仕方ない。
しかし、やはりフィーネはルヴィスに配慮する素振りさえ見せず、話し続ける。
「……それなのに、この吸血鬼は、『獲物』を食い殺している。被害者に対し、愛着が無かったのかしら?」
「所詮、相手は吸血鬼……人間に手加減はしないと、そういう事でしょうか?」
ハイノは自分で口にした言葉に自分で不安になったのか、震え上がった。己も人間であることを考えると、いつか吸血鬼の餌食になるのではないかと気が気でないのだろう。
感情的には分からなくもないが、ハイノも曲がりなりにも聖騎士なのだ。ルヴィスはもう少しでそんな弱腰でどうする、ともう少しで口にしかけた。
それを実際に言わなかったのは、他に気になることがあったからだ。
「……そもそも、その文献とやらは本当に正確なのか? 《五十年前の劫火》を起こしたのは吸血鬼だ。他にも、ミッドガルズ大陸は幾度となく奴らによって滅ぼされかけた。人間に特別な感情を持つ吸血鬼が、何故その人間を殺すんだ?」
「彼らにとって、人間すべてが愛しいとは限らないでしょう。もっとも……文献の正確性が保証できるわけではないのも事実だけど」
「《エインヘリアルの書》……か。いわゆる、研究中って奴だろ?」
歯切れの悪くなったフィーネに、ルヴィスは皮肉めいた視線を送る。
ミドガルズの歴史は謎が多い。何故、大陸全土がユグドラシル結界で覆われているのか、何故、他に存在するであろう別大陸に行くことができないのか。
そして、そもそも外界――ヨトゥンヘイムはどうなっているのか。
それらを知るには現状、大陸最古の歴史書、《エインヘリアルの書》に頼らねばならない。ところが、そもそも《エインヘリアルの書》自体がいつ、誰によって書かれたものか分かっていないという始末なのだ。
「ともかく……《エインヘリアルの書》にはこうあるわ。――百年ほど前、ある日二ヴルヘイム領に住む、ある農婦が失血死しかけているのが見つかった。彼女に目立った傷は無く、首には何かに咬まれたような跡があったらしいわ。農婦は辛うじて命が助かり、こう証言した。夫は吸血鬼で、時おり血を吸われていた、と。それを聞いた当時の王はアースガルドから調査団を派遣したけれど、既に彼女の夫の姿は無かった。……ヴァナヘイム領の項でも似たような記述が二、三あるの」
どうやら、それなりに根拠のある話ではあるらしい。
フレイアは人間のことを、特別な感情を寄せる対象ではないと言っていた。人間に思い入れのあるルヴィスの方が人型の吸血鬼の中では異端なのだと。
だが、彼女とて『パートナー』はいただろう。そうでなければ、街中に死体が溢れていた筈だ。己が吸血鬼と周囲に悟られぬためには、吸血対象の協力が必須となる。
彼女が誰とどのように暮らしていたのか。今となっては知る由もないが。
ともかく、断定するには情報が無さすぎる。この大陸にどれほどの吸血鬼が存在するのかすら、分からないのだ。
ルヴィスとフレイアの事例だけで、こうだと決めつけるわけにはいかない。
(とどのつまり、吸血鬼ってのは何なんだって話になるわけか)
フレイアはしきりに『システム』という言葉を口にしていた。或いは、《ユグドラシル・システム》とも。
フレイアの知るそれを、ルヴィスは知らない。原因は心臓に取りだされたことにあるという。魔力の源である心臓を取り出された為に、記憶の継承が正常に行われなかったのだ。
今までは何も分からないのが当たり前だった。だが、フレイアは少なくとも、ルヴィスよりは多くの事を知っているようだった。
彼女は何を『知って』いたのだろうか。それが分かれば、吸血鬼がなんであるかという謎も解けるのだろうか。そう考えると、興味が無くもない。
そんな事を考えていると、ユナがぽつりと呟いた。
「よく分からぬが……辛いだろうな」
「……何?」
「人を愛しながら、その血を吸い、襲わねば生きていけぬとは……」
「……」
ルヴィスは複雑な胸中でユナを見つめた。
以前の彼女であれば、決してそのようなことは考えなかっただろう。聖騎士ヴァルキリーにとって、吸血鬼は倒すべき敵だ。
だが、ルヴィスと関わることで彼女は変わった。それも明らかに、だ。
その事が嬉しいと思う一方で、ユナにとって悪い方へ働かねば良いが、と心配になる。
やがて、フィーネが再び口を開いた。
「話を元に戻すけれど……疑問な点は、まだあるわ。こうやって次々と獲物を変え、それをいちいち食い殺していたら、己が吸血鬼であるという事が露見する可能性が増す筈でしょう? 事実、大騒ぎになっているわけだしね。それよりは一人、或いは二人……少数のパートナーと、殺さず長く付き合った方が得のように思えるけど……どうしてそうしなかったのかしら?」
「しかも、何故、最近になって突然こんな行動をとり始めたか、だな」
ユナはフィーネの言葉を継いでそう答えるが、ハイノはいまいち呑み込めていない表情で、「はあ……」と曖昧な相槌を打つ。
(こいつ、ぜってー分かってねえだろ)
いちいち緊張感の欠けるハイノに、ルヴィスはつい半開きの目で冷ややかな視線を送ってしまう。しかしユナは上官という立場もあってか、そんなハイノに丁寧に説明してやっている。
「今まで吸血鬼による事件は、何一つ公になっていなかった。それはつまり、犯人は自分が吸血鬼であることを、極力周囲にばれないように行動していたという事だ。それが何故、急に、周囲を憚らず死体を遺棄するようになったのか……?」
「……一体、犯人に何が起こったんだ……?」
確かに、フィーネやユナの指摘も尤もだった。犯人はいろいろ、行動が唐突過ぎる。フレイアに触発されたのか、という事も考えてみたが、それならフレイアを倒したルヴィスに、もっと直接的な接触があるのではないか、とも思う。
(行動に一貫性がないんだよな……)
己が吸血鬼であることをうまく隠蔽していることから、知能の高さは伺える。しかし、そうなら何故、中途半端に被害者の遺体を遺棄するのか。まるで、見つけてくれと言わんばかりだ。これまで通り人社会に潜み続けるなら、遺体もうまく隠し、見つからないようにするのではないか。
それに、この吸血鬼は、今まで何度も吸血行為を行っている筈だ。そして、今まではそれをうまく隠して来た。それなのに、どうして最近になって急にそれを止めたのか。
(或いは、もともとアースガルドにはいなかっただけ……とか?)
このミッドガルズ大陸には、アースガルドの他に、東西南北、全部で四つの領がある。それぞれの領地には領主がおり、殆ど独立国に近い状態だ。
もちろん王権は強大で、どの領主の権力にも勝るが、全ての情報がヴァルハラ城と共有されているかというと、必ずしもそうではない。
他の四領に潜んでいた吸血鬼が、何らかの理由でアースガルドに侵入した……そして、四領の独立性ゆえにヴァルハラ城ではその事実を把握していない――そういった可能性は、大いにあり得る。
「……」
ルヴィスはふと考え込んだ。
今ここで、ルヴィスが自暴自棄にならずに済んでいるのは、ひとえにユナがいるからだ。彼女の存在が、自分をかろうじて人に繋ぎ止めている。
おそらく、この犯人にもそういった者が存在するのではないか。そう考えると、ルヴィスは複雑な胸中になるのだった。
今まで、うまく人社会に適応していただろうに、何故このような惨劇を起こしてしまったのか。何故、全てを投げ捨てるような真似をするのか。
大人しく人間のふりを続けていれば良かったものを、何がその考えを変えさせてしまったのか。
今のルヴィスは、ある意味、犯人と似た境遇にあるといえるだろう。ルヴィスにとって、今の生活は守るべき宝物だ。
犯人はどうしてそれを放棄してしまったのだろうか。或いは、放棄せざるを得なかったのか。
それを考えると、怒りとは別に、憐みのような感情が僅かに沸き上がるのだった。
みな、それぞれ思うところがあるのか、無言で考え込んでいる。
フィーネの研究室はしんと静まり返った。アーチ状になった窓から日の光が降り注ぎ、いくつも筋を作っている。
その淡い光を受け、空中を舞っている埃がきらきらと結晶のように美しく浮かび上がった。
やがてユナが強張った表情で、重々しく口を開く。
「吸血鬼、か。フレイアの事を思い出すな。身近な人間の中に、人に仇成す邪悪な吸血鬼が混じっていると思うと、何だか落ち着かぬ。みな、お前のように我々の味方になってくれればいいのにな」
「まあ、俺は半分、味方をさせられてるんだけどな」
ルヴィスはユナに、肩を竦めて返事をする。
口調こそ皮肉交じりだったものの、ユナに頼りにされているのだと思うと、悪い気はしなかった。ただそれを前面に出すと、絶対にフィーネの嫌味が飛んでくることは確実だ。
だから、何気ない風を装った。
そして当のフィーネといえば、何事か熱心に考え込んでいるのだろう、額にかかった金髪を指で弄びながら、心ここにあらずといった様子でつぶやいた。
「……そもそも、その吸血鬼がアースガルドに潜伏していた理由は何なのかしら?」
「人口が多いからじゃねえか? 食うもんも豊富だし、身を隠すにもうってつけだろ」
言わずもがなのように思えたが、フィーネは納得できないようだ。
「そうとも言えないわよ。人口密度が増せば、正体がばれる確率も上がる……それに王都には神聖魔術を操るジークフリート様がいらっしゃるのよ。ついでに、吸血鬼王であるあなたもね。良いことばかりではないように思うけど……」
「ついでで悪かったな」
ルヴィスはフンと、鼻を鳴らしてフィーネの言葉を受け流した。
しかし、確かに気なるな、と心の中で思う。たとえ相手が恐るべき人型の吸血鬼であったとしても、ジークフリートによる神聖魔術の存在は無視できないだろう。ルヴィスがジークフリートに対し面と向かって逆らえないのも、一つはそこに理由がある。もっとも、最大の理由は心臓を人質に取られているからだが。
それを考えると、犯人の行動は最早、不審を通り越して大胆不敵であるとも言えるだろう。
(全く……性格悪いくせに、頭はよく回るよな)
いちいちひとこと余計だが、フィーネの疑問は的を射たものばかりだ。その点はさすがだと、認めざるを得ない。研究者としての性なのか、犯人である吸血鬼の行動理由に、特に興味があるようだ。
これで答えもついてきたなら言うことはないのだが、残念ながらその部分は宙ぶらりんのままだ。結果として、疑問ばかりが増えていっている。
お手上げのポーズを取りたくなったルヴィスは、しかしそのまま動きを止めた。
「……それだけ強大な敵だという事ではないでしょうか?」
「あん?」
ハイノのいやにはっきりと通った声が、部屋の空気を一瞬にして支配した。
ルヴィスが片方の眉を挙げてハイノを見ると、弱腰の連絡係はまっすぐにルヴィスの方を見つめている。先ほどまで見せていた怯えの色は、そこには無い。
「ジークフリート様も、吸血鬼王も、全く恐れていない……それほど強い力を持った吸血鬼なのかもしれません」
(何だ……?)
その、あまりにも強い眼差しに、ルヴィスは思わず面食らった。
ハイノの表情は先ほどと比べて、大きな変化があるわけではない。相変わらず、ぱっと見は冴えない普通の若者だ。
だが、その瞳の奥底には、まるで挑むかのような好戦的な光があった。それが真っ直ぐ、ルヴィスへと投げられている。
しかし、そのささやかな違和感に気づいたのは、ルヴィス一人のみだったようだ。
「成る程……恐れぬからこそ、このような大胆な犯行を行ってみせたというわけか。一理あるな」
ユナが、ううむ、と唸ると、フィーネもその発想は無かったとばかりに、当惑の声を上げる。
「だとすると、この二件の犯行は、ジークフリート様や吸血鬼王に対する挑戦状……という事?」
「だったら、もっと正面切って来やがれってんだ。こそこそと隠れて、これ見よがしに遺体を捨てていきやがって……!」
ハイノの態度はともかく、その指摘は十分あり得ることだ。
フレイアもどちらかというと、理性で動くタイプではなく、己の衝動を優先させる性格だった。
しかし、フレイアがその衝動をまっすぐルヴィスにのみにぶつけてきた事を考えると、今回の吸血鬼はやや陰湿なところがあるのかもしれない。
こうやって考えてみると、犯人の性質や性格について、朧気ながらも想像がつくような気がした。ただ、現段階ではあくまでどれも仮定の話だ。確たる物証は一つも無い。
ユナもその事に思い至ったのだろう。痺れを切らせたように口を開く。
「兎に角、手をこまねいていては被害者が増えるばかりだ。考えてみたのだが……もし、経歴のはっきりしない者がいたとしたら、そいつが吸血鬼である可能性は高いのではないか? 片っ端から調べていけば、絞り込めるかもしれない」
実に彼女らしい、直球手段だ。しかし、さすがにそれは、いろいろと乱暴なのではあるまいかとルヴィスは思った。フィーネも同感なのか、遠慮がちに口を開く。
「それは……確かに理論上はそうだけど。あまり現実的ではないと思うわ。王都の人口は多い……統計上は八百万だと言われているけれど、異種族の不法滞在者は入っていないから、事実上はもっと多いとみるべきでしょうね。それを一人ひとり調べていたら、どれだけ月日があっても足りないわ」
「それに、異種族の奴らには、そもそも経歴不詳って奴が多いからな。第一、その吸血鬼が長期間に渡って人間に成りすましていたら、まず分からないだろう」
それでも人手と時間さえあれば、特定することが出来るかもしれない。だが今は、人手はともかく時間は殆どと言っていいほどに無い状況だった。
「はあ……結局、手詰まりだという事ですか……」
ハイノのため息とともに、部屋に再び停滞した閉塞感が流れる。
確かに、どれだけ思考を巡らせても、結局はそこに戻ってきてしまう。
犯行の痕跡はいくつもあるものの、決定打がない。そういう意味では、犯人の行動はしたたかだと言えるだろう。
もし犯人がハイノの言う通りこちらを挑発しているのだとしたら、それは大成功だと言わざるを得ない。現にルヴィスたちはこうやって歯痒い思いをさせられているのだから。
部屋に漂う重々しい停滞感は、挫折感や無力感へと容赦なく変質していく。まるで底なし沼だ。ずぶずぶと嵌り込んで足を取られ、気が付いた時には胸の辺りまで浸かり、その中から抜け出せなくなっている。
そのへばりつくような停滞感を打破したのは、ユナの力強い喝だった。
「いや、まだそうと決まったわけではない。我々が諦めたらそこで終わりだ。吸血鬼と言えども、決して完全無敵ではない。できることはまだきっとある!」
「ユナ……」
これまた、ド直球の鼓舞だった。
しかしこういう時には、そういった飾り気のない言葉の方が却ってすんなり入ってくるものだと、ルヴィスは思う。
フィーネもまた、幾分か気を取り直した様子で言った。
「そうね。もう少し手掛かりになる文献が他に無いか、調べてみるわ」
「私は被害者の身辺をもう一度調べてみよう」
ユナが気合を入れるように両手を握ると、ハイノも慌ててそれに倣い、両手の拳を握り締める。
「じ、自分も頑張ります‼」
「頑張るったって、一体何を頑張るんだよ?」
「えっと、それは……分かりませんけど、とにかく、僕も力になりたいんです!」
ハイノの事をからかいつつも、ルヴィスはその気持ちが何となく分かるような気がした。ユナにはそういう、人を前向きにさせる力がある。清々しいまでに真っ直ぐであるのに、それを鬱陶しく思わないのは、彼女自身が誰よりも自分に厳しく、自ら率先して動く姿を何度も目にしているからだろう。
事実、ユナに支えられているのはルヴィスたちだけではない。
今の聖騎士ヴァルキリーは大半が貴族のボンクラ息子どもだと聞いている。プライドだけは、ヴァルハラ城の尖塔の如く高い連中だ。下手をすれば、烏合の衆になりかねない。それが何とかまとまっているのは、ユナの存在が大きいだろう。
それだけ、彼らからも信頼されているのだ。
ともかく、話し合うべきことは全て話し終わった。もしハイノの言う通り、犯人である吸血鬼がこちらを意識しているのなら、ルヴィスが街中を見回れば、それなりに行動の抑止になるだろう。完全とは言い切れないが、何もしないよりはマシだ。
ルヴィスは聖騎士たちの巡視に加わることを決意する。
しかし、椅子から立ち上がったその瞬間、体のバランスが、がくりと崩れた。
「……っと」
ルヴィスは慌てて椅子の背を掴んだ。かろうじて転倒は免れたが、ふわふわした感覚と共に、目の前が暗くなる。
(何だ……?)




