第12話 作戦会議①
ルヴィスはユナやフィーネと共に、ジークフリートの執務室を後にする。だが、ヴァルハラ城の長大な回廊を歩いている間も、ルヴィスはすこぶる不機嫌なままだった。
「くそ、ジークフリートの奴……余計な口出ししやがって!」
ブツブツ言うと、ユナがそれを取り成すように口を開いた。
「きっと王も、お前のことを心配なさっているのだ」
ユナがジークフリートの肩を持つのはいつものことだ。ルヴィスもいつもであれば、気にも留めないが、今日はそんな余裕が無いほど苛立っていた。それほどジークフリートの言葉は許せないものだったのだ。
「あいつがそんな玉かよ? 二件目の吸血事件に対する奴の態度を見ろ! まるで、何人死のうと自分には関係ない……そう言わんばかりの素っ気無さだったじゃねーか‼」
そう指摘すると、ユナは言葉を詰まらせた。ジークフリートの反応は、ユナから見ても常軌を逸したものだったのだろう。しかし、ユナは迷いを打ち消すようにフルフルと首を振る。
「あの方にはあの方のお考えがあるだ、きっと……!」
「お考え……ね。どうせ、碌なこと考えて無えだろ」
「ルヴィス!」
あくまで皮肉を返すルヴィスにさすがのユナも耐えかねたのか、口調に窘めるような響きを帯びた。ルヴィスが露骨に顔をしかめると、今度はフィーネが素っ気ない様子で発言する。
「ジークフリート王の仰る事はもっともよ。そもそも、体調を自己管理できていない、あなたが悪いんでしょう?」
いかにも研究者らしい、理路整然とした物言いだった。ジークフリートとは別の意味で、そこには感情に対する考慮がない。ルヴィスは内心でうんざりしつつ、悪態をついた。
「はっ、お前もジークフリートを擁護すんのかよ? そりゃそうだよな、今回もどうせ二人で仲良くつるんで何か悪企みをしてるんだろ!」
「残念だけど、今回は違うわ」
「へえ……どうした、フラれたか? それとも奴にとってお前は用無しになったのか?」
意地悪く問うと、フィーネはルヴィスに軽蔑するような視線を向ける。
「下品な邪推をするのは止めてもらいたいわね。私とジークフリート様はそんな関係じゃない。そもそも、そんな下心を抱いて近寄るなんて危険な真似、絶対にできないわよ。そうでしょう?」
「……」
ルヴィスは思わず言葉を呑み込んだ。フィーネはてっきりジークフリートと完全にグルだと思っていたが、必ずしも一枚岩というわけではないのか。
「あの方は本当に恐ろしい方よ。この私でも、時々、背筋がゾッと粟立つほど」
フィーネは両腕を自らの手で包み、身震いをした。いつも自信に満ち溢れ、傲然としている彼女には珍しい事だった。
ルヴィスは悟る。それほどまでに、フィーネはジークフリートの存在を恐れているのだ、と。
そして、それはルヴィスにとっても、全く理解できない事ではなかった。ルヴィスもまた、時折、ジークフリートを恐ろしいと思うことがある。あの氷のような瞳の奥で、年若き王が本当は何を考えているのか。それを考えると、途方もない闇に片足を突っ込んだような気分になる。
「フィーネ……?」
ユナに、心配そうにその名を呼ばれ、フィーネは、はっと我に返る。そして自らを落ち着かせるかのように咳払いを一つすると、冷然とした態度に戻って話し始める。
「……話が逸れたけれど、兎に角このままではあなたの運命は二つに一つよ。吸血事件の濡れ衣を着せられて死ぬか、吸血拒否による魔力の衰弱で死ぬか」
「どちらにしろ、死ぬんじゃねーか」
ルヴィスはぼやいた。「ありがたすぎて、涙が出るぜ」
すると、ユナは危機感を滲ませた表情で、「冗談を言っている場合か」と声を尖らせた。
「それだけ深刻な事態に陥っているということだ」
「吸血拒否の方はそちらで何とかしてもらうとして、とりあえず今は吸血事件の冤罪を晴らすことに注力しましょう」
フィーネはそう言うと、彼女の研究室で対策を講じることを勧めてきた。そこでルヴィスはユナと共に、ガラール紋章院に向かうことにした。
ガラール紋章院は、アースガルドにある研究施設の最高峰だ。研究対象は主に血戒魔術や、大部分が謎に包まれているミズガルズ大陸の歴史の解明であるが、医療機関の役割も兼ねており、ルヴィスも何度か世話になった。
だが、何といっても最大の特徴は、紋章師を育成する機関でもあるということだろう。
人間は吸血鬼などと違い、生まれつき血戒魔術を用いることができない。そのため、体に血戒紋と呼ばれる紋様を刻み、血戒魔術を操れるようにするのだ。それでも縦横無尽に魔術を扱えるようになるには、厳しい訓練が必要となる。一人の紋章師が一人前になるのに、十年は必要と言われているほどだ。
大学の構内のような紋章院の敷地に足を踏み入れると、額や手足に血戒紋を刻んだ紋章師たちと多数すれ違う。彼らの表情がいつになく硬いのは、気のせいではないだろう。
アースガルドで見つかった二人の娘の、血の気を失った亡骸や、そこから人型吸血鬼が王都に潜んでいる可能性があることなどを、彼らも知らされているのだ。
もし人型吸血鬼が見つかれば、戦闘になる。血戒紋を宿している彼らも、駆り出されることになるのだ。
紋章師たちのうち、何人かはルヴィスやユナの顔を覚えていて、複雑な視線を送ってくる。声高に主張するわけではないが、彼らもルヴィスが犯人ではないかと疑っているのだろう。
ルヴィスは息の詰まる思いがした。どこに行っても、疑いの目で見られるのだ。ぼんやりとした閉塞感が、ズシリと確かな重みを伴って、圧し掛かってくるようだった。この王都のどこにも居場所はないのだと、そんな諦念に襲われそうになる。
もの言いたげな紋章師たちを無言でやり過ごし、フィーネの研究室へと向かった。
重厚な尖塔を上り、フィーネの私室へと辿り着く。
薄暗い研究室は、相も変わらず雑然としていた。自らの言動は理論的であることを好む彼女だが、何故だか身の回りの整理整頓は苦手であるらしい。
フィーネは大雑把に山と積みあがった資料や書類を退かせると、部屋の奥から移動型の黒板を引っ張り出してきた。そして、白いチョークで一連の事件を黒板に手早く書き込み始めた。
「とりあえず、これまでの経緯をまとめるぞ」
ユナはフィーネの隣で、ガラール紋章院の提出した資料を片手に解説を始めた。
「最初の被害者が見つかったのは、第三ハティの六時頃、場所はヘルヴォル市場にある、スケグル通り。殺されたのは、郊外に住む農家の娘・カトリーナ。第一発見者はヘルヴォル市場に店を出していた魚屋の店主だ。
死体には二つの特徴があった。一つは血が全て抜かれ、体内には一滴も残っていなかった事。残る一つは、首筋には吸血鬼のものと思しき歯形があった事。ガラール紋章院の報告書によると、歯型の大きさは、アースガルドの人間種の平均的なものに違いないそうだ。ただ、犬歯が人ではあり得ないほど発達していた」
「まさしく、吸血鬼の歯形だったってわけか」
ルヴィスはフィーネの机から椅子を取り出し、その背を跨ぐようにして座った。そして、黒板に書き込まれた情報を見上げる。
人間の血を吸うためだろうか。人型吸血鬼の犬歯は確かに鋭く発達している。自分の歯がそうであるのが、何よりもの証拠だ。
「人型の吸血鬼の歯形標本があるわけではないから、断定はできないけれど、ね。今度、あなたのを検体として採っておかなくちゃ」
当然のようにさらりと言ってのけるフィーネに、ルヴィスは半眼で突っ込んだ。
「お前な……そんなだから、友達少ねえんだよ」
「なっ……それとこれとは関係ないでしょう!? あなただって、ボッチ街道まっしぐらのクセに!」
「まあ、俺は吸血鬼だしな」
「そういう言い方は卑怯だと思うけど?」
互いに睨み合い、火花を散らすルヴィスとフィーネ。すると、横からやたらと気弱げな声が聞こえてきた。
「あのう……そんなことを言い争っている場合ではないのでは……?」
遠慮がちに主張する声の主へと視線を向けると、そこには無個性な聖騎士の若者が突っ立っていた。バーントアンバー色の髪に、くすんだ灰色の瞳。連絡係のハイノ=メルフェゴールだ。
いつもオドオドとしているくせに、妙なところで行動力を発揮するこの若者は、フィーネの部屋でルヴィスたちを待ち構えていたのだ。そして、自分も事件の真相が知りたいのだと訴えてきた。
ルヴィスは対応するのも面倒だったが、ユナは何を思ってか、ハイノをこの部屋に招き入れたのだ。
「っつーか、何でこいつがここにいるんだよ?」
今更ながらにその問いを発すると、ユナは声を弾ませた。
「どうしても同席したいとせがまれてな。こちらとしても、味方は多いに越したことはないだろう」
しかし、ルヴィスはその意見には懐疑的だった。
「味方……? こいつが? カーハインツの放ったスパイじゃねえだろうな?」
すると、ハイノは心外だとばかりに憤慨する。
「僕はスパイじゃありません! それどころか、吸血鬼王は無実だと信じているくらいです!」
「何でだよ? 俺は吸血鬼だぞ。癪に触るが、貴族たちのように疑うのが普通の反応だ」
「はい、それは……僕にとって吸血鬼王がヒーローだからです‼」
あまりにも明快で無垢な答えに、ルヴィスは「何だ、そりゃ……?」と肩をずっこけさせる。
もともと、ルヴィスにとっては色々と訳の分からない青年ではあったが、今回の返答もやはり理解不能なものだった。一体ルヴィスのどこを見て、ヒーローなどと言うのか。ルヴィスにはそのつもりは毛頭ないというのに。
ヒーローは皆に嫌われたりなどしないし、吸血衝動に苦しんだりもしないではないか。
同じことを考えたのか、フィーネが白けた顔で、
「ヒーローにしては、ずいぶん目つきが悪いけどね」
と、コメントする。自覚はあっても、性格難のエルフに冷ややかに言われると、何だか面白くない。そこでルヴィスは、「放っとけ‼」と、全力で毒づいたのだった。
「ハイノは弱気なところもあるが、素直でいい奴だ。信用してやってくれ」
ユナは困ったような表情で懇願する。そんな顔をされては、嫌とは言えない。ルヴィスは溜息をついた。
「……分かった。お前がそう言うなら、同席させてやる。それにこいつがもし本当にスパイだったとしても……特に何も出来そうにないしな」
「ひどい!?」
涙目のハイノを華麗に無視し、フィーネは「それじゃ、続けるわよ」と黒板に目を向ける。
「第二の事件の被害者は、ミランダ、十九歳。発見されたのは第三ティウの日――つまり今日ね。彼女は裁縫屋の針子をしていて、死亡時はエルムト運河に接した倉庫街の一角にいた。発見者は倉庫の持ち主で、明日取引をする小麦を荷下ろしするために倉庫へ向かったそうよ」
すると、その言葉の後をユナが引き継いだ。
「倉庫の持ち主はアースガルドで古くから商売をしている商人だ。調べてはみたが、今のところ疑わしい情報は上がっていない。彼は昨日の夕方も倉庫に足を運んでいて、その時は何の異変も無かったそうだ」
「昨日の夕方から今日の早朝の間に、誰かがミランダの亡骸を倉庫に捨てていったという事か……」
ルヴィスが椅子の背に顎を載せて呟くと、ユナは頷きを返す。
「このままでは、三人目の被害者が出るのも時間の問題だ。急がねばならぬが、こちらの手掛かりは余りにも少ない。それが現在、我々の置かれた状況だ」
ユナがそう言い終わると、重たい沈黙が部屋に降りた。どう考えても、状況は芳しいとは言えそうにない。ルヴィスたちがアースガルドに広く顔を知られているのに対し、敵である吸血鬼は、存在を示す尻尾すら現していないのだ。こうして対策を練っている間にも、新たな被害者が生まれている可能性だってある。
(今のところ、完全に敵のペースか)
ルヴィスは腕組みをし、内心で呟いた。忌々しいが、こちらが後手であることは認めざるを得ない。フィーネとユナもそれを感じ取っているのか、いつもより表情が硬かった。それで、余計に空気が湿り気を帯びる。
その中で、ハイノが上目遣いながらも、おずおずと口を開いた。
「あの……一つ質問があるのですが」
「何だ?」
ユナが発言を促すと、ハイノは安心したのか顔を綻ばせ、次いで、幾分落ち着いた口調で話し始めた。
「これはそもそも、吸血鬼の犯行なのでしょうか?」
ユナは眉をひそめる。「どういうことだ?」
「だって、吸血鬼の姿も見たものは誰一人いないんでしょう? 僕はこの間、吸血鬼王が女の吸血鬼と戦うところを見ました。そのせいか、吸血鬼ってこう……もっと、ババーンと襲ってくるイメージがあるのですが」
「いや、フレイアも最初は人間の踊り子のふりをしていたぞ」
ルヴィスが指摘すると、ユナもフレイアとの死闘を思い出したのか、むっつりとし、深刻な表情をして頷いた。
「おそらく、そうやって長年、下町に潜んでいたのだろうな」
「そ……そうなんですか……!」
ハイノは初めて知った、という風に目を瞬かせる。無理もない。ルヴィスがフレイアと初めて会ったのは、シェリーの居酒屋、居酒屋で酒盛りをしていた時だった。この中でその場に居合わせたのはルヴィスとユナだけだ。
確かに、吸血鬼だという決定的な証拠はまだ無いかもしれない。だがルヴィスは、この事件の裏には吸血鬼がいると確信していた。理由は遺体の状況だ。すると、フィーネがルヴィスの心中を読んだかのようなタイミングで、口を開く。
「……紋章院の報告によると、二つの遺体には首の咬み痕以外に、外傷が全く無かったそうよ。つまり、犯人は首に噛みついて、一気に血を吸い取っているというわけ。ただの人間にそういった芸当が可能かしら?」
ルヴィスの気になっていたのも、まさにその点だった。もし犯行が吸血鬼でなかったら――人間の仕業だとしたら、もっと犯行の痕跡が残っていて然るべきだ。首を絞めたのなら首に痕がついているはずだし、薬で眠らされたのならその成分が体内に残留しているだろう。だが、少なくともフィーネの報告書には、そのような痕跡は一切記されていなかった。
「そ、それは……確かに。でも、さすがに吸血鬼の中でも、人型と限定するのは時期尚早では?」
ハイノは尚も粘る。すると、ユナはそれを諭すかのように言葉を続けた。
「吸血鬼は、知能と力が比例する。低級の吸血鬼ほど、なりふり構わず、獣のように人間を襲うのだ。だが、高位の吸血鬼になると、手口が小賢しくなってくる。罠を張って待ち構えていたり、擬態して忍び寄ってきたり、な。……この犯人は、人に見つかることなく、吸血行為を行っている。その点から、かなり知能が高いことが窺える」
「な、成る程……だから、人型の吸血鬼の仕業である可能性が高いのですね。だとすると、新たな吸血鬼も、狡猾に人のふりをして王都の中に潜んでいる可能性があるわけですね? どうやってそれを見つけ出したらいいんでしょう?」
「うむ……まさしくそこが問題なのだ」
ハイノとユナは互いに腕組みをし、唸りあっている。
ハイノの疑問は、ルヴィスたちにとってはすでに一定の結論を得たものばかりだ。しかし、ハイノはまだ、人型の吸血鬼と接したことがなく、不思議に思うのも無理はないだろう。ルヴィスたちの推理とて、フレイアと対峙した経験による推測である点も多い。決して断言はできないが、かと言って過ちを恐れていては、このままずるずると後手に回り続けるだけだ。
ちょうど会話も途切れた頃合いだ。ルヴィス自身がはずっと引っ掛かっていたことへと、話題を向けることにした。
「一つ、考えられることがある。この犯人は、かなり慎重に動いている。現に、俺たちは奴の尻尾すら掴めていないわけだからな。その吸血鬼が人社会に潜伏しているとして、かなり恵まれた立場にある奴なんじゃねーか? そして、事が露見すると非常にまずい立場にある奴でもある」
「ええと、つまり……」
首をかしげるハイノに、ルヴィスは更に説明を加える。
「その吸血鬼は、恐らく今の生活を続けたいと考えている筈だ。だからこそ、こそこそと隠れて人間の血を吸っているんだろう。そうまでして、守る価値のあるレベルの生活をしているという事だ」
すると、今度はユナがはっとした表情を見せる。
「つまりこの吸血鬼は、庶民や異民族といった下々の者ではなく、相応の地位にある者という事か……!」
「或いは、決して吸血鬼であってはならない立場の人間、とかな」
ルヴィスは宙を睨み、それに応じた。その仮説は、自分の経験を鑑みても、確率の高い話だと思っていた。
犯人が姿を現さないのは、そうなったら非常に己の立場がまずくなるからだ。守りたいと思うものや執着がなければ、そんな行動には出ないだろう。現にフレイアは、いともあっさりとルヴィスに素性を明かした。彼女にとっては、人間としての生活は、さして価値のあるものではなかったのだ。
そしてそれは、ルヴィスも決して例外ではなかった。
ルヴィスの生活は、ジークムント時代に比べると劇的と言っていいほどに改善した。だがそれでも、簡単に言葉では言い表せぬほどのやりきれなさを感じることもある。例えば、吸血衝動で眠れぬ夜を過ごした時などは、だ。
しかし、今のルヴィスには、ユナがいる。だから、どんなに辛いことがあっても耐えられる。ユナとの生活を守るためであれば、己を縛る重い枷にも耐えて見せる――と、そう思えるのだ。




