第8話 リーゼロッテ=ヴァルツァー②
すると、ヴォルヴァはじろりとルヴィスを睨んだ。
「全く……とんでもないものを拾ってきおって……‼」
「とんでもないもの……? どういう意味だ、そりゃ?」
ヴォルヴァは、暫く無言でリーゼロッテが姿を消した部屋へと続く扉を見つめていたが、やがて低い声で言った。
「あの娘の予知能力は本物だ。磨けば相当なものになるだろう。もしかしたら、わしを越えるかもしれん」
「そうなのか……? いいことじゃねーか」
ヴォルヴァの予知能力が弱まり始めている今、それに代わる力を持ったリーゼロッテの出現は僥倖ではないか。ルヴィスは単純にそう思ったのだが、ヴォルヴァは落ち窪んだ眼窩の奥にある瞳を鋭利に煌かせた。
「あの娘がもし、道を踏み外さねば……な」
「……!」
息を呑むルヴィスに、ヴォルヴァは畳み掛けるようにして問う。
「我々ダークエルフが、何故こうも数が少ないか……知っておろう?」
「……。ダークエルフは能力が二極化する傾向にある。戦闘タイプと……魔術タイプとに、だ。そして魔術型の能力を得たダークエルフは、高度な魔術式を行使する魔術師となる。中でも、最も稀有なのが、予知能力を持った魔術師型……」
ヴォルヴァは頷く。
「その通りだ。予知能力は古今東西の権力者によって求められ、私欲を満たすことに利用されてきた。未来に何が起こるのか分かれば、あらゆる局面で優位に立てるからな。
過去には、大規模なダークエルフ狩りが行われたこともある。リーゼロッテの高い予知能力が世間に広く知られれば、それを手に入れんとする邪悪なる勢力も必ず出現するだろう」
「つまり……リーゼロッテが狙われる可能性があるって事か」
ダークエルフは全体として忌避される傾向があるが、唯一、予知能力を持った者は逆に追い求められる傾向にある。予知はダークエルフのごく一握りの個体にのみ現れる力で、他のエルフ族には決して現れないからだ。
そして、予知があれば便利だと思うのは、何もルヴィスだけではない。
ヴォルヴァは幾重にもしわの刻まれた顔に、憂いを浮かべる。
「あの娘の能力を『占い』ということにしておけば、少しはカモフラージュすることができるかもしれん。それでも、いつか誰かが気付くだろう。……その時はお前が守ってやれ」
「それはいいが……リーゼロッテはそれを望んでねえんじゃねーか? 俺、彼女に相当、嫌われてるみてえだし」
現に先ほども、明らかにルヴィスの事を避けていた。リーゼロッテはルヴィスが近くでちょろちょろすることを望んでいないのではないか。
すると、ヴォルヴァは眦を下げ、呆れ返ったように顔を顰めた。
「何だ、何も分かっとらんな」
「何がだよ?」
「自分で考えろ、阿呆」
「あ、ひっで!」
しかしヴォルヴァは、ルヴィスの抗議など意にも介さず、フンと鼻を鳴らす。
「わしはリーゼロッテと話すことがある。お前はどうする?」
「俺はここで待つよ。病み上がりのお姫様を一人にするのは危ないだろ」
もともと、最初からそのつもりだった。リーゼロッテはルヴィスの事を嫌っているかもしれないが、だからと言って勝手にしろと突き放す気にはなれない。
ヴォルヴァは「そうか」と言い残すと、リーゼロッテが入っていった部屋へと引っ込んでいく。一方のルヴィスは、カウンターチェアに腰かけて二人の話が終わるのを待つことにした。暫くすると、シェリーが店の奥から出てくる。
「あら……お話、終わったみたいね。ルヴィス、何か飲んでく?」
「いや、今日はいいよ。しょっちゅう酒盛りされたんじゃ、たまんねー」
ルヴィスは片手を振って答えた。下町の人々は大らかで、吸血鬼のルヴィスにも分け隔てなく接してくる。昔から下町に頻繁に現れる吸血鬼をルヴィスが退治してきたからでもあるが、それでもルヴィスが吸血鬼であると分かって親しくしてくる者は稀有な存在だ。
ただ、彼らには一つ難点がある。何かにつけて大騒ぎをし、その場の勢いで酒盛りを始めてしまうのだ。シェリーは悪戯が露見した子供のように肩を竦める。
「うふふ、バレた? たまには息抜きも必要よ?」
「けど、酒代はこっち持ちだろ。どいつもこいつも、ウワバミみてーに飲みやがる。身がもたねえよ」
代わりにブラックコーヒーを注文すると、シェリーはいそいそと湯を沸かし始めた。
店の中は静かだった。ルヴィスの他には客もいない。外の賑やかな喧騒が店の中まで聞こえてくる。頬杖を突き、ぼんやりと窓の外を眺めていると、聖騎士ヴァルキリーが店の前を行きかう姿が見えた。ジークフリートの命令で町を警護しているのだろう。
同じく窓の外に目をやったシェリーが声を潜めて言った。
「何だか、また物騒なことになってるみたいね……?」
「……ああ」
「吸血鬼ですって? しかも人型!」
「よく知ってんな」
意外に思って体を起こすと、シェリーは唇を尖らせる。
「すっかり噂になってるわよ。やあね、一体いつになったら平和になるのかしら?」
「……」
考えてみれば、尤もな話だ。事件のあったスケグル通りは下町最大の市場であるヘルヴォル市場の中にある。身近であんな事件が起これば、不安になって情報交換も加速するだろう。下町に住むシェリーたちにとっては、決して他人事ではないのだ。
「その人型ってのが、ルヴィスみたいに気のいい奴ならいいのに……」
シェリーの言葉に、ルヴィスは難しい顔をして答える。
「人間の血を吸って、その亡骸を捨てていくような奴だ。お世辞にも性格が良いとは言えないだろうな……」
「そうよね……そんな都合のいい話、ホイホイ転がってないわよね。ああもう、やんなっちゃう!」
大仰な仕草でお手上げのポーズをとると、シェリーはコーヒーメーカーに沸いた湯を注ぎ始めた。ルヴィスは苦笑しながらそれを眺める。
「……疑わないんだな?」
「何が?」
「城の奴らは俺が犯人じゃないかって噂してるぜ?」
すると、シェリーは真ん丸に目を見開く。まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。
「やだ、何それ! ルヴィスが犯人なら、そもそも吸血鬼退治なんてしてないわよ」
そして、ポットをやや乱暴に台に置き、きっとした表情で身を乗り出してくる。
「犯人は女の子の血を吸って、その亡骸を捨てて行くような奴でしょ? そういう奴は誰かを守ったりなんかしないわよ。アタシが思うに、犯人は傲慢で自己中心的で、血も涙も無いような奴よ! ぜ~ったいにそうよ‼」
どうやらシェリーは殺された娘の受けた、おざなりな扱いが気に入らないらしく、鼻息を荒くしている。ただ、ルヴィスは犯人ではないと信じているのは確かなようだ。そうでなければ、こうやって呑気にコーヒーを振舞ったりはしないだろう。
自分の無実を信じてくれている者がいると思うと、幾分か気が楽になってくる。
小一時間後、リーゼロッテは店の奥の部屋からヴォルヴァと共に姿を現した。その表情は一時間前と比べ、心なしかほぐれて明るくなっているような気がした。とげとげしかった雰囲気も、だいぶ落ち着いている。リーゼロッテとヴォルヴァを引き合わせたことは、おそらく正解だったのだろう。
ヴォルヴァはリーゼロッテを見上げて言った。
「明日も来れるかい?」
「はい……必ず」
「気をつけて帰るんだよ。ルヴィス、しっかり守っておやり」
「言われなくとも、分かってるよ。そんじゃな」
ヴォルヴァとシェリーに別れを告げ、居酒屋を後にする。
ルヴィスとリーゼロッテは、市場の人ごみの中を共に進んだ。夕暮れ時ということもあり、町の趣は昼間とは変化し始めていた。
個々の商店は店じまいをし、代わりにいかがわしげな酒屋や娼館に色鮮やかな灯が燈っている。その店先でやたらとひらひらした露出度の高い服の女たちが煙草を吹かせたり腰をくねらせたりしている。
夜の帳に包まれた町の中で、それらは幻想的に浮かび上がっていた。
「ヴォルヴァはどうだった?」
ルヴィスはリーゼロッテにそう声をかけた。リーゼロッテは相変わらずルヴィスと一定の距離を取りつつも、穏やかに答える。
「いろいろ教えてくれたわ。この街のことや、占いのこと……あなたの事も」
「俺の事?」
「あなたが……吸血鬼だという事」
ハッとして、リーゼロッテを振り返った。黄昏の空をそのまま切り取ったかのような、青紫の瞳。それがじっとルヴィスを見つめている。そこには親しみの色はもちろん無かったが、かといって忌み嫌う風でもなかった。どちらかと言うと、ルヴィスの反応を探っているようだった。
いつか知られる事だとは分かっていたが、実際にその時が訪れてみると、失望と羞恥が入り混じった複雑な心境になった。何故だか、リーゼロッテの瞳を直視できなくなり、視線を逸らす。それでルヴィスは、自分が心のどこかではリーゼロッテにその事実を知られたくないと思っていたのだと気づいた。
あくまでそのことを面には出さず、乾いた声で「そうか」と答える。
「……驚いたか?」
しかし、リーゼロッテはその問いには答えなかった。ただ俯き、その場に立ち止まる。ルヴィスもそれに合わせて歩を止めた。町の喧騒が、無言の二人を包み込む。
やがてリーゼロッテは、肺の底から押し出すような声音で尋ねた。
「……。あなたはどうして、私に優しくしてくれるの?」
「あん?」
「私を何に利用するつもり?」
その声は、嵐の到来に慄く麦の穂のように、頼りなく揺れている。ルヴィスはリーゼロッテを見つめた。彼女はおそらく、吸血鬼であるルヴィスを恐れているわけではない。ただ、ルヴィスの事を信用するべきか、否か――激しく困惑しているようだった。
信じたいけれど、信じられない。近寄りたいのに、怖くてそれができない。ルヴィスの前に儚げに立つリーゼロッテの姿からは、そんな葛藤が滲み出ているようだった。
「あのなあ……利用なんてしねーよ。っつーか、大した自信だな? まるで自分に大きな利用価値があるとでも言いたげじゃねーか」
ルヴィスはわざと、半分茶化したような口調で肩を竦めて見せる。しかし、リーゼロッテの表情は強張ったままだ。
「私に価値なんて無いわ。それでも、みな奪おうとする。雑巾みたいに、最後の一滴まで搾り取ろうとするの」
両手を握りしめ、そう吐き出すリーゼロッテ。ルヴィスはそれを見て、まるで下町をうろついている野良猫のようだと思った。
腹を空かせて目をぎらつかせ、街を徘徊する哀れなボロ雑巾のような猫たち。散々、人間に邪険にされてきた彼らは、人間が近づくと、全身の毛を逆立ててそれを拒絶する。だが、決して人との関わりを断つことはない。そうしたら、生きてはいけないからだ。
リーゼロッテも心のどこかでは、人のぬくもりを求めているのだろう。だが、どうしても素直にそれを認めることができないのだ。おそらく裏切られた時の苦い経験が、彼女を疑心暗鬼にさせている。そして、本当の気持ちとの間で苦しんでいる。
ただ、リーゼロッテは自分の本心を自覚していないようにも見える。自分が本当は何を求めているのかも分からず、余計に混乱しているのだろう。そこに、彼女の生きてきた境遇が、いかに過酷なものであったかを垣間見た気がした。
「俺はお前から奪ったりしない。俺の欲しいものは、多分……お前は持っていないからだ」
気づけばルヴィスは、そう言葉を発していた。
「あなたの欲しいもの……?」
「まあ、俺自身それが何なのか、よく分かんねーけどな」
――ただ、リーゼロッテから奪い取ってまで手に入れたいものは、ルヴィスには無い。
おどけてそう付け加えると、次にルヴィスはふと真顔になる。
「……俺とお前はよく似ている。つい世話を焼きたくなるのは、そのせいかもな。でも、だからと言ってお前から見返りを得ることは望んでない。そんな勘繰りは、こっちとしても迷惑だ」
「……!」
リーゼロッテはびくりと肩を震わせた。そんな反応が返ってくるとは思いもしなかったルヴィスは、何だか弱い者いじめをしているような心境になる。それで、がしがしと頭を搔いて付け加えた。
「……だからさ、もうちょい気楽になれよ。人を疑ってばかりってのもシンドイだろ。むしろ、お前が俺たちを利用する、くらいの腹積もりでいいんだぜ?」
すると、リーゼロッテは驚いたように目を瞬かせた。
「私が、あなたたちを利用する……? そんな事……考えたこともなかった……」
「だろ?」
ルヴィスはやっぱりな、そうだと思ったぜ――と声をあげて笑った。リーゼロッテの顔は真っ赤に染まっている。
リーゼロッテは本来、性根の素直な娘なのだろう。ただ、簡単に心を開くことができなくなっているだけだ。それまで生きてきた厳しい環境が、彼女にそれを許さなかったのだろう。万一、裏切られたなら、全てを失ってしまう。
ダークエルフとして生きるということは、それだけ残酷さを伴うことなのだ。
(まあでも……確かにちょっと前の俺には、誰かを救うなんて考えられないことだったかもな……)
地下牢に繋がれていた頃のルヴィスもまた、リーゼロッテと同じように疑心暗鬼に陥り、誰のことも信じられなくなっていた。でも、今は違う。そして、それを変えたのは、おそらくユナの存在だ。ユナはルヴィスを――ヴィルヘルム=シグムントを信じてくれている。それだけで、体の底から力が湧いてくる。
(俺は、随分あいつに助けられているな)
物理的にだけではない。精神的にも、ユナにかなり支えられている。
そして、それはとても幸福なことのように感じるのだった。
下町から南へ下ると、閑静な住宅街が広がっている。アースガルドの中産階級が多く暮らす地域だ。やがてその家屋もまばらになると、今度はなだらかな丘陵地帯が見えてくる。その頃には、日がすっかり落ち、空には星が瞬いていた。
リーゼロッテは市場で会話を交わして以降、口を開く事は無かった。ルヴィスもまた無言で丘の上へと向かう坂道を上る。
家に近づくと、何かが燃えるような焦げ臭いにおいが風に乗って漂ってきた。顔を上げると、窓からもくもくと煙が昇っているのが見える。
「あれは……?」
ルヴィスが眉根を寄せると、レーヴァテインが蒼白になって叫んだ。
「大変ですの! 家が火事ですの‼」
「走るぞ!」
慌てて家へと向かう面々。煙は主に、一階の窓から黒々と吐き出されている。二階は至って静かだ。火元は一階か、などと考えつつ、扉を勢いよく開くと、中からユナが飛び出してきた。
「うっ……ケホ、ケホ!」
ユナは顔を真っ赤にして咳き込んでいる。聖騎士の鎧は脱ぎ、タートルネックのセーターにチェックのスカートという私服姿だが、それもあちこち煤だらけだ。ルヴィスは驚いてユナの元に駆け寄る。
「……ユナ⁉」
「これはどういう事ですの⁉ あなたが家にいながら出火なんて……」
レーヴァテインに鬼気迫る勢いで問い質されると、ユナは力なく項垂れる。
「す……すまない、この煙は私のせいなんだ!」
「何があった?」
ルヴィスも思わずユナの顔を覗き込む。するとユナは極まりが悪そうに視線を逸らし、何やらもごもごと口にし始めた。
「そ、その……し……」
「し?」
「シチューを……みな外出しているようだったから、シチューを作って待っていようと思ったんだ。この間のリベンジにもちょうどいいと……!」
要するに、ユナは料理をしていて、それを盛大に焦がしたらしい。この黒々とした煙は、そのせいだったのだ。
そういえば、先日もシチューを作ると言って派手に焦がし、炭の液体を飲まされた。これで二度目だ。
すっかり煙を吐き出し、何とか視界を保てるほどに回復した家の中を確認すると、壁や天井、家具はどれも無事だった。ただ、キッチンが真っ黒になっているだけだ。
「お前な……驚かせんなよ!」
「ホンットに人騒がせですの!」
ルヴィスとレーヴァテインは、がくりと脱力した。ここが丘の上だから良かったものの、町中であれば今頃、大騒ぎになっているだろう。
「だ、だから謝っているではないか!」
ユナはこれでもかと赤面した。頭部の獣耳はすっかり伏せって逆三角形になっている。それに対し、ルヴィスとレーヴァテインはジト目になって突っ込んだのだった。
「謝って済む問題じゃないですの!」
「シチューってあれだろ? いろいろぶっこんで煮込むだけの料理だろ。それを二度も焦がすって……ある意味、才能だな」
「う、うるさい! ううむ……シェリー殿に教わった通りにしたつもりだったんだが……一体、何が悪かったんだ?」
ブツブツと呟き、考え込むユナ。その姿は完全に剣技を習得せんとする武人そのものだった。料理の反省をするにしては、やたらと雄々しい。もっと簡単な料理から始めた方がいいんじゃないか。ルヴィスがそう口を開こうとした時、後ろにいたリーゼロッテが、ふと前に進み出た。
「……テーブルで待ってて」
「リーゼロッテ?」
「料理は……少しだけなら、できる。だから、待ってて」
言われた通り、今のテーブルに着いて待っていると、三十分ほど後、リーゼロッテが料理を運んできた。おいしそうに煮込まれたシチューと、ふかしイモ、パンにサラダが、まるで食堂の料理のように美しく盛られている。
おまけに、それらがきちんと人数分、並べられたのだ。




