第7話 リーゼロッテ=バルツァー
一通りの『データ採取』が終わり、ルヴィスはようやく帰宅の途に就く。
家に戻ったルヴィスは、玄関の扉を開いた。だが家の中は静かで、物音ひとつ聞こえてこない。明かりもついていないようだし、リーゼロッテはまだ目覚めていないのだろうか。
一階のキッチンや洗面所などをざっと見て回ったが、やはり無人だった。そこで二階へ上がり、リーゼロッテを寝かせた部屋へと向かう。そしてドアの前に立ち、扉を軽くノックした。
「……リーゼロッテ、起きてるか?」
返事がない。やはり、まだ眠っているのだろうか。
「入るぞ?」
ルヴィスは僅かに部屋の扉を開き、中を覗く。すると。
「……誰?」
しっとりと耳に沁み込むような、澄んだ声音が響く。まさか返答があるなどと思ってもみなかったルヴィスは、驚いて目を見張る。
そこには一糸纏わぬ娘の背中があった。
白磁の陶器を思わせる滑らかな肌。瑞々しく張りのある肉体は妙に艶めかしく、背中から腰のくびれ、はちきれそうな太腿へと完全な曲線を描いていた。艶を帯びた漆黒の髪が肌の美しさを更に際立たせている。こちらを見つめる紫水晶の瞳は神秘的で、どこか寂しげにも見える。
そのあまりの美しさに、ルヴィスは思わず息を呑んだ。服を着替える途中だったのか、寝台には脱いだばかりと思わしきガラール紋章院の治療着が置いてある。
「何か用?」
リーゼロッテにそう尋ねられ、ルヴィスはようやくはっと正気に戻った。よく考えれば、女性の着替え中に入室した挙句、その裸体をジロジロと眺めている自分は、変質者以外の何者でもないのであるまいか。
「あ、いや……悪い!」
そして、反射的に扉を閉めてしまった。逸る鼓動を抑えつつ、一人ごちる。
「何、慌ててんだよ俺……ってか、覗かれた方より覗いた方が動転してるって、どうなんだ……?」
気を抜くと、脳裏にリーゼロッテの肢体が鮮やかに甦ってきて、慌てて首を横に振る。
暫くして、部屋の中からリーゼロッテの声が聞こえて来た。
「……どうぞ」
「あー、悪かったな。着替えしているとは知らなかった」
再度、部屋に入ると、リーゼロッテは真っ黒いロングワンピースを身に纏っていた。スカートが長く足が隠れるほどだが、腰のくびれは強調されていて、且つ襟ぐりが大きく開いているので、かなり色っぽい。プラムのように赤みを帯びた細い肩が、儚げに覗いている。
「いえ……私もあなたが帰宅している事に気づかなかったから」
リーゼロッテは無表情で答える。怒っているのかとも思ったが、人形のような顔からは、その感情を伺い知ることはできない。
会話が途切れ、居心地の悪い沈黙が部屋に降りる。ルヴィスはその間を何とか埋めようと、口を開いた。
「そのワンピース、似合ってるぜ」
「……。ありがとう」
言葉とは裏腹に、リーゼロッテはさして嬉しそうでもなかった。怒っているわけではなさそうだが、妙に距離を取られている。困惑していると、タイミングよくレーヴァテインが飛び出してきた。
「私が見立てたんですの! サイズもイメージもぴったりですの!」
レーヴァテインはワンピースを着たリーゼロッテを目にし、満足そうに何度も頷いた。
「彼女は?」
リーゼロッテがルヴィスに問うたが、それに答えたのはレーヴァテインだった。
「私は主様のシモベですの」
「下僕……?」
その単語に敏感に反応し、リーゼロッテは眉をひそめる。ルヴィスは頭を掻きながらレーヴァテインを嗜める。
「レーヴ、その言い方はなんか語弊があるぞ」
「本当の事ですもの、隠す必要なんてないですわ。主様と私は強~い絆で結ばれているのですの! だから、邪魔しないで欲しいですの!」
「おいおい……」
すると、リーゼロッテの凛とした声が二人の会話を遮った。
「安心して。私は彼の事を決して好きになったりしない」
「リーゼロッテ……?」
眉根を寄せてダークエルフの娘を見やると、彼女は、はっきりとした敵意と警戒を含んだ視線をまっすぐルヴィスに向けていた。
「助けてもらった事にはお礼を言うわ。今すぐには無理だけど……きちんと恩にも報いるつもり。でも、これ以上迷惑をかけるつもりはない。……関わり合いになりたくないの、あなたとは」
「む……それはそれで、何だかムカつくですの……!」
レーヴァテインはむむむ、と口をへの字に曲げて、腕組みをした。ルヴィスが「その辺にしとけよ」と釘を刺さなければ、いつもの様に猛然と食ってかかっていたに違いない。
リーゼロッテはどこか冷たさを感じる視線をルヴィスへと向ける。間違いなくその中には棘があるが、そんな時でもダークエルフの純血種である娘は、ぞっとするほど美しい。
どうしてこう、新しく出会う女には片端から嫌われるのか。ルヴィスは妙な脱力感に襲われる。ユナ然り、フィーネ然りだ。だが、いつまでも睨みあっていてもらちが明かないので、とりあえず肩を竦めながら言った。
「……そんな肩ひじ張らなくても、取って食ったりしねーよ」
「……」
リーゼロッテの警戒は解かれた様子がない。ルヴィスは構わず、会話を続ける。
「お前、どこから来た? どうして吸血鬼に追われていたんだ?」
「……話したくないわ」
「何故?」
「……。話したくないと、言っているでしょう?」
リーゼロッテの語調が僅かに強まる。そして、苦しそうに目を伏せた。どうやら本当に触れられたくない話題らしい。ルヴィスは小さくため息をつく。
「……分かった。この話はよそう。それより……これからどこか行く当てはあるのか?」
「いいえ、無いわ。私には、居場所なんてない。この世界のどこにも……!」
半ば吐き捨てるような、絶望感と諦めの籠った声だった。
(まあ、そんなこったろうとは思ったけどな)
ダークエルフは流れ者が多い。エルフ族の中でも特異な存在である彼らは、ごく一部の例外を除き、存在自体が忌み嫌われることが多いのだ。数自体も少なく、アルフレイム領のように領地を獲得することが出来るだけの力がない。発見時、リーゼロッテがボロボロだったことを考えても、帰る場所は無いだろうと想像していた。
リーゼロッテの態度がやけに刺々しいのも、いつアースガルドを追われるかもしれないという不安が付きまとっているせいなのもあるだろう。ともかく、こんな厳戒態勢を貫かれては、話もできない。ルヴィスはリーゼロッテを落ち着かせるために、口を開いた。
「俺も、半分ダークエルフだったんだ」
「……? 『だった』……?」
「まあ、それは話すと長くなるんだが……だから、お前の境遇はそれなりに理解できる」
「……」
「下町に、知り合いがいるんだ。彼女もダークエルフで、予知の能力に長けている。何かと相談に乗ってくれる、気のいい婆さんだ。まあ……見かけは少々、怪しげだがな」
真っ黒いローブに、首元には怪しげな石を連ねたネックレス。見た目は完全に童話に出て来る悪役の魔女みたいな風体をしたヴォルヴァの姿を思い浮かべながら、ルヴィスは言った。すると、それまで無表情だったリーゼロッテの瞳が、僅かに見開かれる。
「ダークエルフ……同族がこの街にいるの?」
気のせいか、声も少し弾んでいるようだ。ダークエルフは数が少なすぎて、同族に出会う事すらも稀だ。しかしそれでも、人間や他の種族よりは安心できるのだろう。
「ああ。これから一緒に会いに行こう。出られるか?」
リーゼロッテはルヴィスと共に外出するという事に不安を抱いたのか、少しの逡巡を見せたが、すぐにこくりと頷いた。同族に会えるかもしれないという期待が、不安を上回ったのだろう。
ルヴィスはそこで、すかさず質問を繰り出す。
「あと、最後に聞きたいことがある」
「何?」
「初めて会った時に色々言ってただろ。雷がどうとか……奴に気を付けろ、だとか。あれは一体どういう意味だ?」
リーゼロッテは確かに、ルヴィスに苦難が降りかかるだろう、と言った。そして実際、タイミングを謀ったかのように吸血事件が起こり、ルヴィスはその犯人ではないかと疑われている。どうしてもリーゼロッテの言葉が無関係だとは思えないのだ。
しかし、当のリーゼロッテは頭を振る。
「覚えてないわ」
「何だって?」
「覚えてないの。本当よ。時々、そういうことがあるの。自分でも知らないうちに、訳の分からないことを口にして……本当、嫌になる」
実際それで、随分、嫌な思いもしてきたのだろう。リーゼロッテは辛そうに表情を歪めた。確かに予言を口にしている時のリーゼロッテは瞳孔が開き、異様な雰囲気だった。何も知らぬ者がそれを目にしたなら、薄気味悪く思ったかもしれない。
(ヴォルヴァと違って、自分で予知の能力がコントロールできていないという事か……? それとも、ただの虚言癖か)
それを確かめるためにも、リーゼロッテをヴォルヴァと対面させた方がいいと考えた。同じダークエルフの純血種である老婆になら、何か分かるかもしれない。ルヴィスはリーゼロッテに歩み寄る。
「嫌なことを思い出させて済まなかったな」
「いえ、あの……」
「どうした?」
「あまり……近づかないで」
リーゼロッテは小さくそういった。見ると、彼女はルヴィスが近づいた分だけ後退し、身を固くしている。それは誰の目にも明らかな拒絶だった。レーヴァテインは例のごとく、ぷりぷりと怒り始める。
「何て無礼なの⁉ あなた、主様は命の恩人ですのよ‼ 分かっているんですの⁉」
「いいんだ、レーヴ。とにかく出かけよう」
確かにリーゼロッテはルヴィスと距離を取りたがっているようだったが、ルヴィスにとってそれはさして珍しい対応でもなかった。吸血鬼であるルヴィスは、人間の敵だ。ユナやヴォルヴァ、シェリーなど、ごく一部の者を除いて、基本的には嫌われている。リーゼロッテが何故ルヴィスを嫌うのかまでは分からなかったが、今さら特に気にはならなかった。
今は事件を解決するためにも、行動を起こすのが先決だ。
ルヴィスはリーゼロッテを連れ、下町へと向かう。
下町はエルフ族やドワーフ族、フェンリル族を含め、多くの人々が犇めいていた。露天商の威勢のいい掛け声や、市場の住民同士のお喋り。それに生活音やらドワーフ族の大工が家屋の修理をする音などが混じり合い、町全体が音の大洪水を起こしている。
「すごい……異種族がこんなにいっぱい……!」
目を見張るリーゼロッテに、ルヴィスは笑って答える。
「誰かさんは不法占拠だって怒ってるけどな。アースガルドは王都だけあって、仕事が多い。人の流入は続くだろう。……はぐれないように気をつけろよ」
そう言っているそばから、人の波に揉まれ、離れ離れになりそうになるルヴィスとリーゼロッテ。
「ま……待って!」
リーゼロッテは慌ててルヴィスの腕にしがみつく。
「大丈夫か?」
振り返ると、リーゼロッテの顔が真下にあった。長い睫毛の一本一本が数えられるほどの至近距離だ。リーゼロッテもすぐにその事に気づいたらしく、不意を突かれたような表情をすると、慌てて視線を逸らしてルヴィスから体を離した。頬が赤らんでいるように見えるのは気のせいだろうか。
(やれやれ、よく分かんねえ奴……)
ルヴィスは内心でため息をつく。
(そういや、ユナとも出会ったばかりのころは、よく怒鳴りあってたっけな)
ユナは責任感の強い性格だから、ルヴィスをきちんと監督せねばと、余計に気負っていたのだろう。今ではルヴィスの良き理解者となってくれている。
出会った者全てに好かれようなどというつもりは、毛頭ない。ただ、同じダークエルフだからだろうか。リーゼロッテとは対立することなく、うまくやっていきたいと思っていた。彼女ともいつか打ち解ける日が来るといいのだが――そんなことを考えながら、ルヴィスはシェリーの店へと向かった。
居酒屋に入ると、好運なことに、ヴォルヴァと鉢合わせた。
(いや……予知の能力で俺がここに来ることを察知していたのか)
ヴォルヴァの予知能力は加齢のせいで、年々弱くなっているという。おまけに彼女の精霊石の力をルヴィスが使いつくしてしまったので、予備の魔力源も残っていない。だが、今でも体調のいい日は、僅かながら予知能力を行使することができるのだろう。
「あーら、いらっしゃい、ルヴィス。それと……あら、見かけない顔ね?」
カウンターの向こうからシェリーが声をかけて来たので、ルヴィスは片手を上げてそれに答える。そうしていう間にも、ヴォルヴァが覚束ない足取りで、こちらに近寄って来た。
「よく来たね。待っていたよ」
ヴォルヴァはルヴィスとリーゼロッテを交互に見ながらそう言った。彼女には二人がここに来ることが『視えて』いたのだろう。どうやら、ルヴィスの予想は当たりだったらしい。リーゼロッテはヴォルヴァとしばし見つめ合う。
「なあに、どういう事? この二人、知り合い?」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、小声で耳打ちしてくるシェリーに対し、
「いや、初対面のはずだがな」
と、ルヴィスは答える。
「まあ、お婆ちゃんは占い師だからねぇ。あたし、奥に行ってるわね?」
シェリーはそう言うと、ひらひらと手を振りながら店の奥へと姿を消した。
一方、ヴォルヴァと見つめ合っていたリーゼロッテは、おずおずと口を開く。
「あの……あなたが、ダークエルフの占い師……?」
「ああ、そうさ。おいで。顔をよく見せてごらん」
ヴォルヴァは筋張った両手を差し出し、リーゼロッテの頬を温かく包んだ。リーゼロッテは大人しく、されるがままになっている。ヴォルヴァは自らの額とリーゼロッテの額をぴたりと付け、目を閉じる。
「可哀想に……苦労してきたんだね」
「どうして、それを……?」
何故、そんな事が分かるのか。リーゼロッテの表情は驚きに染められていく。
「ヴォルヴァには予知能力があるんだ」
ルヴィスがそう説明すると、ヴォルヴァは首をゆっくりと横に振る。
「そうさね。確かにわしには予知能力があるが……今のは違うよ。顔を見たら、分かるんだよ。だって、同じ血を受け継いでいるんだからね」
「わ……私……!」
リーゼロッテは口を開いたが、目を潤ませて黙り込んでしまった。ヴォルヴァはそんなリーゼロッテの背中をゆっくりとさする。
「ヴォルヴァ、彼女にも予知能力があるかもしれないんだ」
ルヴィスはリーゼロッテと出会った時の状況を詳しく話した。リーゼロッテが予言らしき言葉を口にしたこと、その時の様子が異様だったこと。
「成る程……しかし、当の本人には予知をした記憶が無い――そういう事だね?」
「……ええ」
リーゼロッテは頷く。ヴォルヴァは「ふうむ……」と考え込むと、やがて口を開いた。
「この娘の予知能力が本物かどうか……わしが見定めよう。リーゼロッテと言ったね。この店に通えるかい?」
「多分……大丈夫だと思います」
「本当か? 無理しなくていいんだぞ」
リーゼロッテは病み上がりだ。ここに通うのはまだ無理なのではないか。ルヴィスはそう心配したが、リーゼロッテはあくまで乗り気のようだった。
「ここは異種族がたくさんいるから……居心地がいいの。心配しないで」
「ついでに、占い師の稼業もやってみるといい。アースガルドに居つくにしろ、他所の領に移るにしろ、身に着けておいて損はないよ」
「あ……ありがとうございます、お婆様……!」
ヴォルヴァの言葉に、リーゼロッテの顔から淡い微笑が零れた。少しぎこちなかったが、それはルヴィスが初めて目にする彼女の笑顔だった。何らかの理由で吸血鬼に追われ、命からがらアースガルドに逃げ込んだ彼女は、ようやく心から安心して身を置ける場所を得たのだろう。
ヴォルヴァはリーゼロッテの両手を握ると、優しく語りかける。
「私はもう少しルヴィスと話があるから、奥に行っておいで」
「はい」
頷くと、リーゼロッテはルヴィスの方をちらりと見る。
「良かったな」
ルヴィスが笑顔を返すと、リーゼロッテは何事か言いたげに口を開いた。しかしその熟れた果実のような唇がすぐにはっきりとした言葉を紡ぐことは無く、すっとルヴィスから視線を逸らす。
「……ありがとう」
リーゼロッテは素っ気無い様子で小さくそれだけを言うと、さっさと奥に引っ込んでしまった。やはり、ルヴィスの事を避けているようだ。
(やっぱ俺、嫌われてんのかな……)
リーゼロッテがルヴィスを避ける理由は分からない。ただ、己が吸血鬼であることを考えると、遅かれ早かれ今のように距離を取られていただろう。ただ、リーゼロッテが『ヴィルヘルム=シグムント』だったころの自分と同族であることを考えると、少し寂しい心境になるのだった。
ルヴィスはリーゼロッテを見送った後、ヴォルヴァへと向き直る。
「すまないな、ヴォルヴァ。面倒をかける。それで……どうなんだ? リーゼロッテの予知能力は本物か?」




