第6話 カーハインツ=フォン=ディートルト
中央を走る真っ赤な絨毯の両側には、男爵・子爵・伯爵といった有力貴族や大臣たちの姿がずらりと並んでいる。
人型吸血鬼が出現したという情報を、ある程度すでに得ているのだろう。いつも高慢で気取った素振りを見せる貴族たちの顔はどれも恐怖と不安で強張り、互いにひそひそと囁き合ったり早くも天を仰いだりと、全く落ち着きがない。
そして、最奥に設えられた階段上の王座には、ジークムントと宰相のラーズグリーズの姿があった。
ルヴィスとユナ、そしてフィーネとグラニの四人が赤い絨毯を通って広間に入ると、神経質なざわめきが、一際、大きくなった。
ジークフリートはいつも通り冷静な様子だったが、階下の貴族や大臣たちは、随分色めき立っている。 ユナとグラニには苛立ちを、ルヴィスには化け物でも見るかのような忌々しげな視線を送って来る。
そんな中、ジークフリートは片手を上げ、その場を制すると、厳かに口を開いた。
「さて。ヘルヴォル市場で起きたこと……知っているね?」
「……はっ」
「先ほど、確認したばかりにございます」
ユナとグラニは頭を垂れる。するとジークフリートに続き、ラーズグリーズが詰問した。
「報告では、どうやら吸血鬼の仕業であるという事だが?」
「……はい。それも、人型の吸血鬼である可能性が高いようです」
ユナの返答を受け、沈黙に包まれていた広間が、再び大きくざわめく。
「人型の吸血鬼だと……⁉」
「この間、撃退したばかりではないか! 新たな吸血鬼の襲来という事か⁉」
「一体、いつになったら王都は平和になるのだ‼」
「聖騎士は一体、何をしている⁉」
興奮した様子で、口々に喚き散らす貴族たち。ジークフリートはそれに賛同することも諫めることもせず、ただ冷ややかに広間を見下ろしている。
すると、一人の大臣が口を開いた。貴族たちの中でも最前列に陣取っている上級貴族で、名はカーハインツ=フォン=ディートルトという。
アースガルドの治安を司る内務大臣を務めている男だ。
ちょび髭が生えた顎はたっぷり二重に垂れ下がっており、体格も内務大臣を務めるにはいささか締まりがなさすぎる。だが、彼の家柄だけは一流で、ユングヴィ家と同じく代々侯爵を名乗り、アースガルドの要職についてきた。
そのせいか、威厳だけは無意味にある。
そのカーハインツは、でっぷりと太った腹を揺すりながら、ルヴィスに向かって人差し指を突き付ける。
「人型の吸血鬼の仕業、だと? しかしな、歴史書によれば、人型がアースガルドに姿を現した事は数えるほどしかないんだぞ! それが本当なら吸血鬼王を含め、僅か数週間で三人の人型が現れただという事になる……そんな事はどう考えても現実的ではないだろう!」
「……言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
やたらと含みのある言い方にムッとしたルヴィスは、カーハインツに鋭い視線を投げる。
するとカーハインツは僅かに言葉を詰まらせたものの、ジークフリートに向かって言葉を続けた。
「王よ、お聞きください! 新手の吸血鬼が現れたなどというのは紛い事です! 既に王都の中に居座っている人型吸血鬼の仕業ではないのかと……それを真っ先に疑うべきではないのですか⁉」
つまり、カーハインツはグラニと同様に、ルヴィスが犯人だと言いたいのだろう。カーハインツの進言を受け、広間はどよめき、パニックに近い空気に陥る。
「それはつまり……吸血鬼王が犯人だという事か?」
「おお、なんと恐ろしい……!」
「吸血鬼は所詮、吸血鬼だという事か!」
「この、悪魔め‼」
ついには証拠などまだ何も無いのに、堂々とルヴィスを犯人扱いする者まで出始めた。ルヴィスは舌打ちする。普段は政治という名の足の引っ張り合いをしているくせに、こういう時だけはやけに一致団結する連中だ。
一方、広間の雰囲気に慌てたのは、騎士団長のユナだった。
「お、お待ちください! 今回の件に関し、ルヴィスは無実です‼」
「……どういう事だね?」
王座のアームに頬杖をついてジークフリートは尋ねる。すると、フィーネがユナに代わってそれに答えた。
「犯行時、吸血鬼王は聖騎士と共にヴァルハラ城の修練場で共同訓練に励んでいました。私もその場にいたので、間違いありません」
「犯行時だと……⁉ 何故、そのようなことが分かる!」
カーハインツの追及を受けるも、フィーネは動じた様子がない。
「ガラール紋章院の治療部にいる紋章師なら、死体を検分する知識を持ち合わせていますから。後日、詳しい資料を提出します。ご確認ください」
「ふん……それがどうした⁉ 吸血鬼は魔術が使える。その程度の事、いくらでも誤魔化せるだろう‼」
「……っ‼」
何が何でもルヴィスを犯人に仕立てようとしているかのようなカーハインツの態度に、さすがのルヴィスも奥歯を噛み締めた。
ルヴィスにとって吸血行為は恥ずべきことだ。本来なら、疑われることすら我慢ならない。登城命令とて無視しても良かったが、ルヴィスなりに妥協してこの場にいる。
しかし太った内務大臣は、そんなことは露知らず、証拠のない推測を傲然と口にしているのだ。
そんなルヴィスの手を、ユナは握りしめ、小声で囁いた。
「……駄目だ、ルヴィス! 耐えるんだ」
「ちっ……分かってる!」
ここで下手に騒げば、それ見たことかとカーハインツを図に乗らせるだけだ。それに、共に動いているユナにも迷惑をかける。
幾分が静かになったものの、大広間は動揺が抜けきっていない。そんな中、ジークフリートは、静かにルヴィスを見下ろす。
「ルヴィス、本当に君ではないのか?」
「……ああ?」
「信じていいのだな?」
念押しをされ、ルヴィスは激高した。
「信じる……? 笑わせるな! てめえらがこの俺を一度でも信用したことがあったか⁉ 心臓を抜き取って、奴隷みてえにこき使って……利用することしか考えてなかったじゃねーか!」
もちろん、ジークフリートの言葉は王としてのものだという事は分かっている。あくまで不安に陥っている貴族たちを落ち着かせるための台詞であって、決して本心ではない。
いつもなら鼻を鳴らして聞き流すところだが、今日は事件のせいか、気が立っていた。
「ル……ルヴィス!」
ユナが鋭く囁き、思わず声を荒げてしまった事を後悔するが、すでに後の祭りだった。
「何とふてぶてしい……王よ、やはり吸血鬼は人間の敵! 信用に値する存在ではないのです‼」
カーハインツはここぞとばかりに喚き立てる。それに釣られたのか、再び広間は騒がしくなり始めた。
「………」
ジークフリートは小さくため息をつく。それが暗にルヴィスに対し、もうちょっとうまく立ち回れないのか、と非難しているように感じるのは勘繰り過ぎだろうか。
ともかくも、ジークフリートはカーハインツを制して言った。
「……ルヴィスを犯人と決めつけるのは、まだ時期尚早だよ」
「何と、しかし……!」
「真犯人が別にいたらどうするんだい? 逆に被害が広まってしまう恐れがある」
「それは……確かにそうですが……!」
カーハインツは、それでは到底納得出来ないのか、ルヴィスをギリギリと睨む。まさかジークフリートがルヴィスの肩を持つとは思っていなかったようだ。
ただ、ジークフリートにとってルヴィスはまだ十分に利用価値がある。ここで捨て置くわけがない。ルヴィスにとっては、全く迷惑な話でしかなかったが。
悔しさでわななくカーハインツをよそに、ジークフリートは次々と命令を下していく。
「聖騎士は引き続き、王都の警護を固めるように。フィーネ、殺された娘の資料をこちらにも提出してくれるね?」
「はい、もちろんです」
そして、最後に臣下全員へと向けて言った。
「民心は恐怖に陥っている。みな、軽率な行動は慎んでくれ。こういう時こそ、我らが力を合わせて王都を支えねばならない。……分かっているな?」
「……王の仰せのままに!」
「仰せのままに‼」
ジークフリートの言葉に、貴族全員が一斉に首を垂れる。それで、その日の謁見は散会となった。
ところが、皆が粛々と部屋を出ていく中、太った内務大臣――カーハインツはルヴィスを睨み続けている。そして、人目を憚らず大声で吐き捨てた。
「食い意地の張った吸血鬼め……人の血をうまうまと吸った挙句、知らぬ存ぜぬとは……面の皮が厚いとはまさにこのことだな! 王は謀られていらっしゃるのだ! 王都の治安を預かる私が、必ずその欺瞞を暴いて見せよう‼」
カーハインツは完全に正義の味方にでもなったかのようだった。おまけに、己の持論に、一分の疑いも持っていない。傲岸不遜を地でいくルヴィスも、さすがに『面の皮が厚い』のは一体どっちだと問い質したくなる。
ただ、残念ながらこの手の手合いには、そういった反論が無意味なことが多い。もっと効果的な手段ではっきりと牽制する必要がある。
ルヴィスとしても、売られた喧嘩をそのままにしておくつもりは毛頭なかった。
「ああ? やれるもんなら、やってみろよ。だが……犯人が俺じゃなかったらその時は……どうなるか分かってんだろうな?」
「く……!」
殺気を爆発させ、目を細めるルヴィス。さすがに恐れをなしたのか、カーハインツはたじろいだ。ルヴィスは追い打ちをかけるように、カーハインツに向かって一歩踏み込む。
「俺はいつでも受けて立つぜ? 内務大臣さんよ!」
「の……望むところだ! 行くぞ‼」
カーハインツは月並みな捨て台詞を吐くと、傍に控えていた侍従を連れ、広間の出口へと踵を返す。広間にいた貴族は大部分が退出し、残っていた者も内務大臣と共に去っていく。
残ったのはルヴィスたちだけだったが、それでも沸き上がる怒りを隠せない。
すると、ユナが心配して近寄って来た。
「ルヴィス……大丈夫か?」
「……ああ」
「お前は絶対に犯人じゃない。だってお前は、あれから一度も私の血を……!」
ところがルヴィスは、そこまで口にしかけたユナに、思わず鋭い視線を送ってしまう。ユナはぎょっとし、僅かに身を仰け反らせた。だが、やがて自分が不用意な発言をしたのだと思ったのだろう、憂いの表情を浮かべる。
「すまない……だが、お前の無実はきっと明らかになる。辛いだろうが……共に耐えよう」
「ユナ……」
ルヴィスはユナを睨んでしまったことを申し訳なく思った。しかし、吸血行為はルヴィスにとって繊細な問題だ。それを大勢の前であれこれ突きまわされた挙句、半ば強引に犯人に仕立て上げられ、苛々していた。
それをユナにぶつけるのは筋違いというものだが、自分の感情を制御できなかった。
(何やってんだ、俺は……)
もともと喧嘩っ早いルヴィスだが、今日は特に短気になっている気がする。おかしな吸血事件が起こっているせいか、それともここのところ断続的に続いている体調不良のせいか。
すると、頃合いを見計らったように、グラニが二人に近づいてくる。
「ブリュンヒルデ騎士団長、聖騎士ヴァルキリーの王都警護の事に関してですが」
「分かった、すぐに向かおう。ルヴィス、お前はどうする?」
「俺は一度家に戻る」
ルヴィスはそう答えてから、ユナに小声で耳打ちをする。
「昨日、助けた娘の事が気になるからな」
時間はもう昼を回っている。早ければ、今日にでもリーゼロッテは意識を取り戻すだろう。誰かが彼女の傍に付き添った方がいい――そう思ったのだ。ユナもそれに思い至ったのか、「うむ」と頷きを返す。
「そうだな……例の予言の事もあるしな。私はすぐには戻れなさそうだ。彼女の看病、頼む」
すると、今度はフィーネが二人に歩み寄ってきた。
「ユナ、私……あなたに謝らなくては」
「フィーネ……」
「王命とはいえ、あなたを裏切り、傷つけてしまった。……ごめんなさい」
そう言ってユナに謝るフィーネは、ルヴィスがこれまで見たことがないほど項垂れていた。いつもの鼻につく高慢さは微塵も感じられない。別人かと突っ込みたくなるほどだ。
ユナは淡く微笑んだ。
「いいんだ、フィーネ。分かっている。ガラール紋章院を背負うものとして、外部や我々騎士団に明かせない情報があるという事も。ただ……私は出来る限り、フィーネの友でありたい。それは本当だ」
「ええ、私もよ。ユナ……ありがとう」
フィーネも微笑を浮かべた。心なしか、目が潤んでいるようにも見える。友情が美しいのは結構だが、フィーネのユナに対する態度は、ルヴィスに対するそれとはあまりにも違い過ぎないか。それを考えると、大人げないと分かってはいたが、つい冷やかしを入れてしまう。
「何だ、えらくしおらしいじゃねーか? ジークフリートの前で俺のことを庇い立てしたりするしよ。一体、どういう風の吹き回しだ?」
するとフィーネは、いつもの冷気を取り戻し、突き放すように答えた。
「勘違いしないで。私は本当のことを言っただけ。私がどう振舞おうと、あなたには関係ないでしょう?」
「そりゃそうだがな……今のお前、まるで恋する乙女みたいだぞ」
ただ、からかっただけのつもりだったが、どうやらあながち間違いでもなかったらしく、フィーネは真っ赤になる。
「な、な……何を言うのよ? それ以上何か言ったら、殺すわよ⁉」
「どうだかなぁ? それはそっちの態度次第だな」
完全にフィーネをからかって楽しむルヴィス。フィーネはエルフ耳の先まで真っ赤にしている。ただ一人、鈍いユナだけがキョトンとしているのだった。
「何だかよく分からんが……二人とも、私の知らぬ間に随分打ち解けたのだな。本当に良かった」
そんなユナに、フィーネは何とも言えない表情で、曖昧にほほ笑んだのだった。
「……とにかく。ガラール紋章院としてもデータが欲しいわ。あなたが犯人ではないという確実なデータが、ね」
フィーネは咳払いをすると、若干の落ち着きを取り戻しつつ言った。ルヴィスは顔をしかめながらそれに応える。
「えらく信用してくれるんだな? 気味が悪いぜ」
「勘違いしないで。あくまで可能性を潰しておきたいだけよ。あなたを信用しているわけじゃない。紋章院で採血を受けて。吸血鬼にとって、人間の血は魔力の源。あなたがもし、人間の血を摂取しているなら……何らかの数値の異常がある筈よ」
「やれやれ……モルモットみてえな扱いだな?」
「そうかしら? モルモットの方が、まだ可愛げがあると思うけど?」
フィーネはたっぷりと皮肉を込め、冷ややかに言い放った。おまけに最後には鼻を鳴らすという、ふてぶてしさだ。ルヴィスは内心で後悔した。さっき、もっと徹底的にいじっておけば良かった、と。
ともかく、ユナとフィーネの二人とはそこで分かれた。そしてルヴィスは、フィーネに言われた通り、ガラール紋章院へと赴く。
そこでいろいろな機器をあてがわれたり、採血されたりした。
こういった検査とは名ばかりのデータ採取は、ジークムントの時代から幾度となく受けさせられた。そのせいか、今でも勝手にあれこれと調べられることには抵抗感があるが、自分の無実を証明するためだと思って我慢することにした。




