第5話 新たな敵
「ユナ……? どうした?」
そう問い返すが、言い辛い事なのか、ユナは言い淀む気配を見せる。そして、傍らでやはり訝しげにしているフィーネへと視線を向ける。
「フィーネも一緒だったのか。それが……厄介な事が起こってな」
ユナは沈鬱な表情を更に強張らせる。しかしこれ以上、勿体ぶるような真似をしても、意味はないと悟ったのだろう。ようやく重い口を開いた。
「……アースガルドの城下町で、ある娘の死体が発見された」
「死体……?」
「それがどうしたのですの?」
ルヴィスとレーヴァテインがそれぞれ疑問符を浮かべる。死体が発見されたのは痛ましい事だが、それと自分たちと何の関係があるのか。
するとユナは、思いもがけないことを口にした。
「その娘の首筋には何かに咬まれたような跡があってな。彼女は血を一滴残らず吸われていたんだ」
「それはつまり…………吸血鬼に襲われたという事かしら?」
頭の回転の速いフィーネが、ユナにそう尋ねる。
人の血を啜ることを第一の目的として行動する吸血鬼は、人間の首筋に張り巡らされた頸動脈を真っ先に狙う。その事から連想したのだろう。
ユナも浮かない表情ながらも首肯する。
「そうだ。しかも、綺麗に血だけ吸われている。手口が鮮やかな事から、人型の吸血鬼の仕業ではないかという話だ」
吸血鬼は下位のものであればあるほど知能が低く、行動も単純化する。逆に上位になると、巣を張って待ちかまえたり、擬態して誘い込んだりと、小賢しい手段を用いるようになる。その事から、犯人である吸血鬼がかなりの知能の持ち主だと判断したのだろう。
ルヴィスとレーヴァテインは顔を見合わす。その表情はどちらも、ユナに負けず劣らず、硬い。
二人とも、ある可能性に思い至ったからだ。
人型の吸血鬼。しかし、犯人はルヴィスではない。ルヴィスは人の血を啜ることを忌避しているからだ。ユナにも触れていないのに、見ず知らずの娘を襲ったりなどしない。
という事は。
(このアースガルドに、俺以外の人型の吸血鬼が潜伏しているという事か……?)
吸血鬼の中でも、最も強大で恐ろしい敵が人型の吸血鬼だ。かつてアースガルドを焼き尽くし、《五十年前の劫火》を引き起こしたルヴィス=レギンレイヴ。そしてつい数か月前、ハーナル公園を焼き尽くし、王墓を破壊しようとしたフレイア。
ルヴィスも彼らの手強さは、嫌というほど思い知らされている。
先日倒したフレイアは、体は炭となり、その体を構成していた特殊魔術式はいずこかへ飛び去って行った。レーヴァテインによると、放出されたエインヘリアルは宿主を探しているという事だったが、今すぐに復活することはないという。
ルヴィス、そしてフレイア。そのどちらとも違う第三の人型の吸血鬼が現れた可能性がある。
そしてそれは、新たな戦いの始まりでもあった。
一報を受け、ルヴィスとユナは現場に急行した。何故だか、フィーネも一緒だ。グラニを始めとした聖騎士ヴァルキリーの部隊もランニングを打ち切り、駆け付ける。
場所はヘルヴォル市場にある、スケグル通りだった。市場から少し奥まったところにある通りで、飲食店や酒場が軒を連ねている。
そのせいか、夜間は賑やかなのだが、昼間は案外と人けがない。シェリーの店、《グリトニル》にもほど近い区画だ。
死んでいたのは郊外に住む農家の娘だった。どうやら作物を市場に売りに来ていたらしい。その帰りに稼いだ金で、スケグル通りにある肉屋や魚屋で食物を買って帰る姿が、頻繁に目撃されていたという。
死体は総菜屋と居酒屋の間にある、人がかろうじて一人通れるほどの狭い路地に、押し込められるようにして放置されていた。フィーネは娘の遺体に近づき、検分を始める。ガラール紋章院は治療部門があり、死体検分や解剖等も行っているのだ。
てっきり好奇心で付いて来たのだ思っていたが、どうやらそれがフィーネの職務の一環であるらしい。犯人が人型の吸血鬼である可能性があるため、より正確な死体検分が必要と、フィーネが呼ばれたのだ。
「……確かに血が抜かれているわね。首筋に、吸血鬼に噛まれたと思われる傷跡も、しっかり残っているわ」
フィーネの指摘する通り、娘の体は血の気が全く無く、作り物の人形のように真っ白だった。首のちょうど頸動脈が走っているあたりには、何かの咬んだような跡がくっきりと残り、そこだけどす黒い青紫色に変色している。
「そうか……やはり、吸血鬼の仕業か」
ユナが呻くように呟くと、フィーネは首肯する。
「おそらく……それも、かなり知能の高い吸血鬼の、ね」
ごくりと、息を吞む面々。その表情から、誰の脳裏にも、先日戦った女の人型吸血鬼――フレイアの姿があるのは明白だった。
そんな緊迫した空気を知ってか知らずか、フィーネは淡々と続ける。
「……もしこれが低級の吸血鬼なら、被害者が襲われている時点で大騒ぎになっている筈よ。彼らは手当たり次第に人間を襲い、派手に食い散らかすもの」
「確かにそうだな。この間、ハグバルド地区に出た吸血鬼もそうだった」
「でもこの吸血鬼は、娘一人をターゲットにしている。おまけに吸血後、事が露見しないようにこっそりと遺体を置き去っているわ。その二点を考えても、加害者の吸血鬼が中級以上である事が窺える。私も人型の吸血鬼の仕業だという見方に間違いはないと思うわ」
「そうか……」
やはり、か――その言葉で、ルヴィスやユナの顔に緊張が走った。聖騎士たちにもそれは聞こえていたらしく、動揺したようなざわめきが起こる。
吸血鬼は知能と強さが比例する傾向がある。知能があるということは、かなりの実力があるということとイコールなのだ。
二か月前、フレイアと戦った時には、味方にも相当の被害が出た。ここにいる者で、その時のことを思い出さなかったものはいまい。またあれを繰り返すのか。今度は一体、どれほどの犠牲が出るというのだろう。
「ただ、おかしな点もあるのよね」
「何だ?」
不意に首を傾げたフィーネに釣られるようにして、ユナも眉をひそめる。フィーネは娘の遺体から目を離し、ルヴィスとユナを交互に見つめて言った。
「人型の吸血鬼に関しては、分かっていない事も多いわ。何せ、相手があまりにも強大すぎて人類の手に負えないものだから、情報が限られているのよ。ただ……人型は基本的に、食糧とする人間を食い散らかしたりすることは少ないそうよ。むしろ、吸血対象に特別な感情を寄せることもあるの」
「特別な感情……?」
「そう。歴史書である《エインヘリアルの書》によると、かつては人型の吸血鬼が吸血対象を恋人や愛人にしちゃう例もあったんですって」
「こ、恋人だと……⁉」
その言葉に反応を示したのは、ユナだった。頬を赤く染め、ひどく狼狽している。
一方のルヴィスは、フィーネを問い質した。
「つまり、こうやって吸血対象を呆気なく捨てていくのは変だって言いたいのか?」
「まあ、人型の吸血鬼にもいろいろな性格があるでしょうから、一概に決めつけることはできないけれど……」
確かに娘は、ここで襲われたという様子ではない。着衣の乱れが全くないからだ。大体、もしここで襲われたなら、もっと広くて安全な場所へと逃げ込もうとしただろう。こんな狭い路地に、きれいにすっぽりと収まっているのはどうも腑に落ちない。
そしてまた、犯人に大切に扱われているという風でもなかった。どちらかというと、ここに捨てて行かれたというのが正解のような気がする。
おそらくどこかで襲われ、ここに無造作に捨てられたのだ。
すると、それまで無言で話を聞いていたグラニが、不意にルヴィスに向かってニヤリと意味ありげに笑った。
「そういった話は、吸血鬼王さんの方が詳しいんじゃないですかねぇ?」
「……グラニ!」
ユナは渋面を作りグラニを鋭く叱責するが、当のグラニは、軽薄な態度でひょいと肩を竦めただけだった。
挑発に乗っては、グラニの思うがままだ。ルヴィスは務めて冷静に答える。
「さあな。俺としても、他の人型吸血鬼の食事を見たことがあるわけじゃない。だからその質問には答えられない」
確かにルヴィスとしては、フィーネの言う通り、血が吸えれば誰でもいいというわけではない。ただ、そもそも吸血行為自体に抵抗があるし、その感覚が他の人型吸血鬼に当て嵌まるかどうかも分からない。
自分の場合がこうだからと言って、決めつけるわけにはいかなかった。
そのせいだろうか。歯切れの悪いルヴィスに対し、グラニの疑いはなかなか晴れないようだ。グラニは尚もしつこく質問を繰り出す。
「そうですかい? そもそもですが、これが吸血鬼王の仕業ではないという、確たる証拠もないわけですよね?」
「やめろ、ルヴィスがそんなことをするわけないだろう!」
ルヴィスを慮ってか、ユナは声を荒げる。しかし、グラニは引き下がらない。
「そうですか? 聖騎士としては、当然その可能性は考慮に入れるべきでは?」
「そ、それは……しかし……!」
ルヴィスとユナは完全に劣勢に立たされていた。冷静に考えるなら、グラニの言うことは正しいだろう。聖騎士は吸血鬼からアースガルドを守るべき立場にある。本来なら真っ先にルヴィスを疑い、吊るし上げるべきなのだ。間違っても、庇い立てするような対象ではない。
しかし、ルヴィスが犯人でないことは事実だ。どうしたらそれをグラニに納得させられるか。考えあぐねていると、意外なことに、フィーネが助け舟を出してきた。
「残念ながらその可能性は薄いわね、副騎士団長さん」
「フィーネ……?」
皆がどういうことかと、フィーネに視線を集める。フィーネは路地に横たわった娘を見下ろしながら、説明し始めた。
「死体の状況からすると、死後、それほど経っているわけじゃないわ。せいぜい三時間……といったところかしら。吸血鬼王はその当時、アースガルド城にいた筈よ。あなた達もそれはよく知っているんじゃないかしら?」
「それは……確かにそうですが」
確たる証拠を突き付けられ、さすがに攻撃材料を失ったのか、グラニは言葉を呑む。
一方のユナはどことなくほっとした表情になる。
取り敢えずルヴィスは犯人候補から外れたようだ。
しかし、だからと言って真犯人が何者か分かったわけでもなければ、手掛かりがあるわけでも無い。むしろ、事態はより深刻さを増していた。
「だが、とにかくこの王都に、人型の吸血鬼が潜り込んでいるのは間違いないということだな……?」
ユナは再び緊迫した声音でそう発する。
「おまけにそいつは、外見上は普通の人間と何一つ変わらないってことだ」
ルヴィスも眉間にしわが寄るのを感じていた。フレイアの件を考えても、吸血鬼が自らな名乗りでもしない限り、こちら側から見つけ出すのはほぼ不可能に近いだろう。
「人の血を吸わなければ生きていけないという吸血鬼の習性を考えると、新たな被害者が出る可能性が非常に高いわね……」
フィーネの言葉に、グラニも深刻そうな表情を浮かべる。
「……厄介な事態になりましたな」
互いの思惑はどうあれ、それは共通認識であると言わざるを得なかった。
すると、言葉少なく表情を曇らせる面々の元に、冴えない衛兵――ハイノが駆け寄ってくる。ハイノはユナとグラニに一礼すると、びしりと敬礼のポーズをとる。
「報告します! ユナハイム=ブリュンヒルデ騎士団長、アースガルド王がお呼びです! 吸血鬼王とともに登城せよとのご命令です」
「……! 分かった、すぐに向かおう」
「ジークフリートの奴、さっそくか」
ルヴィスは、己も登城を促されていると知り、これでもかと顔をしかめて毒づいた。ルヴィスにとってジークフリートは、そう何度も顔を合わせたい相手ではない。できるなら、二度と関わり合いになりたくないくらいだ。
すると、それを聞いていたフィーネが、さして同情した様子もなく冷ややかに指摘する。
「人型の吸血鬼が出たとあらば、のんびりもしていられないでしょう? 私も一緒に行くわ。王に詳細をご説明差し上げなければ」
「ご苦労なこったな」
ルヴィスは皮肉を飛ばす。
「私は自分の職務を全うしているだけ」
ところが、フィーネは澄ました表情でルヴィスの悪態を受け流した。すっかりいつもの余裕を取り戻したガラール紋章院の院長の姿に、ルヴィスはつまんねえとばかりに鼻白む。
しかしレーヴァテインは、それでは腹の虫が収まらなかったのか、きいっと癇癪を起こした。
「まー、何ですの? 態度悪いハイエルフですの‼」
「おチビちゃんは黙ってて」
レーヴァテインの方は見もせずに、フィーネはぴしゃりと応じた。それがますますレーヴァテインの神経を逆撫でにしたようだ。
「何ですって⁉ あなたこそハイエルフじゃなくて、廃エルフのくせに、ですの‼」
「は……廃エルフですって⁉」
よほど納得がいかなかったのか、さすがのフィーネも声が裏返る。どうやら論理的な応戦が得意な分、単純な悪態には意外と弱いらしい。
そのやり取りを聞いていたユナは、さっそく間に入って二人を窘めた。
「やめろ、二人とも。力を合わせて事件を解決せねばならない時に、角を突き合わせてどうする?」
ユナの口調は、学級委員長そのものだった。ところがレーヴァテインは、憎たらしげに、べーっと舌を出す。
「あなたにだけは言われたくないですの! 脳筋狼女ですの‼」
今度は、ユナとフィーネが同時に渋面を作った。
「くっ……何と小癪な……!」
「全くだわ。彼女、あなたの眷属なんでしょう? 主の性格が悪いと、下僕の人格も歪んじゃうのかしら」
「レーヴは俺の言う事はよく聞くぜ? それにあながち間違ってないんじゃねえか? 廃エルフか……傑作だな」
そう言ってニヤニヤ笑うルヴィスを、フィーネはじろりと睨む。
「……言ったわね! この……覚えてなさいよ⁉」
三人の背後で、またもやグラニがわざとらしい咳をし、ようやく会話は打ち切られた。
その後、一行はヴァルハラ城へと向かう。通されたのは、ジークフリートが臣下と謁見を行う時に用いる、いつもの大広間だった。




