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血戒の心臓  作者: 天野地人
第二章
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第3話 理想と現実 

 執務室から退出したルヴィスとユナは、ヴァルハラ城の広々とした回廊を歩いていた。


 時おり貴族や大臣たちとすれ違うが、みなルヴィスと見るや顔をしかめ、まるで毛虫でも避けるかのように距離をとる。


 ルヴィスは機嫌が悪く、明らかにしかめ面だったので、余計にだ。

 そんなことは日常茶飯事なので、ルヴィスは気にせず堂々と回廊の真ん中を歩いた。


「……すまぬな、ルヴィス」


 ルヴィスから三歩ほど後ろを黙ってついて来ていたユナが、不意に口を開いた。振り返ると、聖騎士団長としての威厳のある姿はそこには無く、ユナはすっかり意気消沈している。

 ルヴィスはわざと明るい声を出して答えた。


「なんでお前が謝るんだよ?」

「我々アースガルドに住む全員のために、お前が犠牲になっている……私はそのことが心苦しくてならないんだ」


 彼女らしい、率直な言葉だった。ルヴィスは、強張ってしわの寄った自らの眉間が、弛緩するのを感じていた。


「気にすんなよ。自分で選んだ道だ。ただ……ジークフリートの奴はどうも苦手でさ。つい、悪態ついちまうんだよな」


 アースガルドの為に吸血鬼退治をすること自体は嫌いではない。それは吸血鬼になる以前にもしていたことだ。

 だから心臓が王墓と直結していると知った時も、無理に取り戻そうとはしなかった。アースガルドがルヴィスにとって、故郷同然の大切な地だったからだ。


 だが、それを平然とした顔で利用するジークフリートには、どうしても反発してしまう。

 

 ユナは悲しげな表情をして、ルヴィスに訴えた。


「王のことを悪く思わないでくれ。ああいうお方なのだ。あの方も御父君のために随分と苦労された。そのせいか、少し……感情表現が苦手でいらっしゃるのだ」


(あれはどう考えても、素だろ……)


 ルヴィスにしてみれば、ジークフリートは感情表現が苦手などころか、むしろ思う存分、生来の性格の悪さを発揮していると思うのだが、ユナはどうやらそう考えていないらしい。

 どうもユナは、ことジークフリートの事に関しては、盲目になってしまう傾向がある。


 いつもなら、ルヴィスも思い切り突っ込んでいるところだ。だが、彼女の立場を考えると、そうするわけにもいかない。


 ユナは聖騎士ヴァルキリーの騎士団長だ。ルヴィスが余計なことを吹き込んだが為に、その職務を全うするのに支障をきたすような事態になるのは避けたかった。ユナは器用な性格ではない。今の彼女に、雑念は必要ない。


 よってルヴィスは、早々にこの話題を変えることにした。


「……あー、なんか疲れたな。メシでも食って帰るか」

「そうだな。シェリー殿のところへ寄っていこう」


 ユナの表情に、ようやく笑顔が戻る。ルヴィスは聖騎士の鎧を脱ぎ、軽装になった彼女を連れ、下町にあるヘルヴォル市場へと向かった。





 ヘルヴォル市場は、アースガルドにいくつかある巨大市場の一つだ。

 スラム街のど真ん中にあるという事もあって猥雑な印象があるが、その分、活気もある。


 異種族が多く集まる場所でもあり、人種は様々だ。


 エルフ族やドワーフ族、フェンリル族は勿論、人間との混血も大勢いる。


 彼らが縄張りを主張することなく、ごっちゃになって仲良く生活しているのだから、考えてみればそれはそれですごい事だと思えて来る。


 ユナはここに来るたびに不法占拠だと眦を吊り上げていたが、最近はどうやら慣れてきたらしく、文句を言う事も少なくなった。

 それでも露出の多い踊り子や娼婦にはいまだ慣れないらしく、ルヴィスにまとわりつく彼女らを見て、顔をしかめている。


 やがて、ひときわ目立つ店が見えてきた。

 これでもかと鮮烈な、ドピンクの店舗。シェリーの店、居酒屋グリトニルだ。


 ルヴィスとユナ、そしてレーヴァテインが店内に足を踏み入れると、シェリーは体をくねらせ、三人の来訪を喜んだ。


「あらぁ~、いらっしゃい、三人とも!」 


「よお、ザッツ。いつものやつ、頼む」

 ルヴィスが笑いながら声をかけると、シェリーは唇を尖らせる。

「もう、本名で呼ばないでって、いつも言ってるでしょ? そちらの騎士団長さんもいつものでいいのかしら?」

「ああ、頼む」


 シェリーは女性のファッションに身を包み、濃い化粧を施しているが、体格はどう見ても男だ。本人もいたくその事を気にしていて、ザッツという男名の本名で呼ぶと、機嫌を損ねる。


 それでもつい本名で呼んでしまうのは、シェリーに出会ったのがまだ完全に男だった時だったからだ。因みにその時、この居酒屋はまだなく、シェリーは大工の見習いとして働いていた。いつ目覚めたのかは知らないが、大工時代の貯蓄を開店資金にしたらしい。


 ルヴィスとユナ、レーヴァテインの三人は、並んでカウンター席に座る。昼時は過ぎているからか、ちょうど人のいない頃合いだ。


「また吸血鬼が出たんですって?」

 シェリーはてきぱきと手を動かしながら、渋面を作る。

「ああ、ハグバルド地区の方だ」ルヴィスはそう答えた。するとシェリーは、意地悪くにんまりと笑う。

「あの高級住宅街ね。ちょっといい気味だわ」


「おいおい、はっきり言うな」


「だって、あの辺ってお金持ちの貴族様ばかりじゃない。いくら貧乏人の集まりだからって、この辺ばかり襲われたんじゃ堪らないわよ」


 つんと澄ました顔で、シェリーは憚ることなく、不満を口にする。確かにハグバルド地区はヴァルハラ城に近い場所にあるせいか、比較的吸血鬼の襲撃も少ない。

 一方、ヘルヴォル市場はアースガルドの北端にあり、ヴァルハラ城からも遠い。そのせいか、吸血鬼の出没頻繁も、他の地区に比べて突出して高かった。 


 ユナは、聖騎士である己にも責任があると思っているのだろう、申し訳なさそうな声で言った。


「ジークフリート王が即位されたのだ。そのうち、吸血鬼も侵入しなくなるだろう。もう少しの辛抱だ」


「分かってるわよ。聖騎士やルヴィスが頑張ってくれているってことはね。あたしたちみたいな異種族はこの下町で生きるしかないもの。頼りにしてるわ」

 シェリーはそう言いうと、ウインクを返す。


「ところで……ヴォルヴァの婆さんは? 姿が見えないようだが……」


下町を訪れた目的の一つは、ヴォルヴァとの面会だった。


 ヴォルヴァはダークエルフの占い師で、この下町の長老的存在だ。ルヴィスも彼女の予言能力による助言を求め、何度となく頼ったことがある。ついこの間も、強大な人型吸血鬼と戦う際、あれこれと面倒を見てもらったばかりだ。その時の事について礼を言いたいのだが、あれ以来、ヴォルヴァと会っていなかったのだ。


 シェリーは大きな手の平を右頬に当て、心配そうな表情になる。

「ああ、お婆ちゃんね。最近体調が優れないらしいわ。もう年だものねぇ」

「そうか……」


 二ヶ月ほど前に戦った人型の吸血鬼、フレイア。彼女と戦う際、ルヴィスはヴォルヴァから、彼女の精製した精霊石をもらった。精霊石とは、エルフの魔力を長い時間かけて込めた石のことだ。しかし、あまりにも戦闘が激しく、その精霊石は粉々に砕け散っていた。


 ヴォルヴァの精霊石が無ければ、フレイアに勝利することはできなかった。だが一方で、仕方なかったとはいえ、ルヴィスはヴォルヴァの全財産を大破させたことになる。


「……。元気になってくれるといいんだがな……」

 表情を曇らせたルヴィスを励ますように、ユナは微笑む。

「また日を改めて、見舞いに来よう」

「ああ、そうだな」

 こういう時、ユナの心遣いはありがたい。


 その時、ちょうどタイミング良く、シェリーが完成した料理を取り出してカウンターの上に並べ始めた。

「は~い、お待たせ。ローストビーフサンドと、BLTサンドのセット、それに蜂蜜パンケーキよ」

「ん~、いい匂いですの!」


 レーヴァテインは蜂蜜のたっぷりかかったパンケーキに目を輝かせる。ユナの目の前にはBLTサンドが、ルヴィスはにローストビーフサンドがそれぞれ並ぶ。

 香ばしく焼けたパンの芳醇な香りが何とも言えない。ユナも思わずといった様子で、感嘆の声を上げる。


「うむ……シェリー殿の料理は絶品だな……!」


「あらそ? ありがと!」

 シェリーはまんざらでもなさそうな顔で、にっこりと笑う。しかし、レーヴァテインはパンケーキを口に頬張りながら、辛辣な一言を放ったのだった。

「あなたもレディとして、少しは見習った方がいいですの。この間作ったシチューは焚火の味がしたですの!」


 ユナは、む、と石ころが咽喉に詰まったような顔をした。

 先日ユナは生まれて初めてシチュー作りに挑戦し、それを盛大に焦がしたのだった。その時のことを思い出したのか、ユナは大変に苦々しい表情で弁明をする。


「に、人間には誰しも得手不得手というものがあるのだ!」


「シチューなんて、ただ煮込めばいいだけですの! 得手不得手もへったくれもないですの!」

 対するレーヴァテインは半眼でぶつぶつと言い返す。彼女にしてみれば、『焚き火の味がするシチュー』の始末をさせられ、踏んだり蹴ったりだったのだろう。


「まあまあ、二人ともそれくらいになさいよ。でも……そうねえ、騎士団長さん。簡単な料理なら、あたしが教えてあげるわよ?」

 シェリーの提案にユナは目を輝かせ、ビシッと背筋を正した。


「本当か⁉ 是非、よろしくお願いしたい!」

「やあね、もう少し肩の力抜いていいわよ。騎士団の訓練じゃないんだから」


 ルヴィスは微笑んで三人のやり取りを聞いていた。長閑な午後だった。


 少し前までは、こんな生活は考えられなかった。暗い地下牢に繋がれ、地上に出られるのは吸血鬼退治の時だけだった。どれほど自由を渇望したことか。しかし、心臓を盾に取られては、逆らう事も出来なかった。


 あの地獄のような日々を考えれば、この穏やかな日常がどれほど貴重で尊いものであるか。言葉では簡単に言い表せないほどだ。

 確かにまだ、吸血鬼は出る。ルヴィスの心臓も、地下深くにある王墓に納まったままだ。しかしそれでも、ルヴィスは今の生活に不満はなかった。


 これからも、こんな生活が続けばいい――しかしその時、ルヴィスは胃のあたりに突然、激しい違和感が走るのを感じる。それに気づいたのか、ユナは心配そうに聞いてきた。


「……ルヴィス、どうした?」

「いや、何でもない。気にすんな」


 ルヴィスは無理をして笑顔を返す。しかし胃の辺りの違和感は、なくなるどころか徐々に増し、激痛を伴っていった。

 ルヴィスは全精力を傾けて、それが表に出ないように努める。


 その原因が何であるか。それは自分自身、よく分かっていた。





 ルヴィスたちが現在、住居として用いている家は、丘の上にある木造の一軒家だ。


 ジークフリートによって下賜されたという、少々気に食わない経緯で住むことになった家だが、部屋は広く、住み心地も良い。今ではすっかり住み慣れた我が家と化している。


 家に戻るとほどなくして、ガラール紋章院から昼間助けたダークエルフの娘――リーゼロッテが運ばれてくる。


 あの後、ユナは密かに手を回し、リーゼロッテがガラール紋章院で手当てを受けることができるようにしてくれたのだ。治療が功を奏したのか、リーゼロッテは穏やかな表情で眠り続けている。

 ルヴィスとユナは、彼女を二階の空き部屋へと連れて行き、ベッドに寝かせた。


「紋章院の治療師に見てもらったが、命に係わるほどの大怪我は負っていなかったそうだ。ただ、体力の低下による衰弱が激しいらしい。吸血鬼どもから逃げるのに精いっぱいで、飲食したり眠ったりするような余裕は全くなかったのだろう」


 ユナの説明に、ルヴィスは「そうか……」と答える。いろいろと気になることはあるが、リーゼロッテの怪我の程度が軽い事は朗報だった。ユナも、一安心とばかりに微笑む。


「この家で休めば、きっとすぐに良くなる」

「……ああ、そうだな」


 ルヴィスはリーゼロッテの傍を離れて立ち上がろうとして、足を縺れさせ、ふらついた。ユナはすぐにそれを支え、表情を曇らせる。


「大丈夫か、ルヴィス⁉」


「あ、ああ……何でもない」


 すぐに答えるが、ルヴィスは言葉とは裏腹に、激しい眩暈に襲われていた。ユナもそれを察したらしく、眉根を寄せる。


「そんなにフラフラで、何でもないことはないだろう! ……私はお前の事の方が気懸かりだぞ、ルヴィス。昼間もシェリーの店で様子がおかしかった。お前、ひょっとして、人の血が……」


「何でもないって言ってるだろ、ユナ。心配しすぎだ」


 ルヴィスはユナの言葉を遮り、笑顔を見せる。自分でも表情筋が強張っているのは分かったが、それでも出来るだけユナに心配をかけたくなかった。


「さてと。とりあえず、今日のところは休ませてやろうぜ」

「ルヴィス……」


 もの言いたげなユナを連れ、ルヴィスはリーゼロッテの部屋を出る。そして、それぞれの部屋へと別れた。


 胃の辺りに感じる違和感が何であるか。

 何故、立ちくらみなど起こすのか。


 その理由は、ルヴィス自身が誰よりもよく理解していた。


 吸血鬼であるルヴィスに必要なのは、人間の血だ。

 人の血は吸血鬼の魔力の源となる。

 魔力が尽きれば、どれだけ体力が残っていようとも、行動することが不可能になってしまう。要するに現在のルヴィスは栄養失調に陥っているのだった。


 だから、本来であれは、パンや牛肉といった食事をとる必要はない。だが、それでもルヴィスはできるだけ三度の食事をとるようにしていた。可能な限り、人間と同じ生活をしたかったからだ。

 一方で、どれだけ苦しくても、人の血は口にしないようにしていた。血を啜れば、否応なしに己が吸血鬼であることを自覚させられる。ルヴィスにとって、それほど辛いことはなかった。


 人として、生きたい。例え体が許さなくとも。


 それがルヴィスの唯一の願いだった。


 ルヴィスは自室に入るなり、ベッドに倒れこむ。もう、一歩も動けない。魔欲不足も限界に達していた。

 レーヴァテインが心配してルヴィスに寄り添う。そして若干の躊躇の後、おずおずと口を開いた。


「主様……主様は吸血鬼なのですの。どれだけ抗っても、その事実は変えられないですの。人間の血を吸わなければ……飢餓状態に陥って、正気を保つのも難しくなってしまうですの……‼」


「ち……違う! 俺は……俺は人間だ……! 吸血鬼みてえな真似してたまるか……‼」


 胃の疼きが咽喉へと伝染し、激しい衝動を伴った激痛と化す。体は無性に人の血を求めたが、理性で何とかそれを封じ込める。

 強烈な飢えと渇き。それは魔力不足によって起きる、吸血衝動だった。

 ルヴィスは死に物狂いでそれに耐える。今日はハグバルド地区での吸血鬼退治で、血戒魔術を使った。 そのせいか、いつもより衝動の程度がひどい気がする。


「ぐっ……う、うう……!」


 全身を激しく掻き毟る。痛みによって少しでもそこから意識を逸らしたかった。


 ルヴィスは毎晩のように、その吸血衝動と戦っていた。王墓でユナの血を得てから、人の血は二度と口にしていない。誰かのユナ首筋に噛みついて血を啜るなど真っ平だったし、ユナを傷つけるのはもっと嫌だった。


 その発作は、結局、明け方まで続いたのだった。





 翌日の朝早く、ルヴィスはヴァルハラ城に登城した。

 目的は、聖騎士ヴァルキリーの訓練に付き合うためだ。

 正直に言うとあまり乗り気ではなかったのだが、騎士団長であるユナに付き合ってくれと頼まれては、嫌とは言えない。


 今や吸血鬼退治にルヴィスの存在は必要不可欠だ。連携をもっとスムーズにとるためにも、是非参加してほしいと請われていた。

 

 昨晩の睡眠不足で軽い頭痛がするが、我慢できないほどではない。


 ルヴィスは城の東端にある、騎士団の訓練場へと向かう。

 

 訓練場は半地下になっているが、外側に面している壁は開け放たれているせいか、暗くはない。砂だけのだだっ広い広場になっていて、緩やかなスロープを経由し、地上にある第二訓練場と続いている。

 訓練場の隅には、弓の訓練用の的や、鎧や剣、藁人形などが雑然と置いてあった。


 全体的に殺風景で、埃っぽく、汗の臭いが至る所に染みついている。


 ルヴィスが半地下になっている訓練場を訪れると、すでに大勢の聖騎士たちが集まっていた。どれも正規の鎧はまとっておらず、訓練用の軽装だ。しかし、その中にユナの姿は見えない。どうやら規律正しい彼女にしては珍しく、少々遅れているらしい。そこでルヴィスは壁にもたれ、ユナを待つことにする。


 聖騎士たちはルヴィスから離れたところに固まり、それぞれ準備体操をしたり小声で会話を交わしたりしている。はっきりとルヴィスを直視する者は稀だが、みなルヴィスの存在を気にしていることが、雰囲気でわかる。


 残念ながらその殆どは、警戒や敵意、不信といった、否定的な感情だった。敏感にそれを察したレーヴァテインは、眉を吊り上げる。


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