第2話 ダークエルフの娘
しかも、彼女は人間の血が混じっていない純血種だ。
耳の形が尖っており、そうなのだと分かる。
知り合いのダークエルフに身体的特徴が酷似していることからも、ほぼ間違いないと考えていいだろう。
ただ、ダークエルフの娘はとても顔色が悪い。
ルヴィスの懸念に反して目立った外傷はないようだが、緊張感が限界に達してしまったのか、力尽き、くたりとルヴィスの腕の中に倒れ込んで来る。
「おい、しっかりしろ! お前、名は?」
ルヴィスが娘を軽く揺さぶると、娘は苦しそうに表情を歪め、喘ぎながらも質問に答える。
「……。リーゼロッテ。……リーゼロッテ=バルツァー」
「リーゼロッテ……か。お前、ダークエルフだろう? 何故、こんなところにいる?」
再び問うと、やはり娘は苦しそうに答える。
「逃げて、来た……吸血鬼に……襲われて……!」
「異種族の娘か。吸血鬼に襲われたという事は……先ほどの二体の吸血鬼は、この娘を狙っていたということか」
ユナがルヴィスのそばに来てそう言った。ルヴィスはダークエルフの娘に視線を注いだまま、「……多分、な」と、返事を返す。
ダークエルフは普通のエルフ族と違い、特定の領地を持たない。その多くは各地を転々とし、流浪して生計を立てている。
この娘はどこかの領地で吸血鬼に出くわし、アースガルドへと逃げてきたのだろう。
そんなことを考えていると、ぎこちない呼吸を繰り返していたリーゼロッテが、不意にルヴィスの方を向いた。
衰弱し、光を失いかけた虚ろな瞳で、探し求めるようにしてルヴィスを見つめる。
「気を、つけて……あなたに、これから苦難が降りかかる……」
「何……?」
突然、何を言い出すのか。ルヴィスが眉根を寄せると、リーゼロッテの様子が更に一変した。
ルヴィスの腕の中で、華奢な体はびくりと硬直する。そして意識を失ったかのように、がくりと仰け反り、仰向けになった。
ルヴィスは慌てて、リーゼロッテを抱き起す。
てっきり気を失ってしまったのだと思っていてが、リーゼロッテは目を見開いていた。
だが、意識があるというのとも少し違う。
大きく目を見開き、瞳孔が完全に開いていたのだ。
その焦点がどこにあるのか、全く分からない。ルヴィスに向いているわけでもなければ、ユナや聖騎士に向いているわけでもない。完全に宙を彷徨っている。
リーゼロッテに一体、何が起こったのか。ルヴィスが訝しく思っていると、リーゼロッテは目を見開いたまま、囁くようにして言葉を紡ぎ始めた。
「――赤い雷鳴が轟き、お前を貫かんと襲い掛かるだろう。
禍々しい稲妻は蛇によって放たれる。
奴に決して気を許すな。
ユグドラシルは常にお前たちを監視しているぞ……‼」
それは確かにリーゼロッテの声だったが、しゃがれた老人のような老成した話し方だった。
明らかに十代の少女のそれではない。
全くの別人が乗り移り、リーゼロッテの口を借りて喋っている――そんな激しい違和感を放っていた。
それだけを口にすると、リーゼロッテは瞳を閉じ、がくんと全身から力を抜く。
そしてとうとう、完全に意識を失った。
「おい、しっかりしろ! 今のは一体、どういう意味だ? ……おい‼」
ルヴィスはリーゼロッテにそう呼びかけるが、彼女の長い睫が動くことはなかった。息はあるようだが、完全に力尽きてしまったのだろう。
「何だ、今のは? まるで……占い師・ヴォルヴァみたいだったな……」
傍で一部始終を目にしていたユナは、そう唸った。
占い師・ヴォルヴァはルヴィスの知る、唯一のダークエルフの純血種だ。予知能力に長けており、老齢であるため経験や知識も豊富だ。ルヴィスは彼女を何かと頼りにしていた。
「ダークエルフは二つのタイプに分かれるんだ。ヴォルヴァのように魔術に長けるタイプと、俺のように先頭にたけるタイプとに、な」
リーゼロッテにも、ヴォルヴァのような予知能力がある可能性は大いにあった。
そうであるなら、先ほどの不可解な言葉は予知の一種であるのか。
(奴に気を許すな、か。一体、誰のことだ……?)
いくつかキーワードはあったが、中でもそれが一番気になった。気を許すな、という事は、その者がルヴィスに、何か良からぬことをしでかそうとしている、という事だろう。
更に突き詰めて考えるなら、何者かがルヴィスを陥れようとしているようにも聞こえる。
ただ、現在のルヴィスの周囲は敵だらけで、怪しい人物には事欠かない。疑い始めたら、誰も彼もが怪しく見えてくる。
確かめようにも、リーゼロッテはすっかり気を失い、瞼を固く閉じたままだ。
しかし、ルヴィスはすぐにそれらの疑念を振り払った。まだ、彼女に予知能力があると決まったわけではない。もしかすると疲弊した挙句の虚言である可能性もあるのだ。
隣でユナがリーゼロッテの顔を覗き込む。
「ルヴィス、この娘をどうするつもりだ?」
「取りあえず、治療しねえとな。」
「そうか。だが……」
ユナは表情を曇らせる。ルヴィスはすぐに彼女の言わんとするところを汲み取った。
アースガルドの人間は異種族に対して偏見を持つ者が多い。見つかり次第、王都から追放という事も珍しくない。その為、アースガルドに住む異種族は、ごみごみとした下町で、身を寄せ合うようにして暮らしていた。
この娘もまた余程の理由が無い限り、まっとうな治療は受けられないだろうし、アースガルドでの長期滞在も許されないだろう。
「分かってる。俺たちの家に連れていこう」
「……!」
ユナは驚いたような表情をしたが、次の瞬間には、その瑠璃色の瞳を申し訳なさそうに伏せた。ルヴィスはその理由にすぐ思い当たる。
ルヴィスとユナが現在同居しているのは、ミズガルズ王・ジークフリートから恩賞としてもらった家だ。
二人で住むには広すぎるほどの豪華な家屋だが、曲がりなりにも王からの賜りものである以上、そこに許可なく第三者を住まわせることに抵抗があったのだろう。
ユナは忠誠心が厚い。決して彼女に悪気があるわけではない。
「部屋なら余ってる。この娘が回復する間だけでいいんだ。……頼む」
そうユナに頼み込む。
ルヴィスにはどうしても、リーゼロッテが赤の他人と思えなかった。それはルヴィスもまた、ダークエルフとの混血であるからかもしれない。
ルヴィスの体、というよりヴィルヘルム=シグムントがそうだったのだが、いずれにしろ、行き倒れの娘――しかも同族を、このまま見殺しには出来なかった。
ユナはしばらく考え込んでいたが、すぐに頷く。
「……そうだな。王や宰相殿はいい顔をしないだろうが……手負いの者をこのまま放ってはおけない」
「サンキュー、ユナ!」
ルヴィスがぱっと破顔すると、ユナは頭頂の獣耳まで赤くした。そして、何故だか猛烈に怒り始める。
「べ、別にお前のためというわけじゃないぞ! 人助けだ!」
すると、先ほどまで剣の姿をしていたレーヴァテインが、全身からまばゆい閃光を放つ。そして次の瞬間には、人の姿に変化していた。
十歳前後の幼女の姿で、真っ白くゆったりとしたローブを身に着けている。肌も、人外の者のように白いが、髪だけは炎のように赤い。
レーヴァテインはユナを睨みつけると、一気に捲し立てる。
「私は反対ですの! ただでさえこの犬女が一緒で迷惑しているのに……これ以上、主様にヘンな女を近づけたくないですの!」
「い……犬女、だと⁉」
ユナも聞き捨てならないとばかりに、レーヴァテインに食ってかかる。一方ルヴィスは、何を腹を立てているんだと、レーヴァテインを宥めた。
「なに怒ってんだよ、レーヴ? 別にいいだろ、同居人が一人増えるくらい」
「んもう、主様のニブちんですの! 主様はご自分のミリョクに気づいてないですの! この犬女だって主様のことをそれはもう、やらしい目つきで見ているんですのよ⁉」
レーヴァテインは唇を尖らせ、平然と言い放つ。ユナは動揺し、慌てて反論した。
「ま……待て! いつ私がそのような目つきでルヴィスを見たというのだ⁉」
「まー、自覚が無いんですの? 主様を見つめるあなたは、まるで骨付き肉を前にしたセントバーナードみたいですわよ?」
「せ、せ……セントバーナード、だと⁉ くっ……侮辱も大概にしないと、いくら子供でも許さんぞ‼」
「何ですって⁉ あなたこそいい加減にしなさいですの! 私は子どもじゃない、レディですの‼」
やいのやいのと、いつものやり取りを開始するユナとレーヴァテイン。
この二人はどうも相性が悪いらしく、何かあればすぐ口喧嘩を始める。その内容は子供の喧嘩そのもので、ルヴィスにしてみれば深刻さはなく、微笑ましい光景に見える時すらある。
「やれやれ……よく喧嘩するな、お前ら」
喧嘩するほど仲がいいというし、それ自体は構わないが、今は衰弱したリーゼロッテがいる。そんなことをしている婆ではないと二人を窘めようとした時、そこに副士団長のグラニがやって来た。
グラニはわざとらしく咳払いをして見せる。
「あー、ゴホン。……お取込み中のところすみませんがね」
「な……何だ、グラニ?」
はっと我に返ったユナは、慌てて騎士団長然とした表情を取り戻し、背筋を伸ばした。それに対し、相変わらず斜に構えた様子のグラニは、肩を竦めて答える。
「騎士団長、及び吸血鬼王。我が王がお呼びです。今すぐ登城するように、とね」
ジークフリート王が面会を求めている――その言葉を聞き、ユナは途端に顔を引き締め、ルヴィスは思いきり苦々しい表情に歪めたのだった。
王の居城、ヴァルハラ城は白を基調とした荘厳な城だ。
ミズガルズ大陸の中で最も大きく、名実共に世界の中心だと言って間違いはないだろう。
長大な階段を上り、回廊を歩くだけで、優に小半時はかかる。
そうしてルヴィスとユナが通されたのは、ジークフリート王の執務室だった。
部屋の中は一見地味だが、王の個室とあって豪華な調度品で溢れている。その部屋で待ち受けていたのは、淡い金髪と、湖面のような薄いブルーの瞳を持つ年若い王だった。
ジークフリートは端正な顔立ちをしているが、どこか冷徹な雰囲気を纏い、真意が容易には推し量れない人物だ。
ルヴィスはこの王がかなり苦手だった。
彼にとっては父王に当たるジークムントがルヴィスの心臓を奪ったことを利用し、服従させようとするような男だ。
ルヴィスにとってはその時点で十分、忌むべき相手であるが、それを除いてもジークフリートに対し、誠意を尽くして従事する気にはなれない。
どうやらジークムントの犯した数々の愚かな所業を軽蔑しているようで、その点については前王より幾分かマシだが、それでも全面的に信用する気にはどうしてもなれなかった。
ジークフリートからは、どうにもきな臭い匂いがする。はっきりと確証があるわけではないのだが、決して心を開いて打ち解けられる相手ではない。また、ジークフリートの方もルヴィスにそういった事はさらさら望んでいないようにも見える。
そのジークフリートは、形の良い唇にひやりとする笑みを浮かべ、机に両腕をついて二人を出迎えた。王の椅子の後ろには、いつもの様にラーズグリーズ宰相が控えている。
ラーズグリーズはひげを蓄えた、中年の男だ。
年の割にはすっきりと痩せていて、威厳のある顔つきをしているが、目元にはやや神経質そうな雰囲気を漂わせている。
彼の出自であるユングヴィ家は代々に渡って侯爵の位を冠してきた一族で、いわば名門中の名門だ。
ジークフリートはルヴィスとユナに向かって、鷹揚に口を開く。
「二人とも、吸血鬼討伐、ご苦労さま」
「ああ、まったくだぜ」
ルヴィスは皮肉をたっぷり込め、そう返した。すかさず、隣で頭を垂れていたユナが、
「……ルヴィス!」
と、注意をしてくる。ルヴィスと違い、ユナは王に対する忠誠心が厚い。いつもはルヴィスの味方をする彼女も、さすがに聞き捨てならなかったのだろう。
ところが、ルヴィスの悪態を当のジークフリートはすました表情で受け流している。ルヴィスがそう答えることは、想像の範疇だったようだ。
代わりに、傍で仕えるラーズグリーズが苦虫を嚙み潰したような表情で声を荒げた。
「貴様……王に向かって何だその口の利き方は⁉」
「だってそうだろ。現王様が即位して、半年は経つ。それなのに、何だって吸血鬼は未だに街に現れるんだ? そろそろ楽させてもらいてーな」
ルヴィスの言動は無礼を通り越して、挑発の域に達していた。ジークフリートは心外だというように、わざとらしく大仰な素振りで答える。
「街に吸血鬼が出るのは僕のせいだと……そう言いたいのかな?」
「違うのかよ?」
「彼らが何を考えているかなど、僕に分かる筈が無いだろう。もしそんなことができるなら、わざわざお前を使うなどという危険を冒す必要もないしね」
「……ああ? 何か文句があるってのか⁉」
ルヴィスは中腰で凄む。人を働かせておいて、どういう言い分だ――言外にそんなニュアンスをありったけ込めながら。
ところがジークフリートはそんなルヴィスの抗議など、意にも介さない。
「思い通りにならないのはお互い様だということだよ。僕たちは互いに利があって協力し合っている筈だ。違うかい?」
「協力……だと⁉ ふざけるな! お前らは俺の心臓を盾に、強引に従わせてるんじゃねーか‼」
確かに、ルヴィスの心臓を取り出し、王墓とドッキングさせたのは前王であるジークムントだ。しかし、ジークフリートはその事実を隠蔽し、それを利用する道を選んだ。そして事が露見した今も、それを憚ることなく最大限に利用している。
ルヴィスにしてみれば、ジークフリートの『互いに利があって協力し合っている』という言葉は、あまりにも都合の良すぎる戯言にしか思えなかった。
しかし激しく憤るルヴィスに、ジークフリートは冷ややかに応じる。
「そうは言っても、今や君の心臓と王墓は切っても切れない関係にあるのだからね。僕はそれを少し利用しただけ……諸悪の根源のように言うのはやめてもらいたいな」
「何だと……⁉」
「でもまあ、君が自分の心臓のことを忘れていない、という点には安心したよ。これからも決して忘れないことだ。君と我々は、一心同体なのだから……ね」
ジークフリートは優美に微笑む。温かさなど微塵も感じられない、氷のように冷たくて鋭利な微笑だった。
ルヴィスは歯ぎしりしながら全身全霊を込め、ジークフリートを睨む。
「てめえ……俺を脅す気か……⁉」
「好きに受け取ってもらって構わないよ。君がどんなに反発しようが、事実は変わらない。今の関係を続けるしかないんだ」
どこか勝ち誇ったような表情でそれを突きつけるジークフリート。まるで開き直りとも取れるそれに、ルヴィスは返す言葉もない。
「くっ……!」
悔しさと腹ただしさで、これでもかと奥歯を噛み締めた。
「ルヴィス、もうよせ」
小声でそう諫めるユナ。気が気ではないのだろう、はらはらした表情をしている。
ルヴィスは内心で舌打ちをした。これ以上悪態をつき、会話を拗れさせても、ユナを心配させるだけだ。
すると、ジークフリートはそんなルヴィスの胸中を察したかのように付け加えた。
「まあそんなわけで、これからもよろしく頼むよ、ルヴィス」
ルヴィスは射らんばかりの鋭い視線を、ジークフリートへ向ける。
しかしジークフリートは最後まで、それがどうしたといった様子で、涼しい顔をしていたのだった。




