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血戒の心臓  作者: 天野地人
第一章
22/36

エピローグ 空

 王都の澄んだ空を真っ白な雲が流れていく。


 風はまだ冷たいが、確かに初夏は訪れつつあった。


 ハーナル公園は復興が進み、数週間前に吸血鬼の侵攻があったことなど微塵も感じさせない。市街地もまた、平穏な日々を取り戻しつつあった。


 

 ガラール紋章院の治療棟に入院したルヴィスとユナは共に順調に回復していた。

 翌日が退院、というその日。ルヴィスはいつものようにユナの病室を訪れる。


「よう。元気か?」

 互いに白い木綿の入院服だ。病室の入り口に現れたルヴィスにユナは呆れた口調で言った。 

「ルヴィスか。毎日来ることは無いだろう」

「ヒマなんだよ、入院生活って。明日、退院だな」

「互いに笑えるほどボロボロだったからな。全く、よくぞここまで回復したものだ」

 ユナの言う通りだった。


 吸血鬼であるルヴィスは肉体蘇生が優れており、特に心配がないとして、ユナがここまで回復するのは奇跡のように思われた。それほど、王墓での傷は深刻だった。


 自分の心臓を勝手に抜き取ったガラール紋章院や、治療を命じたジークフリートの事は今でも信用できるとは思えなかったが、ユナの傷を治してくれた事に関してだけは感謝していた。


 ルヴィスは若干躊躇し、意を決したように口を開く。

「……ジルオールの件、聞いたか?」

「ああ、聞いた」

 思っていたよりもユナが落ち着いていて、ルヴィスはほっとした。

 ユナは穏やかな表情で続ける。


「厳しい処遇だが、王も命まで奪う事はなさらなかったようだ。良かった……王も分かって下さったのだ。やはり兄弟で殺し合いなど……」

「………」

 ルヴィスは言葉を返さなかった。

(どうだか、な)

 内心でそう呟く。はっきり言って、この短時間にジークフリートが改心するとも思えない。


 しかし、ユナはジークフリートを完全に信じているようだった。ユナの立場を考えると、その方がいいのかもしれないが。

 

 何かあれば、自分が守ればいいだけの話だ。――そう考え、思わず苦笑する。

 頼まれてもいないのに、そう考えるのは自分でも滑稽だと思ったからだ。


 ただ、ユナを守りたいと思ったのは本心だった。


「……そういえば、先ほどシェリー殿が見舞いに来たぞ」

 見舞いの品なのだろう、紙袋からリンゴを一つとるとルヴィスに投げ、ユナは言った。

「そうか? 俺んとこには来なかったぞ」

「怒っていたぞ。ルヴィスに店の床を修理させるんだと……いや、あれは張り切っていたのか?」

「あー……そうか。すっかり忘れてたぜ……」


 ヴォルヴァの所にも顔を出さなければならない。あの老婆の事だから、おそらく「フン」と鼻先であしらわれて終るだろうが。


 ユナは何事か考える顔をしていたが、やがてぽつりと言った。

「フレイアは……どうなったのだろう?」

「さあな。レーヴが言うには、《エインへリアル》とやらが新しい宿主を探してるって事らしいけどな」

「という事は……いずれまた、出会う可能性もあるという事か」

「まあ、次はあそこまで好戦的でない人物であることを願うばかりだな」

 肩を揉みながら、うんざりした口調で話すルヴィスを、ユナは意外そうに見る。


「前向きなのだな。もう一度戦わねばならないかもしれないのだぞ」

「そん時はそん時だろ。悲観的になっても仕様がねえしな」

 ルヴィスには死ぬつもりもないし、ミズガルズごと滅びるつもりも無い。何度フレイアが襲いかかって来ようとも、その都度退けるしかない。だが、そうだと腹を括ると、逆に何故だか心は冷静だった。覚悟――と言うほど大袈裟なものではないが、腹が据わってくるものだ。


 ユナは溜め息を一つつくと、口を開いた。

「そうか……。ルヴィス、謝らせてくれ」

「な、何だよ急に」

 思いもしない言葉に動揺する。しかし、ユナの青い瞳は真摯な光を帯びて言いた。


「以前、お前に行ったことだ。何も知らずに裏切者呼ばわりして……私が浅はかだった。許してくれ」


 ユナはフレイアがハーナル公園で襲撃してきたときの感覚を覚えている。

 途方もない無力感と、圧倒的な絶望感。一生忘れることは無いだろう。しかしルヴィスは最後まで諦めなかった。


 おそらくヴィルヘルム=シグムントであった時も同じようにルヴィス=レギンレイヴと戦ったのだろう。当時本当には何があったのか、知る由もないがそれだけは想像できる。


 そうであるなら。


 結果が例え敗北であっても、最後まで戦い抜いたのならそれは裏切りであるはずなどない。


 ユナは今ではそう思っていた。


「べ……別に気にしてねえよ。あん時は俺もイライラしてたんだって。フレイアに負けた後だったし、まあいろいろ……つい弱気になったりな」

「お前でも弱気になる事があるのか」

 照れ隠しのようにぶっきらぼうな口調になるルヴィスに、ユナはくすりと笑う。 


「……まあ、とにかく終わったんだ。帰ろうぜ、家に」

「そうだな」

 ユナはふわりと微笑んだ。ルヴィスは内心どきりとする。


 澄みきった透明な笑顔。向けられた方が安堵する様な、温かい笑顔だった。それは人が心から信頼する者に対してのみ向ける表情だ。自分はユナにとってそういう存在になれたのだろうか。そう考えるのは思い上がり過ぎだろうか。


 その時、部屋のドアが派手に開き、レーヴァテインが飛び込んで来た。ぜいぜいと呼吸を荒げ、ルヴィスとユナの姿を認めると、眉を吊り上げた。

「主様! 部屋にいないと思ったら、やっぱりここですの‼」

「な、何だよ……いいだろ、別に」

「良くないですの! 二人っきりにしておいたら、何をするか分からないですの‼」

「んな大袈裟な……」

 呆れるルヴィスに、レーヴァテインは凄まじい勢いでまくしたてる。


「ちっとも大袈裟じゃないですの! キスの次に男女がすることは……きゃ~~、主様のバカ!信じらんない‼」

 それを聞き、ルヴィスとユナは火を噴いた様に真っ赤になった。


「き、キスって……あれは……!」

「お前……どこでそんな事覚えて来んだよ⁉」

「それは、むかし本で……って、そんな事に惑わされないですの!」

 空中で仁王立ちするレーヴァテイン。

 ユナは真っ赤になったまま、慌てて咳払いをした。


「とにかく! お子様にはまだそういう話は早いぞ!」

「あなた……失礼ですの! ゴリラ女に言われたくないですの‼」

「何だと⁉ お前こそ口が過ぎるぞ!」

 レーヴァテインとユナの剣幕に押され、ルヴィスは慌てて廊下に飛び出す。

 

 そしてふと窓の外を見上げた。


 昼下がりの空は抜ける様に青い。幾つかぽかりとのんびりした雲が浮かんでいるだけだ。


 そういえば、と思う。もう長い間、こういう風に空を見上げることなどなかった。

 吸血鬼になった時からずっと何か諦めていた。だから、美しいものや心を洗われるものなども見る気にならなかったのだ。


 こんな日が来るなんて、思いもしなかった。


 ルヴィスは暫し感慨深く空を見つめる。風が吹き、黒い髪を揺らす。


 初夏の清涼な空気を大きく吸い込むと、やがて自分の病室の方へ向かって歩き出した。




 ここで一章終了です。最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

 二章は現在構想中です。でき次第、アップしていきたいと思います。

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