第20話 決着
一方、王墓の底では、負傷したユナをフィーネとジークフリートが囲んでいた。
横たわるユナは呼吸をするのも苦しそうだった。フィーネは膝を折ると痛ましげな表情でユナを見つめ、前髪を撫でる。
「ユナ……可哀想に……。だからあなたには、関わって欲しくなかったのに……」
「どきなさい、フィーネ」
フィーネが振り返ると、ユナを見下ろすジークフリートの周囲に魔術式が浮かんでいた。
「王……」
「生憎と私は回復系の魔術は得手ではない。応急処置にしかならないが……それでも何もしないよりはずっとましだろう」
ユナはジークフリートに気づき、うっすらと目を開ける。
「王……お願いが、あり……ます………!」
上体を起こしかけ、そう言いかけて激しく咳き込む。口の端から血が溢れた。
「ユナ! 喋っては駄目……!」
フィーネが慌ててユナを押し止めようとする。
一方、ジークフリートは何の感情も無い静かな目でユナを見下ろしていた。
「………。何だい?」
ユナはその薄い色素の瞳を見て、故郷のニヴルヘイムの地を思い出した。人を容易く寄せ付けない厳しい地。春が来ても決して解けることのない、永久凍土の故郷を。
それでも、ニヴルヘイムにも花が咲くことがある。
一年のうち一週間というほんの僅かな期間だが、小さな黄色い花が咲くことを、その土地と生を共にする者ならば知っている。
ユナは必死の思いで言葉を紡いだ。
「ジルオール様を……あの方を、お許し……くださ……い………!
今はもう、ジークムント王の……時代では……ない……ならば……こそ、前王の……犯した過ちを……再び繰り返す、ような……ことが……あっては、なりません………。
あなたは……一人ではない……王都軍も、我々……聖騎士ヴァルキリー、も……常に……あなたと……共にあります……!ですから……。
どうか、どうかジークフリート王、道を……誤らないで、くだ……さい………‼」
「―――――――………」
ジークフリートはそれには直接答えず。魔術式を発動させた。淡く、暖かい光がユナを包む。
猛烈な眠気が襲って来て、ユナはゆっくり目を閉じた。首ががくんと横向きに傾ぐ。
「ユナ……? ユナ!」
狼狽えるフィーネに、ジークフリートは穏やかに告げた。
「気を失ったのだろう。大丈夫だ。すぐに紋章院に運びなさい」
「は……はい!」
フィーネは頷き、応援を呼ぶため王墓の上部へと登る階段へ走って向かう。
残されたジークフリートは王墓の真上を見上げ、呟いた。
「さて……そろそろ決着がつく頃合いかな」
ルヴィスとフレイアは、組み合ったまま王都上空をひたすら上昇し続けていた。
既に周囲の空気は薄く、温度も急激に下降していく。しかし二人の体は空気の摩擦熱によって焼ける様に熱い。既に衣服の端が焦げ、黒ずみ始めている。
それでも剣と槍を介した二人はそのまま火の玉と化し、がらがむしゃらに天を目指す。
フレイアは自分達の進行方向に巨大な魔力の存在を感じ、はっとした。
王都のはるか上空にはミズガルズを守るための結界、ユグドラシル結界が広がっている。数キロにも及ぶ、高密度の魔力の層。外界とこの世界を隔てる、絶対なる防御壁。このままではそれに衝突するのも時間の問題だろう。
そしてその時、フレイアは初めてルヴィスが何をしようとしているのかを悟った。
「は……離しなさい! 離せ‼」
フレイアは慌てた様子で次々と魔術式を展開する。しかしルヴィスはどれだけ魔術を喰らっても、決して手を離さない。魔術による氷塊や爆炎が発生しては後方に流れていく。
かといって、ルヴィスを止めるほどの大きな魔術を使うには移動速度が速すぎた。
魔術式に情報を入力し、実際に発動させるまで僅かながら時間がかかる。ほんの瞬きするほどの時間でしかないが、その僅かな時間が大きな狂いとなるほど、二人の移動速度は速かった。
おまけに腕に巻かれたグレイプニルによって、少量ながらも確実に魔力が失われていく。
フレイアは混乱した。
このままユグドラシル結界に突入すれば、ルヴィスとてただでは済まないだろう。心臓をすぐ目の前にしてその奪還を諦め、わざわざ茨の道を選んだ挙句、何故そこまでリスクのある選択をするのか。
ただ、感情的になっているとは思えない。人間の為か。
フレイアにとって人間は管理するものだ。農場経営者がニワトリの生む卵を管理する様に、それ以上でもそれ以下でもない。そもそも、何か強い感情を寄せる対象ではないのだ。
目の前の吸血鬼が理解出来ない。
その事に初めて不安と嫌悪感を抱いた。
「くっ……!離せ‼ 離せええぇぇぇぇぇ‼‼‼」
不快な感情が体を侵食していく。
それは恐怖と焦りだった。
それらは彼女が初めて味わう感情だ。彼女は、心臓に《エインへリアル》を植え付けられてからというもの、世界の全てを知る事が出来た。
世界最強。全知全能。
恐れるものなど何もなく、知らないことも、理解できないこともなかった。ない筈だったのだ。
しかし、今、フレイアは混乱の只中に突き落とされていた。これから、何が起こるか分からない。いや、分かるからこそ「その先」が計算できない。大きく見開かれた眼球の、小さな瞳孔がきろきろと不安定に動く。口が引き攣り、醜く歪んだ。
フレイアは徐々に、しかし確実に取り乱し始める。連発する魔術もその精神の作用の影響を受けてか、だんだん精度を欠いていく。未発に終わった魔術が空しく空中で爆発した。
「……見えてきたぜ‼」
二人の上部にユグドラシル結界が見えてくる。ユグドラシル結界は謂わば巨大な魔力の膜だ。それ自体がエネルギーの塊であり、存在する有機物は全て、触れただけで灰燼に帰す。
ズシン。
地鳴りのような大きな音と共に、フレイアの体が、それに激しく打ち付けられた。
背中が一瞬にして焼け、痛みさえ麻痺させた。
フレイアは魔術を発動し、障壁を展開して身を守ろうとする。
しかし、それが仇となった。
フレイアの魔術障壁にユグドラシル結界が反応した。防衛機能が発動し、フレイアの体は電流の様な激しいエレルギーの奔流に晒される。
「ぐぎゃああああああああああっ‼‼」
大きく開いた口から絶叫が迸った。フレイアの顔が激しく歪む。そして、同時にその衝撃はルヴィスにも波及した。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお‼‼‼」
しかしルヴィスは勢いを緩めることなく、フレイアを結界に押し付け続ける。あまりの熱量に耐えられず、フレイアの体が燃え始めた。
「あ、あがっ……あづい……熱い~~~~‼‼
あああああああああああああああああああああああっっっ‼‼‼」
グレイプニルを引き千切るようにして槍から手を離し、凄まじい形相で全身を掻き毟るフレイア。髪、足、腕――魔力の奔流に焼かれ、体の至る部位が引火し、焼け始める。
「これで最後だ‼」
今や肉体の四割を焼失したフレイア。もう、結界に押し付ける必要もない。
ルヴィスはフレイアの体にレーヴァテインを突き立てる。
レーヴァテインは軽々とその体を貫いた。
一瞬交差する、二人の目と目。
互いが何を感じ、何を思っているのか。
だがそれも、もはや意味を成さない。ルヴィスは寸分も迷わなかった。
ルヴィスがフレイアからレーヴァテインを引き抜くと同時に。
フレイアの全身が一瞬で炭と化した。
「やっ……た、か……⁉」
呟くルヴィス。体が緩やかに落下を始める。
よく見ると、嘗てフレイアだった炭の塊は、全て蠢く魔術式となっていた。それらは己の状態を確認する様に暫く蠢いていたが、一つに固まっていくと球体を為し、光を発しながらどこへともなく飛んでいく。
「あれは……?」
ルヴィスの呟きに、レーヴァテインが神妙な声で答えた。
『《エインへリアル》ですの。女神の《エインへリアル》――きっと、新たな宿主を求めているのですの』
「………。そっか………」
そこでルヴィスの意識が途切れた。落下速度が急激に早まる。
『あ……主様! 主様⁉』
レーヴァテインは必死で呼びかけた。しかしルヴィスの意識が戻る事はもはや無かった。
ルヴィスの体はユグドラシル結界からゆっくりと離れると、重力に引っ張られ、ユナのグレイプニルと共にみるみる落下していく。
一方、その頃。
グラニはハーナル公園で王都軍と聖騎士ヴァルキリー率いて、待機していた。
吸血鬼王が王都上空で女の吸血鬼と交戦中であることは、上からの命令で知っていた。それにはるか上空での戦闘は地上からでも微かに見える。
しかしそれはもはや天変地異に等しかった。軍と共に、王都の市民が何事かと不安そうな顔で上空を見つめている。
暫くして上空の異変が収まった。
更に数分後。
上空からゆっくりと降下してきたものを認め、グラニは呟く。
「……お、来たか」
それは気を失ったままの状態の吸血鬼王と、彼にいつも付き従っている赤い髪の幼い少女だった。少女は魔術で球形の障壁を作り、吸血鬼王を支えている。
二人はそのままゆっくりと降りてきて、地上に着陸した。
グラニは腰に手を当てると、それに近寄っていく。
「出迎えがむさいオッサンで悪いな。しかしまあ……こいつ、生きてんのか?」
以前ハーナル公園で黒焦げの状態になったのを見た時も驚いたが、今もそれとどっこいどっこいの状態だ。衣装はほとんど消失して半裸の状態だし、体はあちこち火傷して赤く腫れあがっている。
着地し、魔術を解除した少女は、グラニを見上げて眉を吊り上げた。
「あなた、失礼ですの! 当然、主様は生きてるですの!」
そして、やや声を落とすとぽつりと呟いた。
「……主様の事、お願いしたいですの」
「おう、任しとけ」
グラニは幼女の燃える様な赤い髪をグシャグシャと撫でる。少女は不服そうに顔を上げたが、すぐに俯き、されるがままになっていた。
グラニの背後に紋章院の医療班が担架を担いで走って近寄ってくる。
「連れていけ」
「は、はい!」
グラニの命令で、医療班は吸血鬼王を運ぼうと担架に乗せた。
「……ナ………」
その時、吸血鬼王の口から微かな声が漏れる。
「あん?」
グラニは片方の眉を上げた。吸血鬼王は紅い目をうっすらと見開き、グラニの姿を認めると火傷で腫れた唇を再び動かす。
「ユナは……無事なのか……?」
「団長なら、一命を取り留めたそうだ。安心しろ。今は紋章院で治療を受けている」
安心したのか、力尽きたのか。
吸血鬼王は返事を返すことなく目を閉じた。そしてそのまま医療班によって運ばれていく。少女もそれに付き添っていった。
グラニは複雑そうな表情でそれを見送る。
「……あれが吸血鬼、ね。俺達と変わんねえじゃねえか」
その呟きは誰の耳に入る事も無く、風の中に溶けて消えていった。
後日。
ジルオールの処遇が決まる。
謀反の疑いを掛けられたジルオールだったが、王立裁判院に送られることは無かった。その代わり、王家より除名処分、並びに半永久的に謹慎処分となった。ジークフリートが王である限り、今後ジルオールが表舞台に立つことはまず無い。
フィーネはジークフリートの私室で尋ねる。
「……宜しいのですか?」
「構わないよ。ルヴィスとユナに計画を知られてしまった。どの道、強硬手段は取ることは不可能だ。妥協は必要だよ。一応の目的は果たした事だしね」
「それは……そうですが」
フィーネは言葉を濁す。ラーズグリーズはその場に同席しておらず、部屋には二人きりだ。
「まあ、いいさ。私を廃してジルオールを王にしようと画策していた一部の大臣たちには十分見せしめになっただろう。心配しなくても、私は父の様に紋章院を弾圧したりはしない。まあ……神経質になる気持ちも分かるけどね」
「………」
フィーネはジークフリートの気持ちが変わらない事を悟った。俯くと、一礼し、部屋を退出する。ジークフリートは薄く微笑み、それを見送った。
フィーネにとってガラール紋章院は、アルフレイムに変わる第二の故郷だ。エルフ族の中には戦争時代の禍根により、人間と関わる事を極端に嫌う者達もいる。しかしフィーネはそれとは別の道を選んだ。単純に研究が楽しかったからだ。生き甲斐と言っても良かった。
だからこそ先王・ジークムントによるガラール紋章院への弾圧は許せなかった。ジークムントにより、貴重な歴史書がいくつも紛失の憂き目にあった事実もある。
ジークフリートは幸い紋章院に協力的だが、ジルオールは軍人だ。アースガルドの軍人層には伝統的に魔術や魔術研究全般を軽んじる風潮があった。
揉め事は芽のうちに摘まねばならない。
だからジークフリートに協力したのだ。ジルオールを地獄に引きずり落とす方策を進言し、古代文字によるメッセールヴィス文面も自ら用意したのだった。
ヴァルハラの長大な廊下を歩くフィーネの瞳もまた、暗い光を帯びていた。
王墓でのジークフリートと同じように。




