第18話 守るべきもの
「俺の心臓は今やミズガルズを覆う、ユグドラシル結界とやらと一体化していて、簡単には切り離せない状態にある。その上、下手にいじくれば世界が崩壊しかねない。
……知ってたな、お前?」
「ええ、それが何か?」
フレイアはにっこり笑うと小首を傾げた。ルヴィスはカッと両目を見開く。
「ふざけんなッッ! それで俺が喜んで心臓を取り戻すとでも思ったのか⁉」
「何故怒るのですか? そもそもあなたは利用され、搾取された哀れな被害者――堂々とあるべきものを取り戻し、正当な権利を手中に収めればいいだけではありませんか。……違いますか?」
「そうだとしても、これは俺の問題だ! お前にとやかく言われる筋合いはない‼」
「そうはいかないのです、ヴィルヘルムさん。言った筈ですよ。これはシステムの意思なのです。アースガルド王には絶対に魔術の才が無ければならないように、吸血鬼は吸血鬼であらねばならない。これは決められた事なのです」
「……俺が心臓を取り戻すことで仮にミズガルズが崩壊しても、か?」
「――ええ。それでも、です。我々はただ、システムに法って行動すれば良いのです」
フレイアはさも当然、とばかりに優雅な笑みを漏らした。
「狂ってやがる……‼」
ルヴィスはそう吐き捨てる。
フレイアの言う《システム》とやらが何なのか。ルヴィスにはさっぱり理解できない事だ。
それにするつもりもない。分かっているのはフレイアをここで退けなければ、自分の選択いかんに関わらずミズガルズが崩壊するということだけだ。
所詮、自分は吸血鬼にはなりきれないのだろう。ルヴィスは皮肉な思いでそれを受け止めた。フレイアの主張は狂っている。どんな説明を受けても、それが自分にとっての真実なのだ。
フレイアと自分は違う。そして、永遠に分かりあう事は無い。
ルヴィスの言葉の裏にある完全な拒絶にフレイアも気づいたのだろう。すっと眼を細め、好戦的にこちらを見つめて来る。
「それは――どういう意味でしょう。私のお願いは果たしていただけない、という事ですか?」
「生憎と、あんたは全く俺の好みじゃないんでね。『お願い』を聞く義理も道理もこっちにはないんだよ」
それを聞き、フレイアは持っていた《ギンヌンガガプ》を一振りした。
「そうですか……。ならば、残された選択肢は一つです。
……今すぐあなたの中の《ロキ》の《エインへリアル》を開放しなさい! 新たな継承者に継承させる為に‼」
「何だと……?」
聞きなれない、新しい言葉にルヴィスは眉をひそめた。
フレイアは嘲るように表情を歪めると、斧槍を構える。
「分かりやすく言いかえると、死ね――――という事ですよ。《ルヴィス=レギンレイヴ》が最期にそうなった様に……‼」
フレイアの瞳が異常なまでに見開かれ、口元が三日月形に、にい、と裂けた。爬虫類の様に狂気に歪む顔。同時に《ギンヌンガガプ》を手に、凄まじい速度で突っ込んで来た。
「ふん……結局はこうなんのか。……来い、レーヴ!」
「はいですの!」
ルヴィスに請われ、レーヴァテインは即座に銀色に輝く太刀へとその身を変える。
「ルヴィス‼」
ユナの心配そうな声。しかし、その時にはすでにルヴィスは動いていた。
レーヴァテインの柄に手を掛けると同時に、ルヴィスは魔術式を展開する。手摺から身を取り出して跳躍し、フレイアに向かってレーヴァテインを振り抜いた。
斧槍と剣のぶつかり合う鋭い金属音が響き渡った。数回ぶつかり合った後、互いに魔術式を展開。まるで息を合わせたかのようにそれらは同時にぶつかり合い、相殺される。
二人は一度離れると、空中で距離をとった。
「……俺の心臓の事を考えたら、十五分が限界か。それまでに、奴を倒す……‼」
ハーナル公園での大爆発。おそらくあの時でさえフレイアは手加減をしていただろう。
次は無い。
二度目の敗退、それは即ち全ての終わりを意味していた。
ルヴィスやユナの命、ミズガルズの命運を含めた全てが、おそらく一瞬で終わる。
『主様……そんなの無理ですの……!』
レーヴァテインが悲愴な声音で告げる。
「分かってる! でも、やるしかねえんだ‼」
斧槍の柄を弄びながらそれを聞いていたフレイアは、呆れたように口を開いた。
「まったく……どうしてそんなに意地を張るのですか? そこまで理解しているなら、何故? もし仮に私を倒せたとしても、心臓を取り戻さなければ、あなたに待っているのは蹂躙され、家畜の様に扱われるだけの日々……何故わざわざ進んで過酷な選択肢を選ぶのです」
「お前にゃ分かんねーよ。……永遠にな!」
「それもそうですね。……行きますよ」
言うや否や、再びフレイアは槍を構え、踏み込んでくる。ルヴィスは間合いをとりながら移動。フレイアの追撃をかわしつつ応戦した。
二人は高速で飛び回る。その様は、二羽の鷲が空中で戦っているかのようだった。並行し、時折交叉しながら王墓の中を飛び回る。
ルヴィスは隙あらば魔術を発動させた。フレイアも魔術を発動し、悉くそれを遮る。炎や氷の塊が飛び散り、王墓の下層に落ちていく。
互いに発する魔術式が動きに合わせて光の弧を描いた。
(まともに戦って勝てる相手じゃねえ……ほんの僅かでもでも勝機があれば……!)
王墓の壁面――王族の棺は高度な魔術障壁で守られているのか、ルヴィスやフレイアの魔術が当たっても傷一つ付くことが無い。その事を気にせずに済むのは随分気が楽だったが、だからと言って劣勢が覆るわけでもない。
通常、大型の魔術や難易度の高い魔術ほど魔術式の情報量が多くなり、発動も遅れる。こうやって動き回り、間断なく仕掛けていれば、こちらも大きな魔術は使えない代わりに、相手も簡素で威力の弱い魔術しか使えなくなるはずだった。
フレイアはルヴィスの戦略に気づいたのか、妖艶な笑みを漏らす。
「……どうしました? 逃げ回ってばかりでは私を倒すことは出来ませんよ!」
「うるせえっ!」
「来ないのなら、こちらから行きます」
フレイアは突如、加速した。ルヴィスはすぐさまそれを避ける。
だが、直後に己の判断の過ちに気づいた。フレイアに気をとられるあまり、壁際に寄りすぎていた。
フレイアは、獲物を射程圏内に捕えた獣の様に嗤う。
そしてルヴィスの傍を通り過ぎた直後、すかさず魔術式を発動させた。ルヴィスの至近距離で大爆発が起こり、熱波が直撃する。
「グッ……‼」
魔術の規模自体はたいした大きさではないが、衝撃は凄まじかった。爆風は王墓を守る魔術障壁にひびを生じさせると一部を粉々に破壊する。
ルヴィスは石造りの壁面にしたたかに体を打ち付けた。激痛が全身を貫き、みしりと骨の拉げる音が鼓膜を打つ。頭蓋を強打したのか、全ての感覚が鈍化していく。
意識が遠くなる――――――――
『主様‼』
レーヴァテインが悲鳴を上げたのと、フレイアの表情が狂喜に歪んだのは同時だった。
「死ぬがいい‼」
叫ぶと同時に片手を振り上げ、魔術式を発動。
フレイアの背後に何百という《ギンヌンガガプ》の槍が出現する。
鋭利な光を湛える穂先がずらりと並ぶ様は壮観であり、総毛立つ光景でもあった。それらが一斉にルヴィスに向かって飛翔する。
「危ない‼」
ユナは叫びながらクルースニクの柄に手を掛け、手摺から身を乗り出す。
しかし、そこからでは到底フレイアには届かない。
(やられる‼)
ルヴィスは霞む意識の中で、そう覚悟した。
魔術式を浮かべようとするが、形にならない。
しかし、次の瞬間ルヴィスの前面を魔術の障壁が守っていた。王墓を守る障壁とは別のものだ。勿論、ルヴィスのものでもない。数百もの《ギンヌンガガプ》はその障壁に突き刺さり、瞬時に砕け散っていく。
「あれは……‼」
ユナははっとし、傍にいたジークフリートに目を向けた。ジークフリートの周囲に白く輝く魔術式が浮かんでいる。
王の神聖魔術がルヴィスを守ったのだった。
「お前……! 何故邪魔をする‼」
フレイアもそれに気づき、目を細めてジークフリートを睨む。
「何故? 愚問だね。ルヴィスの《エインへリアル》を解放すれば、その心臓も当然機能を失う。ミズガルズの為にはルヴィスに生きていてもらわねばならないんだよ」
その間もジークフリートの薄氷を思わす瞳の周囲に白く輝く魔術式が浮かぶ。神聖魔術が発動し、白く輝く矢がずらりと姿を現した。その矢尻は全てフレイアの方を向いていた。
「ちっ……!」
フレイアは苛ただしそうに手元の槍を振るうと、飛来した矢を叩き落とし、その場を飛び退った。しかしジークフリートは次々と矢を生み出す。フレイアの体を捕らえようと、無数の矢が嵐の様に飛び交っていく。
フレイアは空間制御を用いると、王墓の下層に退避した。
一方ルヴィスは壁にめり込んだ体を何とか引き剥がし、体勢を整える。そしてふらつく頭を押さえながらジークフリートに向かって怒鳴った。
「……てめえ、余計な事すんじゃねーよ、ジークフリート!」
「どういう意味だい、ルヴィス? ここは感謝してもらうところだと思うんだけど」
「お前に助けられたとか、寝覚めが悪すぎるだろーが! 気持ち悪い‼」
反抗期の子供の様に吐き捨てるルヴィスに、ジークフリートは苦笑を洩らす。
「やれやれ。無駄口を叩く元気はまだあるようだね」
そして泰然と肩を竦めた。ルヴィスは「けっ」と吐き捨て、レーヴァテインを一振りする。
「システムの意思を阻む障害は全て取り除く! そう……全てだ‼」
フレイアは怒りに燃えた瞳でジークフリートを睨んだ。濃密な魔術式が浮かぶ。しかしルヴィスはその間にすかさず割って入った。
「待てよ! ……お前の相手は俺だろ!」
「………‼」
フレイアの興味はすぐにルヴィスに戻ったようだった。ジークフリートに向けた魔術をキャンセルすると、気色の笑みを浮かべ、ルヴィスを追う。
再び逃げ回るルヴィス。
フレイアはそれを追尾する。
繰り広げられる果てしない追跡劇。いくつもの魔術式が発動しては消え、周囲には爆音と衝撃音が響き渡る。
その中でフレイアは眉間にしわを寄せていた。
「おかしい……そろそろ彼の――《ロキ》の魔力が枯渇する頃合いの筈……」
同じことにルヴィス自身も気づき始めていた。
「くそっ……早くしねえと魔力が切れるってのに……‼」
しかし、今のところ何一つ有効な手立ては無かった。フレイアの攻撃をかわし、動き回るので精一杯だ。強い焦りが冷や汗となって滴り落ちる。
その時だった。
「ん……?」
突然、胸のあたりに妙な熱を感じた。温かい――というより、力強さを伴った激しい波動。
それに気をとられ隙を突かれた。フレイアの放った魔術、氷弾が肩を掠めていく。
「く……‼」
畳み掛ける様にフレイアが接近。斧槍で駒のように回転しながら薙ぐ。
ルヴィスは紙一重でそれを避けた。その筈だった。しかしフレイアの斧槍――ハルベルトの鋭利な切っ先はその一部を確実に捕えていた。
心臓の真上辺りがシャツと共にぱっくりと裂ける。
(……浅い!)
しかし視覚で己の体を確認し、ぎょっとした。真っ赤な、血のような色をした小さな塊がシャツの下から転がり出す。
一瞬血の塊かと思ったが、そうではなかった。
それはヴォルヴァから貰ったチャームだった。
譲り受けた当初、血を塗り固めたように黒く、時折赤い光を鈍く放っていた石。それが今、焼けるような真っ赤な光を放っている。
「これは……ヴォルヴァのくれた石……⁉」
『精霊石ですの! 主様に魔力を注いでくれていますの‼』
精霊石は、エルフ族が何百年という年月を掛け、己の魔力を込めて作る魔術装飾品の事だ。持ち主の魔力を増幅すると言われている。
いかに魔力の高いエルフ族といえど、老いには勝てない。老化と共に魔力は徐々に減少し、いずれは最盛期の五分の一ほどになる。その時の為に、彼らは若いころから精霊石を作ってその中に魔力を溜めこむのだ。それは長命種である彼ら特有の習慣だった。
ルヴィスの譲り受けた精霊石は謂わばヴォルヴァの全財産といえるだろう。
「そっか……助かったぜ、ヴォルヴァ‼」
ミズガルズの行方に関わると知りつつ「選ぶのはお前自身」――と他人事のように嘯いていたヴォルヴァ。
しかし、ルヴィスがフレイアと戦う選択をすることを知っていたのだろう。
そうでなければ己の身を削って精霊石を持たせたりはしない。
それが予知の魔術によるものか、それともルヴィスを信用しての事なのか。理由は分からなかったが、今は精霊石の存在がありがたかった。
今や魔力を温存する必要性は激減していた。
ルヴィスはフレイアへ向けて魔術式を発動。空気を圧縮したような音と共に、紅蓮の炎が踊り狂う。避けるフレイアを火炎の矢が追尾する様に弧を描いて飛んでいく。
フレイアもまた魔術式を発動させた。魔術による障壁を作りだし、幾らかは火炎の矢を防ぐが全てを相殺するには至らない。今まで追う一方だったが、フレイアは一転してこの時初めて追われる立場に回った。
「成る程、そういう事ですか。次から次へと……小賢しい!」
フレイアはすっと眼を細め、ルヴィスの胸元で光る精霊石を見つめる。
そして王墓の最上部、天蓋近くまで上昇すると、魔術式を発動させた。再び氷弾が多数ルヴィスを襲う。
ルヴィスはそれを避けんが為、高速で飛び回った。
フレイアはすぐさま次の魔術式を発動。ルヴィスを囲むように五つの魔法陣が同時に展開した。
間髪置かず、陣の中央から火炎が柱となって吹き上がる。魔術障壁を発動させるルヴィスに、畳み掛けるようにして魔術による火炎の矢が襲いかかる。
「く………!」
それらは一つひとつはさして大きな魔術ではないが、直撃すればダメールヴィス蓄積は免れない。
再び防戦一方に陥ったルヴィスはフレイアを見、愕然とした。
フレイアの周囲に一際大きな魔術式が構成されていた。彼女はそれを、ルヴィスへの足止めと同時に行っていたのだ。
(まさか……魔術の複数同時発動か⁉)
そんな事はルヴィス自身したことが無いし、やってやれるものかも分からない。
しかしフレイアはそれを実際に実行している。
今まで使わなかったところを見るとそう容易い技ではないのだろうが、それでもルヴィスは戦慄を覚えた。
圧倒的なスタミナの差と、技量、そして知識の差。
しかもフレイアが今発動させている魔術は文字数が多く、巨大なものであることが窺える。
ハーナル公園で用いたものと同じか、それ以上か。
「ちっ……正気か⁉ こんな密閉空間でそんな魔術を発動したら、王墓ごと吹っ飛ぶぞ‼」
血相を変えるルヴィスを嘲るようにフレイアは微笑んだ。
「それがどうしました? 私はあなたさえ消す事が出来たら後はどうでもいいのです!」
ジークフリートも眉を曇らせ、同時に魔術式を発動する。
フィーネもまた、ユナの腕を引っ張り引き寄せていた。驚いて振り返ったユナは、彼女の周囲に魔術式が浮かんでいるのに気づいた。エルフ族は魔術の堪能な種族だ。しかし、フィーネが実際魔術を使うところをユナは始めて目の当たりにした。
「な……何が起こるのだ……⁉」
一人、状況が読めいていないユナは戸惑う。フィーネは魔術を発動させながら緊迫した声で囁いた。
「あの女……私達を王墓ごと、爆破させるつもりよ!」
ユナははっとしてフレイアを見上げる。脳裏に浮かぶのは、ハーナル公園での苦い経験と、絶望的に破壊尽くされた惨状。そしてボロボロに焼け焦げたルヴィスの姿だった。
「させるかあぁぁぁ‼」
『駄目ですの、主様‼』
ルヴィスがフレイアに突っ込むのと、レーヴァテインが悲鳴を上げるのが同時だった。
その刹那、閃光が迸った。
間髪入れず、爆炎が視界を覆う。
轟音と共に大爆発。空間が荒れ狂う巨大な熱エネルギーに圧迫された。
地震の様な激しい揺れが王墓全体を上下左右に揺らす。暴れ回るような爆炎があっという間に周囲を包む。
あっという間に紅い炎の塊とそれの発する黒煙によって視界全体が埋め尽くされた。聴覚の許容量を軽く超えた爆音は、もはや音として知覚する事も出来ない。
ようやく視界が晴れたのは数分後だ。
ジークフリートの魔術によって王墓は奇跡的に無傷だった。木の葉の様に爆風に煽られたものの、ユナやフィーネも無事だ。フィーネが魔術によって守ってくれたのだろう。
「ルヴィス……ルヴィスは無事なのか⁉」
ユナは空中に視線を走らせ、ルヴィスの姿を探す。
王墓の中は未だ爆発による煙が濃く充満している。その煙が途切れ、《ギンヌンガガプ》を構えたフレイアが姿を現した。
離れた場所に、宙に浮かんだルヴィスの姿も認める。四肢を投げ出し脱力したまま、水に浮いた死体のように浮かんでいた。気を失っているようだ。あちこち火傷し、衣服は焼けてボロボロだった。
フレイアはそれを確認すると、王墓の宙に浮くルヴィスの心臓をひたと見据える。
「……残るはあれですか」
「や……やめろ‼」
ユナは叫ぶ。それがなんの抑制にもならないことは分かっていたが、叫ばずにはいられなかった。
心臓が破壊されれば、ルヴィスの望みが絶たれてしまう。
そしてそれは、ミズガルズの終わりでもある。




