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血戒の心臓  作者: 天野地人
第一章
18/36

第17話 心臓とユグドラシル結界

 ジークフリートとフィーネはゆっくりと螺旋階段を下り始める。

 ルヴィスはしかし、その問いには答えなかった。ジークフリートの動きを眼で追いながら、鋭く問い詰める。


「……ちょっと待て。一つ確認しておきたいことがある。ジルオールを嵌めたのはお前だな?」


「なっ……⁉」

 ユナは絶句してルヴィスを見つめた。次に、信じられないと言った表情でジークフリートに視線を向ける。


 しかしジークフリートは薄い笑みを顔に浮かべたまま、事も無げに答えた。

「……何だ、そんな事か。どうしてそう思うのか……って聞いた方がいいのかな?こういう場合」


「ルヴィス、幾ら何でも王自らがそんな事……吸血鬼まで出たんだぞ!」


 それが本当なら、王が自らアースガルドとそこに住む民を危険にさらしたという事になる。兵士の中にも犠牲は出たのだ。それは聖騎士ヴァルキリーの騎士団長としても決して受け入れられざる事態だった。


 しかし、ルヴィスは頭を振る。

「こいつ以外にいないんだよ。ジルオールの私兵は元々何だった? 聖騎士だった筈だ!


 ジークフリートは飼い慣らした聖騎士たちをジルオールの私兵に仕立て上げ、奴の懐に忍び込ませたんだよ。お人好しのジルオールは、連中が自分を慕ってついて来てくれたんだとうまく信じ込んだようだがな。


 聖騎士たちは、ジルオールと共にヴァナヘイム領へ移った後も緊密にジークフリートと連絡を取り合っていた筈だ。ジルオールには悟られないようにしてな。それにヴァナヘイム領のような辺境なら、下級や中級程度の吸血鬼はごろごろしてる。捕まえることも不可能じゃない。


 ……これは何年も前から計画されていたことだったんだ!」


自分の仮説に確固たる証拠があるわけではない。

しかし、それ以外に考えられなかった。


 ジルオールの失脚で一番得をするのはジークフリートだ。権力基盤がより強固なものとなる。

 この時期にルヴィスを地下室から解き放ったのも、おそらく同じ理由だ。

 臣下の中には先王ジークムント時代の権力の元でうまい汁を啜った者達も大勢いる。ジークフリートにしてみれば、彼らの影響力は早期に排除しておきたいところだろう。


 結局ジルオールもルヴィスも、体よくジークフリートに利用された、という事になる。


 ユナは激しく狼狽していた。

「そんな、まさか……信じられない! もしそれが本当なら、何故、ジルオール様を……⁉」


「ジルオールの人望を恐れたんだろう。はっきり言って、ジークフリートよりもジルオールの方が国民人気も高い。奴が反乱でも起こしたら……ミズガルズは真っ二つに割れるだろうな」

 そう言うとルヴィスは改めて王を睨んだ。


「ジークフリート……そんなに怖かったのか、奴の存在が!」

 ユナも弾かれたようにジークフリートを見つめる。


 しかし、ジークフリートには微塵も動揺した様子は見られなかった。階段を下りる足取りにも乱れは無い。

 ただ、冷たい、作り物の彫刻を思わせる端正な顔――その唇が優雅に弧を描いた。


「ふふふ……馬鹿を言うんじゃないよ、ルヴィス。ジルオールは人がいいだけの愚鈍だ。あいつが怖いわけじゃない。私が恐れたのはただ一人、父だけだよ」

 ジークフリートは冷ややかにそう返す。

「お父上……ジークムント王の事ですか?」

 ユナは戸惑った様子で尋ねた。ジークフリートは首肯する。


「父はね、怖ろしく貪欲で傲慢な男だったんだよ。

 知っての通り、父には神聖魔術の才能が欠片ほども無かった。本来なら王座に就けるような人間じゃなかった筈なんだ。しかし、父は王になった。なってしまったんだよ。


 他の兄弟たちを暗殺という手段で次々と排除して……ね」


「あ……暗殺………⁉」

 まさか、と思った。ジークムントの兄弟はみな、病死や事故死という事になっていた筈だ。しかしルヴィスは次の瞬間、奴ならやりかねない――と思い直す。


 王族がいくら神聖魔術を使えるからとはいえ、彼らも人の子だ。

 肉体はただの人間――吸血鬼の様な目覚ましいほどの肉体回復力も無い。

 傷つけられれば、当然死ぬ。それも、人と同じ原理で。


 あの強欲な男は権力の為にそこまで手を染めていたのか。


 ジークフリートは階段を降りつづけた。乾いた足音が規則的に響く。

「……父には四人の兄弟がいた。しかしその兄弟たちは次々と謎の病や事故で倒れていく。

 私は不自然に感じていたんだよ。彼らは死の直前まで健康そのものだったし、当時伝染病などの類は一切蔓延していなかった。事故と言ったって、王族には常に厳重な警護が付くものだしね。  


 ……私はそのことを父に問い詰めたことがある。父の答えは実に簡単なものだったよ。

 『それがどうした』――何食わぬ顔でそう言ったんだ」

 それは即ち暗殺を認めたということと同義だった。

 ジークフリートの瞳に暗い翳が差す。


「まさか……信じられない……!」

 ユナの表情が苦しそうに歪む。ジークフリートの言葉を受け入れられないのかもしれない。

「ユナ………」

 無理もない、とルヴィスは思った。


 聖騎士は王と王都に絶対の忠誠を誓う。己を犠牲にしてでも、アースガルドを守る。その強固な意志や覚悟と共に戦いの前線に立つ。

 理屈ではない。そうでなければ聖騎士にはなれないのだ。

 ――かつて自分がそうだったように。


 ジークフリートの話は、その忠誠を否定し、粉々に打ち砕くものであるに間違いなかった。

 ユナの心中を知ってか知らずか、ジークフリートは淡々と話し続ける。


「何故、魔術の才の有無で王としての資格を問われなければならないのか。人格も能力も、努力すらも評価されない。そんな事で運命を決められるのは何としても我慢がならなかったと父は常々言っていたよ。

 ……言っていることはもっともらしいが、要は子供の駄々さ。

 欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる。その口実だ。

 魔術の才の無い自分が無理にでも王になれば、ミズガルズがどうなるか。勿論父は知っていた。己の欲望の為に何十、何万という無辜の民の命が危機に晒されるという事実を、知っていて見てみぬふりをしたんだ。


 ……まあ、父流に言うと、『それがどうした』って事なのかな」


 言葉と共に、苦笑に似た笑みを漏らす。

 しかし、その薄氷の様な瞳は微塵も笑っていない。

 部屋を満たす魔術の光がジークフリートの色白な顔に酷薄な影を落としていた。


「ジークフリート王……」

 ユナは今にも泣き出しそうな表情でそれを見つめていた。

 父王の罪を怒るでも糾弾するでもない。ただ冷笑するジークフリートの姿が、何より彼女を傷つけているのかもしれない。


「……結局、父は己の望み通り王座を強奪した。刃向うもの、異を唱える者。自分にとって都合の悪い存在は容赦なく命を奪い、排除していったんだ。

 ところが、暫くして想定通り吸血鬼たちの侵攻が始まる。仕方ない。それがこの世の《理》だからね。神聖魔術の才の無い父はミズガルズどころかこのアースガルドさえ守る事が出来なかった。そしてとうとう《五十年前の劫火》が起ってしまう」


 息を呑むユナ。


「ルヴィス、君が吸血鬼になってしまった時、どれほど父が喜んだか……分かるかい?」

 ジークフリートは今やルヴィスの目の前にまで移動していた。そして、そこからルヴィスの心臓を見上げる。


「……王墓はただの墓ではない。ミズガルズを守っているユグドラシル結界……そのエネルギー供給装置でもあるんだ。

 アースガルド王の遺体は死後も尚その体に膨大な魔力を有すると言われている。彼らは皆、ここで『人柱』になるという訳さ。……勿論、僕も将来はそうなる。       


 王墓とアースガルズ王の神聖魔術……この二つの魔力の両輪によってミズガルズは守られている。しかし父の代はその片方が失われた状態だった。父はね、その失われた車輪の役目を、君の心臓で代役させたんだよ。足りなくなった魔力を『あれ』で補ったんだ」


 ジークフリートはそういうと、目線でルヴィスの心臓を示した。ルヴィスもつられ、空中で鼓動を繰り返す己の心臓を見上げる。知らず知らずのうちに、拳を握りしめていた。


 ミズガルズ大陸はユグドラシル結界の力によってヨトゥンヘイムの脅威から守られている。そうでなければミズガルズは――この世界は瞬く間に外界によって侵蝕され、消滅してしまうだろう。それは吸血鬼の侵攻という目に見える形だけではない。


 存在そのものの死。《神々の黄昏》――ラグナロク(終焉)。


 歴史書にもはっきりと記されているそれを、是が非でも防がなければならなかったのは分かる。しかし。


「そんな事の……為に………奴は自分の『不始末』の尻拭いをさせる為に、俺の心臓を奪ったって言うのか⁉」

 思わず吐き捨てていた。ルヴィスの顔が怒りに染まる。


 ジークムントに対する憎しみにも似た感情が蘇ってくるのを感じた。忘れようとしても、決して忘れられない。ともすれば仄暗い井戸の底からじわりと這い出さんと身を乗り出す、おぞましい怪物。


「主様……」

 背後でレーヴァテインが顔を曇らせる。


「まあ、お前にとっては腹の立つ話でしかないだろうね。

 ……ルヴィス、父はどこまでもお前の事を道具としてしか見ていなかったよ。


 因みに何故君が十年前、ミイラにされて地下に幽閉されたか分かるかい? その頃、父が僕に神聖魔術の才能があると気づいたからだよ。お前はお払い箱になったんだ。……お前は吸血鬼になった後も、あれだけ尽くしたというのにね」


 それまで淡々としていたジークフリートの言葉の中に、微かに嘲笑が混じるのを感じ取り、ルヴィスは舌打ちをした。

「くっ……人のこと言えんのかよ、ジークフリート⁉ てめえだってジークムントにとってはただの傀儡に過ぎないんじゃないのか‼」

 ジークフリートの顔がルヴィスを凝視する。


 その時、ルヴィスは気づいた。いつの間にか、薄い笑みがその顔の中から消え去っていることに。それは始めて現れた変化だった。

 絶対零度の氷を思わせるジークフリートの眼に、始めて熱がこもっていたのだ。


「そうさ! だからジルオールは始末しなければならないんだよ‼ ……いつまた父のような人間が現れるか分からない。本人にその意志が無くとも、利用される可能性だってある――あらゆる可能性を排除する為に、王位継承はより絶対的なものにする必要がある!

 父が王になってしまったのは、その仕組みに問題があったからだ。資格の無い者が易々と王になってはならない。―――この世界では尚更だ。その為にジルオールには今ここで『人柱』になってもらう。未来永劫、二度と間違いが起らないように……‼」


 圧倒的な自信と覚悟。

 ジークフリートの顔にはその二つがくっきりと浮かび上がっていた。


 ルヴィスは、はっきりと悟っていた。同じなのだ。自分がおそらく、未だジークムントの記憶に縛られているように、ジークフリートもまたジークムントの影に怯えている。


「し……しかし、ジルオール様には何も罪が無いのです! 余りにも無慈悲な仕打ちではありませんか! それとも……それほど実の兄上がお嫌いなのですか⁉」

 ユナは嘆願する様に訴える。ジークフリートはそれに対しても薄く反応しただけだった。


「兄には個人的な恨みは無いよ。まあ、ぬるいと思ったことは何度かあるけどね。ジルオールもかねてより王家や王族に並々ならぬ忠誠心を持っていたから、納得してくれるんじゃないかな?」

「そんな……‼」

 ユナが抗議の声を上げた。

 聖騎士が王の考えに異を唱えることはあってはならないことだ。本人も重々それは承知していただろうが、耐えられなかったのだろう。


「お前……それじゃジークムントと同じだろ! 奴とは行動原理が違うと言うだけだ‼」

 ルヴィスも怒鳴った。しかしジークフリートは冷然とした態度を崩さない。

「そうかな? でも……もしそうだとしても構わないよ。僕には未来に対する責任がある!

 それが果たせるなら、何だってするさ……‼」

「ジークフリート……‼」


 すっと眼を細めるジークフリート。そこには有無を言わさぬ強い意志があった。

 冷たい、薄氷色の瞳。普段はその分厚い氷に隠された感情、闇にくすぶった憎悪を、ルヴィスは始めて目の当たりにしていた。


 この男は本気だ。そう思った。ジークムントの様な、分かりやすい狂気ではない。しかし、己の望み――或いは野望を叶えるためにはあらゆる手段を厭わないという点に於いてはおそらく変わらないだろう。

 自らの正義を果たすことを「世界の為」と称し、疑いもしない。それを狂気と呼ばずして何と呼ぶのか。腹の底から震えが走った。

 ルヴィスとジークフリートは無言でそのまま睨み合う。


「……とにかく、君の心臓はすっかり王墓と同化してしまっていてね。王立ガラール紋章院の紋章師達に調べさせたんだが、うっかり触れる事も出来ない状態なんだ。無理に引き離そうとすると、王墓に何が起こるか分からない。何しろ、これだけ多くの魔力を内蔵した施設だからね。調整維持にすら、莫大な時間と人手が掛かるんだ。


 残念だけど、このままにしておくのが最良―――それが我々の出した結論だ」

 

 ジークフリートは死刑宣告でも告げるかのように、機械的な口調で言った。


 ルヴィスは奥歯を噛み締める。それはルヴィス自身も感じていたことだ。

 収縮を繰り返す己の心臓を一目見て、感じた違和感。それば自らの心臓が放つ魔力と王墓の中に満ちる膨大な魔力が一体化しつつあるのではないかという事だ。

波長が同じ、とでも言えばいいのだろうか。


 実際に切り離すとなれば、ジークフリートの言う通り、王墓にもそれ相当の負担が掛かるだろう。王墓に何か不具合が生じれば、当然ユグドラシル結界も揺らぐ。下手をすれば――世界(ミズガルズ)が終る。


「心臓は諦めろ……そう言いたいのか。」

 呻くような声で、問いを洩らした。ジークフリートは宥める様にやんわりと笑う。

「可哀想だけど……ね」

 

 その言葉にルヴィスは激高した。

 ――可哀想?どの口でそんな事を言うつもりだ! そもそもはお前らのせいで…………


 ありとあらゆる罵詈雑言が胸の内で爆発し、喉元までせり上がった、その時だった。



「……お話は終わりましたか~~~?」



 不意に馬鹿馬鹿しいほど能天気な女の声が響き渡った。


「お前……フレイア⁉」

 聞き覚えのあるその声に、いち早く体が反応した。素早く視線を巡らせ、その姿を探す。


 縦に長い地下空間。その地上に近い位置、ルヴィスの心臓よりやや下部に女吸血鬼はいた。


 いつからそこにいたのかは分からない。おそらく魔術で転移してきたのだろう。踊り子の衣装をひらめかせながら槍を水平に持った状態で、ゆっくりとルヴィス達の方まで降下してくる。

 顔には相変わらず本気か冗談か分からないような笑顔。


「……吸血鬼か!」

 ジークフリートも流石に厳しい視線を投げた。


「そんな……何故ここに⁉ 王墓は特殊結界で強固に守られている……吸血鬼が入り込める筈は無いのに‼」

 狼狽えたような声で叫ぶフィーネに、フレイアは失笑を向ける。

「それは大いなる誤解というものですよ、王立ガラール紋章院の紋章師長さん。私たちが今までここに到達しなかったのは、単にわざわざそうする必要が無かったというだけです」


 そして、すぐにフレイアはルヴィスへと顔を向けた。

「さあ、ようやく願いの叶う時が来ましたよ、ヴィルヘルムさん。あなたの心臓を取り戻す。……それでよろしいですね?」


 ユナやジークフリート、フィーネ――その場にいる面々の表情に緊張が走った。


「主様‼」

 レーヴァテインはさっとルヴィスに身を寄せる。


 ヴォルヴァの言葉が胸の内にまざまざと甦っていた。

 選択せよ。どちらかが正解という事は無い。

 しかし何を選ぶかで世界は大きく変化するだろう―――――――


 だが、ルヴィスの答えは選ぶべくも無かった。


「……おい。勝手に決めるんじゃねーよ」

 低い声でフレイアを牽制する。


「ルヴィス……!」

 ユナがはっとした様にこちらを見つめた。一方フレイアはきょとんとしている。


「それは……どういう事でしょう?」



 


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