第15話 黒幕の存在
ルヴィスとユナはジルオールの部屋に駆け込む。そしてドアの真向いにある窓に向かった。壁いっぱいに広がった巨大な窓。その先にはバルコニーが設置してある。
そこから外を覗いた。
屋敷の周りを確かに王都軍と聖騎士ヴァルキリーの一団がぐるりと屋敷を囲んでいた。全部で百人ほど。およそ半分は騎馬兵だ。どの兵も、本格的な装備に身を包んでいる。
その先頭を指揮しているのはグラニだった。グラニは馬上で王からの命令書を掲げ、大声でそれ読み上げた。
「ジルオール殿! 貴殿には一連の王政批判を繰り広げ、吸血鬼の襲撃と見せかけ王都に混乱をもたらし、国家転覆を謀った疑いがある!
大人しく投降されよ! 繰り返す‼」
ジルオールは窓を開け、バルコニーから身を乗り出して訴える。
「何かの間違いだ! 私はそのようなことを企ててはいない‼」
「これは貴殿に仕える兵士が自供したものである! 申し開きは法廷でされよ! ……繰り返す! 投降されよ!
さもなくば、無益な血でこの屋敷が満たされることになる‼」
「どうなっているのだ……⁉」
茫然自失の状態で立ち尽くし、ジルオールはよろめきながら部屋に戻った。その様子に嘘偽りは無く、心の底からこの事態に戸惑っているようだった。
ジルオールは王政批判の首謀者ではない。ルヴィスはそうはっきりと確信する。
しかし、それならば―――
「……すぐに逃げた方がいい」
厳しい表情でルヴィスは告げる。
「何……?」
ジルオールは呆けたようにルヴィスの顔を見た。
「あんた、嵌められたんだ! 現状ではあんたが最も疑わしい人物……それが違うというのなら、誰かがそうなるように仕向けたという事だ! 王都軍や聖騎士はすぐにでも乗り込んでくるだろう。その前に………」
しかし、ジルオールはルヴィスの言葉を制した。
「私は……逃げるわけにはいかん」
目の前の虚空を睨みつけ、低く、唸るような声で言葉を押し出す。
「ジルオール様!」
「意地を張っている場合じゃない!」
ルヴィスとユナは何とか説得を試みようとしたが、ジルオールははっきりとそれを拒絶した。
「私は王族だ! だからこそ、逃げるわけにはいかん‼ それは民を、父を、自分自身を裏切ることだ……! 疑いを掛けられたのなら、しかるべき場所に立ってそれを晴らす。
……それが王族としての私の責務だ」
強い意志のこもった口調だった。ジルオールの眼光は、本来の輝きの強さを取り戻していた。先程の狼狽の痕跡は微塵もない。その強い精神力を支えているのは彼の王族としての誇りだ。
逃亡を促したルヴィスの言葉が、逆に彼を奮い立たせてしまったようだった。
ルヴィスは思わず口に出しかけた。
――相手は、アンタのそういう性格を利用しているんだ!
そうしている間にも、刻々と時間は過ぎていく。
焦った。もう時間が無い。
その時、扉を蹴破るようにしてジルオールの私兵の一人が転がり込んで来た。
「ジルオール様、大変です! 正面玄関、突破されました‼」
「……分かった。一切の抵抗はするな! 私が直々に向かおう……‼」
ジルオールは静かに頷き、一人部屋を出ていく。
「ジルオール様! 行っては駄目です、ジルオール様‼」
このままではジルオールは、定かでも無い罪を着せられ捕えられてしまう。ユナは何とかジルオールを押し止めようと追いかけた。
しかしルヴィスはユナの腕を掴んでそれを止める。
「よせ! ……お前まで捕まる気か⁉」
「しかし、このままでは………!」
その間にも、すぐそこまで王都軍や聖騎士の足音が迫っていた。
「おい、よく探せよ! もしかしたら、共犯者がいるかもしれん!」
グラニのどこか飄々とした声が響いてくる。
この状態で自分たちが見つかったらどうなるか。吸血鬼であるルヴィスはまだしも、ユナは聖騎士団長なのだ。ジルオールと影で結託していたと判断されかねない。
ルヴィスの予感が正しいなら、身の潔白を証明するのはおそらく難しいだろう。巻き込まれた時点で終わりだ。
「ち………‼」
ルヴィスはユナの腕をつかんだまま魔術式を展開。空間制御を発動させた。
どこでもいい、屋敷の外に出られれば――
そして次の瞬間、いきなり強風に煽られた。体が、がくりとバランスを崩す。足に力を入れ、かろうじて踏みとどまった。
やけに足場が悪い。
「っと……どこだ、ここは?」
周囲を見回すと、自分たちが随分と高い場所にいる事に気づいた。王都を遥か遠くまで見渡せる。
ルヴィス達が転移したのはジルオールの屋敷の丁度屋根の上だった。
「ひゃああっ‼」
ユナは傾斜のついた屋根部分に足を取られてバランスを崩し、すごい勢いでルヴィスにしがみ付いて来る。二人はまるでお化け屋敷に入ったカップルのような状態になった。
「……大丈夫か?」
「だ、だいっ……じょおぶ、じゃない! 魔術を使うなら、使うと、言え‼ ただでさえ、た……高いところは、に、苦手……なのだっっ‼」
ユナは内股に涙目でふるふると震えている。
「………。ふーん……」
ルヴィスはユナをまじまじと見下ろす。涙目のユナと目が合った。
「な、何だ⁉」
「いや~~、何つーか……フツーの女っぽいところもあるんだなって……」
ユナは顔を真っ赤にした。
「フツーも何も、私は女だ! 馬鹿者‼」
そして両手でルヴィスを突き飛ばす。ルヴィスはバランスを崩した。
「うおっ、危ね! 何考えてんだ⁉」
「あ……う……はわわわわわわわわわ‼」
ユナはルヴィスを突き飛ばした時の反作用で自らもバランスを崩す。わたわたと両手を動かし、再びルヴィスにしがみ付いて来た。
「何やってんだ、ったく……」
何とか踏みとどまって、一息つく。考えてみれば魔術が使えるのだから、高所から落下しても何も問題は無い筈だが、こういう時は人間だった頃の習慣が顔を覗かせる。
一息ついてふと屋敷の下に眼をやると、ジルオールが聖騎士に連行されていくところが見えた。
「ジルオール……」
ユナもすぐそれに気づく。
「……さっき言っていたことは本当なのか? ジルオール様が何者かに濡れ衣を着せられたという話だ!」
ルヴィスは慎重に言葉を選ぶ。
「……門番の奴らは知っていたんじゃないか? 聖騎士や王都軍が今日、この時間帯にここに乗り込んでくることを。だからジルオールが病だと嘘をついて俺達を屋敷から遠ざけようとしたんだ」
「まさか……。だとしたら、誰が指示を出したんだ? 誰がジルオール様を陥れたんだ‼」
「………」
「何故……どうしてこんなことに……! こんなのは間違っている!ジークフリート王をお止めしなければ……‼」
グラニは王の直々の命令書を携えていた。ジルオールを捕らえよという命令を出したのは他ならぬジークフリートだ。犯人が誰であれ、このままジークフリートにジルオールを連行させるわけにはいかない――ユナはそう考えたのだろう。
決意を込めた瞳で呟くと、ユナはルヴィスの腕から手を離した。そろそろと動き、屋根から三階のバルコニーに飛び降りる。
「ユナ! 待てよ、ユナ‼」
ルヴィスはユナを呼び止めようとするが、ユナはどんどん先を走っていく。
今は何をしようと無駄だ――そう思ったが、彼女に言い出すことができない。
ルヴィスも舌打ちをしながらそれを追いかけた。
ユナはヴァルハラ城へ向かい、ルヴィスもそれに同行する。
ユナは王に謁見を求めるが、対応したのは宰相のラーズグリーズだった。
「だから、言っているだろう! 王はお忙しい! 今は誰ともお会いにはならん!」
「しかし、宰相殿! このままではジルオール様が無実の罪で裁かれてしまう事になるの
です‼」
ユナは必死で訴えた。しかしラーズグリーズはそれを鬱陶しそうに遮る。
「何を訳の分からないことを言っているのだ! ジルオール様の私兵が王都に吸血鬼を放ったこと、王政批判を仄めかす様な落書きを残した事……すべて認めたのだぞ! そしてそれは全てジルオール様の指示だったとはっきり証言したのだ‼
それとも何か⁉ お前はジルオール様が犯人ではないという証拠を何か持っているのか!」
「そ……それは………!」
証拠などある筈は無かった。ユナは口籠って俯く。ラーズグリーズはそれ見たことかといわんばかりに咳払いをし、居丈高に言い放った。
「職務に戻りたまえ、聖騎士ヴァルキリー団長ユナハイム=ブリュンヒルデ! 君の仕事は王都の秩序を乱すことではない……守る事だ‼」
「………」
それ以上は、反論する余地すら与えられなかった。ユナは拳を握りしめ、その場を退出した。
ルヴィスも黙ってそれに続く。
城の門へと向かい、市街地に入ってもユナは無言だった。
そのまま二人は水路に出る。美しい水を湛えた生活用水路だ。側には遊歩道も並走させてある。アースガルドの美しい街並みが、水面を揺らしていた。
水路の傍でユナは唐突に立ち止まった。
「私は……どうすればいいんだ……? どうして、こんなことに……‼」
「……。よくある話だろ」
ルヴィスは振り返り、あえて無表情で素っ気ない返答をする。
「何だと……⁉」
ユナは弾かれたように顔を上げ、ルヴィスを見た。ルヴィスは水路沿いの街並みに目を向けたまま続ける。
「その程度のキナ臭い話なんざ、アースガルドにはごまんとある。ジルオールは権力闘争に負けたんだ。……ただそれだけだ」
「ただそれだけ……だと⁉ 違う‼ 目の前で明らかに間違いが起こっているんだぞ! 無実の人間一人、救う事が出来ずに、王都を守る事が出来るか⁉ 我々は一体……何のための聖騎士なのだ‼」
肺の奥から押し出すようにそう言うと、ユナはその場にくずおれた。澄んだ蒼の瞳から涙が溢れる。
気持ちは分からなくもない。自分が現役の聖騎士ヴァルキリーの騎士団長であったなら、やはり同様に憤っただろう。しかし、ルヴィスは大きく溜め息をついた。
「……お前、何に腹を立ててるんだ? 何の為に聖騎士ヴァルキリーになったんだ。大好きな王族を守るためか? 違うだろ。しっかりしろよ」
「………‼」
ユナはびくりと体を震わせた。
「一口に王族といってもそれぞれだしな。愚帝もいれば、賢帝もいる。おまけに、良い奴が必ずしも王になるとは限らない。……分かりきったことだ。そんなんでいちいちテンション上げたり下げたりしてどーすんだよ」
「……。割り切れ、というのか?」
「周りで何が起こっても、お前はお前だろ。……聖騎士に出来る事には確かに限界はある。それでも、それで聖騎士ヴァルキリーの誇りが奪われるわけじゃない」
「―――――――………」
ユナは俯いていたが、やがて顔を上げる。濡れた瞳がルヴィスを見つめた。
「……お前もそう思っていたのか? そうやって……耐えていたのか。心臓や自由を奪われても尚、誇りまで奪われるわけではない、と………」
ルヴィスは何も言葉を返さなかった。そんな立派な生き方をしてきたわけではないことは自分自身よく承知している。
ただ、ユナに絶望して欲しくなかった。ユナは純粋だ。時にはそれが悪い方へ働くこともあるが、何にも代えがたい長所であることもまた事実だ。
ユナにはそのままでいて欲しい。
「………。俺はもう聖騎士じゃない。ただの吸血鬼だ」
ただ、それだけを付け加えた。
ユナが口を開いて何かを言いかけた時、レーヴァテインが二人の前に現れる。ルヴィスを見つけると、安心したようにニコリと笑った。
「主様! ご無事ですの⁉ 探しましたですの!」
「レーヴか。……ユナ、俺はこれからスラム街へ向かう」
ルヴィスはユナの方を向いて言った。ユナは涙を拭いながら立ち上がる。
「何……何の為にだ?」
「俺は自分の心臓を取り戻す。だがそれは、ジークフリートの意には反した行為だ。お前はどうする? ……無理について来いとは言わない」
古代文字の書置きの方はほぼ片が付いたと見ていいだろう。結末は決して喜ばしいものではなかったが。後はフレイアだ。ルヴィスが心臓を取り戻そうと取り戻すまいと、彼女はまた接触してくるに違いない。どうせなら万全の態勢でそれに応じたかった。
ユナはしばらく考え込んでいた。様々な事が起こりすぎ、彼女はさぞ混乱していることだろう。ユナが同行を拒否したなら、ルヴィスもここで別れるつもりだった。
ユナは静かな視線をじっと川面に注いでいる。
しかしやがて、意を決した様に顔を上げた。
「……いや、私も行こう」
「いいのか? 後悔するかもしれないぞ」
ルヴィスの言葉に、ユナは挑むような眼差しを返してきた。
「そう……かもしれない。だが、私は逃げたくない。私は……私は、聖騎士ヴァルキリーの騎士団長、ユナハイム=ブリュンヒルデなのだからな」
彼女の曇りのない瞳は、強い輝きを取り戻し始めていた。
「……上等だ」
それを目にしたルヴィスは、ニヤリと彼女に微笑みかけた。
スラム街は相変わらず人でごった返していた。
いつもの喧噪に加え、あちこちで人々の噂をする囁き声が聞かれる。
フェンリル族や人間、ドワーフ族、エルフ族……種族は違えど老若男女、あちこちに固まって似たような表情で話し込んでいる。
「それにしても……あのジルオール殿下がねえ」
「俺、ジークフリート王よりジルオール様の方が好きだったんだけどな。何かショックだよ。裏切られた気分だぜ」
「人は見かけによらないよな」
彼らの会話の内容に耳を澄ませ、ルヴィスは眉をひそめた。ジルオールの話がすでに広まっているようだった。後ろを歩くユナも訝しく思ったのか、ルヴィスに耳打ちをする。
「ジルオール様の事、かなり広まっているな……」
「………」
早すぎる、とルヴィスは思った。ジルオールが捕まったのは僅か小一時間前だ。王族のスキャンダルは庶民にとっても格好の話のタネだろうが、それにしても早すぎないか。
まるで誰かが故意に情報を広めたかのようだ。
気掛かりではあったが今は用事を済ませるのが先だと判断し、先へ進んだ。間もなく見間違えようもないドピンクの派手な店が見えてくる。躊躇せず、店内に足を踏み入れた。
「あらぁ、ルヴィスじゃない。どうしたの?」
シェリーは起きたばかりなのか、気怠そうに言った。ルヴィスは単刀直入に切り出す。
「ザッツ、ギル爺はいるか?」
「んもう……ルヴィス‼」
「あー、悪かった。シェリーだよな、シェリー!」
シェリーに睨まれ、慌てて言い直しながら店の床に目を落とすと、床はすっかり修繕されていた。穴の上から新しい板が組まれ、丁寧に打ち付けられている。
「床の修繕は終わったようだな」
「ええ。ギル爺の首根っこ、ひっ捕まえて直させたの。彼ならその後、地下に戻っちゃったわよ」
「くそ……一足遅かったか……!」
ギュミル広場で会ったのが昨日の事だから、まさに入れ違いになってしまったのだろう。頭を掻いて呟いていると、背後で扉の軋む音がした。
「……行くのかね」
亡霊のような黒い影――店に入ってきたのはヴォルヴァだった。
「婆さん……!」
「これを」
ヴォルヴァはゆっくりと近づいて来ると、真っ黒い石の付いたチャームを取り出し、ルヴィスに手渡した。石に革の紐が括り付けられているだけの簡素なものだ。手に持つと小さいのに妙な重量があった。しかも石は時折赤黒い色に鈍く光る。
黒曜石の一種のようだったが、それにしても不気味だった。何か不吉なモノさえ感じさせる。どう見てもありがたい類の装飾品ではない。
「……何だ、こりゃ?」
「冥途の土産だ。持って行け」
「気味悪いな……。呪いのアイテムとかじゃねえよな?」
ルヴィスは顔をしかめながら石を摘み上げる。ヴォルヴァはそんなルヴィスを凄まじい迫力でじろりと睨みつけた。
「いいから持って行け」
「わ……分かったって!」
慌ててチャームを首から下げる。ルヴィスはそれから一度床に目を落としたが、思い直し、再びヴォルヴァの方を向いて言った。
「あの、さ。俺、心臓を取り戻してもいいんだよな?」
「どうした、臆したのか」
ヴォルヴァはフンと鼻を鳴らしながら言った。
「あんた言ってたじゃねえか。ミズカルズ全体に関わるとか、何とかって……」
「わしはこうも言ったはずだ。自分で決めろ、と。お前自身の目で確かめ、判断するしかない」
ヴォルヴァの返事は相変わらずだった。夢で会った時のままだ。
その時、ふとルヴィスは思った。
ヴォルヴァはルヴィスの心臓の事を知っていた。
ひょっとしたら、心臓がどこにあるのかも、知っていたのではないか。
しかし、それを口に出すことはしなかった。いくらヴォルヴァとはいえ、何もかも知り尽くしているわけではあるまい。それに彼女がもし、知っていながら故意に言わなかったとしたら、そこには何か事情があるのだろう。
若干躊躇し、再び口を開く。
「……俺はフレイアに勝てるか?」
後ろにいたユナが、はっとしてルヴィスの方を見た。
「何だ、急に。若い娘じゃあるまいし。己の命運を占いなんぞで決めたいのか」
片方の眉を上げ、呆れたように答えるヴォルヴァに、ルヴィスはうるせえ、と毒づく。ヴォルヴァは咳払いをすると、ニヤリと笑った。
「行って来い。次に会う時が棺桶の中で無いことを祈っているぞ」
「あんたにそういう事言われると、死亡宣告にしか聞こえねえっての」
ぶつくさ言いながらも、ルヴィスは内心でヴォルヴァに感謝する。
勝敗の結果など、本当は知りたくは無かった。ただ、フレイアと対峙することを考えると、否がおうにも緊張せざるを得ない。
つい馬鹿げた質問をしてしまったが、それも少しはほぐれたようだった。




