第13話 重い枷
狭い一軒家の中でルヴィスとフレイアは互いに睨み合った。
「ふ……フレイア……! どうしてここに……⁉」
「主様……!」
ユナは戸惑い、レーヴァテインは不安げな表情でルヴィスの後ろに隠れる。
「……てめえ、一体何しに来やがった⁉」
しかしルヴィスの厳しい視線を受けても、フレイアは柔和な表情を崩さない。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか~。勝手に上がり込んだことはお詫びします。……あなたともう一度お話がしたかったんですよ」
「お話……だと⁉」
「初見の時は失礼しました。私も幾分か興奮してしまって……つい楽しくなってしまって、うっかり目的を見失っていました」
あまりの言い分にルヴィスは呆れ、次いで半眼で毒づいた。
「……成る程、俺は『うっかり』殺されかけたってことか?」
「反省しています。どうにも、肉食系なもので」
フレイアはルヴィスの皮肉を笑顔でかわすと、ひらりと立ち上がる。
「……あれから冷静になって考えたのです。あなたは吸血鬼の『力』は受け継いでいても、『記憶』と『知識』を受け継いではいない。
理由はおそらく心臓のせいです。
心臓に刻まれた《エインへリアル》が血液を介して脳に充分行き渡る前に、体から切り離されてしまったのでしょう。
……ですからあなたにお願いがあります。まずはご自身の心臓を取り戻してください。そして己が《調停者》としてどうあるべきかを知るのです。
話はそれからにしましょう」
フレイアはまるでデートの予定を組むかの様なノリで、両手をパンと合わせる。ルヴィスは鼻を鳴らし、吐き捨てた。
「けっ……適当ほざいてんじゃねーよ!何で俺がお前の言うとおりにしなきゃならねえんだ⁉」
「あら。これはあなたにとっても悪い話ではない筈ですよ。心臓を奪われたせいで、不自由な思いをしているのでしょう?」
「………!」
思わず絶句する。
「ルヴィス……」
ユナが心配そうな表情をこちらに向けるのが視界の端に映った。
「……どのみちそれは不可能だ。俺は自分の心臓が何処にあるのかすら知らない」
五十年間、それは謎のままだった。
もしかしたら、この世にはもう無いのではないかと考えたことすらある。ジークムントならやりかねない話だ。
しかし、フレイアは首を振った。
「簡単ですよ、ヴィルヘルムさん。少し考えれば分かります。
『木を隠すなら森の中』、ですよ」
「何だと……? どういう意味だ‼」
ルヴィスは噛みつきそうな勢いで、フレイアを問い詰める。
フレイアは意味深長な笑顔を浮かべると、それには答えずぴたりと真正面からルヴィスに近寄り、甘く誘うような声音で囁いた。
「……いいですか? 恐れずに進んでください。そして、自分自身を取り戻すのです。吸血鬼王としての、あなた自身を。……それでは、また」
フレイアの周囲に魔術式が浮かんだ。次の瞬間、その姿は幻の様に掻き消えていた。
「消えた……⁉」
ルヴィスとユナは慌てて周囲を見回す。
「空間制御ですの。……かなり高度な魔術ですの」
レーヴァテインの説明に、ハーナル公園での戦闘を思い出していた。
あの時もフレイアは空間制御による瞬間移動を何度か用いていた。ルヴィスの知らない高位魔術を、短い発動期間で頻繁に使いこなす。フレイアの実力がいかほどのものか、思い知らされる。
「………」
ルヴィスはフレイアの言葉を反芻していた。『木を隠すなら森の中』――『木』と『森』が何を指しているのか。
思い当たるものが無くもなかった。
「ルヴィス……?」
怪訝そうな顔でこちらを窺っているユナに気づく。
「……いや、何でもない。腹減ったな。メシにしようぜ」
ルヴィスは思考を打ち切り、軽く手を振って答えた。
夜も更けた頃。
静かな月光が部屋を照らしていた。自室のベッドで眠っていたユナは、物音に気が付いて眼を覚ます。
耳を澄ますと、何かが壁にぶつかるような一際大きな物音が、ルヴィスの部屋の方から聞こえて来た。思わず耳がピクリと反応する。
「何だ……?」
続いて、レーヴァテインとルヴィスが何事か言い争う声。ドアの激しい開閉音。
ユナはベッドを抜ける。下着の上には薄いキャミソールだけだ。
部屋から顔だけ出し、廊下を覗いてみる。
すると、ルヴィスの部屋の前でレーヴァテインが俯いていた。顔を伏せ、小刻みに震えている。
泣いているようだった。
「……どうかしたのか。お前達が喧嘩するなんて珍しいな」
ユナはゆっくりとレーヴァテインに近づく。
「あなたには……関係ありませんの……!」
レーヴァテインは俯いたままだった。その顔を見て、ユナは血相を変える。
「お前……顔が腫れているではないか! ルヴィスにやられたのか⁉」
「………!」
レーヴァテインは慌てて頬を押さえるが、ユナは確かにはっきりと見た。
「奴め、こんな幼子に……! 恥を知れ‼」
俄かにルヴィスに対する怒りと軽蔑の感情が湧き上がる。
やはり吸血鬼は吸血鬼なのだ。破壊と殺戮をもたらすだけの化け物だったのだ。理解し合う余地などない――――
しかし。
「ダメ! ドアを開けないで‼」
ルヴィスの部屋のドアを開けようとするユナを、レーヴァテインは慌てて押し止める。
「何故だ⁉」
「あ……主様が悪いんじゃないんですの……一番苦しんでいるのは主様ですの……!」
小さな少女の両目からポロポロと涙が溢れた。ユナは激しく戸惑う。
「……どういう事なんだ。ちゃんと説明してくれ」
思わずそう問い詰める。レーヴァテインは逡巡していたが、やがてポツリポツリと話し始めた。
「吸血鬼は、人間と同じ物を食すことで、肉体を維持することは出来ますの。
でも、魔力は別……主様が魔術を使う為の力を得るには、本物の心臓だけではなく人間の血が絶対に必要なんですの……。
吸血鬼にとって、人間の血は水より重要なもの……吸収しなければ、衰弱し、ついには発狂状態に陥るですの……!」
「………………‼」
ユナは王立ガラール紋章院でルヴィスの様子が突然おかしくなった事を思い出していた。
考えてみれば、もっともな話だった。吸血鬼は人型以外のものも全て人間の血を吸う。それは何故か。彼らが人の血を食料として必要としているからに他ならない。
ルヴィスも吸血鬼である以上、当然人の血を吸うだろう。ただ、今までその様な素振は微塵も見せなかった。だからその根本的な事実に気づかなかった。
「ジークフリート王はそのことをご存じないのか……? いや……そもそも前王、ジークムント王の時代にはどうしていたのだ!」
不意に疑問が湧き上がり、ユナは問い詰めた。レーヴァテインは弱々しく俯く。
「――――先代のアースガルズ王は……主様が発作を起こす度、神聖魔術で仮死状態にしていましたの。吸血鬼は肉体が危機状態に陥った時に、僅かに《エインへリアル》が増殖し、魔力が回復する……防衛本能の作用ですの。でもそれも、ほんの少しだけ……。
主様はずっと……何十年も、ぎりぎりの状態で戦わされていたんですの……‼」
つっかえながら話し終わると、再びレーヴァテインの両目から大粒の涙が溢れ落ちる。
ユナはかける言葉が見つからなかった。それが本当なら、水しか与えず兵士を戦に向かわせるようなものだ。とてもではないが、戦えるものも戦えない。
その前に力尽きてしまう。
吸血鬼に人為的に人の血を与えるという事には確かに抵抗があっただろう。しかし何らかの方策はあった筈だ。ガラール紋章院では輸血も積極的に行われている。それらを与えたからと言って、バチは当たらないだろう。
ましてやルヴィスは吸血鬼の脅威からミズガルズ全体を守っていたのだ。ユナはあまりの仕打ちではないかと憤った。
「ルヴィス……‼」
鋭く呟き、ドアノブに手を掛ける。レーヴァテインは悲鳴のような声を上げた。
「やめて! 主様は正気を失っているのですの! あなた、殺されてしまう……‼」
とてつもなく切実なその声に、一瞬ぎくりとした。緊張感が背を這っていく。
しかし、それでもユナは微笑んだ。
「……だったら尚更放っておくわけにはいかん。私は奴の監視役なのだからな……!」
不安げなレーヴァテインをその場に残し、ユナはルヴィスの部屋の中へと滑り込むようにして入った。
万が一レーヴァテインに危害が及ばないよう、後ろ手で速やかにドアを閉める。
部屋の中はユナのものと同じ、ベッドと棚だけの質素な部屋だった。窓からぼんやりと月明かりが差し込んでいる。
しかし、ベッドの上にルヴィスは見当たらない。
「ルヴィス……? いないのか……⁉」
辺りを窺うユナ。
その時、真横から唐突に腕が伸びて来た。ユナは反射的にそれを避けようとするがルヴィスの動きの方が早い。
ユナは首を掴まれ、抵抗も空しく押し倒される。
「グウ……グルルルルルルル……‼」
ルヴィスは喉の奥で獣のように唸った。
いつもの黒いパンツだが、上半身は何も身に着けていない。自分で切り裂いたのだろう、視界の端で黒い布の切れ端が見えた。ユナはぎょっとしつつ、慌ててルヴィスに目を戻す。
暗い部屋の中で瞳だけが煌々と獣の様に紅く輝いている。
その姿はあまりにも異様だった。殺される――ユナの背中はぞっと粟立った。
「や……めろ、ルヴィス……‼」
息が吸えない。尋常ではない腕力だった。
意識が途切れる寸前、ユナは渾身の力を振り絞って、何とかルヴィスを投げ飛ばす。
ルヴィスはベッド脇の壁にぶつかり、床に落下すると、そのまま動かなくなった。
ユナはその場で素早く起き上がって身構え、ルヴィスの反応を探る。逃げ出したい気持ちを何とか抑え、恐怖を振り払った。
これまでそれなりに死地を潜り抜けてきたつもりだった。この程度で恐れ逃げ出していたら、聖騎士ヴァルキリーの騎士団長は務まらない――そう自分を叱咤する。
「……ユナ、か……?」
ルヴィスは弱々しく顔を上げるが、すぐに『発作』が襲ってきて口元を押さえた。だが、最早それでは抑えきれない。唾液が溢れ、指の間から滴り落ちた。強烈な飢えと渇きが脳を支配する。
堪らず喉を掻き毟った。狂ったようにのたうち回る。首の皮膚が裂け、鮮血がおびただしく散った。床も家具も、赤い斑点で彩られていく。
「よせ! 死ぬ気か⁉」
ユナは慌ててルヴィスを押さえつける。だが、ルヴィスは尚も暴れた。
フェンリル族であるユナは、腕力にはそれなりに自信があるつもりだった。しかしそれでもルヴィスを押さえつけることは出来なかった。
ルヴィスはまるで理性を失ったかのように上半身を掻き毟る。
激しくもみ合い、転倒した。ユナはどうしていいのか分からない。
兎に角やめさせたい一心でルヴィスを抱きしめた。
体と体がぴたりと密着した。ユナの滑るような柔らかい銀の髪がルヴィスの頬に触れる。それがルヴィスを正気へと引き戻した。
「ユ……ユナ……?」
ルヴィスは戸惑った。仰向けに寝転がった自分の上に俯せになったユナが飛び込んできたのだ。よく考えるとルヴィスは上半身裸で、ユナもほぼ裸体と言って差し支えないほどの薄い下着しか身に着けていない。
呼吸と呼吸が激しく入り乱れ、絡み合う。
ユナは微かに肩を震わせていた。自分が彼女を恐怖に陥れ、精神的に追い詰めたせいではないか――ルヴィスは緊張したが、そうではなかった。
「馬鹿な事をするな……! 自分で自分を傷つけてどうする……‼ お前が……お前がそこまでする必要はどこにもないだろう……‼」
泣いているのだと分かって、ひどく驚いた。
(ユナ……俺の為に………)
俄かには信じられなかった。
《ヴィルヘルム=シグムント》の名を捨て、《ルヴィス=レギンレイヴ》となってから、ルヴィスは常に孤独だった。戦っている時も、城の地下牢に閉じ込められている時も。
傍にいてくれたのはレーヴァテインだけだ。
自分の為に、涙を流してくれる者など、皆無だった。敵意や侮蔑ばかりを向けられ、人らしい感情や温もりとはおよそ無縁の生活。いつしか自ら求める事すら止めていた。求めても決して得られないものなら、得ようとするだけ無駄だ。――どこかでそう考えるようになっていた。
しかし、今。それが手の中にある。
ユナの温もりに触れ続けるうち、それは徐々に実感となって全身を満たした。
今まで感じたことの無い愛おしさが胸に湧き上がってきた。
思わずユナを抱きしめそうになる。
強い衝動に駆られた。このまま彼女を自分のものにしてしまいたい。
だが不意に疑問が湧き上がる。――己にその資格があるのだろうか。
視界が激しく揺れた。
醜悪な吸血鬼。
人類の敵。
その事実が楔の様になって突き刺さった。ルヴィスの想いがどうあれ、少なくとも吸血鬼が悪しき存在であることに、永遠に変わりは無いのだ。人間にとっても、聖騎士ヴァルキリーの騎士団長であるユナにとっても。
そしてまた、ユナ自身がそれを望んでいるのかどうかも分からなかった。今はただ、一時の感情に流され、ルヴィスに同情を寄せているだけかもしれない。
彼女の事が大切なら。
近付きすぎるべきではない。
全てを断ち切るかのように、両眼を静かに閉じた。思わずユナの背に回し掛けた両手を固く握りしめる。
己の感情を押し殺す様に短く嘆息すると、ルヴィスはポツリと言った。
「……ていうかお前、案外小さいのな」
ユナは最初目をぱちくりとさせていた。しかしすぐに何のことか呑み込んだようだった。
「………………ッ‼」
案の定ユナは頬を真っ赤に染め、ルヴィスから体を引き剥がし、跳ね起きた。胸の前で両手を組む。今更ながらに自分がどのような格好をしているかに気づいたのもあるのだろう。
「あ……あ……う………‼」
口をぱくぱくさせると、ぺたんとその場に座り込み、両手で上半身を覆ったまま縮こまってしまった。耳が後ろ向きに伏せっている。上気した顔に薄く涙が滲んだ。
(言いすぎたか……?)
そう思い、慌てて付け加える。
「ま……まあ、気にすんなよ。大きさにはこだわらないって奴も世の中にはいるだろ」
しかしそれが変な風に火をつけたようだった。
「う……うるさい! 下手な慰めは無用だ! どうせ……どうせ私はフレイアやエルフ族の娘たちの様にバインバインじゃない‼」
(バインバイン、て……)
内心で突っこむ。勢いで言ってしまったが、決してユナが『貧』のレベルだという訳ではない。それを口にしようとして結局止めた。これ以上下手に地雷を踏むのは互いの為にならない。
「まあとにかく……」
外に出ろよ――と続けようとして視線が吸い寄せられるように一点に集まった。
ユナの二の腕から一筋の血が流れていた。
おそらく、先ほど揉み合った時にできた傷だろう。
真紅のそれはまるで甘美な美酒の様に鼻孔をくすぐり、容赦なく誘惑する。
――見るな。そう思っても、眼を離す事が出来ない。全身の血管が激しく脈動し、呼気が高圧の蒸気のように体外に排出される。
ユナもすぐにルヴィスの視線の意味に気づいた。傷口を押さえ、はっと身構える。そしてそのまま暫く躊躇っていた。張り詰めた緊張感が部屋を支配する。
やがてユナの顔に決意の表情が浮かんだ。ゆっくり口を開く。
「わ……私の血を飲め」
「何……⁉」
ルヴィスの表情が瞬時に強張る。
「レーヴァテインに聞いた。吸血鬼は血を吸わなければ魔術が使えないのだろう? 私は半分フェンリル族だが、半分は人間だ。それでも問題ないのなら……」
ユナの言葉はしかし、ルヴィスを激昂させた。
「……出ていけ‼」
「ルヴィス……⁉」
ルヴィスは拳を握り締める。奇妙に掠れた声で吐き捨てた。
「俺は誰の血も吸わない! ……すぐさま失せろ‼」
「何故だ⁉ フレイアはまた、必ずやって来る。……このままでは戦えない! お前がそんな状態で、誰があの化け物を退けるというのだ‼」
ユナも思わず声を荒げていた。
ルヴィスは叫ぶ。
「俺は人間だ! 吸血鬼じゃない‼」
同時に、はっと息を呑んだ。
ユナも硬直し、目を見開いている。
沈黙が部屋を包んだ。玲瓏とした月明かりがただ二人の姿を照らす。
ルヴィスは項垂れ、弱々しい声で呟いた。
「……出ていってくれ。―――――頼む……!」
ユナは躊躇し、尚も何か言おうと口を開く。しかし迷った末、結局言われるままにルヴィスの部屋を後にした。
扉を抜ける間際、ちらりと振り返る。ルヴィスはベッドの向こうで頭を垂れていた。その姿は闇の底に沈むかのようだった。
ユナは部屋の外で、一人佇んだ。
廊下にレーヴァテインの姿は無い。一階に降りたのかもしれない。
「………………」
この時初めて気がついた。自分がルヴィスの事を何一つ知らないことに。
《ヴィルヘルム=シグムント》の伝記は知っているが、それは他人によって創られた『物語』だ。ルヴィスの、いやヴィルヘルム=シグムントの生身の体験ではない。
ヴィルヘルム=シグムントが何を考えて聖騎士になり、どういう状況で吸血鬼になったのか。それすらもユナは知らなかった。
知ろうとさえしなかったのだ。
ルヴィスがもし、自分の事を人間だと本心で思っているのなら。
ユナの、自分の血を吸えばいいという安易な提案は、どれほど彼を傷つけただろう。
ユナは打ちひしがれて自分の部屋に戻った。




