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血戒の心臓  作者: 天野地人
第一章
12/36

第11話 ユナハイム=ブリュンヒルデ

 ユナはヴァルハラ城を下城し、次に王立ガラール紋章院に赴いた。


 紋章院も慌ただしい空気に包まれている。フィーネ=セレスティアの研究室を尋ねると、丁度タイミング良く在室していた。


「フィーネ、今いいか?」


 部屋の中はいつも以上にとっ散らかっている。忙しいのだろう、眼鏡の奥の知的な碧眼にも、疲れが色濃く見えた。それでもフィーネは快くユナを招き入れてくれた。


「ユナ……。いらっしゃい。ハーナル公園では大変だったみたいね」

「ああ……。ルヴィスの様子はどうだ?」

「まだ治療棟よ。安心して。八割がたは回復しているわ。完治まであと二、三日……ってとこかしら」


「そうか……。礼を言う」

 ユナは安堵した。頭上の耳がそれに合わせぴょこぴょこと軽快に跳ねる。フィーネは微笑んだ。

「治癒班の紋章師達が驚いていたわ。信じられない蘇生力だって。流石は吸血鬼王、といったところかしらね」


「………」


 吸血鬼王、という単語を聞いてユナの表情が急激に曇った。フィーネは敏感にそれを察知する。


「どうしたの、何かあった?」

「フィーネ……。お前はルヴィスの本当の名を知っているか?」


「ユナ……」

 フィーネはすっと眼を細めた。ユナは更にジーンに詰め寄る。


「あいつが、《ヴィルヘルム=シグムント》だというのは……本当なのか⁉」


「……どこでそれを?」

「吸血鬼だ。ルヴィスが戦った踊り子の吸血鬼がそう言っていた」

「そう……。その事、誰にも口外していないわね?」

「ああ……。本当なんだな? やはりあいつが……!」


 しかしフィーネは、しっと人差し指をユナの口元に突き付ける。

「……駄目よ、ユナ。それ以上は絶対に駄目」

 フィーネの瞳には冷酷ともいえる光があった。ユナは確信する。フィーネは知っていたのだ。

 おそらく、少なくとも初めてユナがルヴィスをここに連れて来た時には、その事実を知っていたのではないか。


「何故だ⁉ それが本当なら……五十年前、何が起きたんだ‼」


 ユナはもどかしい思いをそのままフィーネにぶつけた。何でもいい、何か説明が欲しかったのだ。しかしフィーネは冷然とした態度を崩さない。


「あなたは疲れているのよ。今日はもう帰った方がいいわ。しっかり休んで。……いいわね?」

「フィーネ………」

 フィーネは優しくユナの頬を撫でた。


 分かっている。彼女に悪意があるわけではないのだ。ただ、紋章院の研究員という肩書上、決して外部には漏らせない情報もある。


 ユナは項垂れ、紋章院を後にした。





 ユナハイム=ブリュンヒルデは幼少期を極寒の地二ヴルヘイム領の名もなき山村で過ごした。


 一年の六割が厚い氷と雪に閉ざされるその地で、生活は決して豊かではなかった。

 

 しかし、ユナは畑を耕して暮らす人間の父とフェンリル族の母に愛され、家畜や大自然に囲まれて伸び伸びと育った。自分ではそれなりに幸せだったと思う。そのまま大人になれば、今頃は農家のお嫁さんだっただろう。


 一変したのは五歳の時に起こった深刻な飢饉だった。


 ただでさえ貧しかった暮らしはすぐに限界を超えた。街に働きに出た父は、食料を求めた市民の暴動に巻き込まれ、命を落とした。

 残された母とユナは王都に移り住んだが、母には都会の生活が合わなかったのだろう。間もなく病に倒れ、息を引き取った。

 医者に診てもらう金など無かった。


 ユナは王都の孤児院に預けられた。

 しかしそこでの環境は劣悪を極めた。

 常に暴力を振う大人。干からびたパンと水だけのあまりにも粗末な食事。そして、心の荒んだ子供たち。


 集められているのは、ユナと同じかそれ以上の過酷な環境で生きてきた子供ばかりだ。支え合ったり、慰め合ったりなどという事は皆無だった。

 そもそも人間らしい温かな感情は知らないまま育ったのだ。奪い合い、憎しみ合い、妬み、謗る。負の連鎖が繰り返された。


 ユナはフェンリル族との混血という事もあって、常にいじめの対象だった。しかし、ユナの心が腐ってしまうことは無かった。


 孤児院の図書館である本を読んだからだ。


 ヴィルヘルム=シグムントの伝記――そこにはダークエルフとの混血であった彼がいかに苦労をして聖騎士になったか、いかに果敢に《ルヴィス=レギンレイヴ》に立ち向かっていったかが描かれていた。


 本の中で《ヴィルヘルム=シグムント》は、どんな困難も乗り越える強さと、人々を想う優しさで溢れた完全無敵の英雄だった。


 ユナは本の中のヒーローにすぐに惹かれ、心酔した。同じ異種族との混血であるにも関わらず聖騎士団長に登りつめ、勇敢に戦って国を守ったのだ。

 孤児院で嫌な事や腹の立つことがあった日は、《ヴィルヘルム=シグムント》ならどうしただろうと考えた。ユナにとって彼の物語はただ歴史上の出来事だというだけではなく、生きる上での指針にもなっていたのだ。


 国家的英雄への憧れは募り、いつしか自分も聖騎士になりたいと思うようになっていた。


 そしてユナは十歳を迎えた年に遂に騎士への階段を登る事になる。そして、天性の身体能力で瞬く間にその才能を発揮していったのだった。


 ユナにとって《ヴィルヘルム=シグムント》が何者なのかという事は、最も重要なことの一つだった。それは多くの聖騎士にとっても同じだろう。

 ただでさえ、彼への想いは揺らいでいた。《ルヴィス=レギンレイヴ》が生きていたというのなら、英雄はどうなったのだろう、と。


 間違いがあってはならない。ユナは口の中で小さく呟く。


 そんな事は、断じて許されないのだ。





 その頃。ルヴィスは夢を見ていた。


 見覚えのある王都のスラム街。狭苦しく、雑然と入り組んだ無数の細い路地。


 夢だと思ったのは、そこに全く人の気配が無かったからだ。王都髄一の人口密度を誇るその街では、いかなる天変地異が起ったとしても人が途絶える事など有り得無い。


「それとも……夢でなけりゃ、ここはあの世か天国か? だとすりゃ、もっとキレイな場所を期待してたんだがな……」

 呟きながら、何処ともなく歩を進める。


 時々店や民家の中を覗いてみた。しかし、人の気配どころか何の音もしない。料理をする音も、掃除をする音も、鳥のさえずりさえも皆無だった。


「……待っていたよ」


 いくつかの民家を覗いた後、唐突に声を掛けられた。視線を巡らせると、小さな民家の奥に真っ黒な人影が見えた。占い師の老婆、ヴォルヴァだ。火のともった暖炉の前で揺り椅子に座っている。ルヴィスはやれやれといった仕草をしてみせた。


「……何だ、婆さんか」

「何だとは何だ」

「そりゃ、どうせ会うなら若い美女の方がいいに決まってるだろ」

 ルヴィスはおどけて肩を竦めた。


「ふん……若い美女がいいのか?」

 ヴォルヴァは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。改めてルヴィスがヴォルヴァに目を向けると、いつの間にかヴォルヴァの姿は二十歳程の女の姿になっていた。


 美しいダークエルフ族の娘。特徴的なのは流れるような漆黒の髪と深淵の闇を思わせる深い瞳だ。ルヴィスの背筋がぞくりと粟立った。エルフ族の娘たちが妖艶であるなら、ダークエルフ族は神秘性と魔性を併せ持っている。


「………。あの……どちら様で?」

 思わず声が上擦った。ヴォルヴァは不機嫌そうに頬杖をつく。

「わしにも若い頃はあった。……数百年以上前の話だが、な」

 

 ルヴィスはヒュウ、と口笛を吹いた。

「まさしく生きた化石だな……シーラカンスみたいだ」

「……。せめてカブトムシくらいにならんのか」

「どっちもどっちじゃねえかよ」

 ルヴィスが意地悪く笑うとヴォルヴァは顔をしかめたが、すぐにふっと笑みを漏らした。


「……首尾はどうだ」

「良くは無いな。むしろ最悪の域だ。どうやら俺は女運に恵まれていないらしい」

「仕方あるまい。それがお前の運命だ」

「どんな運命だよ……」


 ぶつくさと文句を垂れるルヴィスだが、ヴォルヴァは構わずに続ける。

「あれを理解しようとはするな。巨大な歯車の一つに過ぎん。個体の人格など、意味を成さぬ存在だ。ただ、システムを維持するために動いているだけ……」 


「あのさ……そのシステムってのは何なんだよ?」

 ルヴィスはヴォルヴァに近づくと、傍に置いてあった腰掛け――木の切り株に座った。


「この世界を守り、創り上げているモノだ。……ヒトを縛る為のものでもある」

「分からねえ……その世界を守るとかいうシステムとやらが、吸血鬼と何の関係があるって言うんだ」


「……お前は吸血鬼が何だか知っているか」


 不意に問われ、ルヴィスは素直に首を横に振る。ヴォルヴァは滔々と語った。


「――かつて、外界……ヨトゥンヘイムには巨人と呼ばれる存在があった。彼らが何者なのか。その定義は今では定かでない。しかし、《神々の黄昏》――ラグナロク(終焉)を運ぶ者として恐れられていたようだ。


 我々エルフ族の間ではこの様な言い伝えがある。人間は結界を作りだし、彼らの脅威から逃れた。しかし、代わりに吸血鬼が現れるようになった、と―――――」


「何だそりゃ………」

 ルヴィスは呻いた。ヴォルヴァは首を振る。


「おそらく、全ての生物が互いに繋がっているように、吸血鬼には吸血鬼の役割がある。この世に必要のないものなどない。ただ、その価値に気づくかそうでないかだ」

 ヴォルヴァは静かにそう言った。


 しかしそれを聞いた瞬間、ルヴィスは激昂し、立ち上がった。

「吸血鬼に役割……? ふざけるな! 連中は人を喰う化け物だ‼一匹残らず叩き潰してやる‼」


「ルヴィス」


 ヴォルヴァの瞳はどこか悲しげだった。

 ルヴィスはすぐに思い出す。己も吸血鬼であることを。


 吸血鬼の存在を否定することは、自分自身を否定することに他ならなかった。


「俺は……俺はどうすればいい……?」

 ルヴィスは項垂れ、両手の拳を握り占める。ヴォルヴァは淡々とした調子で続けた。


「……選択に注意するがいい。どちらかが正解という事は無い。だが、お前が何を選ぶかで全てが変わるだろう」


「『全て』……?」 


「そう……ミズカルズ大陸の全てが、だ」


 息を呑む。何が何だか理解できず、ルヴィスはその場に立ち尽くした。


 それっきり、ヴォルヴァは口を閉ざしてしまった。

 部屋に静寂が訪れる。ただ、暖炉の薪が爆ぜる音のみが響いていた。


 ヴォルヴァの全てを呑み込みそうな漆黒の瞳を、その火がちろちろと照らしていた。





 三日が経った。


 ルヴィスが治療棟を出たという知らせを受け、ユナは急いで王立ガラール紋章院へ向かった。必要最低限の鎧をまとった軽装だ。しかし、背中のクルースニクは忘れていない。


 ロビーの受付で通された部屋は、紋章院にある治療棟内の一般入院病棟だった。


「ルヴィス!」

「何だ、ユナか。何か用か?」

 ユナが病室に駆け込むと、ルヴィスは白い綿のシャツとズボンの上下を身に着けていた。入院病棟で紋章院から与えられるものだ。


 格好はともかく、ルヴィスを一目見てユナは唖然とした。逆立ちをした状態で、片手で腕立て伏せをしていたのだ。体のところどころにはまだ包帯が巻いてある。


「お前……何をしているのだ……?」

 いくら吸血鬼とはいえ、安静にすべき状況なのは誰の目にも明らかだ。だからこそ、入院病棟に入れられているのだろう。――それなのに。ユナは呆れた。


 ルヴィスはけろりとして立ち上がる。

「暇なんだよ、入院生活って」

「少しは大人しくしていろ! 万が一、傷が開きでもしたらどうする⁉」

 ユナは腰に手を当て、説教口調で怒鳴った。ルヴィスは一瞬きょとんとし、からかうようにニヤリと笑う。


「何だよ、心配してんのか?気持ち悪いな」

「き……気持ち悪い⁉ 無礼な……誰が貴様の心配などするか‼」

 ユナは真っ赤になって怒り、いつもの様にクルースニクに手を掛けた。


「お、落ち着けって! お前が俺にとどめを刺してどーするよ!」

 流石のルヴィスも今はユナのど突き漫才につき合う余裕は無い。


「む……! これは、その……条件反射で……。すまん……」

 慌てて剣から手を離すユナ。本当に悪かったとは思っているのだろう、いつもはぴんと立った耳がしょげ返っている。ユナの耳は顔以上に感情表現が豊かであるのに、ルヴィスは気づいていた。軽く伸びをしながら仕方なくベッドに戻る。


「立ち話もなんだろ。座れよ」

 促され、ユナはベッド脇の椅子に腰を掛けた。

「あれから四日か……。フレイアの接触は無いのか?」

 ルヴィスの質問にユナは頷いた。 


「ああ……。古代文字の書置きの方も進展は無い。この四日間は嘘のように平和だった」

「書置きか。あっちの方は案外簡単に片が付くんじゃないのか」

「どういう事だ……?」

「言っただろ。あれは王政批判だって。ジークフリートに不満を持つ者に絞っていけば、犯人の見当は粗方つく」

 ルヴィスはわざと素っ気なく言った。ユナはたちまち顔を曇らせる。


「……。ジルオール様を疑っているのか」

「書置きが出始めた頃、奴は丁度王都アースガルズに入った。……時期も合う」


「し、しかし……吸血鬼はどうなるのだ⁉」

 ユナは必死な様子だった。余程ジルオールの犯人説を認めたくないのだろう。ルヴィスとて、別にジルオールに悪意を持っているわけではない。しかし、避けては通れない話だった。


「今まで吸血鬼が出たのはヘルヴォル市場とハーナル公園。そのうち市場は定休日で人出は少なかった。ハーナル公園でも一般市民の被害は殆ど出なかった。……不自然だと思わないか? 吸血鬼は人を襲い、喰らう。その連中が、人の少ないところに出現している」


「……!」

 ユナは顔を強張らせ、息を詰める。ルヴィスはそれを横目で見つつ、会話を続けた。


「おかしなことはまだある。王都は曲がりなりにもミズガルズの中心だ。一際強力な結界で守られている筈……だが、市場と公園に現れた吸血鬼はどれも低級だった。本来なら、王都に足を踏み入れることすら敵わない連中だ。奴らは一体どうやって結界を潜り抜けてきた?」


「……。フレイアの仕業ではないのか?」


「その線も無くは無いが……考えにくいな。あいつはそういう手間のかかる事をしそうな性格じゃない。する必要もないだろうしな。

 ……ただ、何れにしろ何者かの手引きがあったことは確かだろう」

「手引き……?」


「吸血鬼を捕らえ、何らかの方法で王都の内部に運んだんじゃないかってことだ。あのレベルの吸血鬼なら、人でもやって出来ないことは無い」


 ユナはあり得ない、という表情で目を見開いた。今までそのようなことが起きたことは一度も無い。吸血鬼は人間の天敵なのだ。かつてアースガルドで起った革命や反乱の中でも、そこで吸血鬼が利用されたなどとは歴史書にも書かれていない。

 

 それでもルヴィスは可能性の一つとしてそれを考慮に入れていた。


 ユナは拳を握り締め、震える声で呟く。

「まさか……⁉ それをジルオール様がやったというのか⁉」

「可能はある。ジークフリートが王になって一番面白くない思いをしているのはジルオールだろう。それに実際吸血鬼を捕らえて王都に運ぶとなれば、多くの人手が必要だ。少なくとも奴には訓練された私兵がある。動機とそれを可能にする手段を併せ持つ人物……それはジルオール意外に考えられない」


 ユナの蒼穹を思わせる澄んだ瞳は激しく揺れていた。

「私には……とても信じられない。私がまだ王都軍の一兵士でしかなかった頃から、ジルオール様にはとても良くして頂いていた。私だけではない。兵士も民も……全員が信頼を寄せていた。ジルオール様はそういう方なのだ」

 

 ルヴィスはユナの横顔を見つめる。彼女がジルオールに寄せる信頼は本物だった。もしかしたらそれはジークフリートに対するもの以上かもしれない。


(或いは………)


 ルヴィスは考えを巡らせた。そして、ぽつりと呟く。

「……。会ってみるか」

「何……?」

 ユナは顔を上げる。


「確かに決定的な証拠があるわけじゃない。ジルオールはまだ王都にいる。会えないわけじゃないんだろ?」

 何より判断を下すには、ルヴィスはジルオールの事を知らなさ過ぎた。


「そうだな……。手配してみよう」

 ユナの表情が若干明るくなる。見通しが立って安心したのだろう。そして、ふと気づいた様に部屋を見渡した。


「そういえば……レーヴァテインはいないのか?」

「ああ。一応検査だとかで連れて行かれた」

「そうか……」

 俯くユナ。そのまま黙り込んでしまった。膝の上で両手の指を握り締める。


「……何だよ、気味が悪いな。変なモンでも食ったか?」

 ルヴィスは軽口をたたいたが、ユナは乗ってこなかった。まるで肺の底から押し出すような声音で呟く。


「……。本当、なのか……?」

「何がだよ」



「お前が……《ヴィルヘルム=シグムント》だという話だ」





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