俺の冒険はこれから始まる。
思考がまとまらず、ぐるぐるする。
迷いの森を抜けた先に広がっていた草原は、なだらかな丘があり、所々に低木が生え、草の丈がマチマチで、腰まで届きそうな丈から俺の背丈を超えるような高さの草まで在った。
俺の知る草原――プリセットで用意されている草原は、膝まで届くかといった草が地平線の彼方まで生え揃っている平坦な世界だ。こんな自然な草原ではない。
壮大な悪戯? まさか! 悪戯の為に用意できる様な規模じゃない。
じゃあ、いったい何のために? だめだ、さっぱり解らん。
森を抜けた直後に唖然として固まってしまった俺を、クレアとターニャは引っ張って村まで連れて行ってくれた。
村についた頃には空が白け始めていたが、村のあちこちで篝火が焚かれ、夜を徹しての捜索活動が行われていたらしい。
俺たちを見つけた村の人が次々集まって騒然としていたが、様子のおかしい俺を気遣ってくれたクレアとターニャ事情を説明し、すぐにお開きとなった。
俺はそのままクレアに連れられ、村の外れに佇む小屋に連れ込まれた。時折訪れる巡礼者の為の宿舎で、寝床もあるし、夜露を凌ぐには調度良いとの事。
クレアはテキパキと寝床を整え、竈に火を入れ湯を沸かし、湯浴み用の桶を用意してくれた。
「……明日、改めてお礼を。何もないですが、ゆっくりと休んで下さい」
心配そうな顔をしながらも、クレアはそう言い残して、宿舎から出て行った。
その間俺はひたすら思考を巡らせていた。
悪戯じゃないなら何なのか? 誰かが用意したものなのか? 何か他の可能性は? まさか、本当に異世界へ転移したとか? はっ、この科学万能のご時世に異世界転移とかアホらしい。仕事中に居眠りして変な夢を見てるって方がよっぽど現実性があるわ。
何か、決定的な何かが欲しい。
迷いの森に、NPC、草原に村までも在る。悪戯だとすれば信じられないような規模だけど、会社ぐるみで俺をハメるために用意した。とかなら不可能ではないだろう。まず、在り得ないが。
夢か悪戯か……転移か。その判断を付けるにはどうすれば……。そこら辺の物をいくら調べたって、悪戯かどうかなんて解かんないし、なにかいい方法は……。
何か無いかと、辺りを見渡すとある物が目に留まった。
クレアが用意してくれた湯浴み用の桶だ。張られていた湯はもう冷めてしまったらしく湯気を上げてないが、問題はそこじゃない。
湯浴み。つまり風呂。風呂といえば脱衣! 脱衣すれば裸! クレアの裸! じゃなくて、俺の裸、正確には俺の身体だ。
俺のアバター情報はローカルに存在する。俺以外にこの身体に変更を加える事は出来ない。もしこの身体に何かしら変化が有れば悪戯ではない事の証明になる。仕事中に居眠りして夢をみてるか、頭がおかしくなって壮大な自作自演を行っているかだろう。後者は考えたくない。
アバターを調べるには自分のパラメータを開いて見ればいいが、もっと簡単に調べられる部分がある。見た目だ。
ぱっと見、現実の人間のソレと見分けがつかないくらい精巧な作りだけど、ゲーム上不要な部分についてはその限りではない。
健全なゲームには必要ない物。むしろ、在ると発売できなくなる危険性すらある。生殖器。つまり、禁則事項とか禁則事項の事である。
この身体の場合パンツが脱げなくなっている。というか、パンツが体の一部である。ソレが脱げることは絶対にない。何しろ、データをして存在してないので仮に脱げたとしてもそこには何もない空間が出来るだけだ。軽くホラーなので想像してはいけない。
ということで脱ぐ。ぱっぱと脱ぐ。上着を脱いでズボンも脱いで、パンツ一丁に。
パンツに手をかけ、覚悟を決める。喉が鳴った。
腕に力を入れ、一思いに一気に下げる! 脱げちゃった! しかもちゃんと付いてる!
……落ち着け、落ち着け。とりあえず、湯浴みをしよう。
温くなった湯の温度をパラメータを弄って適温に戻し、身体を拭いた後、三角座りで桶に浸かる。浸かるといってもお尻だけだけど。
良い考えってのは寝る前とかトイレの中とか風呂に浸かっている時に浮かぶと相場が決まっている、なので浸かる。正直寒い。
目の前にはパンツ。さっきまで穿いていたパンツ。脱げてしまったという純然たる事実。悪戯ではなかった。
夢か妄想か。はたまた転移か。腕を抓ってみる。……痛い。夢でもないのか……。
頭がおかしくなて現実逃避してるならもう少しマシな状況は無かったのか。王侯貴族のような待遇とかあるだろうに、なんで桶に尻だけ浸けてんだ。そろそろ風邪ひきそうだな、服を着よう。
服を着て寝床に横たわると、一気に睡魔が襲ってきた。流石に疲れたか。続きは起きてから考えよう。寝て起きたら現実に戻ってるかもしれない。おやすみなさい。
§ § §
ゴソゴソと気配を感じて目が覚める。
ぼんやりする視界と意識で辺りを見渡すと見慣れない空間と、見慣れない人。ターニャだ。
現実には戻ってない。か、あまり期待はしてなかったけど、少しがっかりだ。
もぞもぞと起き上がる。
「あ、起こしちゃいましたか? ごめんなさい、それと、おはようございます」
「ああ、おはよう。……今、何時だ?」
別にターニャに聞くつもりは無かったが、それとなく口から出てしまった。
「ふふっもうお昼は過ぎてますよ! お礼の準備が出来たので様子を見に来たんですけど、どうします? 寝てますか? ご飯、持って来ましょうか?」
ターニャの言葉にハッとして時間を確認する。朝礼も過ぎてしまったか……。
悪戯ではないと判った時に半ば諦めてはいたけど、なんとも言えない焦燥感が湧き上がってくる。
現実世界に帰れない。こんな訳の分からん状況に一人取り残される恐怖を知らず知らず感じているのか、身体に力が入らず震える。胃が収縮し、きゅーっと痛む。
腹が鳴った。
そう言えばもう丸一日何も食ってない。これはアレか、飢餓感か。
「大丈夫ですか? 立てます? 広場にご馳走を沢山用意してますよ! 村の皆で作ったんです! 動けそうにないならコッチまで運んできますよ?」
ターニャが苦笑いとも心配顔ともとれる笑顔でそう告げてくる。そう言えば、昨日クレアもお礼がどうとか言ってたな。
二人の無事とお礼を兼ねた宴でもするんだろう。此処で一人にされるのも嫌なので付いていこう。
「大丈夫、付いて行くよ。案内してくれ」
そう言って手を差し出すと、ターニャは笑顔で引っ張り立たせてくれた。握られた彼女の手はとても温かかった。
§ § §
ターニャに連れられ、広場に到着した。広場は即席のパーティー会場になっていた。
大きさのマチマチなテーブルと椅子が乱雑に並べられ、料理を盛った皿が各家から次々運ばれてきている。
ターニャに促されるままに一番でかいテーブルに着く。
「ちょっと待っててね。村長呼んでくるから」
そう告げて、ターニャは離れていく。
やめて! 一人にしないで! と思ったけど言えるわけもないでの、適当に相槌かえして離れていくターニャを目で追いつつ、運ばれくる料理をそれとなく見やる。旨そう。
しかし、アレだな。ザ・村! って感じ。何がって言われると辛いけど、こう、爺さん。婆さん。爺さん。婆さん。と見事に老人ばかり。若い人が全然いない。クレアとターニャは若いけど、他に若い人の姿は無い。子供すらいない。
キョロキョロと辺りを見渡してたらターニャがお爺ちゃんを連れて戻ってきた。
彼が村長らしい。
「ようこそ、お客人。クレアとターニャを救ってくれたこと感謝する。ささやかじゃが宴の席を設けたので楽しんでくれ」
そう告げるだけ告げると、村長は離れていった。
「コスモさん。お腹空いているでしょ? たくさん食べて下さい!」
そう言ってターニャは俺の目の前に料理の盛られた皿を差し出してくれた。
ソレに対して、俺は腹で返事を返した。
宴は恙なく終了した。
お酒を飲んで羽目を外すとか、妙に絡まれるといった、もはや定番と言える事も起きず、皆ぽつぽつと集まって二言三言、無事でよかった。助かってよかった。と言い合う位で、あっさりとしたものだった。
俺も、クレアさんが作ったというシチューを何杯かおかわりし、最後にターニャさんが得意だという焼き菓子を食べてお腹いっぱいになり、席を立った。
席を立って借りている宿舎に戻る前に二人に対して声をかける。
「二人共。後で少し話したいことが有るんですけど、良いですか?」
クレアさんとターニャさんも快く返事をしてくれた。片付けを終えたら宿舎まで来てくれるという。
先に戻っていよう。
§ § §
宿舎に戻って少し、約束通りやって来てくれた二人に改めていろいろと話を聞いた。
山賊の檻の中で聞いた話の続きだ。あの時は、設定だと思って話半分に聞いてたけど、そうじゃないかも知れない以上……いや、誤魔化すのは止そう、そうじゃない以上しっかりと聞いておきたい。
迷いの森の事。
霊峰について。
草原に何か謂れがないか。
この村の事。
クレアさんとターニャさんの事。
二人は昨日既に聞いたことでも嫌な顔ひとつせずに丁寧に答えてくれた。
霊峰や迷いの森は前に聞いいた通り。草原についての謂れなどは聞いたことがないそう。
この村は霊峰までの道程の最後にある集落で、森を抜けるために昔の巡礼者が拓いたのだそうだ。
時折巡礼者がやって来る以外は特に何もなく、一番近い町までも徒歩で十日もかかるという。
この村が年寄りばかりなのは、死ぬ前に一度と巡礼の旅に出て、ここまで辿り着きそのまま住み着くからだとか。
若い巡礼者もいないわけでは無いが、そういう人達はこの村に住み着くようなことはない。
クレアさんとターニャさんは、赤ん坊の頃に巡礼者の一団に連れてこられたのだそう。彼らは、赤ん坊の二人を村に預け、霊峰に向かったがそのまま戻らなかったという。それ以来、村の子供として皆に大切に育てられたのだという。
話しづらい事もあっただろうに、聞いたことに言葉を濁すようなこともなく、ちゃんと答えてくれた彼女らに俺も誠意を持って応えたい。
次は俺が話す番だ。彼女らも気になっているだろうし。
「クレアさん。ターニャさん。二人に聞いてもらいたい話があるんです。聞いてもらえますか?」
改まった俺に対し、二人も神妙に頷き合い、真剣な顔を向けてくれた。
「コスモさん。その前に一つ良いですか?」
クレアが、待ったをかけた。何だろう? 続きを促す。
「その、どうして、いきなりさん付けに?」
「そうそう! 最初は話す度に呼び捨てにされて、むっと思ったけど、それが突然さん付けになるなんて変!」
それはNPCだと思ってたからです。
最近のNPCはそうでもないけど、古いNPCはよく会話をトチっていた。スムーズに会話を成立させる為のコツのようなものが幾つかあり、そのうちの一つが“話しかける時は敬称をつけずに名前を呼ぶ”というもので、他にもNPCが理解しやすいとされる言葉を選んで話すとかがある。
思い返せばかなり失礼な態度であっただろう。この歳にして女性に馴れ馴れしく話しかけるという黒歴史が追加されてしまった。
「その辺も、順を追って話します。……戻したほうが良いですか?」
「特に深い理由が無いなら、戻して下さい。今更コスモさんに改まって話されると背中がムズムズします」
クレアがそう言い、ターニャも頷いてみせる。
「分かりました。じゃあ、これからもクレアとターニャと呼びますね。それで、俺の事について何ですが――」
非常に説明の難しい事もあったけど、順を追って説明した。
自分の生い立ち。
元居た世界の事。
仮想世界だと思ってた事。
草原にダイブした事。
山賊に捕まった事。
開発用コンソールの事。
二人をNPCだと思ってた事。
「……にわかには信じがたい話ですね」
俺もそう思います。
「でも、信じます。コスモさんにはずっと言い知れぬ違和感のようなものを感じていたんです。
山賊に捕まったというのに取り乱す様子もなく余裕の態度。通じない言葉、かと思えば突然ちゃんと話しだす。檻を簡単に壊してしまう怪力。
それらが、今の話を聞いてすとんと、落ちるべき処に落ち着いた、というか、ああそうだったんだと納得してしまいました。なので、信じます」
そう言って、クレアは微笑んだ。
不覚にも涙が出そうだったので、上を向き眉間に力を入れて堪える。嬉しかった。信じてくれたことがとても嬉しかった。
ターニャは俯きがちに何度も頷いている。寝ているんだろう。
此処でプロローグ終了です。お疲れ様でした。
ここまでお読みいただき有難うございます。




