【閑章】ありふれた日々の中で
これは、今より二年ほど前。
まだ三人が学生だった頃の話――。
「おはよう~!」
朝の光が降り注ぐ中、チコは栗色のポニーテールを弾ませ、校門を潜り抜けた。
「おはよう、チコ」
「おはよう!」
「今日は宿題、ちゃんとやってきたか~?」
「うっさい! ……きょ・う・は! ちゃんとやってまーす」
揶揄うような声へ舌を出せば、友人たちから楽しげな声が飛び交う。
いつもと変わらない朝。
通い慣れた学園に、気兼ねなく笑い合える友人たち。
廊下ですれ違う顔馴染みと挨拶を交わしながら教室へ向かうと、窓際の席には既に見慣れた二人の姿があった。
「おはよ、ルティ、ルチル!」
「チコ、おはよう」
「おはよう」
一人は、やわらかな雰囲気と愛らしい笑顔で自然と人を和ませる少女――ルティエ。
もう一人は、中性的な容姿と凛とした佇まいが目を引くルチル。整った顔立ちに落ち着いた物腰も相まって、女子生徒たちから密かに憧れを集めている。
並んで座る二人の姿は、朝の教室にすっかり馴染んでいた。
チコはこの二人と過ごす時間が多い。
「聞いてよ、朝から宿題のことで馬鹿にされたんだけど!」
「あら。今日はちゃんとやってきたの?」
「ルチルまで!?」
ルティエがくすくすと笑い、ルチルも僅かに口元を緩める。
そんな二人を見ながら、チコは不満そうに頬を膨らませた。
◆ ◆ ◆
退屈な授業をどうにか乗り越え、待ちに待った昼食の時間。
授業終了の鐘が鳴るやいなや教室を飛び出したチコは、学食で目当ての品を手に入れると、いつもの席へ意気揚々と戻ってきた。
「ルティは今日もお弁当?」
「うん。夕食の残り物だけれど。チコはお目当てのもの、買えた?」
「ばっちり! 授業が終わった瞬間、走ってきた甲斐があったよ」
得意げに掲げた皿には、学食で人気のオムライスが載っている。
「危ないから、廊下は走らない方がいいんじゃない?」
「ルチルってば、先生みたいなこと言わないでよ……」
不服そうに返しながら、チコは二人の向かいへ腰を下ろした。
ルティエとルチルは持参した弁当を、チコは念願のオムライスを口へ運ぶ。
今日の授業が退屈だったとか、誰と誰が喧嘩したらしいとか。
他愛もない話に花を咲かせているうち、チコはふと何かを思い出したように顔を輝かせた。
「そういえばさ。ウィルが誕生日、一緒にお祝いしてくれるんだって!」
「ウィルって……前に話していた幼馴染の?」
ルティエが記憶を手繰るように首を傾げる。
「確か、去年から付き合い始めたって……」
「彫金屋さんの息子さんだよね。以前見掛けたことがあるけれど、優しそうなお兄さんだった」
「あ、ルチルは見たことあるんだっけ」
嬉しさを隠しきれないまま、チコは照れ隠しにひと口頬張った。
「年上なんだよね?」
「うん、三つ上。まあ……ずっと一緒にいるから、恋人になっても今までとあんまり変わらないんだけどね」
そう答えながらも、頬が緩んでしまう。
正面から注がれる微笑ましげな視線に気づき、チコは途端に気恥ずかしくなった。
「な、なによ」
「ふふ。幼馴染って、そういうものなのかなって」
「そういえば、ルティとルチルも幼馴染だよね。いつからの付き合いなの?」
「うーんと……ルチルがこの町へ来た、五歳くらいの頃?」
ルティエは記憶を辿るように視線を上げた。
「そうだね。ちょうど私の六歳の誕生日のあとだった」
その傍らで、ルチルが迷いなく頷く。
まるで昨日のことのように憶えているらしい。
「へえ。じゃあ、もう十年くらい一緒にいるんだ」
なるほどなぁ、と二人を見比べたときだった。
「ルティ」
呼びかけに振り返ると、傍には同じクラスの少女が立っていた。
「先生が、午後の授業の準備を手伝ってほしいって」
「うん、わかった。……ちょうど食べ終わったし、わたし行ってくるね」
「ほいほーい。いってらっしゃい」
「大変だったら呼んでね。手伝いに行くから」
ルチルの声に、ルティエはやわらかく微笑んだ。
「ふふ、ありがとう」
空になった弁当箱を抱え、友人とともに食堂を出ていく。
その後ろ姿を、ルチルの濃紺の瞳が追っていた。人の行き交う入口から姿が見えなくなっても、すぐには視線を戻そうとしない。
先ほどまでの凛々しい横顔は、本人が見たら驚くほど穏やかに緩んでいる。
チコは頬杖をつき、しばらくそんな彼女を眺めていた。
「……拗らせてるねぇ」
「……何が?」
ルチルは何事もなかったように、再び弁当へ箸を伸ばす。
その顔はいつもと変わらず澄ましていたが、僅かに泳いだ視線をチコは見逃さなかった。
「いや、なんでも」
皿に残っていた最後のひと口を頬張り、意味ありげに笑う。
「……あたしは、良いと思うんだけどね」
ルチルは何も答えなかった。
ただ、弁当へ伸ばしかけた箸が、ほんの一瞬止まる。
その横顔に微かな翳りが差したのを、チコは黙って見つめていた。
◆ ◆ ◆
放課後、校舎を出たところで、ルティエがチコを振り返った。
「チコ、一緒に帰ろう」
「あ、ごめん。今日はこのあと、約束があって」
「ウィルとでしょ?」
ルチルに言い当てられ、チコは照れ臭そうに笑う。
「それなら、私たちのことは気にせず行って。またね」
「ばいばい、チコ。また明日ね」
「うん、ありがと! またね!」
手を振り合い、それぞれの帰路へ向かう。
肩を並べて歩いていく二人の背中を、チコはその場でしばらく見送った。
ルティエが何かを話せば、ルチルがそちらへ顔を傾ける。
その横顔は、昼休みに見たものと同じように穏やかだった。
二人の姿が夕暮れの街並みへ溶けていく。
チコは小さく笑うと、待ち人のいる方角へ足を踏み出した。
「……うまくいくといいな、あの二人」




