第一章【5】運命の再来
仄暗い薄灯りから一転。光の海と化したルミエスタの町は、人々の歓声に包まれていた。
昼の水碧瑞々しい景色との対比に誰もが見惚れている。
しかし、ルティエ一人だけがこの場にそぐわぬ謂れ無き不安に支配されていた。
『たすけて……やめて……!』
心を劈く悲痛な叫び。
それはあたたかく沁み入る従来の精霊たちの声とは非なるものだった。
「あっ……!?」
「ルティ?」
突如胸の奥に走る衝撃にルティエは思わず蹲る。
物理的な痛覚とは反し、心の奥で激しい火花が散るような、これまでに無い感覚。
ぐわんぐわんと頭の中を掻き乱される心地悪さに、冷汗が止まらない。
(いったい何が起きているの……?)
「ルティ、どうしたの!? どこか具合悪い?」
「顔色がよくない…とりあえずベンチで休もう。立てる?」
友人の蒼白い顔を目の当たりにし、ルチルとチコが咄嗟に寄り添う。
ふらつくルティエを支えながら橋から離れた途端、追い打ちをかけるような出来事が起こった。
ゴゴゴゴゴゴ……
地鳴りだった。野太い唸りが地底から町全体を揺さぶり、小刻みに鳴動している。
木々や街灯が大きく揺れ動き、建物のあちらこちらから不穏な軋みが聞こえてくる。
それまで夢見心地であった町人らは、予期せぬ事態にたちまちパニックに陥った。
激しい揺れでこそ無いものの、地震などとは所縁の無い土地柄だ。不運にも川岸に集まっていた人々は、恐怖心から橋の欄干に必死にしがみついていた。
為す術なく縮こまる人、半狂乱に泣き叫ぶ人、河から離れろと大声で指示を出す人……
「きゃあああぁぁ!」
「二人とも、動かないで…!」
身を寄せ合いながらも生きた心地がしないまま震えるルティエとチコ。
そんな二人を宥めようと肩を抱きながら、周囲に気を配るルチル。
だが、それだけでは終わらなかった。
揺れと連動していると思われた運河の流れが次第に重力の柵を抜け、幾つも宙へと舞い上がったのだ。
巨大な渦を形成しながら立ち上る様は、暴れ狂う水蛇がとぐろを巻いているようだ。
そして……水流の一つが勢いよく河沿いの建物へと叩きつけられた。
轟音、衝撃、爆風、飛沫、崩壊――
至るところから叫び声がとどろき、大勢が逃げ惑う。
舞い上がった砂埃の中、一部崩落した建物が尚も青白く照らされている。
数分にして様変わりした日常を受け止め切れず、ルティエは言葉を失っていた。
チコもまた恐怖に慄き身動きが取れず、ベンチに縋りついたまま動けずにいる。
「なに…なんなの、これ……!」
その時だ。運河から離れようと走り出す人々の流れを避け切れず、二人を庇うルチルが勢いに押し退けられ、石畳の上に倒れ込んでしまう。
「……っ!」
「ルチル!」
転んだ拍子に、きらりと金色の光が宙を舞った。
石畳を跳ねるそれは、ルチルがいつも肌身離さず身に着けているペンダントだった。
水晶の中を黄金色の針結晶が幾重にも走り、見る角度によって表情を変える、ひときわ美しい輝石だ。
痛みを堪えながらも弾かれたように起き上がると、地面に転がったそれを急いで両手で拾い上げる。
ぎゅっと胸元へ抱き寄せた彼女の表情から、焦燥がゆっくりと安堵へ変わってゆくのがわかる。
「良かった……」
(あれは……わたしが贈ったペンダント?)
彼女が手にする煌めきには見覚えがあった。
数年前の誕生日に贈った、ルチルクォーツの首飾りだ。
(まだ持っていてくれたんだ……)
「ルチル、危ない!!」
そんな思考に耽る間も無く、チコの叫び声で我に返る。
手元に気を取られていたルチルを覆う翳りが濃くなってゆき、顔を上げた頃には幾つもの暴水が首をもたげ、彼女へ喰らいつこうと迫っていた。
ふらつく身体を懸命に奮い立たせ、ルティエは考えるよりも先に走り出す。
何が出来るかわからない。
何も出来ないかもしれない。
それでも、彼女が傷つく姿をこのまま見ていることなど出来ない。
己の心に従い、両手を広げて渦流の目前へと立ち塞がる。
……が、いざ襲い掛かろうと向けられる恐怖に心臓を掴まれ、足が竦む。
浅く掠れた呼吸が耳奥で響き、無意識に瞼を閉じてしまう。
「ルティ、駄目! 下がって!!」
こわい。逃げ出したい。
けれど、ルチルを守りたい。
だれか――
…ハッとする。
あの声……棘鎖で魂を締め付けられたように痛々しく、酷く哀しげな叫び。
頭の中で反響する「たすけて」という言葉。
(あれは…精霊たちが叫んでいたんだ!)
何故すぐに気が付かなかったのだろう。
普段彼らが発する清々しい心地とは似ても似つかない、あまりに痛烈な感覚だったせいだ。
きっとこれは、拒絶。
精霊たちが運河に施されたレクス・マキナを拒んでいる。
しかしそれが判明したところで、一介の町娘である己に為す術など無い。
ルミエスタでの実証実験はあくまで始発。今後このリヴェラ皇国全土…勿論皇都にも導入される国家プロジェクトだ。止める手立てなど持ち合わせていない。
(どう、すれば……)
恐怖と失意に突き落とされ、ルティエの心は自身の限界を感じていた。
彼女に許されるとするならばそれは、祈ることだけ――
◆ ◆ ◆
「……防ぎ切れなかったか」
崩落した瓦礫から砂塵が舞う中、ぱらぱらと霜が落ちる。
咄嗟に展開した魔導障壁だったが、衝撃を緩和する程度にしか至らず、完全に防ぎ切る事は叶わなかった。
「あ、ぁああ……」
「町長。至急避難を。それから被害状況の確認と住人の安否、怪我人の搬送を行ってください」
荒ぶる濁流に吞まれ、町は混乱を極めていた。
住民らは我先にと町外へ走り出し、広場に残ったのは彼の従者数名と腰を抜かした町長のみだった。
「ま、町が…運河が……ど、どうすれば…!」
「こうなる可能性が皆無だったとは思いますまい。実験に失敗は付き物だ」
「それはそうだが! 帝国の持ち込んだレクス・マキナのせいではないのか!? なんとかしてくれ!」
町長の詰問一つ、まるで動じる様子も無く。
『銀氷侯爵』であるアルジェント・フォン・セレナードは手袋を正す。
「御意。ですがここはリヴェラ皇国……生憎私の部下の大半は帝国だ。故に、出来る事に限りがある。ご協力いただきたい」
軍靴を鳴らし、迷いなく運河へと歩み出す。
狂風に靡く純白の軍服。威光と誇りを宿した勲章がその胸で皓々《こうこう》と輝いている。
「それに、原因が魔導具そのものである確証も未だ無い。ここは私達に一任を」
氷の如き視線に射貫かれ、町長は不満を吞み込みながらも渋々と避難を始めた。
短く溜息を吐き出し、やれやれと振り返る。
「……ジル。マリウス」
「はい、アレン様」
「はっ、ここに」
低く名を呼ばれ、控えていた二人の男が頭を垂れた。
片目を隠す濃茶の髪と、すらりとした長身が目を引く、どこかニヒルな雰囲気を内包した青年。
片や、端正に切り揃えられたプラチナブロンドと、青と赤のオッドアイが印象的な、美麗ながらどこかあどけなさを残す青年。
そのどちらもが、彼の忠実なる部下であった。
「ジルは噴水の魔導具、並びに水門ごとに設置された子機を調べ、データを収集しろ。マリウスは暴走した運河の鎮圧に当たれ。俺は原因を調査する」
「随意に」
「了解致しました」
各々が短く受け答え、与えられた任務へと迅速に向かってゆく。
アルジェントもまた、荒れ狂う光の根源を探る為に己の魔力を研ぎ澄ます。
「……まったく。帝国ならばまだしも、この様な他国の僻地でまで仕事が増えようとは」
実に厭わしく、気怠げな声色で。
彼の口ぶりからは、大事を案じている様子がまるで無い。
「俺がここへ来た意味があるのか。確かめねばなるまいな」
しかし冷徹な思考の底で、説明のつかない微かな胸騒ぎを感じていた。
まるで——ずっと昔に失くした何かを想い出させるように。




