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第一章【4】銀氷侯爵との出逢い

 皇都の北東に位置するルミエスタは、のどかな観光地として知られている。

 町外れの森には運河の源流となる泉があり、女神アリシャの加護が強い土地として、敬虔《けいけん》な信徒が遠方から巡礼に訪れる。

 皇都からは馬車で三日も掛かるうえ、泉のほかに人を呼び寄せるようなものもない。巡礼者を除けば、町を訪れる者はさほど多くなかった。


 ところが、町の中央に座する広場は、いつもより明らかに人通りが多く、どこか物々しい雰囲気に満ちていた。


「なんか……人が多くない?」


 いち早く異変に気付いたチコが、周囲の視線を辿るように、群衆の隙間を進んでゆく。

 ルティエとルチルもその後を追いかけると、数分後には役場の前へと辿り着いた。

 そこには、美しい金装飾が施された貴族用の馬車が停まっていた。

 穏やかな瞳をした白馬が繋がれ、その傍らには従者たちが毅然《きぜん》と控えている。御者台に座る男もまた、姿勢ひとつ崩さず前を見据えていた。


「すごい……誰か偉い人でも来てるのかな」

「ちょっとルティ、本気で言ってる? さっきの話忘れちゃったの?」

「もし侯爵が本当にこの町に来てるなら、まずは町長に挨拶、だよね」


 普段目にする事の無い高貴な一行を前に、小柄な身を乗り出し詠嘆の息遣いを零すルティエ。

 本来の目的すら忘れかけた様子に、ルチルとチコは苦笑を浮かべる。

 彼女の都会や流行に対する憧憬《どうけい》は夢見がちな少女そのもので、付き合いの長い二人はその事をよく理解していた。


 遠方からの行商人が町にやって来ては、欠かさず露店を覗きに足を運び。

 彼女の部屋の本棚に並ぶ皇都や帝国発行の雑誌は、ページが擦り切れるほど幾度と読み返した痕がある。


「なになに? さっきあたしが話した時は全然興味なさそうだったくせに~」

「それは…現実味が無かったというか、いざ目の前にするのとは違うというか……」


 もごもごとバツ悪そうに口ごもる彼女の様子からして、本当は興味津々であったにもかかわらず、必死に平常を装っていたようだ。

 ここではしゃいでしまっては子供のようだと、淑女らしい慎みを決め込んでいたのだろうが……隠しきれていない好奇心の覗く瞳が、その努力を台無しにしていた。


「まあでも、それだけキラキラしたルティの顔が見れれば、噂を持ち込んだ甲斐があるってものね」


 えへん、と得意げに胸を張るチコ。

 彼女が息を切らしてフィオニア家に飛び込んだのは、単なる自分の欲だけでなく、純粋に友人の喜ぶ顔が見たかったからなのかもしれない。

 そんなチコを見つめ、ルチルはわずかに目を細める。

 一方で、今朝目にした馬車はこれだったのかと、事の経緯をひとり静かに落とし込んでいた。


「あ、誰か出てきたよ!」


 年老いた町長の隣を歩く男性は、およそこの町には似つかわしくない、研ぎ澄まされた気品を纏っていた。


 すべてを見透かすような深い氷青の瞳。その縁では、銀世界を思わせるアイスブルーの髪が光を受けて煌めいている。

 すっと通った鼻梁《びりょう》に、端正な唇。ひとつひとつの造形があまりにも美しく、まるで絵画から抜け出してきたかのようだった。

 長身を包む白の軍服には、聖剣と魔導術式を描いた帝国旗由来の勲章が留められ、その威厳を雄弁に物語っていた。


 その場に居合わせた誰もが、その圧倒的な存在感に言葉を失っていた。


(なんて……美しい方なんだろう)


 ルティエはまるで物語の中に迷い込んだような、地に足のつかない心地で、ただただ彼に見入っていた。

 こんなにも綺麗な人が、本当に存在するなんて。

 平凡な人生を送ってきた自分とは、あまりにも掛け離れた空気を纏っている。同じ世界に生きる人間とは思えないほどだ。


「……あれが、銀氷侯爵様……」

「やば……イケメンどころか、存在が国宝級じゃん……」


 視界が縫い留められたかと錯覚するほど、誰一人として彼から目を離せなかった。

 立ち居振る舞いの端々にまで、高貴な生まれが滲んでいる。

 普段はお調子者のチコでさえ、すっかり気圧されたように立ち尽くしていた。その声も、いつになく小さい。


 不意に、その端整な面差しがこちらへ向けられた。

 わずかな変化も見逃さぬような、堅氷を思わせる双眸。

 その視線と交わった瞬間――


 どくん、と。


 ルティエの心臓が、ひときわ大きく脈打った。


 これほど大勢の見物人がいるなかで、まさか自分と目が合うなど、予想だにしていなかった。


 その一拍を追うように、胸の奥で鼓動がみるみる速さを増してゆく。

 けれど、ほどなくして違和感を覚えた。


 その眼差しは、ルティエを捉えてはいなかった。

 周囲の視線につられるように隣を見遣う。


「……ルチル?」

「なんか…見られてない?もしかして面識ある?」

「いや。さっきも話したけど一方的に知ってるだけで、初対面だけど…」


 眉根を寄せ、いかにも怪訝そうに答える幼馴染。


(…今朝、視線が合ったのを覚えてるのかな)


 彼女自身はまるで興味など欠片もないと言わんばかりに、飄々と構えている。

 しかしそのすぐ隣では、ルティエの内心で激しい羞恥の嵐が巻き起こっていた。


(恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい――!!)


 よもや月並みの容姿である自分を見てもらえたと思い込むなんて…!

 美人で、聡明で、十人いれば十人の眼を惹く、完璧な淑女であるルチルが隣にいるというのに。

 なんて自惚れ屋で、身の程知らずなんだろう。

 心のどこかで期待してしまった自分を、今すぐ地中に埋めてしまいたい。


 声にならない叫びが行き場なく燃え上がり、熟れた林檎にも劣らぬ真紅となって頬を染め上げる。

 胸裏《きょうり》に渦巻く動揺を抑えきれず、思わず両手で顔を覆った。


「……ルティ、どうしたの?」

「なんでもない……ちょっと、穴を掘りたいだけ……」

「???」



 ◆   ◆   ◆



 帝国からの大物到来の話題は、半日も経たぬ間に町中に知れ渡っていた。

 町の輪郭が夕闇に溶け始めた頃、買い物を終えたルティエとルチルは河の畔のベンチで一休みしていた。

 公園のワゴンから購入したワッフルが、手の中でほんのり温もりを感じさせる。


「付き合ってくれてありがとう、ルチル。おかげでいつもよりたくさん買えちゃった」

「どういたしまして。一人じゃ大変なんだから、いつでも声掛けてって言ってるのに」

「いやいや、手伝って貰えるだけでありがたいのにそんな……」


 ホカホカのワッフルに挟まれたホイップクリームを、艶々しいチョコレートソースの滝が彩っている。さらに雪のような粉砂糖までまぶされては、かぶりつく誘惑に抗えるはずもない。

 一口頬張れば、サクサクとした歯応えの中にふわっととろける甘さが口いっぱいに広がる。


「んん~~おいひい……!」

「ふふ。一ヶ月前に食べてから、また行きたいってずっと楽しみにしてたもんね」

「この味が忘れられなくて…暫く節約、頑張りました!」


 至福の笑みを満開に咲かせるルティエを、ルチルは穏やかな眼差しで見つめていた。

 両手いっぱいの荷物を抱えて歩いた疲れさえ、不思議と軽くなるようなひとときだった。


 最後の一口を放り込み、香味の余韻に浸るルティエ。

 しかしすぐに、周囲をきょろきょろと見回し始める。


「ルティ、どうかした?」

「……今気づいたんだけれど、なんだかすごく静かなの。いつもは精霊たちが水辺や花の周りを飛んでいるのに……見当たらなくて」


 花のような笑顔が、ゆっくりと曇ってゆく。

 彼女にとって精霊たちの光が存在しない景色は、なんとなく異質なものだった。


「ルティ! ルチル!」


 胸のざわめきの答えもわからぬまま、遠くからチコの明るい声が耳に届いた。

 二人が買い物をしている間も、銀氷侯爵の噂を尋ね歩いたり、広めたりと、あちこち駆け回っていたらしい。


「これから例の魔導運河の実証実験が始まるんだって!」

「えっ、こんな時間から?」

「ふっふっふ~……それがね。…まあ、見た方が早いか」


 言い掛け、何故か得意げな笑みを浮かべるチコ。

 人通りの少ない、広場が見える小さな橋の欄干まで二人を手招いてゆくと。


「ほら…始まるよ」


 広場の噴水の前に、昼間目にしたあの美しい青年が佇んでいた。

 遠目にその姿を捉えただけで、ルティエは先ほどの居た堪れない気持ちを思い出し、むず痒い心地になった。

 それでも、小さく息を吐いて気持ちを整える。


 手袋を嵌めた指先を台座へとかざし、薄い唇を静かにひとこと、動かす。

 距離の離れたルティエたちの元にその声までは届かなかった。

 が、直後幾重にも重なる美しい魔導術式が彼の手から浮かび上がり、周囲を冷ややかな氷霧で包み込んでゆく。


 誰しもが魔導の発動を察知した、その時――

 噴水から溢れ出す澄んだ瑠璃色のさざ波が、町中を繋ぐ水路を滑るように駆け抜け、煌々と染め上げてゆく。

 人々が息を呑む間に、仄暗いルミエスタの夜は幻想的な眩さへと変貌を遂げていた。


「わあぁ、きれい!」

「すごっ……! 実際に見ると想像以上じゃん!」


 三人はしばらく幻想的な光景に言葉を失っていた。

 そして、チコが思い出したように口を開く。


「聞いた話によれば、レクス・マキナを導入するついでに、運河をライトアップして観光資源にしようって事らしいよ」

「そういう情報、ほんとどこから仕入れてくるの」


 各々が感心を示しながら、透き通る光の底を夢中で覗き込む。

 さゆらぐ波紋に照らされる少女たちの心も、また同様に震えていた。


『………たすけて、』


「……えっ?」


 しかし、水面下から微かに響いた不協和音は、容赦なくルティエたちを呑み込もうとしていた。


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