8 母子
「おい! この店は何なんだ! 全く酷い!」
乱入した珍客は喚き立てていた。
赤ん坊のように顔がぷっくり肥った中年の男で、小さな灰色の目は神経質そうにキョロキョロ辺りを見渡していた。
丸い顎と、癇癪持ちそうな赤ら顔。
政治家によくあるちょび髭で、黒い髪の毛に白髪がちらほら混じっている。
「この汚い餓鬼が、この私の革靴に油をかけおった! 幾らしたと思ってるんだ」
「うわぁぁぁん!」
男の腰ほどの背丈の男の子が、泣きながら引きずられている。
耳を引っ張られながら、男に連れてこられたらしい。
「ロイス様、本当に申し訳ありませんっ、お許しください!」
後ろから半狂乱になった若い母親が走り込んできた。
「目を離したわたくしのせいです、この子は硝子製のランタンを見たのが初めてだったのです。ロイス様がいらっしゃるとは夢にも思わず……罰するならどうかその子でなく私を」
「いや、この国は自由と平等だ。王政は崩壊し、真なる平等がもたらされた」
ロイスはにちゃりと嫌な笑みを浮かべた。
「罰は本人が受けねば意味がない! 平等な国なのだ、我が国は」
「お願いです、その子はまだ6つなのです」
「だめだ。上級政治家に反逆したものには粛清を。例外は認めん」
「ただ、油壺を零してしまっただけなのです。ロイス様を害する意図など」
「さあ、どうだかな? お前、私に口答えをするならば、望み通り同じように罰を与えてもいいのだぞ。ギロチンとまでは言わん、鞭で許してやろう」
「そんな。それだけは」
母親が絶望の表情で蒼白になった。
鞭といってもベルトのようなやわい代物ではない。
刑罰・拷問用の鞭は、皮膚を切り裂くために作ってある。
子どもの柔らかい肌などひとたまりもないだろう。
「代わりに私が罰を受けます! ですから、その子はお許しください」
アスタリヤは隣で繰り広げられるその光景を、冷静な瞳で見ていた。
「ジェイン。あの人は?」
尋ねると、ジェインが信じられないものを見る目でアスタリヤを見た。
「アスタリヤ様、どうなさったのです……!? ロイス卿を知らないなんて」
「ごめんなさい、なんだか離婚のせいか、環境の変化で頭が混乱していて」
と、苦し紛れについた嘘を心優しいジェインは信じたようだった。
気の毒そうに顔をしかめてまばたきをすると、ジェインは小声で耳打ちした。
「革命家のロイスです。私だって知ってます、あの人だけはいけません、近付いては……! 何千人、いえ、何万人も断頭台に送っているのです。自分の革命に邪魔な物は消すという人物です」
自分が愛妾『カミラ』だったときの記憶をぼんやりと思い出す。
戦に負け、王に献上される日までのカミラは、美女として持てはやされてこそきたが、親に愛されて何不自由なく過ごしてきたというわけではなかった。
父は初めから共に暮らしていなかった。それも人から後から聞いた話だ。
カミラが言葉を話し始めるかどうかといった時分に、酒場で働いていた母は、酒樽の上に娘を座らせたまま別の男と駆け落ちした。
幼いカミラはそのまま酒場の女将の家に居候しながら、住み込みで働いた。美貌に目をつけた金持ちに買い上げられ、男たちのところを渡り歩いて、最終地点が隣国の王城だったのだ。
(母親……ね)
息子をかばおうとする女は、お世辞にも力があるようには見えなかった。
しかし、必死で子を守ろうとする覚悟に満ちていた。
(私には無かった物だわ)
アスタリヤはゆっくりと、不適にほくそ笑むロイスの元へ近付いた。
「ご機嫌よう。失礼ですけれど、その子どもが何かしましたの?」
「なんだお前は」
「伯爵家が長女、アスタリヤですわ」
「ふん、革命の後では公爵も伯爵も無い。国民は平等であり、権力が全てを司る。それで、貴族のお嬢様が何のご用件で?」
「新しい靴をお選びになったほうがよろしいですわ。よろしかったらわたくしにプレゼントさせてくださらない。あなたの足にぴったり合う物があるといいわ」
ロイスは、アスタリヤを上から下までなめ回すように見た。ずる賢い獣のようだ。
「あなたのような小娘に、贈り物を貰うようないわれはありませんな。それに、何を貰ったとて同じですよ。私に歯向かう者を粛清するのが私の仕事なのでね。子どもでも容赦しないと、世間に見せつけてやらねばならんのです」
ニヤッと笑って、ロイスは傍らの子供の耳をいっそう強くひねりあげた。
「ちょっと……!」
アスタリヤが声をあげたそのときだった。
誰かが階段の上から降りてきた。




