35 暴露
「アスタリヤ!」
うなり声をあげる猛獣のようだったジュールが、一転して飼い犬のようになる。
紫に光っていた右手も、シュンッと光が収束しておとなしくなる。
レイクが安堵の溜息をついた。
ジュールはアスタリヤと向き合った。
処刑の直前の簡素な衣服に着替えさせられている。
こんな思いを二度もさせるなんてと思うと怒りがこみ上げてくるが、まずは目の前のアスタリヤを労りたい。
「もう大丈夫なのか。縄は……痛くはなかったか」
と、ジュールは訊ねた。
「ええ。経験者ですから」
「しかし、首にも手首にも跡がついている。処刑の係は誰だ。新人か? 俺ならもっとうまくやれたのに」
「そうね、あなたのやり方は上手だったわ。でも、ジュール。それはともかく、お話したいことがあるの」
「ああ、もちろん、アスタリヤ」
しかし、直後ジュールの顔がけわしくなった。
アスタリヤの後ろから、若く美しい青年が現れたからだ。
商会の若頭のティルトだ。
ジュールの右手がまた少しずつ淡く光り出す。
レイクがそわそわし始めた。
周りを取り巻いていた市民たちの内、娘たちの間から笑い声の混じった囁きが漏れた。
ティルトはその凜々しく華やかな風貌から、若い娘たちに人気がある。
「失礼いたします。エスター商会のティルトと申します。ジュール殿にお聞き頂きたいことがありまして、参上いたしました」
と、言ったティルトはアスタリヤに腕をとられている。
エスコートするのは紳士のたしなみではあるが、ジュールの眉間には皺が寄った。
「どういうことか説明してもらおう」
成り行きを見守っていたフィリップは幸運に感謝した。
あの、ティルトが自分からここにやってきた!
と、いうことは、きっと、デタラメと思っていた話が当たっていたのだ!
(ざまあみろ、アスタリヤ! 神は俺に味方した!)
フィリップはジュールのブーツに追いすがるようにして訴えた。
「ご覧下さい! ティルトとアスタリヤは、仲睦まじく腕を組んでおります! 私の進言は間違ってはいなかった! アスタリヤ、恥を知るがいい。お前は若い男と浮気をして、ジュール殿の心を著しく傷つけたのだ」
ティルトが前に一歩進み出た。
「僕……いや、わたしは……」
凜とした目元。
ティルトは確かに美男子だ。
女ならばよっぽどの美人になったに違いない。
フィリップが思わずぼうっと見ていると、ティルトがじろりと足下に視線を落とした。
「わたしは――女だ」
「お……おんなァ!?」
フィリップは思わずのけぞった。
どう見ても美男子だ。
いや、しかし、言われてみれば線が細いような気もするが……。
「なっなっなっ……!」
地べたにへたりこむフィリップをアスタリヤは哀れな者を見る目で眺めた。
「だからね、この子と私に子どもなんてできようがないのよ。ジュールから書状の内容を聞いて、なんというデタラメかしらと笑ってしまったわ、フィリップ。あなた、どうにかして私を陥れたいのね。その執着心を何か別の物に向けられたら良かったのに。可哀想な人」
ティルトは何かの吹っ切れたような目をして、衆人環視の中、ジュールに訴えた。
「わたしはエスター商会の一人娘で……跡継ぎがいなかったのです。婿をとるよりも、自分で経営をしたかった。だからこうして男装をして、男のふりをしていたのです」
「う、嘘だ。信じられない」
と、フィリップが言った。
「事実よ。あのね、体に触れたら、男か女かなんて簡単に分かるわ」
「うっ嘘をつけ。そんなことできるわけない」
「できるのよ。私、――悪女だから」
アスタリヤは微笑んだ。
「商会で出逢って腕に触れたとき、ティルトが女性だって確信したわ。だけどずっと隠していたのでしょう? 言わなくてよかったのに」
ティルトは儚げに佇んでいた。
しかし意思の強い瞳になると、はっきりと顔をあげた。
フィリップに、というよりは、その場で彼らを取り巻いている一般市民や兵士たちを意識した顔だった。
「アスタリヤ様には分かっていたでしょう。わたしが苦しかったとき、屋敷で休ませてくださった。それなのに取引も継続して、秘密も漏らさずにいてくれた。恩義以外に何がありましょう。今はあなたの窮地です。わたしの秘密が暴かれるくらい、アスタリヤ様の命に比べたら何でもありません」
周囲で見ていたご令嬢たちは、歴史的な事件の裏で起こった、このセンセーショナルな展開を固唾を呑んで見ていた。
が、ある女性がポソリと呟いた。
「どうしよう、なんか、はまりそうだわ」
「ティルト様が女性だっただなんて……だけど、こうしてみると、男性のステキなところをかき集めたような存在だわ」
「なんだかまるで宝を掴んだような気持ち」
「ああっ、アスタリヤ様を見るティルト様のまなざし! 何かしら、女の身であんなに格好良いなんて」
「どうしましょう、ティルト様をもっと見ていたい」
ある高位な貴族の女性が静かに言った。
「そうだわ。劇場を作りましょう」
「まあ。ツカッピ侯爵令嬢、それは良い考えですわ。週に一度ここでティルト様に朗読劇などしてもらえたら、どんなにか心の慰めになるでしょう」
「なんていう素晴らしいアイディアなの? 宝のようなティルト様の存在をあがめて観る時間ね」
「お嬢様のお名前をとって、『タカラ・ツカッピ』劇場としましょう! 同士の皆に募金をつのりましょう。さあ、忙しくなりますわよ」
盛り上がる女性市民たちの中で、頭の回転の早い淑女が言った。
「それにしても。ティルト様をおとしいれようとした奴、フィリップといったわね? ティルト様とアスタリヤ様の間に子どもができたとか、言ってたけど、それって真っ赤な嘘だったってことよね」
レディたちの風当たりが強まっていく。
「そうよ。どういうつもりかしら」
「アスタリヤ様はジュール様といい仲なのでしょう」
「まあ、ではティルト様はお可哀想に、陥れられそうになったということ」
「まあまあまあっ!」
「許せないねぇ。なんて神経が太い奴だ」
「信じられないわ。さっきもジュール様に、ティルト様が悪人だと言っていたよ」
「卵でもぶつけてやりたいね」
フィリップをたくさんの市民たちの視線が刺すように射貫いている。
貴族も平民もない。
悪には鉄槌を下したくなるのが、世間の人情というものである。
(まずい、まずいぞ!? お嬢さん方の熱気と怒りが俺にむいている!)
フィリップはティルトをダシに使おうとしたことを後悔したが、時は既に遅かった。
じっとりとした一般市民たちの視線が突き刺さる。
これでは勝ち目はない。
撤退したほうがいいようだ。
「あははは……いや、誤解だったようだな。すまんすまんアスタリヤ。それではこの辺で失礼して……」
「待て」
ジュールが呼び止めた。
「俺はこれから皇帝になる。アスタリヤは皇帝の妻になる。さあ、お前は何になるか?」
死をも恐れない軍部の荒くれ者たち。
その頂点に立った上、クーデタを成功させた男――。
フィリップは今目の前にしているのが、とんでもない奴であることを今更ながら実感していた。
「お前は『皇帝の妻』を陥れようとした男になるな。それがどういう意味を持つか分かるか? どういう罪になるか分かるか? お前の足りない頭でも想像できたようだな。そうだ、国家への反逆罪だ……」
ジュールの頭の後ろに、銀色の刃がぎらりと太陽の光を反射する処刑台が見えた。
「あ、あ……」
アスタリヤの代わりに、今や自分があそこに送られる立場なのだ……。
「おかしい、こんなはずじゃ……こんなはずでは……」
「連れて行け」
「うわああああ! 嫌だ! やめろぉぉぉっ! 待て、触るな。そうだ、アスタリヤ! 助けてくれ。元とはいえ夫だぞ」
フィリップはジュールの傍に寄り添うアスタリヤに視線を向けた。
「アスタリヤ、待ってくれ。誤解だ。本当に愛していたのは君だって気が付いたんだ」
フィリップとアスタリヤ。
元夫と元妻の視線が交錯した――。




