32 馬車
「わははははは! こんなにうまくいくとは思わなかった!」
今日はアスタリヤの処刑の日だ。
フィリップは喪服を身につけて家を出た。
「まさか、適当に書いた書状がこんなに威力を発揮するなんてな! ざまあみろ、アスタリヤ。俺をコケにした罰だ! 報いを受けろ」
にやにやと上機嫌なフィリップは一人で屋敷を出た。
十時の鐘の音が広場から聞こえてくる。
いつもならステッキを振り回しながら使用人にわめき散らす時間だが、フィリップは鼻歌を歌いながら馬車にも乗らずに広場まで歩いた。
この目であのアスタリヤが裁かれるのを見るのだ。
かわいそうだが、自分に刃向かったのだから仕方ない。
最高司令官ロイスは、フィリップの送りつけた書状から、アスタリヤの排除を決めた。
フィリップの元には通知もなかったが、号外や人々の噂で知るだけで、実際のところ十分だった。
「ふふふ……全く予想通りだったな」
フィリップは一人で呟いた。
最高指導者のロイスは今、将校ジュールの力を押さえたいのだ。
あれほど国民に人気のある将校がいるならば、自分の部下とはいえ放っておくのは危険だろう。
国の軍部はロイスたち革命派の政治家たちで構成されていたが、支持率は下落している。
元々は人民のための革命をうたっていたロイスが、自分勝手な独裁をしているのは明らかだった。
こんなときに反乱でも起こればひとたまりもないだろう。
ロイスにとって、軍のカリスマの将校ジュールは目の上のたんこぶのようなものだ。
痙攣潔白、眉目秀麗、勇猛果敢。
そんな軍神として完璧な男を公的に追い落とすチャンスがあるとしたら――。
フィリップのもくろみ通り、ロイスは飛びついた。
『パジェリ伯爵家からアスタリヤが勝手に持ち出した巨額の美術品のコレクションを、将校ジュールは《彼女ごと》手に入れようとしている。どうやら、謀反を起こして、ロイス様から政権を奪取する元種にするらしい』
そんな、言いがかりに過ぎない内容の手紙も、ロイスにとってみれば良いきっかけになったらしい。
アスタリヤを処刑し、その後、ジュールまで手に掛けようという絵図を描いているのだろう。
どうなったとしても、フィリップに罪はない。
少しだけ事実を曲げたかもしれないが、そんなのはどうだっていいのだ。
嘘も方便、アスタリヤをどうにかすることができれば、万々歳だ。
巨額の美術品も、元夫の自分が権利を主張して取り戻せば良い。
そうすればマリアも――いや、もっといい女がフィリップの元に集まってくるだろう。
あんなわけのわからない手紙一通を寄越して、それから何も連絡をしてこない女などもうどうだってよかった。
伯爵家は古いから、アスタリヤが改修したとかいう城も一緒に譲り受ければいい。
そうすれば、一生遊んで暮らせる!
贅沢三昧で、農民を尻目に高級な食事を毎日食べて、美女を何人も呼ぶのだ。
噂では、パジェリのコレクションは全て売り払えば国一番の金持ちになるほど巨額らしい。
そんなことを思うにつれ、フィリップは笑いがこみ上げてくるのだった。
処刑場になっている広場は、革命派の軍人と死刑執行人と、顔も手も足も汚れた市民たちの群れでごった返していた。
市民たちは貧しかった。王制が終わり、新しい時代が来るかと思いきや、現実は全く変わらないどころが悪化した。
ロイスは革命の名の元に、素晴らしい国を作るための税を様々に設定した。
嫌がる者も、異を唱えるものもいたが、軒並み処刑された。
処刑台の後ろには長椅子があり、これからギロチンにかけられる咎人たちが数十人控えていた。
彼らは残された数時間の自分の寿命をこうして待つのだった。
広場の処刑台の前では、痩せた農民が顔をくしゃくしゃにしながら一目も憚らず泣いている。
「ふざけるな、先生が何をしたって言うんだ。あの方は貴族だっただけで、何も悪いことはしていない。伯爵家でいるというだけで、なぜ王党派と決めつけて処刑されなければいけないんだ……俺たちは先生に麦のまき方も育て方も、熱心に教えてもらったんだ。あいつらが今年も小麦が食べられるのは先生や俺たちが作ったからだろう! それを、なぜ」
隣にいた商人風の女がぎょっとして慌てて小声で耳打ちした。
「あんた、めったのこと言うもんじゃないよ。気持ちはわかるさ。ここにいる市民たちはみんなあんたと同じようなことを思ってる。でもね、今はだめだ。軍の役人がそこにいるよ」
「うっうっうっ……王政が終わって革命軍がこの年を支配して、これでようやく平等な国ができると思ったのに、今はロイスの独裁国家じゃないか」
「こら、だめだよ。革命軍連中たち、どこで聞いてるかわからない。場合によっちゃあ明日はあんたが首を切られるよ。パンの価格が高いって呟いただけの、隣の親父は先週やられたんだ。もう今や何だっていいんだよ……」
その時、広場に立派な場所が1台入ってきた。
葦毛の3頭の馬は良い餌をもらっているのだろう。体格がよく、毛並みもつやつやとしている。
馬車で到着したロイスは処刑場を一蔑して、何の興味もなさそうにふんと鼻を鳴らすとそのまままっすぐ歩いて議会場に入っていた。
議会上の重厚な木の扉がぎっと音を立ててしまった。銀のサーベルを持った門番が2人立っている。革命派の軍部の赤い制服を着ている。
この議会上で決まったことは全て国の法律になるのだ。つまり、ここの決定権を持っているロイスがこの国の最高指導者のようなものだった。ロイスが白といえば白になるし、黒といえば黒になる。それに異を唱えたものは全員処刑台に送られるというわけだった。
「狂ってるぜこの国は……」
広場に集まった市民たちのうちの一人がそう言った。
その時広場に集まった市民たちのうちの誰1人として想像していないことが起こった。
先ほどのロイスの馬車よりも二回りほど大きな熊に飛びかかられてもミクともしないような。大きな場所がガタガタと石畳の音を鳴らしながら入場してきた。ロイスの足毛の馬も今度のは格が違った。黒くてつやつやした。ビロードのような名馬と雪のような白い毛の目が覚めるほど美しい。馬が先頭で、その後ろには体は一回りほど、小さいが若々しく力のありそうな。元気のよい灰色の若馬が3頭連なっていた。
馬車は1台ではなかった。
黒と白の馬が率いてきた先頭の馬車の後ろから、もう三台ほどの馬車が連なった。
「な、なんだあれは……!」
「軍部の馬車かい? にしては、時間が早すぎるね。処刑執行の正午まではまだあるはずだけど」
ざわめきの中、革命派の役人たちが馬車に近寄った。
「おい、誰の許可を得てここに馬車を駐めている? これからもうすぐ今日の処刑人たちが――」
バーン!
大きな音と勢いよい閃光に、役人の言葉は途中で遮られた。
広場は混乱した人々の声が埋め尽くされた。
「なっ、なんだ!?」
「いったいどうしたの!」
そのとき、馬車から大きな男が降りてきた。
よく箱の中に収まっていたと思うような巨体だ。
「あっ、お、お前……『緋色の悪魔』イズリー・オズウェル……!?」
と、兵士が声をあげた。
イズリーがにやりと笑う。
「おう、俺を知ってるなら話が早いや。ちょいとここをあけてもらう」
兵士は見るからに狼狽えた。自分の背丈よりも頭何個分か高い男と戦わなければいけないかもしれない恐怖が兵士の脳裏をかすめた。
「な……そんな、許可がなければ……」
イズリーは鼻で笑った。
「ふん、許可だと? 誰のだ?」
「ろ、ロイス様の許可だ。あの方の許可なしに何人もこの治安を乱すことはできん」
「悪いが俺たちは、その治安とやらをたたっ切りに来たんでね。アスタリヤ様はどこだ」
「は? アスタリヤ? 処刑される者たちはそこらの長椅子にいる。何人たりとも許可無く近付いては――」
次の瞬間、兵士は横っ飛びに吹っ飛んでいった。
「アスタリヤ様! 迎えに参りました!」
イズリーは処刑台の後ろの長椅子にドスドスと走り寄っていく。
一瞬の沈黙のあと、イズリーに兵士がわっと群がる。
「とっ止まれ!」
しかし、イズリーに集まっていった兵士たちは、先ほど同様にイズリーが棍棒のような腕をぶん回すと、ひしゃくでまかれた水のように放射状に飛び散っていった。
まるで相手にならない。
遠巻きに見ていたフィリップは、がくがくと顎を震わせた。
(なんだあの化け物は!?)




