31 使者
「ジュール様。私を探しているって聞いたのだけれど」
「アスタリヤ!」
ダダダダッと走り寄ってくると、ジュールは汗もそのままに語気を強めた。
「元旦那から手紙が来た」
「ええ。フィリップが何て?」
「……アスタリヤと、エスター商会のティルトが、いい仲になっていると」
「まあ、おもしろい」
「ほ……本当ではないとは思ったのだが、ただ、あなたの口から違うと聞きたくて」
「それでこの騒ぎ?」
アスタリヤは周りを眺めた。
辺り一帯は阿鼻叫喚の有様だ。
ジュールもそう言われて、ようやく我に返ったらしい。
自分がしでかしてしまった不始末を認識し、硬直する。
「いつも言っているけれど、アポイント無しに淑女を訪問するのはやめたほうがいいわ。
レディには服も化粧もいろんな準備があるのよ。それに、私の大切なスイーツタイムを邪魔するなんて、信じられないわ」
「すまない、アスタリヤ! だが、もし、手紙にあったように、ティルトとアスタリヤがあんなこんなそんな感じだったらと想像するといてもたってもいられず……それに、フィリップの手紙には、アスタリヤが……」
「私が?」
「か、懐妊していると。ティルトの子を」
「ふ」
ふふふふふっ、とアスタリヤは堪えきれず笑ってしまった。
フィリップはいったいどういうつもりだろう。
アスタリヤとの子を望まないと言っていたはずなのに、なんて勝手な男!
そんなでたらめを言って、どうするつもりだったのだろう。
ジュールに信じさせ、不義な女だと糾弾させるつもりだったのだろうか?
(フィリップ。本当に馬鹿な男だわ)
アスタリヤは余裕の笑みを浮かべて、泣くのを堪えているような表情のジュールの頭に手を伸ばした。
なんとなく、よしよしと撫でてやりたい顔をする男だ。
ジュールは大きな図体をかがめるようにして、アスタリヤをじっと見た。
アメジスト色の瞳に、薄く涙の膜がはっている。
(あら。何かしらこの感じ)
きゅん、と心臓が甘く痛む。
それは言うなればときめきだとか、庇護欲のようなものだった。
悪女は男を手玉にとってはきたが、男を【育てた】ことはなかった。
色や言質など、手練手管で言いなりにする術はいくらもあるが、アスタリヤに会いたい一心で突っ走ってしまう猛獣のような男を飴と鞭を使って育て上げる楽しみを、悪女は初めて感じていた。
完全に自分に盲目になっている者を思い通りにするのは簡単だ。
しかし、ジュールはアスタリヤにぞっこんなくせに、好きだからこそ暴走する。
まるで迷子になってしまった幼子のようだ。
アスタリヤは薄くルージュをひいた、杏色の唇をほころばせた。
「全く、いったい何を言い出すのかと思ったら。ティルトと? それは絶対に無いわ」
「しかし……俺と違って、あのティルトという青年は、女心の機微を分かっていそうだ。男くさくなくて、軽やかで」
「それはそうよ。だってあの子は、……まあいいわ。乙女の秘密は守りましょうね。さ、ジュール様。私に早く会いたいからといって、うちの城の玄関ポーチをこんなにして、いいと思ってらっしゃるの?」
「……いいとは思ってない」
「私に言うべきことがあって?」
「……」
「ジュール様?」
「……すまなかった」
ジェインが控えていたら、目を剥いて倒れたかもしれない。
国家の最高責任者に限りなく近い男が、子どものようにしょぼんと反省して謝罪したのだ。
しかし、アスタリヤは驚かなかった。
彼女にとっては、国王だろうと将軍だろうと、男の肩書きは何ら意味を持たない。
ジュールの頭をよしよし撫でると、仕方ないわね、と微笑んだ。
「まだスイーツが残っているわ。ご一緒なさるでしょ」
パアッと嬉しそうになるジュールの背後に、千切れんばかりに振り回す犬の尻尾が見えるようだった。
それにしても、フィリップは調子に乗り始めている。
この分だと、でたらめな手紙の影響はジュールにとどまらないかもしれない。
アスタリヤはジュールを食堂に案内しながら、この後ふりかかってくるトラブルの様々な可能性について思いを馳せていた。
しかし、結果的にはそのどれも当たらなかった。
フィリップの送った書状は、あくまでも貴族の醜聞という範囲で留まるとアスタリヤは想像していたのだ。
だが、予想ははずれていた。
アスタリヤが事実を知ったのは、古城に使者が来たその時だった。
使用人が全員、なりゆきを見守っている中で、使者はせきばらいをして罪状を読み上げた。
「アスタリヤ・パジェリだな。夫のいる身で不貞を働き、あまつさえ国を率いる英雄ジュール将校を惑わせた罪だ。
また、フィリップ殿の所有するコレクションを、同意もなく持ち出し勝手に売り払った。
つまりはこれら全てが国家への反逆罪である。先日制定された新法により、裁判は省略。処刑は十日後だ」
ロイスの署名のある羊皮紙には、十日後にアスタリヤが斬首されることが決定したと記載されていた。
「処刑ッ……アスタリヤ様が!? そんな、ありえない、むちゃくちゃだわッ……!」
卒倒したジェインを受け止めたイズリーが吠えた。
「受け入れるわけがない! 全てでたらめじゃねーか!」
「決定事項だ。十日後の正午がここにいる悪女の命日だ。首を洗って待っていろ」
玄関ホールから出て行く使者に飛びかかりそうなイズリーを、ジョナサンが全力で止める。
執事頭のピネが、冷静に言った。
「このこと、ジュール様はご存じなのでしょうか」
「知らないでしょうねぇ」
と、アスタリヤは人ごとのように言った。
もし、ジュールが知っていたとしたら、あの高慢そうな使者の首は今頃胴体と繋がってはいないだろう。
ロイスの館に飛び込んで捕縛され、処刑される人間が一人増えるだけかもしれない。
「いい? ジョナサン。これからジュール様に会いに行って頂戴。それで、私にどういう罪状が来たのかをありのままにお伝えして。もしジュール様が飛び出して行こうとしたら、それより先に『アスタリヤが今すぐ来てと言っている』と伝えて」
「それでも抑えきれなかったら、どうしたらいいっすかね……」
不安そうなジョナサンを、アスタリヤは安心させた。
「どうしようもなかったら、そうね。『今すぐ城に来ないと嫌いになるわ』って言って頂戴」
アスタリヤの見込み通り、ジュールは音速で城にやってきた。
「間一髪でしたよ、ジュール様が幹部を集合させて中心街に突撃させようとしたから……」
と、後にジョナサンはげっそりとした顔で語った。
霜月15日のクーデターは、こうして計画されたのである。
歴史的な運命の日は、すぐそこまで迫っていた。




