30 突撃
どうでもいいですが、某流行りの菓子がモッテュリンの元ネタです。再販あるのかなー。
ピネ・コッセルは存命であり、健在だった。
アスタリヤの古城においても筆頭執事の地位を確立したピネは、胆力のある優秀な執事らしく、主人のアスタリヤの前ではほとんど動じることがない。
ランス公爵家で働いていたときから、ピネは優秀だった。その上、とても忠実だったので、すぐに信頼された。
屋敷の主人だったランス公爵に認められ、最終的には東リュイーブルの屋敷の地下に莫大な財産を隠すという隠し事の片棒を担いだのだ。
あの資産は、再びランス公爵家が復活し、美しい花の都ルテティアが精彩を取り戻す時が来れば、主のランス公爵が取り出すことになっている。その時、もしも主人が骸になっていれば、公爵家に縁のある者を見定め、ピネが託すという約束だ。
なんの因果かアスタリヤに雇われ、古城に来てからというもの、ピネは屋敷の一切を見事に取り仕切っていた。
不思議とあの女主人は、ランス公爵に似た遠い瞳をなさることがある。この世の欲望の全てを見尽くし、人ではなくもっと大きなものを見ているように思えるのだ。
そんなアスタリヤを見ていれば、少しでも何か力になりたいと思うのは執事の性であった。
ランス公爵も一目置く凄腕の執事のピネだが、今日のようなことは執事としての人生において初めてだった。
いや、おそらくこのヴァグダリア中の執事に聞いてみたとて、誰も体験したことがないだろう。
猫も杓子もジュール将校だ。
国民投票では99.9%が彼を支持すると言う世の中。
その当人が、まさかあのような状態で突撃して来るとはーー。
ピネは珍しく、こめかみにじんわりと汗をかきながら、それでもあくまでも冷静に女主人が居る食堂に足を踏み入れた。
「アスタリヤ様。至急のご報告です」
「まあ。せっかくの一人の優雅なティータイムの邪魔をする無粋者は何かしら。プティ・モッテュリンとアールグレイルティーはよく合うわ。新しい発見ね」
「申し訳ありません。モッテュリンをご堪能のところ恐縮ですが、ジュール将校がいらしてまして」
「そう。今日はお約束はしていないわ。お帰りになるよう伝えて」
「それが……よろしくない状況と言いますか」
ピネの頬に遂に一筋の汗が伝った。
「えー、ジュール将校がおっしゃるには、アスタリヤ様の元夫のフィリップ様から怪文書が送りつけられてきたと」
アスタリヤは、透明感のある白い頬に苺ソースをつけながら、もっちゅもっちゅとスイーツを食べている。しかし瞳だけは、じっと隙なくピネを見つめている。
「それで?」
否定も非難もなく、ただの質問だった。
しかし、ピネは凄腕の執事である。
自然と肌で、上に立つ者の空気を理解していた。
貴族の筆頭執事ともなれば、畏怖やおそれに近いものと隣り合わせに仕事をしている。彼らの美しさと怖ろしさに、忠臣は仕えるのだ。
「申し上げにくいのですが、今すぐアスタリヤ様に会わなければならない、というのがジュール様のご要望で」
アスタリヤは好物を食べる高級な猫のように、『なぜ男ひとりのために、この至福な時間を中断しなければならないのか』という目をしながら、モッテュリンをかじり続けていた。
沈黙が痛い。
ピネは、これまでの筆頭執事の経験を思い起こしながら、自らを奮い立たせた。
言わねばならないことは、言わねばならない。
「我々も、アスタリヤ様はいくら婚約者であろうとも、将校だろうとも、至福のスイーツタイムにはどなたもお通ししないご意向だと何度もお伝えしたのです。が、そこを何とか通せ、いいえいけません、どうしてもだ、とらちがあかず。やむを得ずに門番のイズリーを出したところ、あの超人を一瞬で倒しまして。ああ、怪我はほとんと無かったのですが……何というか、将校様は魔法がつかえますので……それも、常人に真似できぬような精神や肉体に作用するものを……」
「イズリーはどうなってるの?」
「は。まあ、端的に言いますと、幼児になっています。一時的にではありますが」
威嚇のためもあろうが、槍をぶんまわしながらジュールに向き合った哀れなイズリーは、
「引っ込んでいろ!」
という鋭い怒号と共に、精神撹乱と肉体変容の魔法を浴びた。その結果、幼児にしてはそこそこ大柄な、まるまるとした子どもが立ち尽くす結果になった。
ピネはハンケチーフを出して、さりげなく汗を拭いた。
「今はメイドのジェインがイズリーの世話をしています。体のわりに気弱なようで、すぐに指をしゃぶろうとするので、果物飴やタフィーをあげて機嫌をとっています」
アスタリヤが微笑んだ。
これが本当に喜んでいるのか、嵐の前のニッコリなのかはまだ判断できない。
ピネの受難は続く。
「えー、それで、仕方なく剣の覚えがあるというジョナサンが駆けつけたのですが、防戦一方で。そこでやり合っているうちに、ジュール将校を追いかけてきた部下の方のレイン様が到着されて、ジョナサンの姿を見るやいなや、夢の舞台だと言って何故か戦いに混じり始めまして。そうしているうちに、イズリーがお兄ちゃんたちが怖いと言って泣き出し、ジェインが魔法で火の玉を出してあやそうとしたところ花火が打ち上がりまして」
「まあ」
「そこにエスター商会の馬車が到着し、火が御者のマントに燃え移り、あわてて消そうとしていたところ、ジュール将校がいきなり半泣きになりながら、魔法で馬を凍らせ始めまして。うちの門の前は剣やら砂埃やら鼻水やら炎色反応やら頭部が凍った馬やらで、まさに地獄、阿鼻叫喚の騒ぎでして。もう混乱を極めております」
アスタリヤは最後の一口を飲み込んだ。
「結局、めちゃくちゃになった原因はというと」
「……まあ、その、きっかけという意味合いにおいては、ジュール将校ということに」
「出禁にしようかしら」
「そっ……れは、いかがでしょうか」
「冗談よ。一応、ふふ、婚約者なのですものね。全く、国を獲ったら結婚しようだなんて、変なプロポーズもあったものだわ。さ、行きましょうね。私に何か話したいことでもあるのでしょう」
スッと立ち上がったアスタリヤを案内すべく、ピネは背筋を伸ばして先導した。
こんな場合だというのに、なぜかアスタリヤは上機嫌だ。貴族というのは本当に、時に平民の常識を大きく越えてくる。
暑すぎて、ピネのことをずっとピノと書いてました。




