3 浮気
◇◇◇
アスタリヤは伯爵家の一人娘のようだった。
田舎貴族にしてみれば、そこそこ資産もあるようだ。
が、元は王城で贅をこらした暮らしをしていたカミラの身からすれば、たいしたことではない。
「まあ、驚いた。本当に十年後だわ」
信じがたいことに、部屋に掛けてある暦時計からすると、あの革命とカミラの処刑が終わって、ほぼ10年が経っていた。
「なんだかくすんだ色の服ね……」
クローゼットの中を見るに、婦人服のデザインはそれほど変わったように思えない。
しかし、アスタリヤというこの女に限った話かもしれない。
なにしろ、部屋には花や菓子や美しい娯楽品、つまりはカミラがこよなく愛した贅沢品の数々が一つもなかったのだ。流行最先端の高級ドレスなど、あるはずもないだろう。
「こんな場所、泥棒に入られても、何の被害もないわよ。アスタリヤはどんな暮らしをしてたの。まだ私の牢獄の方が快適だわ」
と、ぼやき、呆れて殺風景の部屋を見渡した。
ワインもチョコレートも引き出しに無いだなんて、本当にしけた寝室だった。
「まあ、これは……本ね?」
この部屋の持ち主は、贅沢の才能はともかく、知識ある女だったらしい。
本棚には『王国の衰退と革命』『革命の寵児』『新しい時代の旋風』といった画集が並んでいた。
「まあ、みんな小僧のような顔ね。こんな者共に私は殺されたの? やられたわ」
アスタリヤは画集をめくりながら微笑んだ。
筋骨隆々とした若者や、万歳をした民衆たちが、歓声をあげながら革命を果たした絵がのっている。
あのあと、革命を成し遂げた軍部は、最高司令官のロイスが指揮をとって議会を率いているようだ。
本の記述によると、今は議会が小競り合いをしている最中らしい。
ある一頁でアスタリヤの手は止まった。
「あら。私だわ」
それは、絶世の美女と呼ばれた国王の愛妾が処刑された絵だった。
「もう少し美人に描いて欲しかったけれど……まあ許容範囲ね。でもちゃんと首を両手で持っているわ。あの処刑人、ちゃんと約束を果たしたのね」
宗教画のような仕上がりに、女は満足げに微笑んだ。
とりあえず何か飲みに行こうと、アスタリヤは部屋から出た。
夜中の冷えた空気が肌に新しい。
貴族の屋敷はだいたい一階に使用人たちの使う厨房がある。
階段を降りようとギャラリーを通り過ぎたアスタリヤの耳に、誰かの話し声が聞こえた。
聞こえてくるのは階段横にある客間、サロンからだ。
アスタリヤはそっと近付いて、耳をそばだてた。
「ねえ、あの女……本当に死んだのかしら」
なんとも物騒な台詞だ。
しかし、アスタリヤは震え上がることもなかった。
物陰に潜んだ柔らかい鳥のように、物音ひとつ立てずにじっとしていた。
「こんなこと、早く終わらせてバカンスに行きたいわ。ねえ、ちゃんとやったんでしょうね? フィリップ」
念を押しているのは長い栗毛を高く結った若い女性だった。
首や肩がざっくりと大胆に開いた薄手のドレスを着ている。まるで自分の家か、ホテルにいるようだ。
「もちろんだ。ちゃんと夕飯の後、飲ませたよ。この目で見て、グラスも引き上げてきている。毒はもう流したし、元々のワインは使用人の酒飲みたちにやった。空になっているころだろうさ」
「証拠隠滅ってわけね」
女の肩を抱きながらその隣に腰掛けているのは、つるんとしたゆで卵のような、いかにも貴族といった男だった。
見た目は一見、品が良さそうに見えるが、下卑た笑いを零している。
「大丈夫さ。闇医者からちゃんと毒だと言われて買ったんだ。明日の朝には息が止まってるだろうさ」
「そうね。私が昼過ぎに帰ったあと、あなたがなかなか出てこないアスタリヤを見つけて、妻が亡くなっていますと軍部に通報する」
男はにやりと笑った。
色白なのに皺の生じ始めた皮膚は、奇妙に凄みがあった。
「毒は見つからない。神経が高ぶりがちで、心臓の悪かった妻が、季節外れの寒さでポックリいったっていう筋書きになる」
「ねえフィリップ、遺産はいつ? すぐに手に入る?」
「軍人たちが取り締まってるからな。事を急ぐと没収されるかもしれん。変に目立つと取り締まられるかもしれん。革命軍は反逆者にうるさい。慎重に、事が露見しないようにしないと……」
「ああん、アスタリヤなんかの呪縛から解き放たれて、正々堂々とあなたに選んでもらいたいわ」
「なんて可愛いことを言うんだ。アスタリヤなんか君の美しさと比べようもない。最初から俺にはマリアだけだよ。君の方はどうなんだ」
「私? ああ、夫のこと? いつも通りよ。もうお爺ちゃんだもの。今日だって私が友人のところへ行くのを信じてるわ。ね、お互い遺産が入ったら、たくさん楽しいことしましょう」
「もちろんだ。このボロの伯爵家でも、そっちのキングリーの伯爵邸でも、どちらで暮らしてもいい。マリアがしたいようにしよう」
「嬉しい! でも、マリーはフィリーだけいればそれでいいのよ」
「フィリーもマリーがいれば幸せだよ。ああ、可愛いマリー、たまらないな」
既にお楽しみのご様子だ。
馬鹿げた愛称で呼び合い、むちゅむちゅと情熱的に口づけあっている二人は、扉の隙間から『妻』のアスタリヤ本人が全てを覗いていることに全く気が付いていなかった。
「ふぅーん……なるほどね」
傾城傾国の悪女は理解した。
あれはアスタリヤの夫、フィリップ。
そして、その浮気相手のマリアだろう。
マリアはアスタリヤの友人だったはずだ。
不義の事実に気付き、動こうとしたアスタリヤは、先に口を封じられてしまったというわけだ。
会話からすると、彼らは遺産目当てに妻のアスタリヤを亡きものにしようとして、毒を盛ったらしい。
そして亡くなったアスタリヤの身体に、何の因果か、稀代の悪女カミラの魂が入ってしまった。
「そう。あなたは、一度は信じた男に殺されたのね」
アスタリヤは自分の胸を撫でた。
貴族の女にしては、肉付きが悪い。
まるで病人のようだ。
「悪行の報いに、神様があたしを遣わせたってことかしら。悪には悪を……」
アスタリヤはふふっと鼻で笑った。
「いいわ、舐められっぱなしは性に合わないもの」
アスタリヤはふうっとため息をついた。
国王を手玉にとってきた悪女ともなれば、その度胸たるや他の女性の追従を許さなかった。
陰口どころか、暗殺未遂も修羅場もゆうゆうとくぐり抜けて、王の心を奪った女である。
浮気男を一人、破滅させるなんて朝飯前だ。
アスタリヤは足音を立てずにそっと階下におりた。




