28 間男
「どういうことなんだ!」
フィリップは、廊下の床に汚れたシャツを叩きつけた。
残っていた掃除メイドも洗濯女も逃げ出してしまった。
理由は明快で、今月は満足な給金が払えなかったからだ。
「くそ! 家事なんて俺にできるわけないだろう!? 貴族だぞ!? 修道院の連中も、紹介できる人手はないと言ってきやがった!」
修道院は孤児院の支援を行わないフィリップを見限っていた。恵まれない子どもたちも、知識を身につけ教育されて、世に役に立つ人材になる。アスタリヤが連れて行ったジェインも孤児院出身だった。
フィリップは自ら、人材派遣の機会を失ってしまったのだった。
領地の経営は明らかに傾いていた。
アスタリヤが出て行ってから、領民たちは最初の方こそ屋敷にやって来たが、フィリップはことごとく相手にしなかった。
その結果、今年の麦の収穫量は酷く低下した。
農民は字が読めないので、これまではアスタリヤに農業書などの手引きをしてもらっていたのだ。
天候や虫の対策など、臨機応変に相談を重ねて、収穫量をあげていたのだ。
そんなことさえもフィリップは知らなかった。
「また領民が農地を捨てて逃げただと……ふざけるなよ。税がおさめられない分は、他の農民に負担させてやれ」
フィリップはもはや見る影もなかった。
色男風に撫でつけていた髪も、ぺったりしてどこか油っぽい。議会に出さなければならない、領地の経営の申告書がまだできていないストレスで目は落ちくぼんでいた。
さらにフィリップを落ち込ませたのは、マリアから届いた丁寧な書状だった。
『ふぃりっぷ様 ごめんなさい。わたしがあなたをあくのみちにひきいれてしまいました。これからは夫のキングリー伯爵の真実の愛に忠誠を誓い、清くタだしく生きていきまス。ケっしてわたしに会いに来ようなんテ、思わないデください。信じラレナイかもしれませんが、私は神を信じるようになったのです。マリア』
マリアの手紙には、自分のこれまでの罪と、神に帰依した旨が記されていた。
所々、書き方が変な所があったような気もするが、夫に責められて気分が落ち込んでいるのかもしれない。
マリアのような女と再構築を選んだ伯爵は、只者ではない。あるいは、やりてのキングリー伯爵は、全て予測した上で婚姻を継続していたのかもしれなかった。
が、今のフィリップには知る由もない。
彼に理解できたのは、マリアはもう関係を復活させる気はないということだった。
「尻軽女め!」
フィリップは自分のことも棚にあげてマリアを罵った。
全く、アスタリヤが居たときは良かった。
女へのときめきはマリアが満たしてくれたし、アスタリヤが領地の運営をしていたので、自分は社交をしていれば良かった。パーティーに出て、他の貴族連中と歓談し、上流階級の恩恵を得ていればそれで良かった。
アスタリヤはまだ拗ねているのだろうか。
これだから気位の高い女は困るのだ。
また手紙を書いてやらなければならない。
いつまで無視する気なのだろう。
家を出ていってから、何度も手紙を出したというのに一度も返事が返ってこない。
『アスタリヤへ
お前に何度も手紙を書いているが、読んでいるのか? なぜ返事をしないんだ。
人間は愚かなものだ。愚かさに気付いたときに本質が分かる。俺は自分の愚かさに気付いてお前に手紙を綴った。それなのに、お前は自分の誤りを認めようとしない。いったいどちらが馬鹿げているだろう。さすがに思慮の無いお前にも分かるだろう。だが、俺はそんな愚かさも含めてアスタリヤを愛しているんだ。分かったら早く返事を書き、俺に許しを請え。いいな、そして一日でも早く屋敷に戻り、パジェリ家を復旧させるんだ。それがお前でもやれる唯一のことだ。
愛情深く心優しい夫 フィリップ』
フィリップは新しく書き終えた手紙に封をして、年老いた執事に持たせた。
しかし、また返事を書いてこないかもしれない。
将校ジュールとの密会の報道は、フィリップの心をもやつかせていた。
あんな、顔が良くて背が高くて、将来有望、前途洋々な男……。
騙されているに違いない。
あんな地味なアスタリヤを愛せるのは俺だけだ。
離婚したとはいえ、一度は結婚した仲なのだ。
「不倫スキャンダル、か……ああ、そうだ!」
フィリップはにやりと笑った。
たしか、エスター商会の若い青年が、アスタリヤの住居に出入りしていた。
社交界でも噂になるような、商人とはいえ見目の良い美しい青年が――。
「『婚約中の身』ならば、他の男を招いて楽しむなど、淑女のふるまいとはいえないなあ、アスタリヤ?」
ふふふ、と笑いながら、フィリップはもう一枚の羊皮紙をとってきて椅子に腰掛けた。
宛先は将校ジュール。
そして、軍部での彼の上司、ロイスだ。
「おとなしく破滅しろ、アスタリヤ。そして俺の元に戻って来い」
蝋燭がじりじりと焦げた匂いを発する。
薄暗がりの部屋の中、フィリップはマリアのこともすっかり忘れて、でっちあげの手紙の制作に腐心し始めた。




