26 結託
本人たちの関係ない所で、事態は動いていた。
アスアリヤとジュールはつつがなく、ひまわりに囲まれた散策を行った。
それは非常に平和な時間だった。
まるで、処刑も革命も戦争も、何もなかったかのようなのどかな風景。
しかし、ここには確かに国があり、滅ぼされた過去がある。
「気持ち悪いだろうか」
と、唐突に言われたアスタリヤは、不意を突かれて僅かに目を見開いた。
ジュールはどことなく寂しげに見えた。
少なくとも、何十万人の軍勢を率いる将校としての威厳や風格は見えない。
「やはり、嫌だろうか。殺された男に好かれるのは」
アスタリヤは驚いた。
「そんなこと、考えたこともありませんでしたわ」
「隠していても仕方がないが、俺は処刑人として生き、死んだ。そして、何の因果かこのジュールの身体になって、
未だヴァグダリアという国に仕えている。戦争は続いている。俺は軍部だ。日々人を殺していると言われても仕方ない。
誰も死なない道はない。結局前世と同じだ」
ジュールはじっと手を見た。
「この手は血塗られている。あなたの息の根を止めたのも俺だ。仕事とはいえ、あなたのことをずっと想っていたとはいえ――
他人を愛するなんて、到底許されないと言い聞かせた。それでも、……それでも、今日、朝目が覚めるとあなたに会いたいと思った。こんな時代に、こんな生き方をしている俺は、明日あなたにもう一度会える保証などない。そう思うと、いてもたってもいられなくなって……もう一目だけでも、と」
明るいひまわりを背景に、佇む背丈の高い男がやけに小さく見えた。
道の先に立っていたアスタリヤは、ふうと溜息交じりに微笑むと、来た道を数歩戻ってジュールに近付いた。
「一目でいいの?」
上目遣いに見上げて言えば、ジュールの頬がぶわ、と赤く染まった。
「いや、そりゃあ、何度も……もちろんできるのならば、何度だって会いたいと思っている。だが」
「私は悪女よ。国民の敵。市民の憎悪の対象。あの賢かった王を堕落させて、腑抜けにした張本人なんだから」
アスタリヤはジュールの宝石のような紫の瞳を見つめた。
この目が良くない。つい、隠していたことも自白してしまう。
「もう調べがついているだろうけど、『カミラ』はほとんど孤児みたいなものだったわ」
父親はいなかったし、母親もすぐに蒸発した。世話をしてくれたのは、唯一、酒場の女将だけだった。
「だけど戦で、酒場の建物ごと吹き飛ばされたわ。その後も戦争は続いた。戦争の混乱に乗じて、私は敵国の金持ちに買い上げられた。私は良い商品だったのよ。美しい宝石や、貴重な珍しい絵のようにね……」
金持ちたちに磨き上げられた『カミラ』は、敗戦の献上品としてヴァグダリアの王に与えられた。
それで初めて思ったのだ。
このまま宝石のように、飾られて愛でられて、貴重な物として存在するだけなら、死んでいるのと一緒かもしれない。
「物言わぬ宝石と同じ貴重な品物に成り下がるくらいなら、たとえ命を削っても、この腐った国に牙をたててやろうと思ったの」
ジュールはじっと動かずにカミラの告白を聞いていた。
「王は元々いた正妻をないがしろにして、公然と私を愛した。妻が泣いても、子どもがいてもお構いなしだった。『カミラ』は王に無理難題を要求した。奇妙なことに、無理を言えば言うほど、『カミラ』の価値は高まった。少しずつ、私は要求を国民や当時の軍部が困窮するものにしたわ。絹布を裂かせたり、軍をわざと招集したり……王は私をただの、女という品物だと思っていた」
王は『カミラ』の価値を高めるのに夢中になっていた。
「私はずっと、私と私に夢中になる王のことを、憎々しくにらみつける国民の顔を見ていた。いつかカミラが断罪されるとき、国王も共に倒れるように。そして、革命が起こって、それは現実になった。私は贅沢三昧をして国庫を食い潰したシロアリと言われ、そんな悪女を野放しにした王の責任が問われた」
「そして王制が終わって、革命派による支配が始まった……」
「まさか、王がいなくなってもこんなに国が酷い有様になるなんて、想像もしていなかったけれどね。王制が終わるなんて歴史的なことが起これば、ヴァグダリアだけでなく、この周辺の国にも良い影響が及ぶはずだったのよ。革命派はいったいどうしてしまったのかしら。これじゃあ、あなたや私や多くの人間が浮かばれないわ」
「もしかして……俺たちは、そのために転生したんじゃないか、とも思う」
アスタリヤは言われてみて、はて、そうかもしれないと思った。
それならば、浮気に苦しんで殺されたアスタリヤの身体と合わさったのも納得だ。
誰よりも死に触れた結果、人体の仕組みを余すところなく心得たジュールは、心優しく全く殺しに向いていない青年の身体に入った。
神がいるのなら、何故まだ自分を苦しめるのだろうかと思っていた。
生きることは苦しい。
だけど、ジュールの言うことを聞いて、少しだけ心が変わり始めていた。
少なくとも、自由気ままに余生を過ごすためだけに、死にかけた身体に魂が入ったわけではないらしい。
何かをしなければならないのだ。
でも何を――。
「あなたは俺を初めて、男として見てくれた」
ヴァグダリア国内で今最も女性たちに人気があるだろう男は、アスタリヤにそう告げた。
「覚えているか? 処刑台にあがったとき、あなたは『私に触れる最後の男』と言ったんだ。処刑人は一族郎党、忌み嫌われる。国王の命で、王の代わりに人命を奪う仕事だ。誰かがやらなければ、ヴァグダリアは犯罪者で溢れ、牢獄を存続させることも難しくなるだろう。精神が壊れ、髪は白くなる。初めての処刑をすると皆、暫く何も食べられなくなる。それでも俺には仕事人としての矜持があった。どうせ殺されるなら、誰もなるべく苦しまずに送ってやりたかった」
「ええ。あなたは本当に優しかったわ」
「だが、俺を男として見る人間は、いや、俺のことを人間として見ている国民はいなかった。だから、あなたの言葉がどれだけ嬉しかったか分かるか。この絶世の美女が、俺を男として見てくれた。それだけが前世の俺の、最高の記憶だった」
背の高いジュールを見上げながら、アスタリヤは低いヒールの靴を履いてきて良かったと思っていた。
もしもこれ以上、顔と顔を近付けて話していたとしたら、何となく恥ずかしさで耐えきれない気持ちになるような気がした。
「アスタリヤ。俺はこの国を手に入れようと思う」
ザッと風が吹いた。
アスタリヤははじかれたように目を見開いた。




