25 珈琲
今更ですが、ロイスの元ネタはロベスピエールで、ジュールのモデルはナポレオンです。ジュールの前世はアンリ・サンソンです。
同時刻。
ルテティア市街にある、革命派の本部では、若い党員たちが小声で噂をし合っていた。
「おい、聞いたか」
「ああ……ついに幹部が全員招集されたらしい。党本部でなく、ジュール将校の本邸にな」
「ではまだ公式になっていないということか。ついにクーデターの機が来たということだな!」
「シッ! 声が大きい! こんなこと、ロイスの野郎にバレたら、速攻でギロチンだぞ」
「だけど、これでついに真実の革命が行われる。今の政治家たちは腐敗しきっている。税は高く、ロイスの意向に反する人間は皆、断頭台に送られる。これなら王政のときのほうがまだ平和だった」
「ああ。ジュール様はまだ動くなとおっしゃっていた。だが、俺は何でもやるぜ。ジュール様のためなら、広場の真ん中で大砲をぶっぱなしたり、過激なロイスの胸にくさびを打ち込んでやったりも躊躇わないさ」
「もしクーデターを起こして成功したらジュール様がこの国のトップになる。俺たちの大将が帝王になるんだ」
「そうだ。新しい国がもうそこまで来ている。あと少しだぞ」
「これは非公式な情報だが、今日は幹部の最年少のレイク様と、議会のトップのベルチェが秘密裏に会うらしい。間に立会人の有力貴族も入れて」
「何……本当に、武力クーデターが間近に迫ってるんだな。今は貴族ならそれだけで、王党派と思われて処刑されるご時世だ。その貴族も肝が据わっている」
「ああ。その貴族も憂国の士なのだろう。ずいぶん高貴な出自らしいが、危険もかえりみず世紀の懇談に身を投じているということなんだ」
「時代が動くな」
「ああ」
革命派の軍の構成員たちは、最高権力者のロイス派閥と、最高司令官のジュール派閥の二分に勢力が割れつつあった。
*
そして、こちらも同時刻。
サン・ジュノペの街は、ヒマワリ油が特産の田舎だ。
河は美しく、山は雄大で、適度に栄えている。
ここが有名なのは美しいヒマワリの花畑が、若い恋人たちに人気だからに他ならない。
一緒にヒマワリの種をとった恋人たちは結ばれ、子孫繁栄を約束されるという験担ぎのような話さえある。
一種の観光地だ。
歴史をひもとけば、過去にはサンカ帝国という小さな国の一部だった地域だ。戦で負けて他国に併合され、紆余曲折があって現在はヴァグダリアの一部となっている。
ルテティア市内とは異なる非日常的な雰囲気が、革命の血なまぐさい現実を一時でも忘れさせてくれると貴族や資産家の間では評判だ。
そんな、サン・ジュノペのカッフェで事件は起こっていた。
レトロな雰囲気の可愛らしい田舎の隠れた名店、『とっとこ』。
店員とオーナーを兼ねているカッフェの店主は、蒼白になって注文をとっていた。
(な、な、なんで……あの、ジュール様率いる軍部の幹部やら議会のトップのお歴々が……こんな田舎に!? しかも、うちみたいなレトロ可愛いが売りのカッフェに!?)
「私は珈琲で」
と、メニューも見ずに決める男。
(あ、あああ……議会長のベルチェ様!?)
と、気付いた店長は白目を剥いた。
ベルチェは国家最高議会のトップだ。
議会では政治家たちが国の行く末を議論するのだが、この男が実質の最終決定の判決を下している。
くすんだ茶色の髪をくくり、眼鏡をかけているベルチェは見るからに頭脳が秀でていそうに見える。シェルビッツの戦いで一度は命を落としかけたが、戦線復帰するなり参謀として大活躍した男だ。
「オレンジジュースってありますか」
きらきらした瞳でいるのは、ジュールの側近のレイクだ。
今日は軍服ではなく、民間人の装いをしている。
(うわああああ! こ、これは、間違いない。ジュール将校の片腕! 風魔法にかけては並ぶ者がいないとされる若き天才、レイク・ベナールだ! っていうかジュース? うちがただの珈琲屋なの知ってるのかな!?)
同席している男が、芝居がかった溜息をつく。
「ばか。カッフェでジュースなんて頼むやつがいるか。これだからお子様は……悪いな店主」
緑がかったグレーの髪の男が言った。目鼻立ちがくっきりして、何というか華がある。悪く言えば派手だ。
「あ、いえ」
「ところで、シャンパンはあるかな? そうだな、何度か会ったことのある女性のような、懐かしい味わいの酒を一杯頼むよ」
スカーフとサングラスの合間からバチーンとウインクが飛んできた。
(な……あれはランヌ公爵! 変装されているけど分かる! なんせヴァグダリアの8分の1の資産は公爵家にあると言われた有力者……外国に亡命したはずでは!? しかもこんな田舎町に……というかこの人なんて言った? うちが珈琲屋だって知ってるよね? シャンパン? 女性のような? ちょっと何言ってるかわかんない)
しかし、こんな人物たちに逆らおうものなら、知力と武力と財力をもってして、店が消し飛ぶのも十分に考えられる。
哀れな店主には全力で注文を遂行するしか道は残っていなかった。
涙目で注文を復唱した店主が厨房に消えると、ベルチェとレイクとランヌは、カッフェ『とっとこ』の切り株テーブルに額を突き合せた。
「で、どうなんだ。レイク」
と、議会トップのベルチェが言う。
「手はず通りですよ。ジュール様は現在、こちらにアスタリヤ様と向かっています。ちなみに昨日は楽しみすぎて夜なかなか寝れずにいた模様です」
レイクが報告する。
「作戦通り、アスタリヤ嬢と二人での道中か。うん、ここまでは順調だな」
ランヌ公爵が満足げに頷いた。
ベルチェがしたり顔で同意する。
「そうですね。我々、ジュール様にシェルビッツの野戦病院で拾われなければ命が無かった者同士、今度こそ頂いた恩に報いるときです」
野戦病院でジュールに瀕死の状態を救ってもらった経験が、三人を同族たらしめていた。
参謀として前線に赴き瀕死の重傷を負っていたベルチェ。魔法が暴走し物に挟まれて手足を動かせなくなっていたレイク。国外逃亡中、戦に巻き込まれて深手を負っていたランヌ。
それぞれが『シェルビッツの大天使』と称されたジュールの癒しの能力に助けられた。
まさに国内トップクラスの、知力・武力・財力が偶然にも揃ったわけである。
レイクがやれやれと両手を広げた。
「あー、しっかし、よっぽどだなあ、あれは。重症です。昨日、幹部全員招集があったんですよ。内容、何だったと思います? 要約すると、『アスタリヤ嬢と仲良くなるにはどうすればいいか』です。想像できます? いい年こいたおっさんたちが顔突き合せて、『若い女性の喜ぶデートコース』を小一時間かけて話し合うの……地獄でしたよ」
「その結果、サン・ジュノペでのひまわり散策とっとこデートになったということか」
真面目な顔でベルチェが言う。
レイクがブチブチと愚痴をこぼした。
「はい。そうですけど、何スかとっとこデートって……ティベルベの攻撃を食い止めた時もイースターの城壁を爆撃した時も、あそこまで石版に書き込まなかったんですよ。幹部たちびっしり書き込んでたけど、あれはヴァグダリア中のデートコースを全部書いてたんですよ? 気持ち悪いな。で、そこまでやって小一時間話しても決まらなかったので、俺が提案したんですよ。そしたらスッと決まって。だってあのままだったら、リッター広場で待ち合わせて石碑見に行くことになりそうだったんですよ。何が楽しくて初デートで石碑なんすか?」
「きみも苦労してるんだね……軍の幹部なんて憂国の士しかいないんだから、デートコースなんて無理だろうよ」
ランヌが呆れた。
「僕のような四六時中レディのことを考えている人間を呼んでくれれば万事解決なのに」
「最初っから特殊な上級者コースじゃいけませんよ。ベタでいいんですよこんなのは。ていうかあんた、一応国外逃亡者でしょ。バレるから」
と、レイク。
このタイミングで珈琲が届いた。
店主が緊張のあまり痙攣しながら、カプチーノを置く。
どこから持ってきたのか、オレンジジュースとシャンパンもきちんと提供された。
ベルチェが目を見開いた。
「どうしました?」
と、レイクが尋ねる。
参謀ヴェルチェは真剣な眼差しで、じっと二人を見て、静かに口を開いた。
「この珈琲、普通じゃない」
店主は失神寸前だった。
ベルチェはクリーム色をしたカップを持ち上げた。
「なんだ、この絵が描いてあるのは……このネズミみたいなのは何だ?」
「あーあ、これだからおっさんはって言われますよ。流行りなんですよ。珈琲の上にミルクの泡で絵を描くんですって。これは今若者とか女性に人気のハムレットっていう……知らないとかマジ、いたたたた! 何するんですか」
「お前もいつかおっさんになるんだぞ? 調子に乗るな若者よ」
「おい、こんなところで諍いをするんじゃないよ。今はとにかくジュール様を秘密裏にウォッチ……げふんごほん、あー、見守ることに徹するぞ。ここから見えるひまわり畑にもう少しで到着するんだろう」
「はい、その予定です。そこで散策して、お忍びで町中のカジュアルなピッツェリアに入り、ショッピングなどして、午後からは名景の風車街へ」
「ふふ、ジュール殿がデートか。今日は楽しめそうだ」
(は、早く出ていってくれ!)
震える店主を尻目に、和気あいあいとカッフェを楽しむのだった。
そう、クーデターや国家転覆などとは全く関係のない、ただの出歯亀である。
*




