24 車内
今更何が面白くて自分の生まれ故郷に行かねばならないのか。
少しの懐かしさはあるが、それだけだ。
アスタリヤは軍団の支援物資になったような気持ちになりながら、ジュールと二人で馬車に揺られた。
がっちりとした造りは、攻撃に耐えられるような特殊な装甲になっているらしい。
それにしても、ジュールと二人きりで膝をつき合わせながら馬車に乗るだなんて思ってもみなかった。
あの日、過去の告白めいたことをされてから、絶句していたアスタリヤは、イズリーたちが戻って来たのをきっかけにして無言で小屋を出た。
それからどうやって自室に戻ったのかあまり定かでは無い。
ジュールという男は、見た目こそ役者のように甘いマスクと長身で引き込まれそうに美しい紫の瞳をしているが、その実はいったい何を考えているのか分からないようなところがある。
これまであまたの男を落としてきた悪女が、未だ見たことのないタイプの人間なのだ。
(この人……何を考えているのかしら……?)
絶世の美貌のカミラ・バトリーを我が物にしようとする男たちは、何人も見てきた。
金持ちや資産家、貴族、権力者、政治家、そして国王。
悪女はそれらの男たちを陥落させ、破滅させてきた。
まっとうな精神の人間ならば、関わろうともしなかった。
悪魔の女と忌み嫌われるか、勝者の報酬として手に入れようとやっきになられるか。
これまではそうだったのに、ジュールはそのどちらとも違うのだ。
強引に手に入れるでもなく、かといって遠ざけるでもなく、近付いてきてはじっと至近距離で見て、勝手に幸せになっているような――。
(……なんだか調子が狂うわ)
目の前でじっと見つめてくるジュールと、バチッと視線が合う。
目鼻立ちのはっきりした迫力ある男だ。
何万、時に何十万もの人間たちを率いて戦う将校だとは思えない。
切れ長の目の奥には情欲も攻撃性もなく、ただ穏やかな幸福感が漂っている。
僅かにひるんだアスタリヤだったが、ここで逸らすのはプライドが許さない。
アスタリヤがぐっと見返すと、ジュールは何度か瞬きをしてから、口元を手で押さえた。
「っ……」
「どうしました?」
「あなたと目が合ったのが嬉しくて、つい」
「……」
大柄な体を折りたたむようにして馬車の座席に座るジュールを、アスタリヤはしげしげと眺めた。
この感覚は初めてのものだ。
どの男に請われたときも、予想通りだという思いしかなかった。
しかし、ジュールの言うことや考えることは予想がつかない。
「お望みならずっと見ていましょうか?」
と、アスタリヤが言うと、ジュールは眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「それは勘弁してくれ、緊張する。いや、まてよ、やはりお願いするべきか……」
「冗談です」
「冗談か……」
見るからにがっかりしないでほしい。
本当に変な人だ。
明らかに目立つ派手な美女だったカミラのときとは違い、アスタリヤの顔や身体はどちらかというと優しげで柔らかい雰囲気だ。
それなのに、ジュールはアスタリヤを気に入っているという。
「あの」
「その」
同時に話し始めようと口を開いて、アスタリヤとジュールは顔を見合わせた。
「どうぞ」
と言って、にぱっと嬉しそうに微笑むのはやめてほしい。
別にそれを見て可愛いなんて思ってもいない。
思っているわけない。
アスタリヤは内心動揺していたが、つとめて表に出さないように心がけていた。
「緊急のご用件だったのですか」
「そんなようなものです」
「どうされたのです?」
「あなたに会いたくなって」
真っ直ぐな瞳で言わないで欲しい。
反応に困ったアスタリヤは、冷静に尋ねた。
「……ジュール様の言い分は理解できましたわ。私が言いたいのは、なぜわざわざ馬車に乗り、何も無いサン・ジュノペの街までこうして移動しているのか……ということなのですが」
アスタリヤは一度言葉を切った。
カミラ=バトリーに傾倒した熱烈な市民がやりそうなことだ。聖地巡礼とでもしゃれ込む気だろう。
「さすがですね」
ジュールは喜んでいた。
「白状しましょう。俺は昨日、部下たちに教わるまで知らなかったのです」
「ええと?」
間違いでなければ、今、『部下』と聞こえた。
ジュールは少年のようにきらきらした瞳で、快活に告げた。
「女性を連れて出かける、つまり、女性を伴ったプライベートな外出について、ということなんですが……実は俺はほとんどそんな経験が無くて」
ジュールは神妙だったが、
(その顔面で何を言っているのだろう)
とアスタリヤは思った。
切れ長の目は冷たそうで迫力はあれど、それこそカミラのような強気そうな美人には好かれそうだ。
何よりも今一番、勢力のある権力者である。
一将校とはいっても、政治権力の中枢と最も近いのだ。
それなのに、一度も?
正妻だけでなく、カミラのような公式な愛人を何人も抱えていた全国王。
妻に飽き足らず、妻の友人と通じて浮気をして開き直ったフィリップ。
男とはそういうものだったはずだ。それなのに――。
なんだか別の生き物のようだ。
「ええと、……ジュール様は、強いだけでなく、麗しいお姿であることからヴァグダリア市民にも人気があると聞いておりますわ。女性と出かける機会はたくさんおありなのでは?」
「いや。俺の任務はヴァグダリアを侵略させず、領土を広げることなんだ。それ以外のことに時間を使ってこなかった」
「貴族のサロンや淑女たちとのお付き合いなどは」
「不要なので行かなかった。革命派のお偉いさんに呼ばれてというのはあったが、女性はいなかった。必要ないと思っていたし、実際仕事には必要ない。近頃は幹部たちとずっと軍の動き方を夜な夜な話し合っていたくらいだな」
「はあ……もったいないものですね」
「もったいない?」
「ええ。ジュール様と出かけたいという娘は、きっとヴァグダリア中には無数におりますよ」
「貴殿もか?」
「きでん?」
「ああ、すまない、女性をどう呼べばいいのか、分からない」
「アスタリヤとお呼びくださったらいいですよ。ところで、ジュール様はいつ」
転生なさったのです、と尋ねようとして、アスタリヤは口を閉ざした。
前世の昔話を蒸し返していいものだろうか。
不思議と、この肉体になってから、アスタリヤと魂が同化したようなのだ。
全く違った人間のはずなのに、自然と理解できる。
転生とは臓器をそのままに血を入れ替えるようなものなのかもしれない。
記憶は脳だけでなく肉体にも残っている。
それはジュールも同じだろうか。
アスタリヤは好奇心に負け、大きな体で首を傾けているジュールに、改めて尋ねた。
「ジュール様はいつごろ、前の人生を思い出したのですか。答えたくなければ、結構ですが」
「あなたに隠すことは何もない。つい数年前だ。もう五年程になるか……戦場で死にかけて、目覚めたら『ジュール』になっていた」
なるほど。
ということは、アスタリヤと同様に、肉体が死を迎えていたのだと捉えることもできる。
「死ぬはずだった身体というのは共通していますね。私のこの『アスタリヤ』の身体も、殺されていたのです」
「どういうことだ?」
「アスタリヤの夫のフィリップと、その浮気相手のマリア。二人が共謀してワインに毒を盛ったようなのです」
「浮気して妻を殺す? どういう神経なんだ?」
「邪魔になったから消してしまおうという単純な思いつきではないですかね」
「革命とその後の戦場で、人間の全てを見てきたと思ったが、……平和なはずの市民の関係にも泥沼があるのだな」
と話したところで、ジュールが突然カッと目を見開いた。
迫力のある目の力がさらに強まって、より威圧感が強まる。
「しまった。失礼して、レディ――」
「アスタリヤ」
「あ、アスタリヤ……ッ、俺は!」
何を言い出す気だろう。
小首を傾げたアスタリヤに向かって、ジュールは決死の覚悟といった様子で口を開いた。
「俺の口調は、偉そう……だったよな……申し訳ない……」
「は」
「昨日幹部連中にも言われたのに。偉そうにするなと」
アスタリヤは、心からぽかんとして口を開いた。
「俺はこんなだが今は一応、将校をしていて……ジュールの肉体になって戦場を駆け上がってから、人の上に立つことが増えた。それで……」
一応も何も、将校なのである。
アスタリヤはもどかしさと、何と言ったらいいのか分からない気持ちがないまぜになった。
「偉そう、なのではなく、偉いのではありません?」
「仮にそうだとしても、だ。ほぼ初めて、一緒に出かけたこともない女性と、初めての個人的な会話という機会なのに、俺は無骨というか、こういう言い方や口調しかできず……本当ならもっと紳士的に……」
(もう、まだるっこしいわ)
しびれをきらしたアスタリヤは、にっこり微笑んだ。
「私は別に構いませんけれど、もしそんなに気になるのでしたら、私も、あなたに偉そうにしてもよろしくて?」
「ふぁ」
今度はジュールが変な声を出した。
「お友達のように親しく話しかけるわ。あなたもそれでいい?」
「も……もちろん」
真っ赤になって下を向いてもじもじしないで欲しい。
成人男性だ。
将校なのだ。
そのはずなのだが……。
こんな様子ならば、これまで女性と付き合ってこなかったという話も本当に信憑性が増してくる。
アスタリヤは溜息をついて、馬車の窓の格子ごしに去って行く風景を眺めた。
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読者のみなさんに今日一日いいことがありますように。
丹空舞




