22 動揺
「ジェイン。あなた、男に殺されたことがあって?」
と、アスタリヤの部屋に入るなり突然尋ねられたジェインは、ゴホンッとむせた。
ご朝食も終わりヨーガも終わり、朝の爽やかな空気の中で、いったい自分は何を言われたのだろう?
しかし、聡明なアスタリヤ様のことだ。
メイドたるものしっかりお答えしなければ、とジェインは心を落ち着けて微笑んだ。
「お貴族の方々のことわざですか? いいえ、アスタリヤ様、ございません。ですが、ノックアウトという意味では、私はアスタリヤ様の尊さにいつもやられております」
「ありがとう。でも、そうではなくて……ジェイン、あなた、好きな男性はいないの?」
ジェインはいきなり間近から矢で射られたような気持ちがした。
「ひぇぇ!? すっ!? えっ!? いいえ、いえいえ」
「気になる人も?」
連投である。
むごい。
ジェインは真っ赤になりながら、敗北を悟った。
もう冷静なふりをして微笑むなんてできない。
「気に……えーと、えーと」
「あら? まんざらでもないのね」
「そんな、私のようなものがおそれおおくって、……いえ、そんな……でも、まあ、あのう、ステキだなあと思うようなことは、あったりなかったり」
もごもご言うジェインは消し炭のようになっていたが、アスタリヤは気にもとめていなかった。
隠し部屋から持ってきた、お気に入りのサン・ジュノペ産の宝石の幾つかを胸元に当てては、付け替えている。
これらは高くは無いが、どれも少なからず想い入れのあるものだ。
「私ね、男性にそういう感情を抱いたことが一度も無いのよ」
「えっ? アスタリヤ様がですか? ご結婚なさったときは……」
「政略結婚というのは、ときめきや恋とかというものとは対極にあるの」
「はぁ、そういうものなのですねぇ……では、もう自由の身になったことなのですし、もしかしたらどこかで、いいご縁があるかもしれませんよ。あっ、そういえば、ティルトさんが下に来てます。荷馬車が多すぎて玄関ポーチに入らないって。そうだった、それでアスタリヤ様を呼びに来たんでした!」
アスタリヤが下に降りると、事態は更に混乱していた。
見目麗しい青年、都で最大の商会の若き跡継ぎ、ティルト・エスター。
眉目秀麗な顔が困り切っているのは、相手が相手だからだろう。
ティルトに相対しているのは、あのジュール・メルヴェナクだった。
ティルトへの敵意というよりは、微笑を浮かべて怖がる子犬をなだめるような余裕を見せている。
アスタリヤを見つけると、主人を見つけた番犬のような顔になり、パッと嬉しそうに笑った。
周りに何人かいるのは部下だろう。
全員帯刀しているが、約一名だけお通夜のような表情でいる。
ティルトが申し訳なさそうに、ジュールに話している。
「すみませんが、アスタリヤ様と先に約束をしていたのですが……」
「ああ、勿論承知している。だからここで待たせて頂こう」
「ええと……将校様のご用事が既にお決まりならば、僕は後から出直しましょうか」
「いや、それには及ばない。俺の用事にはアスタリヤ嬢がいなければいけないので」
アスタリヤは一歩一歩近付いていった。
ご機嫌よう、と会釈をすると、二人の青年は丁重に礼を返す。
見る人が見れば、溜息と共に想像がかき立てられる構図ではあった。
一人は麗しの新進気鋭の青年、若きエスター商会の跡継ぎティルト。
一人は絶対的権力者、魔法戦にかけて右に出るものはいないと言われる将校ジュール。
そして、その二人の間に、名門パジェリ伯爵家の秘宝を解放し莫大な財を得た、透明感のある美人のアスタリヤ。
しかし、美しい男たちに近付いたアスタリヤは、胸を高鳴らせることも甘いときめきに酔うこともなく、丁重にかつ事務的に事情を尋ねた。
「これはいったいどういうわけなのです? 私はエスター商会と約束をしていたと記憶していたのですが」
じっと見つめるアスタリヤの顔を、同じくじっと見つめ返しながら、将校ジュールは悪びれもせずハキハキと答えた。
「突然申し訳ない。しかし、どうしても会わないといけないと感じて」
「お約束をしてからいらしてくださるかしら」
ピシャァァンッとその場に衝撃が走った。
ジェインは硬直している。
「……すまない」
と、緊張を破ったのはジュールだった。
しょんぼり、と眉を八の字にしている。
「ぶっ!」
後ろで見ていたジェインがむせたあげく卒倒しそうになった。シュババッと這い寄ってきて、アスタリヤに圧の強い耳打ちをする。
「アッアッアスタリヤ様ッ! お言葉ですけど、ヴァグダリア軍が何人いるかご存じですか!?」
「さあ……今はどうなのかしらね」
「ええと、ええと、たしか何万人とかいるんですよ!? そのトップです! ももも、もしジュール様のご機嫌を損ねたら、その何万人が突撃してきたっておかしくないんですよ!?」
苦笑いをした、ジュールの護衛のレイクが助け船を出した。
「あー……だいたい、今は50万くらいですね」
「ごっ……だめですだめです! アスタリヤ様! ジュール様に逆らったら斬首されちゃいますよ!」
アスタリヤはつまらなさそうに、後れ毛をかきあげた。
「だから何だというの?」
ジェインとレイク、ティルトを含めた、その場の面々がヒュンッと沈黙した。
冗談に近い言葉とはいっても、斬首というそれを笑い飛ばせるだけの胆力のある人間がそういるだろうか。
「首を斬られたところで意思は変わらないわ。そんな人生を生きてはいないの。私が否と思うことには、否と言うわ」
ジュールがうっとりし、心なしか頬を染めた。
「さすがだ」
褒められたかったわけではない。
アスタリヤはまた、己の言葉の選択を間違ったことを悟った。
このジュールという男、やけにしつこい。
金縛りがとけたような顔をしたレイクが口笛を吹いた。
「ヒュ~、アスタリヤ様って、なんていうか……兵士より兵士らしいな……」
「か、かっこいいです……」
と、ジェイン。
「なんでもいいから早く荷物を受け取って欲しいんですが」
涙目なのはティルトだ。
連日徹夜でいたせいで、美青年もかたなしといった姿で、目元のクマが酷い。
アスタリヤは顔色の悪いティルトの目元にそっと指先をあてた。
ジュールが息をのんで硬直した。
当のティルトは不思議そうに、驚くこともなくぼんやりアスタリヤを見ている。
「あ、あの……?」
アスタリヤは執事長を呼んで言いつけた。
「ティルトを客間で少し寝かせてあげて」
承知しました、と万事心得た様子のバトラーを見て、ティルトは慌てた。
「いや、それは。結構ですよ、僕はただの商人で――」
断りかけたティルトの唇に、
「しっ」
と、アスタリヤは自分の人差し指を押し当てた。
「な、っ!」
ガシャーン!
横で見ていたジュールが、ガタッと石畳の玄関ポーチの上に大剣を落とした。
くち、と言いながら、そわそわ左右に揺れている。
それでも手を出してはいけないと己の心の中で葛藤しているらしい。
赤くなったり青くなったりしている将校を尻目にしながら、アスタリヤはティルトの耳元で囁いた。




