21 告白
「今、何と?」
ジュールが囁くように言った。
「何も言ってませんわ」
と、アスタリヤはごまかした。
が、フィリップが顔を赤くして唾を飛ばした。
「嘘だ! 俺を騙そうったってそうはいかないぞ。アスタリヤ、お前みたいに地味な女がいくら派手な服を着たってな、
どうにもならないんだよ! カミラ=バートリの生まれ変わりだって!? お前、頭がどうかしたのか?」
アスタリヤはこの時ばかりは、フィリップが饒舌なのを恨んだ。
「カミラ=バートリ……」
将校ジュールは戦うでもなく、呆然とアスタリヤを眺めていた。
凛々しい切れ長のアーモンドアイには、うっすら涙の膜さえ浮かんでいる。
自らの処刑当日でさえも動揺しなかった女は、僅かに焦っていた。
(この人、カミラの信者なのかしら? まずいわ。処刑された魔女だなんだって噂になったのに、そんな悪女が好きなんて、ちょっとなんというかまともじゃない男ね。変な黒魔術なんかに傾倒していなきゃいいのだけど)
平穏なアスタリヤとしての生活。
つまりはヨーガをしたり、柑橘パックをしたり、街中で流行っているちょっとした宝石や服や新しい髪型を楽しんだり、季節の花々をぼうっと見たりといった生活。
そういう類いの『贅沢』を享受する幸せを知ったアスタリヤは、少しばかりこのアスタリヤとしての生に、執着が湧いていた。
「んーと……今のはそう、フィリップを驚かせようと思った、ただの冗談です。勿論、ええ」
さらなる言い訳を投下したものの、ジュールには既にアスタリヤの声は届いてはいなかった。
フィリップは体力が尽きたのか、床に赤いイモムシのようにころがってギャアギャア言っていた。
そのうちに、立ち尽くすジュールの後ろから、イズリーがドアをぶち壊す勢いで駆け込んできた。
その後ろからジェインがチョコチョコッと走り込んできて、フィリップにビシッと指を突きつける。
「この不届き者です! イズリーさん!」
「おい! 樽の中でおとなしくしてると思ったのにコノヤロウ! もう我慢の限界だ、今度は頭のテッペンまで樽詰めにして、ドゥヨーの河にドンブラコッと流してやるからなァ、覚悟しろよ」
そう言うなり、大木のような腕でジュールを担ぎ上げて、反対側の手で壊れかけた樽を鷲づかみにした。
ずんずん出て行くイズリーは、時折しゃっくりをしていた。
耳が赤いところを見ると、アスタリヤが与えた『気付け薬』はてきめんに効果を発揮したようだ。
その横を、小鳥のようにチョコチョコ走りながらジェインが駆けていく。
ジェインも腹に据えかねているのか、担がれているフィリップのすねに、指先から出した小さな火や小さな氷を当てて、
「ていっ! ていっ!」
と、小走りに地味な嫌がらせをしている。
「ほどほどにねー……」
さすがに自分の使用人が、あんなくだらない男のために前科持ちになってしまっては寝覚めが悪い。
アスタリヤは声をかけたが、興奮した二人に届いているかどうかは微妙なところだった。
門の隣の小屋にジュールと二人残されたアスタリヤは、異様な気まずさを感じていた。
(これはちょっとまずいわ。そっとこの場を去りましょう)
不思議な反応をする相手は刺激しないほうがいい。
数々の男を誘惑してきた悪女カミラとしての勘だった。
「変なものを見せてすみません。それでは私はこれで……」
去ろうとしたアスタリヤの前にジュールが立ち塞がった。
イズリーほどではなくとも、大の男に前に立たれては、アスタリヤには何もしようが無い。
キッと見上げて、
「何でしょうか」
と尋ねた。
暫く黙ってアスタリヤを見下ろしていたジュールは、静かに言った。
「……あれが貴方の旦那ですか」
「元、ですわ。もう公式に離縁しています」
「もう心残りは無いのですか」
「そんなもの最初からありません」
言ってから、失敗に気が付いた。
これでは、心の無い女のようだ。
「せ……政略結婚でしたから」
「愛した男はいないのですね」
よくない。
これは非常によくない。
サファイヤのような紫の瞳が、アスタリヤを釘付けにする。
気付けば顔が近い。
政敵を堕とし、王を陥落させた悪女としては、この流れは非常によろしくないと言わざるをえない。
「どうかしら」
と反射的に気をもたせるようなことを言って、瞬間に後悔した。
そんなことを言えば男の追いたい欲求を更に刺激してしまう。
悪女は、男を堕とす術や人心を掌握することには長けていた。
しかしながら、決めた相手に瞬時に嫌われる方法を身につけてはいなかった。
ジュールは興味深そうにアスタリヤの瞳を見つめてくる。
捕食者の顔だ。
(違ったわ。このままじゃヨーガの生活が途絶えてしまう。魔女狩りに遭うか、反逆者として軍に粛正されるか、それとも性癖の歪んだ黒魔術好きの権力者に生け贄にされる!? そんなのは処刑よりも嫌だわ。えーと、こういうときは)
珍しく焦ったアスタリヤは、ジュールの胸板を押し返した。
「そこをどいてくださる?」
アスタリヤの両の手首を、ジュールの大きな手のひらがそっと掴んだ。
手首の血管から熱が伝わる。
案外にも冷たい手だった。
「『つかまってください』」
と、ジュールが言った。
「何を言っているの? つかまえているのは、あなたでしょう」
「『鍛えている腕ね』と貴方は言った」
「え?」
「『段差に気をつけて』と俺が言うと、あなたは俺の腕につかまりながらこう言った。『この傾国の悪女に、最後に触れた男はあなた』だと」
アスタリヤはじわじわと思い出した。
カミラとしての最期の日。
リッター広場に設えられた処刑台の上で、紳士的に己の首を落とした処刑人のことを。
(まさか――そんなこと、あるわけないわ)
いや、自分だって終わった命だ。
それなら他に同じような存在がいたとして、何が不思議だろう?
悪女の頬に、初めて汗が伝った。
いくらも動揺したことのない胆力をもってしても、この状況は余りに異常だった。
上背のあるジュールの身体に隠れて、顔は影になって表情が見えない。
蝶の羽根をつまむように、そっと押さえられているだけのはずなのに、アスタリヤの両腕はびくともしなかった。
逆光の中で、アスタリヤはジュールを見上げた。
僅かに洩れた陽光が、初夏の風に揺れて差し込んだ。ジュールの瞳にはアスタリヤのブロンドの髪が映っていたが、同時に隠しきれない愉悦の色が滲んでいた。
絶対に手の届かない物に恋い焦がれ、太陽に焼かれた天使イカロスのような――。
その時、産まれて死んでまた産まれたアスタリヤは、初めて感じる恐怖を覚えた。
単純な怖さでなく、それは甘やかな、眼の前の美しい男への得体のしれない畏れだった。
「あなたを処刑した俺は、処刑台から落ちて死ぬまで毎日あなたのことを想った。今よりずっと若かった。俺が両手で掲げたあなたの首は、ルテティア市民が絵にするほど美しかった」
アスタリヤの恐れは確信に変わった。
将校ジュールは、その魂の正体は――。
「最期の言葉も一言一句覚えている。あなたは俺にだけ聞こえる声で呟いた。『楽しかった』『でも、もう遊び飽きたわ』と言ったんだ。ギロチンの刃が落ちる、たった数秒前なのに」
その通りだ。
分かっている。
カミラの人生を生きた記憶はこの魂に焼き付いているのだ。
そんなことを知っているのは、あの男しかいない。
「あなた、本当に――」
ジュールの吐息がかかるほど、顔が近付く。
もう低いジュールの声しか聞こえない。
逆光が、影に飲まれる。
「はい、レディ。あなたの首を掲げる栄誉を貰った、あなたの最後の男です」
読了ありがとうございました!
リアクション、ブクマ、評価、感想など励まされてます。読者のみなさんに今日一日いいことがありますよう。
次回より新章『悪女、口説かれる』になります。
よーやくジュール×アスタリヤらしくなるかと。
戴冠式で完結のつもりですが、ちゃんとくっついてくれるか作者もドキドキしてます。
丹空舞




