10 元夫
パジェリ家の地下室にあったコレクションはとんでもなく高い値段で売れた。
と言うか、エスター商会をもってしても、全てを買い取るほどの余力金が無いほどだった。
商魂溢れた代表のエスター総裁は、目をギラギラさせながら、すぐにアスタリヤを二階へ迎え入れられなかった非礼を床に埋まりそうになりながら平身低頭して詫びた。
さらには定期的に金を払うから、どうにかコレクションを保管させてくれないかと言い出した。
展覧会でもやって価値を高めてから売る気なのだ。
さすがエスター商会、最大限の儲けを考えている。アスタリヤにとってみても、願ってもない話だった。
そういうわけで、莫大な資産と、さらに数年後に支払われる目の玉が飛び出るほどの巨大な報酬が確約されたアスタリヤは、晴れて自由の身となったわけである。
ついでにエスター商会の永続特別顧客の資格も得た。選ばれしお得意様ということだ。
アスタリヤが条件に出したのは、屋敷を購入する手配をすることと、若頭のティルトを貸し出してもらうことだった。
最初こそ難色を示していたエスターの総裁は、屋敷が整うまでの期間限定でいいという条件と、アスタリヤがまだ売らずに手元に置いている未公開の絵の話をすると、手のひらを返したように食い付いてきた。
ティルトは有能で、事情通だし、しっかり働いてくれそうだ。
それに、財産を持ち逃げするような素性のしれない輩ではない。
何よりも、これからエスター商会で爆買いに次ぐ爆買いをしようとしているアスタリヤには都合がよかった。
都を離れる馬車には、莫大な金額の小切手と、お気に入りの化粧品とドレス、ご機嫌のアスタリヤ、冷静さを取り繕っているティルト、そして呆然としたメイドが乗っていた。
「ま、まさか城を買うなんて……しかもあの、マラドムスの古城……正気なのですか、アスタリヤ様」
ジェインは血の気がひいていた。
「おおげさね。ただの小さな中古物件よ」
アスタリヤは何の気なしに言った。
カミラの隠し財産は、十年の間に競売にかけられていてほとんどがもう人手に渡っていた。
しかし、辺境の森の外れのマラドムスの古城だけは、買い手がつかず未だに販売中だった。
エスター商会に売られていないものは無いという格言は、十年経っても変わらないようだ。
「で、ですが、マラドムスの古城には呪いがあるとか、処刑された魔女の祟りがあるとか」
「まあ、怖いわね」
「全然怖くなさそうですう……!」
その通り、アスタリヤはわくわくしながら馬車に揺られていた。
呪いやら祟りやら、あるはずもない。
こちらは魔女本人なのだ。
王やら為政者やらの心を掌握して、金を使わせる人生ばかり送っていたが、これからは男に縛られることのない自由気ままな生活が待っている。
「軍に目をつけられませんかねぇ。何か企んでいるとか、言い掛かりをつけられたら……最近は革命派に貴族がどんどん処刑されていると聞きますし……」
「ジェイン。私は夫と友人に浮気されて生家を奪い取られた可哀想な妻なのよ――元、だけれど――新たな心安らぐ住居を探して何がおかしいの?」
「ええ、そのはずなのですが、アスタリヤ様は何故か全く可哀想な感じがしなくってですね……!」
馬車の向かいには、ティルトが優雅に足を組んで腰掛けている。
「アスタリヤ様が宝石とドレスを幾つも幾つもお買い上げになっただけでも大変だったのに、ついでのように城を注文なさったから、父は血圧があがって倒れそうになっていました。本当に豪気な方なのですね。それに、まさか僕まで買われるとは思いませんでしたよ」
と、ティルトが冗談を言った。
アスタリヤはティルトの細い腰や首を見つめながら、面白そうなことが起こりそうな予感を静かに愉しんでいた。
*
さて、その頃。
パジェリ家の屋敷は、静かに凋落し始めていた。
アスタリヤが出て行ってほどなく、キングリー伯爵家から書状が届いたのだ。
「愚妻が迷惑をかけたようで申し訳なかった。これは詫びだ」
と、銀貨が二袋。
しゃくだが、とりあえずはこれで使用人たちの給料を払える。
マリアはキングリー伯爵家に戻ってから全く音沙汰がない。
監禁されているのかもしれない。
仕方ないのでフィリップはいつも通りの日常に戻ることにした。
身分は男爵に下がったとはいえ、パジェリ家の実質的な当主は自分だ。
アスタリヤは出ていったし、実際にここに住んでいるのはフィリップの方なのだ。
しかし、なぜかうまくいかない。
「今年の小麦はどうすればいいですか」
「どうって……」
「レッド種にするか、ホワイト種にするかってことでさぁ」
「知るか。俺は伯爵当主だぞ? 勝手にしろ」
小作人たちは顔を見合わせた。
領地で畑を耕すのは自分たちだが、指示をするのはアスタリヤだった。
不作になるかならないかで、収入が大きく左右される農民に、アスタリヤはいつも寄り添って指示をしてくれた。
「フィリップ様。玄関に修道女が尋ねてきています」
「知らん、追い返せ」
「今月の寄付を頂きたいと申しております。病気がちな子がいるとか」
「放っておけ。孤児が何人うろつこうが関係ない」
メイドたちも変な顔をした。
修道院と伯爵家は代々ずっと繋がりがあった。
院下で経営している孤児院から、優秀な者がいれば使用人として引き抜いてくることもあったのだ。
「フィリップ様、税率の相談でミスターシャ伯爵家とタリス子爵家の方々が会議をと打診がきております」
「いかん、13日はだめだ。その日は仮面舞踏会がある」
「舞踏会……ですか?」
「ああ。会合はキャンセルしておけ。俺ひとりいないくらいでも何とかなるだろう」
女主人として切り盛りしていたアスタリヤがいなくなり、少しずつ何かがおかしくなっていた。
アスタリヤは貴族女性らしく、パンを焼きもしなかったし、洗濯もしなかった。
しかし、農民たちとの折衝や、税率の相談、地域の婦人会との付き合い。修道院への寄付や、王城への税の収め方。そういう細々した、名前のない仕事を一手に担っていたのだ。
金勘定はアスタリヤの仕事と押しつけていたことを、フィリップは自覚さえしていなかった。
ああいう女は家のために細々したことをすればいいのだ。
爪を磨いたり、化粧をしたり、ドレスの色を選ぶだけでいいのは限られた美女だけだ。
伯爵令嬢だというのに、地味で幸が薄そうな女だった。
それなのに、心のどこかでは家系が格下のフィリップを蔑んでいそうだった。
だから、浮気をしてやったのだ。
元平民のマリアは派手で美人で甘え上手で、フィリップの理想通りだった。
アスタリヤさえ、黙っていればうまくいったのだ。それなのに、刃向かってくるなど。
いやに手際が良かった。
パジェリの家を守ることばかりに執着して、フィリップの浮気には目をつぶっていた、都合の良い嫁ではなかったのか。
アスタリヤは夜のうちに下人を走らせて、どこかから馬車まで呼んでいたらしい。
社交界にもほとんど出ず、ほとんど伯爵家や領地を往復するだけの暮らしだったくせに。
有力なパトロンでもいたのだろうか。
それとも、アスタリヤこそ浮気をしていたのではないだろうか。
大きな馬車が三台も乗り付けてくるなんて、相手はただものではない。
相当の資産家かもしれない。
アスタリヤのどこを気に入ったのかは分からないが、どこかの誰かがアスタリヤに手を貸しているのだろうか?
「いったい誰だ。そそのかしたやつは……絶対に許さん」
フィリップは自分勝手にもアスタリヤに恨みを募らせていた。




