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白虎の調律役  作者: gen.


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9/12

九、潮目





 現代の『戦』はかつてのそれと違い農耕などの季節に左右されることがない。

 敵が人ではなく、降魔妖魔という人外の類となった時から、そうなっていった。

 僅かな平野と島嶼の集合体という神州皇国において、耕作可能な土地を巡る陣取り合戦に精を出していた五将家がそれを棚上げしたのも、霊犠怨怒という御霊具足の天敵とも言える妖魔が発生し、多くの武者たちがこれに喰い殺され戦線を維持できなくなったためだった。

 また、和平の名のもとに国を分割しおえた彼ら――と、高みの見物を終えて合流してきた飛鷲家――が朝廷に君主としての座を奉還したのも、朝廷が抱える陰陽寮の降魔妖魔に対する予測能力がより早急に必要という意見の合致をみたためである。

 かくして各将家の抱えていた軍は陰陽寮の観測のもと、降魔妖魔を討つ皇国軍として再編成されることとなった。そして季節ごとに土地を巡る人外退治が現代の『戦』となったのである。

 今回の『戦』は虎尉州と三岐州の境の山麓で起き、今まさに終わろうとしている。

 降伏する降魔妖魔はいない。よって、その終戦の儀式もかつてのそれとは大分様変わりしていた。朝廷から派遣されてきている観測武官と陰陽師たちがその時期の――あくまでその時期、である。自然現象は根絶できない――降魔妖魔殲滅を確認すると、出撃ごとの「一番槍」や「撃破数」を魂鋼を通じて巻紙へ出力し、それをもとに武者たちへの論功行賞が確定する。

 同時に七呉のような野良の拵方たちへの賃金の支払いも行われ、ご専属のようなその武者の家に同行するような拵方以外は解散となるのである。

 そしてそんな懐の温かくなった彼ら目掛けて、怖いもの知らずの行商人や芸人たちがやってきては立つのが市場だった。

 里帰りの支度を終えた七呉は、同じく支度を終えた伽耶に誘われ市場で食べ歩きをしていた。


「七呉さん、あなたこの後はどうなさるおつもり?」

「千代見に帰りますよ。三ノ輪さんは……もう、ご専属ですもんね」

「ええ、皇都にある飛鷲屋敷へお世話になることになってますわ」


 白水出のわたくしの美意識に耐えうるお屋敷だといいんですけど、などと澄まして言いながらも団子を食べる伽耶の肌艶がいいことに七呉は気づいているが口にしない。世の中には口にしない方が良いこともある。

 と、その時市を見物に来たのだろう野良着の子供が通りがかり――腰掛に置いてあった伽耶の巾着を引ったくった。そのまま脇目も振らず一目散に駆けていく。


『!!』


 七呉は座席に銭を叩きつけると、咥えていた団子の串を噴いて迷わず子供を追いかけた。伽耶の慌てる声が後からついてくるも構う余裕はない。この手の場所で土地勘のある人間に撒かれたら最後だと、七呉は痛いほどよく知っていた。

 案の定、子供はまるで猿のように建物の裏手、あるいは横道をすいすいと通り抜けていく。ただ不思議なのは最初の韋駄天ぶりに比べ、時々七呉たちが付いてきているのを確認するかのように振り返りながら走っているところだった。

 そのつま先は次々と角を曲がり――――やがて、ある楼閣の中に飛び込んだ。


「待て、この――――!」


 当然後を追って二人も開け放たれた玄関口から飛び込む。

 一瞬、視界の暗さに目が追いつかなくなった。その隙をつくように伽耶の脇を子供がすり抜けていく。


「待ッ――」

「お二方とも」


 咄嗟に踵を返しかけた二人の耳に、静かな呼び掛けが届く。忙しなく振り返ったそこには、伽耶の巾着を手にした一人の少女がいた。

 見慣れない葡萄茶の娘袴姿だが、そのおさげ髪と白い顔は忘れようもない。


「あなた、三岐守様の」

「羽鶴亀子と申します」


 深々と頭を下げられるも、その手にあるものは見間違えようがない伽耶の巾着である。


「羽鶴さん、これはいったいどういうことですの!?」


 当然ともいえる気色ばんだ声を伽耶が上げた。


「乱暴なお招きになってしまい――――」

「待て亀子。そこから先は私が言う」


 顔を上げないまま口を開いた羽鶴を制したのは、よく通る女声だった。

 楼閣の階段を降りる音と共に現れたのは、誰あろうあの酒席以来の三岐守だ。まとめ髪と紬に長羽織という裕福な商家の奥方風に装った彼女は、神妙な顔つきで羽鶴の隣に並んだ。


「市中を走らせて申し訳なかった。訳あって、どうしても貴公たちと話がしたいと言い出したのは私なのだ。亀子、巾着をお返ししてくれ」

「はい、紅様」


 顔を上げた羽鶴が揃えてあった日和下駄に足袋のつま先を引っ掛け、静々伽耶の前へと進み出る。そのまま両手で捧げるように差し出された自身の巾着を、伽耶は呆気にとられたまま大人しく受け取った。


「上がっていかないか。詫びと言ってはなんだが、茶も出させよう」


 六将家の嫡女直々にこう言われて、断れる拵方がこの世で何人いるだろうか。

 少なくともその稀有な例に入れなかった七呉たちは、大人しく履き物を脱ぎ、先導する彼女の後を追ってその楼閣の階段を上るのだった。


「――――一体どのような『訳』があって、鬼能のご嫡女様ともあろうお方がこのような真似をなされたのですか」


 そう問い質す伽耶の目は厳しい。

 通されたのは楼閣でも裏通りに面した静かな座敷で、市の賑やかさも及ばない場所だった。直接被害に遭ったわけでもない七呉はそこまで強く出ることは出来ずに、ただ伽耶の隣で出された美味しい茶を啜っている。

 袖を合わせた三岐守が、伽耶の言葉はもっともだという風に浅く頷いた。


「人目を避ける必要があってな」

「十分目立ってしまったと思うんですが……」

「そうかもしれん。だがここにまで繋げられる者はいるまい」


 思わず湯呑から口を離した七呉の一言にも、返る声は穏やかだ。

 あの遊興楼閣で見せていた鋭さをすっかり潜めた様子に、伽耶も毒気を抜かれたようで手つかずだった湯呑に手を伸ばす。

 二人が湯呑からそれぞれ口を離したのを見計らったように、三岐守が切り出した。


「貴公ら、この戦のあとはどうするつもりだ」

「ご専属ですもの。ご存じなのでは?」

「里に帰ります」

「では次の戦はどうする」

「それは……道――鎮北守様がご参戦されるのであれば、わたくしもご一緒するまでです」

「私は場所次第ですね。あまり虎尉から離れた場所は……」


 二人の答えはそう意外性のあるものではない。

 あったのは、次の三岐守の問いかけだった。


「その場所も時期もすでに決まっているとしたらどうする?」

「え―――」

「出てくる降魔妖魔の数も解っているとしたら、貴公らはどうする」


 三岐守の表情に冗談の色はない。問いを重ねながら、笑みを引かせた彼女の瞳はじっと二人の様子を窺っていた。


「どうって、それは……」

()()が白水の地、秋口に現れる霊犠怨怒の群れだったとしたら、千代見の七呉。貴公は虎尉守のもとに参ずるか?」

「ッ?な、なんで、そんなことを……」


 思わず口を突いて出ていた。七呉自身、その問いかけが()()に対してのものか判らないまま。


「これは貴公らを見込んでの問いだ。よく考えて答えてほしい。私は――――家ではなく、朝廷に忠誠を立てている」

『!!』


 見開かれた二人の目を、三岐守が見つめていた。



 ようやく傾きかけた西日が濃い影を落とす裏路地を、楼閣を出た七呉と伽耶がとぼとぼと歩いていた。

 黙り込む二人の間には独特の気まずげな空気が流れ、足取りは自然と賑やかな通りを離れていく。

 そして沈黙の重さへ耐えかねたように、伽耶がぽつりと呟いた。


「……驚き、ましたわね……」

「……はい」

「まさか、あんな……」

「……鎮北守様にお話されますか?」


 七呉の問いへ、伽耶の黒々とした髪が左右に振られる。


「できるわけありませんわ」

「ですよね」

「あなた、虎尉守様には……」

「あの方は無関係ですから」


 その先を断つような七呉の応えに、伽耶は何かを言いたげにしたものの、結局出かけた言葉は飲み込んだようだった。


「……そう。すっかり遅くなってしまったけれど、今夜はどうなさるの?」

「木賃宿にでも泊まります――大丈夫です、慣れてますから」


 心配そうな伽耶の表情にへらりと笑って見せ、遠回りしつつも市場側へ戻ってきた二人は、互いに身辺が落ち着いたら手紙を書くと約束して別れた。

 木賃宿とは客が持参した米を炊く薪代、すなわち木賃のみで止まれる最下層の安宿のことを指す。部屋は大勢の客が雑魚寝をするための場所で、当然ながら荷物の安全などは客自身の心得次第であった。

 しかしそういった宿を利用して久しい七呉は、宣言通り木賃宿でも比較的マシと思われる店を探し出しさっさと記帳を済ませると、宛がわれた大部屋の隅で自分の雑嚢を枕に寝転がった。染みか節かも判然としないまだら模様の天井板を眺める脳裏へ、三岐守との会話が蘇る。


『私は家ではなく、朝廷に忠誠を立てている』


 はっきりそう言い放った三岐守は、絶句する七呉たちへこう続けた。


「これは陰陽寮と戦の過去の記録を参照し割り出した霊犠怨怒の発生周期予測だが、九割九分的中するだろう」

「あの、何故それを私たちに……」


 当然の疑問だった。六将家の姫が家ではなく半ばお飾りとなっている朝廷に誓いをたてている、と宣言したばかりか、過去に例を見ない妖魔の発生予想などを口にしたのだから。

 陰陽寮による降魔妖魔の発生予兆が観測されるのは、通常どれだけ早くても一か月前程度が限度のはずだ。まだ夏すら迎えていない時期に秋口の発生予想など、その限度を大幅に超えていた。


「言った通り、貴公らを見込んでのことだ」


 そこでようやく、三岐守は自身の前に置かれた湯呑へ手を伸ばした。

 とうに湯気の絶えているそれを一口飲み、また湯呑を卓へと戻す。


「私は然る御方より密命を受け、この霊犠怨怒の発生周期と規則性を調査している。貴公ら、調律の際に魂鋼に触れるであろう。その際、論功行賞で行うように彼らが討伐した霊犠怨怒の数が知れる筈。それをまずは私に報せてはくれまいか」

「……探れってことですか?」

「わ、わたくしどもを間者になさるおつもり?」


 七呉よりよほど分かりやすく、伽耶の声が強張る。

 そんな二人へ、三岐守は緩く首を横に振った。


「彼らに背けと言っているわけではない。寧ろ、彼らのことはよくよく支えてやってほしいのが本音だ。特に、虎尉守のことはな」

「――――」

「鎮北守は大分落ち着いた。三ノ輪の伽耶、貴公の尽力あってのことだろう」

「そ、れは……その……」


 かっと赤くなり視線をさ迷わせる伽耶に、三岐守はふ、と目を細め、そしてその傍らへと視線を移した。


「軟いだけの刃は曲がる。硬いだけの刃は折れる。ゆえに芯は軟く、表は硬く。そうして刀身武者は在らねばならないが、虎尉守はまだ硬い。芯が足りないのだ」


 沈黙する七呉を見つめながら、三岐守は続ける。


「あれが月山家でどんな扱いを受けてきたかは私も知るところだ。戦が終わり帰る先はあそこでしかないのだろうが、とても芯を休める場所とはいえまい。そうして硬いまま、また戦場に出るだろう。あれはそういう生き方を選ぼうとしている。選びつつある」

「……私には」

「関係のないことか?千代見の。あれに『刃』を与えたのは一体誰であったか」

「――――お詳しいんですね」

「自然と目耳に入るものも多い。私はそういう生き方を選んだ」


 袖を合わせた三岐守は、七呉の冷めた視線も真っ向から受け止めた。伽耶ははらはらと二人を交互に見遣る。

 風が吹き込んだ。開け放たれた障子戸と廊下を挟んでさらに向こうの格子窓から、甘い埃を孕んだ晩春の風が、沈黙する女たちの髪を微かに靡かせる。

 三岐守は今一度茶を一服し、あらためて七呉を見遣った。その目はあの鋭さこそなかったが、逸らすことは許さないと言うかのような強さを秘めていた。


「さて、改めて問おう。千代見の七呉。この先の秋、また白水の地で『戦』が起こる。十中八九霊犠怨怒どもの群れが現れる。そして虎尉守は出陣するだろう。その時、貴公はどこにいる?」


 七呉の沈黙は短かった。


「――……前払いの給与(着到銭)が良ければ戦場にいます」

「ちょ……」


 あまりに実も蓋もない返事へ絶句する伽耶に対し、三岐守は口端を上げて微かに笑った。そこへ「紅様」と、格子窓近くで外の様子を窺っていた羽鶴の声がかかる。

 その声に一瞥だけを寄越した三岐守は合わせていた袖を解き、すらりと立ち上がった。


「今はその言葉を聞けただけよしとしよう……家の者がそろそろ私を探し始めたようだ。私はこれで失礼する。貴公らは四半刻ほど置いてから出なさい」


 慌てて後に続き立ち上がる伽耶と、のそのそ立ち上がる七呉が頭を下げようとするのを三岐守は手で制した。

 そして「また陣中で会おう」との一言を残し、座敷を後にしたのだった。

 残された二人は、座敷の床の間に置かれた枕時計がきっかり四半刻を指したのを確認し、楼閣を出――――今に至る。

 ごろ寝を続ける七呉の部屋の外、廊下の方が俄かに騒がしくなった。市場にいた芸人衆でも到着したのかもしれない。

 七呉はその賑やかさに背を向けて寝返りを打つと、雑嚢と頭の間で腕一本を枕にした。そうして空いた片手を、目の前にかざす。


(誰があの人に『刃』を与えて、あの生き方を選ばせたかって……?)


 そこにはあの日、あの春の日が差す川原で焼きついた魂鋼の火傷痕が、いまだにくっきりと残っているのだった。


(そんなの――――)


 自分の手に額づいてまで取り縋ってきた少年の姿。己の身を焦がしながら施した拙い調打。それを成し遂げたときの、あの喜びの声までが、その痕のように、今も鮮烈なまでに七呉の胸の奥に残っている。

 あの時の喜びの声と、覆面を捲り上げてきた無遠慮な手の向こうから聞こえた声とが重なる。

 虎尉守様、と七呉を含む誰もが頭を下げるような存在になっても、あの無垢な喜びの響きだけは変わっていなかった。あの『声』だけはいっそ残酷なほどに、どこまでも虎篭丸の頃のままだった。


(――――私しかいないだろう。そんなこと、解ってる。解ってるんだ)


 霊脈を通した『声』で嘘はつけない。だからこそ、七呉は知ってしまっている。

 『刃』を手に入れた虎篭丸が、如何にして虎尉守にまで至ったかも。そして、そんな生き方を与えたことすらも七呉へ感謝しているということを。

 霊脈を通じて、七呉はすでに知ってしまっているのだった。

 いっそ忘れてくれていれば、己のためだけに生きてくれていれば良かった。そうしたなら、七呉とて何の未練もなく、その栄達の背中を見送るだけでよかったのに。


(それだけで、よかったのに……)


 七呉は知ってしまった。虎尉守にもまた、自分の『声』を知られてしまった。

 逃れられない波を感じる。立ち止まろうとする自分の背を押し流そうとする、不可視の波を。

 七呉はぐっとその手を握りしめると、賑やかさを増す周囲から自身を守るように、寝る努力を始めるのだった。




 

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