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白虎の調律役  作者: gen.


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十、帰郷





 野宿と木賃宿での雑魚寝を繰り返し、咲き始めた躑躅の蜜を吸いつつ歩き通すこと五日間。七呉は見慣れた山裾の合間に広がる郷の景色が見え始めると、ようやくふやけた躑躅を吐き捨て、歩を緩めた。

 村の入り口では石ころを兵に見立てた子供たちが、棒切れを手に遊んでいる。

 そんな彼らに見つかるまいとすること自体が無駄な努力なので、七呉は大手を振ってそちらに向かい歩いて行った。


「あ、七呉だ!」

「七呉ぉー!どこいってたのー」

「いくさでしょ?おみやげは!?」

「ねえよ。持ってきたことないだろが。ほれ散った散った」

『ちぇー』


 いつも通りまとわりつくように絡んでくる彼らをしっしと追い払っていると、本当に帰ってきたのだという気がする。彼らは大人に――この郷では手に職をつけた時点で成人だ――あしらわれているのに慣れている。七呉が通り過ぎるなり、遊びを再開する声の元気なこと。表情が緩むのが自分でも解った。


「七呉ちゃーん!おかえりー!」

「お稲ちゃーん!ただいまー!」


 田畑を挟んだむこうのあぜ道では、赤ん坊を負ぶって世話する娘衆たちからも声がかかる。

 この郷で七呉ぐらいの年頃になれば、郷内の誰それに嫁いで子供の一人二人いるのが当たり前なのだ。つまり七呉は完全な異端児なのであるが、女だてらに野鍛冶修行をしていた頃からそうなので、今更誰も驚きもしない。そもそも、七呉の祖父、七郎左の野鍛冶という立場自体が、郷ではある種の特権階級であり、彼とその家族に意見するのはよほどの度胸もちか、さもなくば阿呆かと見なされるのがこの千代見郷だった。

 七呉は娘衆へ手を振り返しながら里の中を歩く。既に葉桜となった古木が葉を揺らす道を通り、段々畑を上って見慣れた鍛冶場付きの庵へたどり着くと、煙の立っている鍛冶場ではなく、庵の方へつま先を向けた。


「ただいまー」


 声を張り上げると、庵の中で鎌を研いでいた七郎左が手を止めて振り返る。

 すっかり髪の白くなった彼は、しかし七呉が出ていった時と変わらずしゃんと伸ばした背筋もそのまま、目を細めた。


「不良孫娘がやっと帰ってきたか。今度こそ嫁ぎ先も見つけてきたか?」

「ねえよ。一度も見つけてきたことないだろが」


 でも美人の義姉(ねえ)さんならできたよ、と軽口を叩きつつ、板間に腰掛けた七呉が雑嚢を下ろす。中から取り出したのはケチって貯めた配給米の袋と味噌と塩の壺。さらに拵方働きで得た銭五貫――一貫あれば一年は食うに困らない――である。

 次々出てくる七呉の『戦利品』を前に、七郎左はやはり白いものの増えた眉を八の字に寄せた。


「お前、またこんな……ちゃんと食ったのか」

「食ったよ。楼閣で御膳出された」

「嘘言うな」

「ほんとだもん」

「もういいから風呂入れ。臭うぞ」

「はーいはい」

「いつも言ってるが宿賃までケチるな」

「今度からそうするー」


 水大瓶から掬った雨水で足を適当に洗うと、七呉は草履を脱いで板間に上がり、自分用の行李を開けた。中から数少ない(ひとえ)と手ぬぐい、さらに一本だけ持っている簪を取り出してまた草履をつっかけると、今度は外に出て風呂支度である。

 井戸水を汲んで風呂釜に注ぎ込み、薪を割って火を熾す。一連の作業は手慣れたものでよどみがない。

 そんな七呉の様子を庵の裏木戸から眺めることで、口ではやれやれまったく、とぼやきつつも、七郎左は孫娘の無事の帰還を実感していた。

 そうして踵を返した七郎左は、ふと七呉が荷物を放り出していった雑嚢の中から、華やかな彩色の折り畳まれた紙があることに気づいた。何とはなしに取り出して見れば、それは投扇興の銘一覧である。当然、野鍛冶や野良の拵方にはおおよそ縁のないものだ。

 楼閣で御膳云々、という七呉の言葉を思い出した七郎左は(あいつ本当に遊んできたのか?)と首をひねったものの、ともあれ無事に帰った孫娘のために、味噌汁の支度と冷や飯を温める準備を始めるのだった。

 一方、風呂小屋の簀の子の上で沸かした湯を浴びた七呉は、ようやく頭と体の汗や泥汚れを流し終えることができた。ひと段落だと息を吐きつつ、手桶の中に糠袋を放り込み、手ぬぐいを頭に巻いて風呂釜の中へ入る。

 肩まで湯に浸かると、絞り出すような声が自然と喉を突いて出た。この仕事帰りの昼風呂が、七呉の自分に対する最大のご褒美でもあった。

 今回の戦もよく働いた、という気分にさせてくれる、最高の時間だ。

 そのはず、だったのだが。


「…………」


 薄暗い風呂小屋の格子窓から差し込む光に、誘われるように出ていく湯気。そう、いつもなら何気なく見ているその湯気が、不意に七呉のある部分を刺激して思わず叫び出しそうになった。


(――――せっかく忘れてたのに!ばかやろう!!)


 七呉の戦場(仕事場)に湯煙などない。ないはずだった。

 調律などという、野良拵方には分不相応な大役を任されて、流されるままに成し遂げてしまうまでは。その挙句に深いところの『声』を聞き、聞かれてしまった。

 あの虎篭丸、いいや、虎尉守に。


(祖父ちゃんになんて言おう)


 戦が起きれば足軽用の槍である袋穂などの大量注文を受けることもあるが、普段はあくまで郷の鉄製品、つまり農具や猟師の鉈などの鍛冶修繕を担うのが野鍛冶である。

 とくに七郎左がこの線引きというものを重視しているのは、幼いころから彼を見て育った七呉には身に染みて解っていることだった。

 七郎左は自分たちと武家が関わることへ、良い顔をしたためしはない。虎篭丸のときだって、最初どんな会話があったのか知らないがそのまま追い返すのではないかと思ったくらいだ。

 その虎篭丸が長じて虎尉守に上り詰め、自分を追い回しているなどと知ったら彼がどんな顔をするか。考えるだけでも恐ろしい。

 おまけに気がかりなことはその二つだけではない。


(……三岐守様の話も、どうしよう)


 背かせたいわけではない、と彼女は言っていた。だが実際に頼まれた内容は実質間者めいたものだ。魂鋼を触れることを許している相手に黙って、その中身を盗み見て密告するというわけなのだから。

 気が重い。やりたくない。全部忘れてしまいたい。

 そんなことばかりが頭の中を駆け巡り、七呉はぶくぶくと泡を立てながら風呂釜へと沈んだ。解けた手ぬぐいが浮かぶのが見える。

 そのまま息が苦しくなるまで潜っては出る、を繰り返して、すっかり湯がぬるくなった頃だった。


「釜茹でになる気か。さっさと出てこい」


 風呂小屋の外から、七郎左の声が聞こえたのは。


「はぁーい」


 時間は待ってくれない。風呂釜に手をついて、ぬるま湯からざぶりと体を引き上げる。簀の子に立つとくらりと目眩を感じた。完全にのぼせていた。

 髪を絞って唯一持ってる一本簪で適当にまとめ上げると、胸に晒しを巻いて単に着替える。のぼせた顔にぱたぱたと手で風を送りながら、七呉は庵へと戻っていった。

 庵の中には出来立ての味噌汁と蒸かされた飯のにおいが漂っており、否が応にも腹が鳴る。


「飯と漬物、それに味噌汁しかないぞ」

「十分だよ。そうだ、今度牡丹か紅葉でも分けてもらいに行くかな。あーお腹減った。いただきます!」


 板間に上がった七呉は、しつけられた通りにぱん、と音を立てながら手を合わせると、その勢いのまま箸を引っ掴んだ。

 蒸かされた雑穀米の上に大根の漬物を載せて掻きこみ、青菜の味噌汁で流し込む幸せは、あの遊興楼閣の仕出しの膳では到底味わえないものだ。

 がつがつと飯を頬張る七呉の前に座った七郎左は、腕を組みながらその様子をしばし見ていたが、茶碗の中身が半分になったあたりで口を開いた。


「美人の義姉さんってのは芸妓かなんかか」

「?ちがうよ。拵方。なんで?」

「こんなもんが出てきた」


 ひらり、と目の前に突き出された投扇興の銘一覧に向かって、七呉は思わず味噌汁を噴きそうになった。かろうじて飲み込んだが。捨て忘れてた!と後悔するも、時すでに遅し。

 眉間の皺を深くした七郎左が、目に見えて狼狽する孫娘を睨み下ろす。


「こんな派手な刷り物使ってお座敷遊びとは、拵方も羽振りがよくなったもんだな」

「いや、それは……」

「どこぞの御大名のご専属にでもなったか」

「なってないなってない!」


 むしろならなかったからそれがあるわけで、と結局今回の戦とそれ以外であった出来事を――三岐守のことを除き――何もかも洗いざらい白状することとなる七呉なのだった。

 七郎左は腕を組んだまま黙って聞いていたが、最後まで聞き終えると盛大な溜息を吐いた。そのため息がそのまま重石となって、七呉の身をさらに縮こまらせる。


「――――お前を拵方にしたのは御大名方の遊び相手にさせるためじゃないぞ」

「解ってるよ……」

「なら月山様のことはどうする気だ」

「それは……」

「七呉ちゃーーん!!」


 すわ無限説教が始まるか、と思われたその時だった。

 庵の土間へ慌てて転がり込んできたのは、赤ん坊を背負った七呉の幼なじみのお稲である。興奮しきりの様子で板間に手を突いたお稲の様子に、さすがの七郎左も目を丸くし、七呉も何事かと眉を浮かせた。


「お稲ちゃん、どしたの」

「七呉ちゃんにお客様だよ!御大名様の!!んもうすっっっごい美丈夫の!!」

『…………』


 ものすごく嫌な予感がする。いや、嫌な予感しかしない。

 ぎぎ、とお稲の方から正面へと首を軋ませた七呉は、眉間の皺を谷より深くし、目をつぶって腕を組んでる七郎左、というもの凄く話しかけたくない存在と相対した。

 しかし、話しかけねばならない。だってお稲がいまにも自分の手を引っ張りそうなのである。ご飯がまだ食べかけなのである。


「……祖父ちゃん」

「行ってこい」

「いやあの」

「行ってこい」

「ごはん……」

「いいから行け」


 かくして、目をつぶったままこめかみに青筋を立てた七郎左に追い出されるも同然で、七呉はお稲に手を引っ張られながらのそのそと村の道を歩いていく羽目に相成った。

 果たしてその道の先には、軽装の袴姿で葉桜の木に馬をつないでいる虎尉守の姿があった。おまけに、そんな彼を遠巻きにしつつも、集まって見物している娘たちの姿まであった。


(ものすごく帰りたい)


 でも帰ったら追い出される。と七呉の背負った暗雲に気づいているのかいないのか。お稲は無邪気に、かつ無慈悲にも、ほら行っといで!とその丸まった背中を押しだしてきた。

 もうそうなったら行くしかないではないか。七呉は特定の場における圧力、というものにとても弱かった。特に祖父が背後にいる場合は。

 歩いていく。草履が鉄になったかのように重たいのは気のせいか。今すぐ目の前に大穴でも開いてくれまいか。さもなくばあのあん畜生を――――などと考えているうちに、馬をつなぎ終えた虎尉守があの特徴的な髪を靡かせて、こちらに振り返った。

 かと思うと。


「七呉!」


 輝かんばかりの笑顔である。黄色い悲鳴が上がるのである。今すぐ回れ右したい七呉である。

 どうやら天運は昼寝をしているか自分を見捨てたらしい。七呉はようやくその事実という名の敗北を認めつつ、足早にこちらへやって来る御大名の美丈夫こと虎尉守を無言で見つめた。半端に飯を入れられた腹が鳴る。足りない、と訴えている。


「そろそろ帰ってると思って」

「飯」

「ん?」

「私と話がしたかったら飯おごってください」


 すべてはそれからです、と七呉は据わった目つきで言うのだった。




 

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