十一、忍ぶれど
村内で唯一の茶飯屋前に、人だかりができていた。席を待つ客たちではない。野次馬である。その視線を二分にしているのは、並べられる飯を黙々と掻きこむ野鍛冶の孫娘、七呉と、見るからに郷の者ではない袴姿の美丈夫、こと虎尉守であった。
しかし二人のどちらも、外野の視線などまるで感じていないかのようにその視線はお互い固定されている。七呉の場合は目の前に並べられる豆の入った炊き込みご飯と、味噌汁と、川魚の塩焼きに。虎尉守の場合は、そんな七呉の健啖ぶりに。
頬杖を突きながら、感心しきったように虎尉守が口を開いた。
「そんなに腹が減ってたのか」
「誰かさんが来たせいで食いっぱぐれたんです」
「そいつは悪かったな」
「思ってないくせに」
七呉の箸がぐさりと塩焼き魚へ突き立った。そのまま喰いつかんばかりの勢いだったが、箸を抜いたあとは黙々とほぐしていく。行儀が悪いと祖父ちゃんに叱られると脳裏に過ぎったためである。村内、いや郷内のことは隠し立てができないので、特に。
やがてゆうに二人前はある定食を平らげた七呉は、食後にと出されたお茶を飲んでいた。満たされた腹と共にささくれだった気分は落ち着いていたが、対面からの視線がやけに気になる。虎尉守の七呉贔屓は今に始まったことではないが、それにしても今日はやたらと上機嫌に見えるのだ。言葉がない分、一層不気味だった。
湯呑の中身が大分減ったあたりで、耐えかねた七呉から口を開く。
「なんです?」
「髪」
「かみ?」
「上げているのを初めて見た」
だからなんだよ、と言いたくなるのを堪える。言ってもろくな返事が返ってこないのは目に見えていた。自分から墓穴を掘りに行く馬鹿はいない。
湯上りで邪魔臭かったから適当にまとめ上げただけの髪だ。たかがそんなこと一つで、そんな嬉しそうな顔をするな、と思いつつ、七呉は残りの茶を飲み干す。
「それで、何の御用ですか虎尉守様」
「用か。そうだな」
今考えるのかよ。
「顔を見に来た」
「帰っていいですか?」
「まだ見終わってないから駄目だな」
「いつ終わるんですか」
「俺の気が済むまで」
だからそれはいつだよ。と、湯呑を投げつけたくなる衝動を堪える。はぁ、と大仰なため息をついて、七呉は遠投を免れた湯呑を置いた。
「団子食べていいですか?」
「好きなだけ」
「おかみさーん、追加―」
「あらぁー今日はよく食べるねえー」
恰幅のいい女将が追加の団子皿を置いて、ごゆっくりと言い残しまた奥へ引っ込んでいく。七呉は決して食が細いわけではないが、こういった外食を利用するときは団子一皿が精々だ。いつ何時何が起こっても銭に困らないように、という心構えがそうさせていた。
が、今日は別。目の前にそれはもう懐の深い巾着、もとい支払い役がいるので。
よって遠慮なく団子の串を手にした七呉だったが、ふと、目の前の人物がこちらを眺めるばかりで何も口にしていないことに気が付いた。
「虎尉守様は何も召し上がらないんですか」
「食ってきたからな」
「いつ」
「朝」
「昼食べてないってことじゃないですか!」
信じられないとばかりに声を上げた七呉は、団子の先端を虎尉守の口元に差し向けた。
「食べてください」
対する虎尉守は、先ほどまでの余裕が嘘のように焦った表情で顎を引く。
「いやそれはお前の」
「空腹でまた馬から落ちられでもしたら郷の迷惑なんです。食べてください」
「しかし七呉」
「食べろ」
とうとう七呉の敬語が抜け落ちる。それでもしばし躊躇を見せていた虎尉守だったが、結局はその圧に負けて三色団子の桜色を一つ丸まる齧り取った。その頬が咀嚼のため動くのを注視し、嚥下を確認した七呉の手が、串を斜めにしてさらに突き出される。
「はい次」
白団子が虎尉守の口の中に消えた。同じ要領で最後の緑も食べさせてしまうと、ようやく七呉は満足げに一つ頷き、串だけになったそれを皿へ置いて、自分の分の団子を取り上げる。
この茶飯屋の三色団子は、桜色のものには塩漬けされた桜の葉が、緑のものには蓬が練り込まれている。戦で楽しむ間もなかった草花の名残りを感じさせてくれるそれが、七呉の好物であった。
そんな桜味の団子を味わっていると、対面の虎尉守が何やら口元を押さえて俯いている。耳も赤い。
喉でも詰まらせたか、と思った七呉は口の中のものを飲み込み、思ったそのままを口に出していた。
「喉でも詰まらせました?」
「いや……お前、こういうことを」
「こういう?」
「……なんでもない」
「そうですか。団子あと一本ありますけど」
「……もらおう」
はいどうぞ、と皿ごと差し出すとなぜか残念なものを見る目で見られ、なんだよ、と思いつつ七呉は自分の分の団子を食べきった。
さて、女将が注いでくれた二杯目の茶を飲み干せば、いよいよ茶飯屋での用事はなくなった。いい加減店の前にたかっている野次馬たちの視線が鬱陶しくなってきた頃合いでもあったので、七呉は少し声を潜めて移動しましょう、と提案した。虎尉守も否やはなかった。
先に出た七呉が店前の野次馬衆を散らし終えた頃、支払いを終えた虎尉守が暖簾をくぐって出てくる。
「どこにいきますかっていっても、何もないですけど」
「……川原」
「川原?」
いいですよ、と気軽に承知した七呉だったが、いざ川原まで下ってくると少しばかり後悔した。そこが虎篭丸と『修行』した場所だったことを思い出したからだ。
玉砂利を踏んで、何ともなく一か所へ長居しないようにとつま先を川上へ向けた七呉の背に、声がかかる。
「ここでお前に打ち直してもらったな」
まるで七呉の考えを読むかのように、玉砂利の上で立ち止まったままの虎尉守の声だった。数歩離れたそこで彼は立ち止まり、玉砂利の中に交じって転がっている岩を眺めていた。
「子供の真似事でしたけどね」
「だが実際、俺は救われた」
七呉は手のひらの火傷痕が疼くような気がして、その手を握って隠した。顔を上げた虎尉守の、まるで眩しいものを見るかのような眼差しに居たたまれなくなり、視線を逸らす。
「――――本当にそうお思いですか」
「知ってるはずだ。俺の『声』を聞いた今なら」
「……あなたがそう思っているだけかもしれない」
「なに?」
――――あれに『刃』を与えたのは一体誰であったか――――
七呉の脳裏に、三岐守の声がこだまする。
川原の音は今も昔も変わらず、さらさらと流れている。羽虫を獲りに来る小鳥の囀りも。渡ってくる風の涼しさも。
ただ、もうここに立っているのは二人の子供ではない。二人は変わってしまった。
ちがう。七呉が、虎篭丸を虎尉守に変えてしまった。
「時間の問題だったのに。私が手を出さなくても、いずれ長じられることは解ってたのに。あの時の私はあなたに手を出してしまった」
「俺が苦しんでいたからだろう」
七呉は何も言わない。乾いてきた髪からほつれた幾本かが、風に遊んでうなじへかかる。
「……誰ぞに何か言われたか」
「いいえ」
ただの事実です、と七呉は呟く。そう。それはただの事実。体格が成長するように、魂格が成長すれば溢れていた霊力も収まるはずだった。あの時の七呉自身、それが解っていたから躊躇した。
それでも乞われるままにその魂格を打ち直してしまったのだ。その結果、どうなったか。今となっては稚拙な仕事で、虎尉守が自身と向き合い考える時間を奪ったのではないかという思いすら湧いて出てくる。
黙り込む七呉に、玉砂利を踏む音が近づいた。
「――――それでも俺は悔しかった」
悔しくないのかと叱咤されたことすらも、と虎尉守が言う。
七呉がはっと顔を上げた時には、もう手を伸ばせば届く距離に彼は立っていた。
「あの無念を晴らしてくれたお前に感謝こそすれ、他の思いを抱いたことなどない。が、お前はどうだ。七呉」
「……私?」
「いま……俺を恨んでいるか?」
「!」
七呉は直感した。虎尉守が本当に聞きにきたのはこのことだ。
無言で差し出される手のひらには、魂鋼が昼の日差しを受けて煌めていた。七呉の左胸が大きく波打った。これは命令ではない。強制でもない。ただ、虎尉守は確かめたがっているだけだ。
だから、応えなくていい。やめろ、と脳裏は警鐘を鳴らしている。
だというのに、あれだけ固く握りしめていたのに。七呉の手は緩やかに開かれて、その痕が残る手のひらを、痕の形をした魂鋼の上に今一度重ねてしまった。
虎尉守の指が緩やかに、七呉の手首を包み込む。
互いの霊力が手のひらを通じて行き交う。いつしか川のせせらぎすら遠ざかり、ただ、『声』だけが脳裏に木霊した。
虎尉守の感情の凪いでいた目元が、音もなく綻んでいく。
「――――……よかった」
その呟きによって、七呉もまた自分の本心を思い知った。
最初から、恨んでなどいなかった。いまはただ、虎尉守が心配なだけ。あなたの手を取れないのも、あなたをより深く戦場へ沈めてしまわないかという思いがあるから。そしてなにより、千代見を離れられないから。
そんな七呉の想いが、霊脈を通じてとうとう溢れ出ていく。虎尉守の手指が七呉の手首を辿るように滑り、握り、そして抱き寄せる。魂鋼と手のひらが離れ、互いの『声』が途切れるも、七呉はその腕を拒むことなく、大人しく懐に収まった。
虎尉守の腕がその背に、髪の後ろに回される。
「……恐かった」
その呟きはごく小さく、懐の七呉にしか届かないだろう響きだった。
七呉は、その呟きの先をもう知っていた。『声』が聞こえていたからだ。
「お前に恨まれているのではないかと……あんな場に巻き込んで、今度こそ嫌われたかと、そう思っていた」
だが、と言葉を切って自身の腕の中を見下ろす、虎尉守の目は至極穏やかだった。何かを堪えるような表情でこちらを見上げている七呉に、ふと微笑み。
「お前も……俺を慮ってくれていたんだな。七呉」
七呉の頬へ虎尉守の片手が添えられる。はっと目を見開いて躊躇するように俯こうとする七呉を許さず、その細い顎を捉え、上向かせる。
「ぁ――――」
束の間、影が重なった。七呉の唇を薄く開かせたまま、虎尉守の唇が離れる。互いの吐息も交じり合う距離で、虎尉守は言葉を重ねた。
「いまさらながら……惚れているんだ。腕だけじゃない。お前の魂に惚れている」
だから、容れてくれ。
その声を、『声』を、七呉はもう知ってしまっていた。あの夜の天幕で。この腕の中で。それに対する自分の答えも、もう、すでに。
再び、体温が近づく。これを拒まなければ境を渡ってしまう。そう知っている。知っていて、七呉は――――七呉の踵は、玉砂利を離れた。
柔らかな触れ合いは短く、すぐに虎尉守の唇が七呉のそれを覆い隠すように動く。虎尉守の胸元を掴む七呉の両手が、そこへ皺を寄せさせる。忙しなく角度を変えて交わされる口づけの温度は、とうに互いの平熱を超えていた。
七呉の背を支えていた腕は腰に回され、その顎を捉えていたはずの手はその後頭部に回っている。虎尉守の指先が、絡み合う髪の合間へと潜り込んでくる。すべては七呉の体温を、一滴たりとも逃さぬために。
だが、その手指にほぐされた髪の合間から抜け落ちるものがあった。
それは玉砂利の上に落ち、きん、と硬質な響きをたてた。
「っ!」
その音と髪の解けゆく感覚とが、七呉を我に返らせた。思わず、握っていた虎尉守の胸元へ手をついて全身を退く。
そんな七呉に目を細めながら、虎尉守はそっと腕を解いた。そのまま、玉砂利に落ちた簪を拾い上げる。
それは古びてくすんでいるものの、先端に繊細な菊の花が施された銀の一本簪だった。
曲がっていないことを確かめてから、「いい品だな」と七呉へ差し出す。
「……母の形見だそうです。祖父が言うには」
「母御の……」
「父親も知れない私を生んで死にました。顔も知りませんし、私にとってはただの簪です」
言葉の通り、何の感慨も見えない手つきで簪を受け取った七呉は、また無造作に髪をまとめ上げる。それを見ながら立ち上がった虎尉守は、懐から鮮やかな藤黄と薄葡萄、それに藍海松茶がわずかに混じって織り上げられた組み紐を取り出し、七呉へと差し出した。
「?なんです」
「そうやって上げているのもいいが、うなじをそうも無防備に出されるとな」
気になるから、やはり結ってくれ。
そんなことを苦笑交じりに言われたものだから、熱の引きかけた頬がまたもかっと赤くなった。
「な、なに仰って、というかこんな高価なものいただけません!」
「もとよりお前にと誂えたものだ。要らないなら捨ててくれ」
七呉の胸元で拳になってた手を、無理やり開かされて握らされてしまう。
その強引さに七呉の口は何かを言ってやろうとして失敗した。手触りだけで上物と解る。こんな正絹の組紐、捨てられるわけがない。はくはく、としばし口を開いては閉じ、を繰り返した結果。
「か、金持ちはこれだから……!勿体ないという言葉をご存じないのですか」
などと憎まれ口をたたくのが精々だった。
懐へ乱暴に突っ込まれる組紐。それでも受け取らせただけで十分だというように、虎尉守は笑みを深めてその様子を眺めていた。かと思えば、川上の方へと視線を投げる。
「さて、行くか」
「どこへ……」
「お前をもらい受けるなら、挨拶をせねばならんだろう」
さらりと言われた一言に、七呉は思わず絶句した。したが、してる場合ではないと慌てて気を取り直す。
「もら――――あのッ言っておきますが私は千代見からは」
「解ってる。だが次の戦が起きたときは、俺の傍にいてほしい」
「っ……」
「これからもだ。それは……願ってもいいことだろう?」
虎尉守の色違いの双眸は再び、七呉のそれを捉えていた。強引で、不遜で、けれどいつもどこか縋るような色を帯びたその眼差しに七呉が弱いと、果たして知っているのかいないのか。
七呉は少しの沈黙を挟んで、わざと大仰な溜息を吐いて見せた。
「……本当に、しょうのない方です。あなたは」
それを了承ととって笑った虎尉守の差し出した右手を、自身の左手で握る。
七呉はその手に引かれるまま玉砂利の河原を、川上へ――――祖父、七郎左の待つ庵へと向かい歩き始めたのだった。
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