六、御具足衆
陣小屋が立ち並ぶ陣外と、陣内屋敷が並ぶ本陣内の大きな違いの一つに、その土地の元あった建物を接収してるか否かというものがある。
現代の戦が起こると周辺住民は警報ともとに避難を余儀なくされ、そして残された土地、建物は戦のために一時的に接収されるという決まりがあった。
そうして造られる、というより新しく宛がわれるのが拵方の寮などであり、二階建て以上の建物は御具足衆専用の社交場、兼遊興場として宛がわれる。これを遊興楼閣と呼んだ。
楼閣を利用するか否かは御具足衆各自の勝手自由とされていたが、御具足衆筆頭の現八塩守が酒席を好むということもあり、誰ともなくその日の出陣が終われば顔を出すというのが通例になっていた。一部、それに従わない者たちもいるにはいたが。
「あの鎮北守がご専属を決めた?」
驚きを隠せない八塩守の声が、三味線の調べが流れる座敷に響く。彼の手にした杯がちゃぷりと音を立てたが、中身は辛うじて零れなかった。
彼は一つ瞬いた後、ぱっと花咲くような微笑みを浮かべた。
「これはあらためて一席設けねばいけないな」
その笑みを受けて、話題を提供した張本人、御具足衆の紅一点たる三岐守こと鬼能紅緒は鼻を鳴らす。
「今までが遅すぎただけだ」
背後に差し出した杯が酒で満ちると、彼女はそれを一息で飲み干した。そんな二人のやり取りに、ふと三味線の調べが止む。撥を持つ手を止めたのは芸妓ではなく、彼らと同じ御具足衆の一人、瀬筒守、灘蔵之介義孝であった。彼は面白がる笑みを隠しもせず、べべん、と興行師の口上前のように撥を滑らせる。
「どんな拵方があの猛禽――失敬、猛将の腰を据えさせたか、実に気になりますねぇ」
とそこへ、皆様お揃いで、と新しい声が板敷の廊下を踏む音と共にやって来た。
開かれた障子戸を潜ったのは、一見すると少年とも少女ともつかぬ小柄で中性的な風貌の人物。しかしその顔を斜めに覆う眼帯が、この人物もまた戦場に生きる人間なのだと知らしめている。
「黒綱、鎮北守がとうとうご専属を決めたぞ」
八塩守が空にしたばかりの杯を掲げて、喜色も露に呼びかける。
そんな声に対して、白水守こと黒綱主計清安はその赤い口元に薄っすらと笑みを刷いた。
「ああ、拙めも先ほど伺ったばかりでして……聞き間違いではなかったようですね」
言いながら彼がついた席は、瀬筒守と同じ下座であった。白水守の前にも瓶子と杯、それに肴を載せた膳が据えられる。彼の背後から伸びた手が、その瓶子を取り上げた。
六将家直系の出である八塩守、三岐守に対し、瀬筒守、白水守は各州を治める海棠家、祢鼓谷家の麾下の出であり、彼らは同僚でありながらも、明確に上下関係が存在していた。
虎尉守ようにあまりに能力が突出して、それらを気にしない輩もいるにはいるが。
「拙の耳は、件のご専属、なんでも虎尉守殿のご専属と目されていた才女と聞きましたが、皆さまもご存じで?」
「いいやそれは――――とするとあの三ノ輪家の伽耶か?それは……いや、いや、なんにせよめでたいことはめでたい」
当たり前のように背後に差し出した杯に酒が満ちるのを確認してから、白水守が口を開く。一度言葉を切って手元の杯を干した八塩守は、わずかな驚きを見せるも、またすぐに上機嫌な笑顔に変わった。
「なあ松實。ご専属が増えるぞ。仲良くしてやってくれ」
「それはめでとうございますが、御酒もほどほどになさいますよう」
振り返りつつ、早速次を催促するように空の杯を差し出す八塩守へ、瓶子を手にした八塩守のご専属拵方、花路松實が形の良い眉尻を下げる。
花路だけではない。彼ら御具足衆の背後、あるいは斜め後ろには、全員副官のようにご専属たちが控えていた。
三岐守の後ろにはおさげ髪に人形めいた風貌の少女が、瀬筒守の後ろには長髪をゆるく結わえた若い見目の男が、白水守の後ろには、頭の形が判る程の短髪に、その無表情もよく見える青年が。
それぞれに瓶子、あるいは肴をほぐす箸を手にして、自身の御具足衆の酒席の世話をしている。御具足衆たちもまた、それらを当然のように受け入れていた。
「乾杯しよう。正式な席はまた別に設けるとして、前祝だ――乾杯!」
『乾杯』
八塩守が掲げた杯に、現状逆らうものはいない。そうして、ささやかな酒席の夜は更けていった。
宴がお開きになった帰り道も、八塩守は上機嫌のままだった。彼の真後ろを花路が、左隣を白水守が歩き、白水守の後ろには彼のご専属である佐治英直が続いている。
季節は晩春。花の盛りは終わりつつあるが、夜を過ごすには心地いいそよ風が吹いて、八塩守の酒気を帯びた頬を撫ぜていった。
仰ぎ見た夜空にはその輪郭を淡くぼかした月が昇っている。
「いい夜だ。こんな夜が続けばいいな。黒綱」
「ええ、全く仰る通りで……」
白水守が微笑みと共に同意すると、ふと笑みを薄めた八塩守が何事かを考えるように前を向いた。
切り揃えられた前髪が、額の上でさらりと揺れる。
「これで残るは、あと一人か」
「実質決まったようなものではございませんか?」
「いいやだめだ。御具足衆がいつまでも独り身であるなど。刀身には刀身に合わせた鞘がいる。そのための拵方だ。儀式は儀式。きちんとせねば示しがつかない」
八塩守は肩越しに自身のご専属、花路を顧みた。花路はその整った顔に柔和な笑みを浮かべて頷いて見せる。八塩守もまた、その笑みに満足したように再び前を見た。
一方で、提灯を提げて彼の足元を照らす白水守はその薄い笑みを崩さないまま、首をひねる。その拍子に、後ろで適当に結わえている髪が肩から滑り落ちていった。
「あの虎の子がご執心の娘、ええと、なんと申しましたか……」
「七呉だ。千代見郷の出の七呉」
「さすがは八塩守殿。よくご存じで」
「あの虎尉守が討ち取った、霊犠怨怒の呪毒を一刻もかけずに抜いて見せたそうだ」
「!それはまた……随分な "掘り出し物" でございますね。虎の子のご執心もむべなるかなと申しますか……」
薄ら笑いを引っ込めて白水守は眉を持ち上げる。後ろを行くご専属たちも驚きを隠せていない。
霊犠怨怒とは御霊具足の天敵ともいえる妖魔なのだが、その中でも厄介なのが吐き出す呪毒である。霊脈を冒す呪毒は刻一刻と広がるため、拵方は早急にこれを断ち、かつ刀身武者の霊脈の流れが止まらないように自身の霊脈で補完するという複雑な作業が要求される。さらには抜き取った呪毒を一時的に引き受けなくてはいけないため、拵方自身にかかる負荷も相当なものがあった。
複雑かつ緻密、それゆえ慎重にならざるをえない作業。それが呪毒の除去である。熟練の者でも一刻かかって当然のところを、それをまたずに成し遂げたとなると、件の拵方は文字通りの天才ということになる。
しかし八塩守はそののんびりした調子を崩すことなく、緩やかに首を横に振って見せた。
「拵方は物ではないよ、黒綱。例えるなら、野に咲くのが性に合っている、野趣溢るる野菊のような性分の娘なのだろう」
そう言った八塩守は不意に立ち止まった。白水守も当然のように立ち止まり、八塩守の視線の先を追う。そこには早咲きの藤の花房が、夜風にゆったりと靡いてはその香りを散らしていた。
八塩守はその香りを楽しむように、一際深く息を吸い込み、そして吐き出す。
「ただ花は散り方に名があるように、摘み方切り方も型というのがある。虎尉守はそれを知らないだけかもしれない」
「と、申されますと……ご教導なさるのですか?」
「そんな大層なものじゃない。もう彼らの縁は結ばれている。結び目が緩いだけだ。だから、僕はただ……それを少し早めに締めてあげたいのさ」
至極穏やかにそう言って、八塩守のつま先は再び陣内は板敷廊へと向かい歩き出す。
再びあの薄い笑みを口元に浮かべた白水守も、その足元を照らしながら浅く頷いて見せた。
「それは、それは。八塩守殿のご厚意に、さすがの虎の子も牙を仕舞うでしょうな」
「だといいが、そうだ。よい置き屋を探しておいてくれるか」
「はい、拙めにお任せを」
「よかった。君に任せれば安心だ。ああ――――本当にいい夜だな」
夜は更けてゆく。話題に挙げられた誰一人として知ることもないまま、その流れはすすんでいく。
かくして、七呉、伽耶、虎尉守、鎮北守のもとへ、八塩守主催の宴席への招待が届くのだった。
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