四、伽耶と鷲
三ノ輪伽耶は焦っていた。
ながらく自身を重用し、いずれご専属に指名すると思っていた虎尉守は、突如無名の野良拵と思っていた千代見の七呉を指名し、しかも七呉はそれを蹴った。というのに虎尉守は指名を続けている。
伽耶は白水州の裕福な廻船問屋に生まれ、蝶よ花よと育てられた。だが自身の能力で、尊敬する祖母のように女だてらに一代で身を興して見せると神社で修行を積み、実際人並み以上の能力を示してきた。
そんな伽耶にとって、これは人生計画における初めての挫折となりかねない事態であった。
(いいえ、まだご専属は決まっていませんわ。忌々しいけれど、あの千代見の拵方が首を縦に振らない限りは……)
それまでに、自分の有能さを今一度虎尉守へ知らしめれば、必ずや。
そう意気込んで今朝の支度を終え、陣内でも拵方に割り当てられている寮という屋敷を出た伽耶を待っていたのは、朝議における拵方組頭からの無慈悲な通告だった。
「三ノ輪伽耶、今日から鎮北守様の御具足調役組へ転属とする」
「は……?」
「鎮北守様の調律をできる拵方が足りんのだ。虎尉守様はあの状態であるし、そなたほどの優秀な腕を遊ばせておくわけにはいかん」
頼んだぞ。その一言だけで、組頭は忙しなく次の通達事項へと移ってしまった。
伽耶の周りの拵方たちがざわめき、囁き合いをかわすが、そんな彼らより伽耶の心の方がよほど荒れ狂っていた。立ち姿には出さないのが、精一杯の矜持と言えた。
(鎮北守――――鎮北守ですって……!?)
よりにもよって御具足衆の中でも一番野蛮で、多くの拵方を使い潰していると噂の男だ。
しかもただの武者ではない。六将家のうち、最北の大地鎮北道を支配する飛鷲家の嫡男である。その名を飛鷲道慈季綱。世にも珍しい、弓型の装備と打刀を併せ持つ刀身武者だった。
そんな刀身武者の御具足調役になどなれば、どのような扱いを受けることになるか。
(……いいえ、ちがいますわ、伽耶。お前は刀身武者のご威光ではなく、己の力で身をたてると誓ったんじゃありませんの)
竦みそうになる自身を叱責した。そうだ。相手がどのような武者であれ、自身の有能さを示せればよい。たとえそれが凶猛さで知られている、六将家の人間だろうが、構うことはない。
お勤めを果たせばよいだけだ。そのはずだ。
そう信じて鎮北守の拵方組に合流した伽耶は、しかしその日の帰陣で絶句することになる。
「整列!」
組頭のいつもの掛け声とともに並んだ一同の合間を、あの風圧が野分のように奔っていく。いつもより頬を打つ覆面を痛く感じたのは、気のせいだろうか。
だがそんなことよりも、伽耶は目の前に降り立った御霊具足の有様に言葉を失っていた。手ぬぐいを持った同僚たちが駆けていくのにも、出遅れるほどに。
その御霊具足はあちこちに細かな傷が散らばっていた。大袖は一部外れかかっているし、籠手や草摺、脛宛などにも錆が見られた。それが具足本来の艶やかさを欠いており、まるで骨董屋の奥から引っ張り出してきた、御霊具足が開発される以前の古びた鎧兜のように見せていた。
如何に刀身が拵方の調律をまともに受けてこなかったか、いや受けようとしなかったかが明らかなものだ。
(この程度の損耗なら、霊力を注入すればすぐ治るものを……)
御霊具足の損耗は即ち刀身武者の魂の損耗でもある。一つ一つの傷は小さくとも、これだけあれば相当な負担になるはずが、一体どうして鎮北守はこれを放置し、戦場に赴いているのだろう。
野蛮な、の一言ではもはや片づけられない、言葉を選ばずにいうなら狂気の沙汰だ。
伽耶はいつものか分からない脛当の傷に妖魔だったものの破片が入っていないかを慎重に検めながら、ご神水の湯でそこを磨き上げていった。
ふと視線を上にやると、手ぬぐいを持って梯子を上った数名が開かない胴丸へ戸惑うように手を浮かせている。ここが虎尉守の組であれば、伽耶もあの一人になっていたのだろうが、今となっては意味のないことだ。
なにせ、伽耶がこの組に入れられた理由は、組頭からの通告ですでに知れているのだから。
伽耶は自分に割り当てられた脛当表の磨きと点検を終えると、それを御具足調役の組頭へ報告しに行った。意味があるのかもわからない、傷の数もきちんと計上した。
「三ノ輪の伽耶、このままそこで待つように」
「はい」
やがて御具足調役の全員が梯子を下りて組頭への報告を終えると、それを点検表へ記し終えた組頭が声を上げた。
「――――鎮北守様、お清め調べ仕上がりまして御座います!」
蒸気の噴出に似た音と共に胴丸が開く。そこから現れた刀身の姿を見、伽耶は我知らず背筋が伸びていた。
まず、目だ。目が違う。虎尉守の色違いのそれはいつも涼しく凪いでいたが、鎮北守の目はその場のすべてを睥睨するまさに猛禽のそれと言えた。体格も虎尉守の比ではない。まるで人の形をした小山が動いているようだ。
梯子を使うのもそこそこに、地に降り立った鎮北守のずん、とした音は在りもしない地響きを伽耶に錯覚させた。
すかさず組頭が付いてくるようにと伽耶に命じて、その場に立つ鎮北守へと歩を進める。
「鎮北守様、無事のご帰陣何よりでございます」
「……」
鎮北守は口を開かない。厚い唇を横一文字に閉じたまま、組頭に何の用だと言わんばかりの視線をくれるだけだった。
「こちらは、この度新しく鎮北守様の御具足調役に抜擢されました拵方にございます」
「――――」
頭を下げた伽耶もまた、口を開かず、名乗らない。しかしこれは拵方としての規則に則っての対応だった。今までの虎尉守に対する振る舞いが許されていたのは、ひとえに彼が自分を "贔屓" していたからである。今となっては、それも虚しい過去の一つだが。
伽耶の虚しさをよそに、組頭の口上は続いている。
「つきましては、この者に此度のご調律を任じたく」
「いらん」
初めての、鎮北守の発声だった。太く低く、存外に好く通り、静かな――――
「女は堪え性がない。使い物にならん」
(――――は……?)
頭を下げたままの姿勢で、伽耶は頭上から降ってきた声を脳内で反芻した。
いま、この男は何と言った?
いらない、までは解る。これまで散々に拵方をあしらってきたのだろうから。だが、この男は続けて何と言った。
虚しさが多勢を占めていた伽耶の胸中に、ぼ、と音を立てて火が点る。虚無の塵を一瞬で焼き尽くすほどの、怒りの炎が。
雑にあしらわれるのはいい。だが、女だからと、侮られるのだけは我慢がならない!
目の前の戦装束に身を包んだつま先が踵を返すのに合わせ、伽耶は慌てる組頭の声を待たず顔を上げる。
「使い物にならないか否かは、使ってから仰ってくださいませ」
その巨大な背中に向けて、気づけばそう言い放っていた。
鎮北守の歩みが止まる。組頭がこちらを向いて、覆面ごしでも判るほど、外れそうな勢いで顎を開いているのが見える。
だが、もう言ってしまった。言ってしまったことに後悔はない。
たとえ肩越しに向けられた鎮北守のあの眼光が、如何に鋭くても。
「……勝手にしろ」
「そうさせていただきますわ」
再び前を向いて歩き出す鎮北守の後ろを、伽耶は半ば小走りになりながらついていった。
刀身武者の天幕には世話役の小姓がついている。帰陣した彼らの着替えを手伝うのも、ご神水の満ちた鍋を火にかけて、盥や手桶を用意しておくのも彼らの仕事だ。そして伽耶は彼らが鎮北守についてその仕事をする傍ら、衝立の向こうに用意されていた新しい調律用の装束へ袖を通していた。
(みてらっしゃい。誰にものを言ったのか、思い知らせてやりますから……!)
おおよそ、主と従とされる刀身武者に対して拵方が持つ感情ではないことは解っていたが、最早そんなことはどうでもよかった。
支度を終えた伽耶が衝立の向こうに出ると、丁度湯帷子姿になった鎮北守が盥に座すところだった。小姓たちが鎮北守と伽耶へ一礼して、外へと出ていく。
火から降ろされた鍋から立ちのぼった湯気が、天幕内に満ちつつある。その中を見た目だけなら静々と進んだ伽耶は、手桶で湯を汲み、その温度を確かめた。
少々熱い。が、問題になる程度ではない。
「失礼いたします」
返事はない。が、それもどうでもいい。
まずは鎮北守の元結を解いて、その髪を用意されている櫛で梳く。硬く張りのある鎮北守の髪は独特の癖があり、梳いても梳いても大人しくはならなかった。しかし調律には関係ないので一通り梳き終ると、構わずその髪を左右の束に分けて、肩前へと流した。
正直なところどこからが肩でどこからが首というべきなのか、その隆々とした筋肉を前に若干の疑問が出たものの、分けられたからよしとする。
次に手桶の湯を両肩に、ほとんど僧帽筋で埋もれたうなじにかけていく。五回のそれを終えると、いよいよ両手の出番だ。
(……本当に、どこまでがうなじなのかしら)
髪を分けたものの、鎮北守はその下に鬣とでもいうべき逆毛が生えていた。とりあえずは長い髪束との境目、その鬣の上をうなじと決めて、伽耶は両手を重ねる。
「始めます」
あれだけの傷を抱えて尚、平然としている鎮北守の霊力。一体どれほどのものかと思いつつ、伽耶は自身の霊脈を励起する。それを呼び水に――――
「ッ!!」
――――噛みつかれた。違う。遡ってくる!
まだほんの序の口、いうなれば霊力を一たらし注ぎ込んだだけだというのに、それでも鎮北守の霊力、いや霊脈はまるで濁流の如き勢いでこちら側へと押し寄せてくる。
あまりに強大で、暴力的な魂の奔流がそこにあった。わずかでも気を緩めれば、こちら側の霊脈を侵食し、暴れるそれに染め替えられてしまいそうだ。
(……そういう、ことでしたのね……!)
あまりにも頻繁な拵方の入れ替わり。野蛮だ、凶猛だという噂。わざわざ伽耶が指名された理由。
鎮北守の霊脈にあてられ自身の霊脈まで言うことを聞かなくなれば、それは霊脈の流れを管理する拵方として致命的な疵となる。
文字通り、この男に使い潰されてきたのだ。これまでの調律役は。
(でも、だからといって――――わたくしまで言いなりになると思ったら、大間違いでしてよ!)
伽耶は自らの霊脈をより強く励起し――――荒れ狂う鎮北守の霊脈に真っ向からぶつけた。ばちりと、不可視の火花が伽耶の瞼奥に散る。
それは拒絶だった。調律は本来霊脈同士を重ね合わせるように交感して行うものだが、今回の伽耶のそれは、重なり合いを拒否し、侵食を跳ねのける。
いうなれば、霊脈で霊脈に平手打ちをかましたようなものだった。
「!」
鎮北守の肩がわずかに揺れる。だが霊脈はより明確に、その動揺を示すように動きを止めた。
その隙を逃さず、伽耶は一気に相手の霊脈を捉えて、ありったけの霊力を流し込んでいく。鎮北守の疵は霊脈上無数に存在したが、伽耶はそれを一息に押し流す要領で自らの霊力で補填していった。
我に返ったのか、鎮北守の霊脈の呼吸が元に戻る。その度に暴れようとする彼の霊脈を、伽耶は無理やり抑え込み自分の霊脈の流れへと引き込んだ。好き勝手に暴れようとする奔流を、土嚢で埋め立て、押しやり、正しい――整った流れへと造り替えていくように。
決してその暴力的な霊力には屈せず、往なし続けた。そうすることで出来る隙を逃さず、霊力を注ぎ込んでいく。
調律と言うより、それはほとんど格闘に近かった。肉体ではなく、霊脈同士のぶつかり合いだから成立した格闘だ。
そしてとうとう、伽耶は鎮北守の最後の疵を補填しおえた。その頃には轟々と流れる勢いはそのままに、彼の霊脈もある程度の落ち着きが見られるようになっていた。
だが、そんなことは今の伽耶にはどうでもいいことだった。即座に霊脈を引き上げ、手を離す。
「調律、終わりましてございます」
淡々とした締めの言葉と共に、伽耶は頭を下げた。周囲の湯気はすっかり消えていた。
顔を上げると、鎮北守がこちらへ振り返っていた。あの睥睨するような目つきではなく、信じられないものを見る目で。
しかしなにも言葉はなかったため、伽耶は衝立の向こうへ行き手早く身なりを整えると、それでは失礼します、というやはり事務的な言葉と一礼を残してさっさと天幕を後にした。
鎮北守の視線は最後まで伽耶の背にあったが、ついぞ言葉が投げかけられることはなかった。
板敷廊を行く伽耶の足取りは、最初は静々としたものだった。だが段々とその速度を上げ、最後は小走りめいたものになった。
(やってしまった――――やってしまいましたわ!)
よりによって六将家の嫡男だという男の霊脈を打ち据えて、抑え込んでしまった。しかも着任したその日に。
(でも、でも後悔はしてません。わたくしはわたくしの務めを果たしたのですもの!)
そうだ。あれだけあった疵を全部癒して見せたのだから、文句はあるまい。あるまいと思いたい。そうして自分を鼓舞する一方で、伽耶は戦々恐々する胸の内を、置いた拳で落ち着かせようとした。
したが、天はそんな努力を嘲笑うかのように、彼女へさらなる冷や水を浴びせかけた。
虎尉守の天幕の方から、歩いてくる人影が見えたのである。この時機、この時間に虎尉守の天幕から独りで出てくる人間など一人しか考えられない。
伽耶は丸まりかけていた肩を張り、背筋を伸ばした。もはや条件反射とも言えた。
それからさも偶然ですと言わんばかりに――いや実際に偶然ではあるのだが――その人影こと、千代見の七呉に声をかけた。
「あら、あなたもお勤め帰りですの?」
「ええ、まあ……」
疲労も露な、曖昧な返事が返ってくる。ぽりぽりと頭を掻きながら答えた七呉の顔は、声と同じくほとほと疲れたという表情を隠しもしない。
疲労しているのは伽耶とて同じだったが、それ以上に狼狽していた。だが、この娘の前でそんな姿を晒してなるものかという一念が、伽耶の背筋を曲げさせなかった。それが虚勢だったとしても。
「一仕事ごとにそのように疲れた顔をしていては程度がしれましてよ。では、お先に」
そう言い捨てて、伽耶は颯爽と七呉の前を通り過ぎ、寮への道を歩いて行った。
(……何かしら。この状況は)
翌日、伽耶は覚悟を決めて朝議に臨んだが、そこで予想された組頭からの厳重注意や罰則の通達は一切なかった。鎮北守の担当として先輩にあたる拵方たちも、何事もなかったかのように伽耶に話しかけてくる。それが一層不気味だった。
そしていま、伽耶は昨日と同じく割り当てられた脛当のお清め調べを行っている。
(あ、またここに……)
昨日直したばかりだというのに、真新しい疵が出来ている。その周囲を慎重に拭いながら、伽耶は先輩らから聞かされた話を思い出していた。
いわく、鎮北守は世にも珍しい弓兵型の御霊具足だが遠距離攻撃一辺倒というわけではなく、『矢』を撃ち切ると即座に突撃へ移行するため傷が絶えないのだという。
(これも今日、わたくしが調律しますの……?)
昨日の今日でこれならば、一体この先は何度同じことが繰り返されるのだろう。あと、その度に自分はあの霊脈と相対せねばならないのか。
そんなことを考えていた伽耶は他の御具足調役たちと同じように、お清め調べのあと梯子を片付けて早々に寮へ引き上げたい、と思ったが当然のように組頭から制止された。お前は調律があるだろう、と。
「そのことですが、組頭」
「なんだ――待て」
取り下げて欲しい、と続きかけた声が遮られる。背後ではあの胴丸の展開音が聞こえていた。ああ、間に合わなかった。重たいものが落ちる、いや飛び降りる音がする。
それと共に、近づいてくる足音が二つ。気づけば組頭はそちらの方を向いて、頭を下げていた。何事かとその足音の方を見遣った伽耶は、同じく慌てて頭を下げることとなる。
「ああ、顔を上げてくれ」
やんわりとした笑みを帯びた温和な声が降ってくる。それと共に、あの足音が背後からも近づきつつあった。
伽耶たちは声の主に従ってそろりと顔を上げつつ、さすがに足音の方にも背を向け続けることはできずに、その体の向きを若干変える。
「やあ、鎮北守」
「……何の用だ」
鎮北守ですら、無言を貫き通さない。
それもそのはず。やって来たのは御具足衆のまとめ役と目されている八塩守――――神州皇国第一の大陸、八塩州を支配する幡川家の嫡男、幡川吉右衛門匡芳である。
天は二物をあたえずとはいうが、天そのものに愛されたらこんな風な人間になるのだろう、と伽耶は思った。八塩守は晩春の宵風に髪を靡かせる様すら、女を参らせ、そして男からはやや忌避されそうな様になる美男子であった。その傍ら、というよりも後ろには、当然のように自身のご専属なのだろう、覆面のない女性の拵方を連れている。
「用ってほどのことじゃあないが、今日は無茶な突撃を堪えてくれたな」
「……そうするべきだと思っただけだ」
あの傷で?と思った伽耶だがさすがに口を挟めない。八塩守は鎮北守のぶっきらぼうな返事を気にした風もなく、ただ笑みを深めた。
「これからもその調子で頼むよ」
そう言い残して、八塩守は拵方を連れ立ち去っていく。忙しく行き来する拵え方たちも、彼に気づくと慌てて立ち止まり頭を下げる。まるで彼の周りだけがそういうった絵図のようだと茫然と見送る伽耶の背中へ、不意に声がかかった。
「おい」
「っはい?」
振り返れば、すでに自身の天幕へ向かって歩き出そうとしていた鎮北守が立ち止まり、こちらを見ていた。そう、伽耶だけを見ていた。あの目で、真っすぐに。だが不思議と、昨日のような圧は薄れているように思われた。
「お前、来い」
それだけを言って、彼はまた歩き出す。唖然として見送っていた伽耶だったが、組頭に急かされ我に返ると慌ててその後を追った。
朝議から感じていた不気味な沈黙の正体を、追い駆けるような心地で。
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