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白虎の調律役  作者: gen.


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三、虎の七呉・下





 七呉の手が、自身の魂鋼と重なった。覚悟はしてもびくりと跳ねた虎篭丸の手は、咄嗟に彼女の細い手首を掴んでいた。けれどそんな反応も気にせず、七呉は目をつぶっている。

 手のひらから伝わる体温と、それ以上に澄み渡った温もりが魂鋼を通して虎篭丸の中へ流れ込んできた。

 それが七呉の霊力なのだと気づいたのは、彼女の唇が動いてからだ。


「……本当に荒れてる。霊力は、すごい強い。どうして?こんなに強いなら……――待って」


 不意に、七呉の声色が変わった。虎篭丸の心臓が跳ねる。


「……魂格は?どうしてこんな……脈から溢れて……そうか、溢れてるのか」

 

 ぽつり、ぽつりと七呉の唇から言葉がこぼれていくが、虎篭丸はその意味の半分も理解できない。ただ、彼女が何かを掴みつつあるということだけは解った。

 そうして、七呉の手が重なってから初めて動いた。あの容赦のなかった細い指が、虎篭丸の手首を微かに撫でた。まるで、慰撫するように。


「……こんなんじゃ、痛かったろうに」


 虎篭丸は息を呑んだ。

 いま、この娘はなんと言った?


「わか、るのか……?」

「解るよ。あんたは霊力が強すぎるんだ。まだこれから成長するのに、先に霊力、魂の方が育っちまってる。なんでかはしらないけど……その目、と髪」


 七呉の目が開いた。痛ましいものを見るかのように。


「神蝕だろ?あんた、こんなんじゃ小さい時から相当苦労したろ」


 虎篭丸は、七呉が触れていない、まだ布団に隠れている方の手を握りしめた。

 泣くな、と自らに言い聞かせて。

 泣くな。これ以上、この娘の――七呉の前で無様を晒したくないと。

 だが、だめだった。どうあってもこの体は、虎篭丸の言うことを聞かないらしい。

 胸の奥から湧いたものが見開いた両目の端から、熱いものとなって溢れ出てしまった。


「いまも痛むの?」

「……痛まない」


 そう、と心配の声を引っ込めた七呉が、今度は難しい顔になって首をひねる。


「集中しようとすると魂格――魂の殻みたいなものが硬くなるんだ。でもあんたの魂は大きすぎてその器に納まらない。だから痛むんだよ。でも、どうしよう。そうなると……」

「……直せ、ないのか?」


 魂の殻、などと言われても虎篭丸には想像も付かないものだった。ましてや治療法など見当がつくはずもない。自分の状態を言い当てた七呉ですら、難しい顔をしている。

 無意識のうち、虎篭丸は七呉の手首を掴む手に力がこもっていた。

 ちがう、と言ってほしい。方法があると言ってほしい。

 七呉に救ってほしい。この泥沼から、掬いあげてほしい。


「……直せ、るかもしれない。でも、一朝一夕じゃ無理だ。それに――祖父ちゃんがなんていうか」

「七呉」

「!ちょっと、あんた」


 起きちゃだめだよ、という七呉の声を無視して、虎篭丸は軋む体を無理やり起こそうとし、失敗した。それでも起こそうとして、七呉の手を掴んだまま半分寝返りを打ったような姿勢になった。

 七呉の手首を、もう一つの手で掴む。


「頼む、七呉。直してくれ」

「でも……」


 七呉が躊躇を見せている。詳細は虎篭丸にも解らないが、そこに七郎左が関係しているのだろうことは先ほどの言葉からも解っていた。

 それでもいま、諦めるわけにはいかなかった。


「後生だ。俺は――――お前に逢うためにここに来たんだ」

「…………」


 そう、希望の光をつかみ取るために、ここまでやって来た。そしてそれは今目の前に、七呉という少女の形をしてここにある。


「助けてくれ。七呉」


 恥も外聞も捨て去って、虎篭丸は握りしめたその手首に額づいていた。この手を離したらすべてが終わってしまう。そんな気がして。

 長い沈黙が下りた。外からは変わらず、七郎左の振るう鎚の音が聞こえている。


「……条件がある」

「!なんだ?」

「一つ、ここにいる間は私に逆らわないこと。二つ、これからすることは『声』を聞くことだと祖父ちゃんには言うこと。三つ、終わるまで絶対逃げ出さないこと」


 まとめると、魂格を直す代わりに七郎左には最後まで黙っていろ、ということだった。

 あの七郎左の透徹とした眼差しを思い返すと、果たしてどこまで自分の嘘が通用するのかという不安はあった。あったが、拒否するという選択肢を、虎篭丸は端から擲っていた。


「……わかった」

「よし。あんた、名前なんだっけ」

「……虎篭丸」


 自分の決意の重さを理解しているのだろうかと怪しみつつも、一応素直に答える。これで拗ねたところで七呉の気持ちが変わってしまう恐れしかなかったからだ。


「ころうまる、虎篭丸、ね。長い名前。祖父ちゃんみたい」


 お武家様ってみんなそうなの?と七呉が口の中で転がす名前に、虎篭丸は少し落ち着かない気分になった。

 そんなに無邪気に、何の衒いもなく呼び捨てにされることなど、これまで一度たりともなかったから。

 かといって、決して悪い気分はしなかった。七呉が虎篭丸、と呼ぶときは、何故か本当に『自分』が呼ばれている、と、そんな気がしたからだ。


「じゃあ虎篭丸、とりあえず手、離してくれる?」

「!すまん」


 あまりに強く握り過ぎていた。慌てて離したが、七呉の手首にはくっきりと、虎篭丸の魂鋼が食い込んだ痕が残ってしまっていた。その赤い痕にも虎篭丸は落ち着かない気分にさせられた。が、七呉はそんな傷にもなっていない痕はどうでもいいと言わんばかりに、解放された手をするりと抜いた。

 あの温もりが、七呉の霊力が遠のいていく。

 途端に、虎篭丸は例えようのない寒気のめいたものを感じた。もう長いこと、感じていなかった。いや、感じているのが当たり前になっていた、その寒々しさ。

 それを寂しさと呼ぶのだということは、まだ虎篭丸自身も気づいていなかったが。


「次は寝ること。あんた酷い顔だよ」

「馬から落ちたから……」

「そうじゃなくて顔色。ちゃんと飯食ってんの?」

「……それも落とした」

「ああ、あの飯あんたのだったの。一つは無理だったけど、もう一つは包みの奥で無事だったから食っちゃった」

「!?食ったのか!?腹を壊すぞ」

「これっぽっちで壊さないよ」


 お武家様は繊細だね、などと言いながら七呉は虎篭丸の掛布団をかけ直す。


「うちの飯の時間はまだだから、それまで寝な」

「眠くない……」

「私の言うことには?」

「……逆らわない」

「よろしい」


 衝立の向こう側から見える限り、日がすっかり上っているようだった。それに先ほどまで眠っていたので眠くないのも本当だったが、約束は約束だ。


「私は祖父ちゃんの手伝いしてくるから。便所はあっちね」


 寝て起きても立ち上がれないようだったら呼びな、といわれたがそればかりは絶対に呼ばんと心の中で思う虎篭丸だった。



 その後、七呉がどうやって七郎左に説明したのかは不明だが、とにかく七郎左は虎篭丸の滞在を認めてくれたようだった。

 最初の問題は夜になったときに起きた。虎篭丸が使っていた布団は七郎左のものだったので、何とか上体を起こせるようになった虎篭丸が出ようとしたが、月山家のご子息を板間で寝かせるわけにはいかないと七郎左も譲らない。

 結局、虎篭丸と七呉が七郎左の布団を使い、七郎左が七呉の布団を使う、ということで一応の決着をみた。

 虎篭丸の髪を解いて梳ってくれた七呉が、自分の髪も梳き終ると当たり前のように――そう決まったから当然なのではあるが――隣に潜り込んできた。

 霊脈を診てもらった時より近く、背負われた時よりは遠い。だがこんなにもそばに人の温もりがあるというだけで、虎篭丸は胸の内がふわふわと浮つくような、落ち着かない気持ちになった。

 七呉の髪からは鉄のにおいがした。今朝と同じように。

 そんなことを思っていると、不意に寝返りを打った七呉が声を潜めた。


「虎篭丸」

「……なんだ」

「手、つなごう」

「え」


 一体どれだけ、自分を落ち着かない気分にさせれば気が済むのだろうか。この娘は。

 などと思っても、虎篭丸には拒否権がない。せかすようにコツリと七呉の左手が自身の右手に当たり、虎篭丸は渋々という風に手のひらを開いた。七呉の手が滑り込んでくる。


「いまのうちに霊力を馴染ませておくんだ。明日からはきついよ」

「……ああ」


 そうこう囁きあっているうちに、書き物を終えたらしき七郎左が寝間の方へやって来る気配がしたので二人は掛布団に潜り込んだ。

 なんだかとっておきの冒険をしているようで、虎篭丸は心臓がいつもよりずっと早くなっているのを感じていた。それと昼間散々寝たので眠くはない、と思っていたが、七呉の手のひらの温度とその霊力の波を感じているうちに、不思議と瞼が重くなっていった。

 初めての晩は、そうして終わった。



「ほんとにもう平気なの?」

「平気だ。昔から怪我の類は治りが早い」

「頑丈だね。それも魂の大きさのせいかな」

「わからん……魂など、あまり意識したことがない」

「そんなもんか」


 翌朝から、七呉の『治療』が始まった。朝食の後、七郎左には『声』を聞くためだと言って庵を出た二人は、近くの川原に降りていた。

 髪を結い上げた七呉が適当な二つ岩を見つけて、片方に座るよう虎篭丸へ指示する。大人しく従った虎篭丸は、次に言われた通り両の手のひらを上向けて七呉に向かって差し出した。


「これはね。調打っていうんだ」

「ちょうだ?」

「私もまだ全部は教わってないんだけど、魂格や霊脈の筋そのものに問題があるとき、その方向を打ち直す業だよ。鋼にはいろんなものが混じるから、それをまとめて在るべき方向の一本筋へ調える、んだったかな」

「大事なところが曖昧じゃないか?」

「いいの。やり方は教わってるから」


 唇を尖らせた七呉が、はじめるよ、と虎篭丸の手のひらに自身のそれを重ね合わせる。

 あの温もりが、霊力が流れ込んできた。かとおもうと。


「っ!」

「動かない!」


 きん、と頭の中で鋭い音がした。すかさず七呉の厳しい声が飛ぶ。音はまるで針のように四方八方に飛び散り、いつもの頭痛とはまた違った痛みを虎篭丸に与えた。

 きん、きん、と一定の速度で音は鳴り続ける。その音という痛みへ耐えているうちに、虎篭丸は今までただの冷たい欠片だった魂鋼が、わずかに熱を帯びたような気がした。

 音が鳴るたびに、痛みはどんどん増していく。だが、虎篭丸にはまだ耐えられた。

 何故ならこの痛みは、自分をいつも苛んでいたあの痛みを過去のものにするためのものだったからだ。

 耐えられる。耐えて見せる。

 そうやって、頭の中に毬栗を次々放り込まれるような痛みに耐えて、どれだけ経った頃だろうか。

 不意に、音と七呉の霊力の波が途切れた。虎篭丸の視界が開ける。


「っ……今日は、ここまで」

「七呉――汗が」

「そりゃ、これだけぶっ通しで打ち続けりゃね」


 汗ぐらい出るよ、と手を引いた七呉は軽く言って立ち上がったが、その顔は額から玉のような汗を噴きだし、顎から滴らせていた。

 当惑する虎篭丸を置いて川に近づいていった七呉は、その浅瀬で水を汲むとばしゃばしゃと無造作に顔を洗う。そして野良着の袖で、やはり無造作に濡れそぼった顔を拭った。


「それより、虎篭丸。やっぱりっていって良いのか分からないけど、明日明後日じゃ終わらないよ」

「……問題ない」

「あそ。魂鋼になんか変わったところは?」

「……すこし……温かい、気がする」

「そう」


 その答えはどうやら正しいものだったらしい。見るからにほっとした顔になった七呉に、虎篭丸は何か言うべきかと迷って、結局何も言わなかった。

 それからの日々は、虎篭丸にとって目新しいものの連続だった。朝食を食べたら川原に出かけて、七呉が終わりというまで調打を受ける。終わったら今度は夕食まで二人で七郎左の手伝いをして、晩になったら夕食を食べ、手をつないで眠る。

 その繰り返しの中で、虎篭丸は七呉から薪割りの仕方や風呂の焚き方、七郎左が仕上げた鎌や鋤を届けに行く手順、猟師が代金代わりに持ち込んだ肉の捌き方などを学んでいった。

 あの屋敷の中ではどれも無縁のことだったが、七呉から教わる生きるための一つ一つを出来るようになるたび、七呉は「やったね」と虎篭丸の背中を叩いた。その度に、虎篭丸は長く感じたことのない達成感というものと、なんとも言い難いむず痒さが胸に湧くのだった。

 春は里の民が冬の間に錆びつかせたり、昨年に刃こぼれさせた道具を一斉に持ち込んでくるから野鍛冶はとても忙しい時期なのだということも教わった。より正しく言えば、野鍛冶に暇な時期などなく、その中でも極めて忙しい時期、ということだった。

 七郎左が自分のことを七呉に託した理由も、その頃には虎篭丸にも何となく解るようになってきていた。

 そして七呉の調打を受けるにつれて、虎篭丸にも明確な変化が訪れつつあった。

 まず、魂鋼が調打の度に熱を帯びるようになった。それに比例して、集中したときのあの痛みが和らいで行ったのだ。

 六日目を迎える頃には魂鋼の主である自分ですら熱い、と感じるほどの熱がそこに宿っていた。七呉の顔は終わるたびにどんどん険しく、呼吸も荒くなっていたが、それでも終わると毎回、あの川で顔を洗ってけろりとした風に戻るのだった。

 その日は、虎篭丸が千代見郷にきて七日目の朝だった。前の晩、七呉は七郎左からまだ原因が解らないのかと叱責されていた。虎篭丸はよほどそれを止めようかと思ったが、七呉の目が黙ってろというので何も言えなかった。


「今日で終わらせるよ。終わったら、自分の中でもう一度『刃』を編んでみて」

「……ああ」


 両手を重ねる瞬間も、もうお互いになにを言わずとも解っていた。

 今日で最後。今日で、この温もりと痛みに別れを告げなくてはいけない。

 きん、と音が鳴り始める。魂鋼に熱が点る。音による痛みが、明確に虎篭丸の中にある何かにぶつかり、跳ね返されつつある。

 音が、ただの音になっていく。魂鋼はいよいよ熱い。それでも、七呉は「ここまで」と言わない。虎篭丸も目を開けない。

 川原にいるから、川の流れる音や羽虫を食べにくる小鳥たちのさえずりなどが聞こえているはずだった。

 だがいつしか、虎篭丸の中には七呉の振るう鎚の音だけが響いていた。

 音だけが聞こえて、両手は火が点ったように熱いけれど、心は不思議と凪いでいる。


(静かだ)


 そう、思った時だった。鎚の音が、止んだ。


「――――編んでみて」


 手を重ねたまま、暗い視界の中で七呉の声がする。

 虎篭丸はもう()()がはっきりと感じられるようになっていた。

 集中する。真っ黒な視界を、真白な意識へと集中させる。それから、意識の中に小さな輪を作る。輪は左右から中心に向かって滑り出し、その形を縦に細長く、時に短く、あるいは二つに分かれ変えながら、一振りの形を編み出していく。

 その間に、痛みはない。ただ熱された鉄のような熱さだけがあり、それもやがて消えた。


「……大太刀だ」


 ぽつりと、虎篭丸の唇がそれの名を呼ぶ。

 抜き身の、未だ拵のない大太刀が、確かに自分の魂の内側に存在していた。


「七呉!やったぞ――――」


 思わず「ここまで」を待たずに目を開いた虎篭丸の視界に入ったのは、初めて見る七呉の満足げな笑顔だった。だが、それはほんの束の間。


「ッ七呉!」


 その体がぐらりと傾いたと思うと、七呉は川原の玉砂利の上に倒れ伏した。

 咄嗟にその手を引こうとした虎篭丸だったが、七呉の手が不自然なほど熱を帯びているのを見てその手のひらを見る。

 そこには、真新しい火傷があった。虎篭丸の玉鋼の形をした、火傷が、くっきりと七呉の手のひらを焼いていた。


「ッ…………!!」


 思わず、その手を取り落としていた。どうして気づかなかったのか。あれだけの熱を浴びた生身の手が、無事であるはずがない。


「七呉、しっかり。しっかりしろ……!」


 直接手首を掴むのではなく、野良着の上から握るようにしてその腕を引っ張り、背中へと引き上げる。七呉からの返事はない。ただぐったりと、虎篭丸のされるがままになっていた。

 七呉を背負った虎篭丸は、まっすぐに庵に向かって駆け出していた。

 痛みはない。感じるのは背中の七呉の汗が冷えていく感覚と、その重みだ。

 庵に駆け込み、板間へ七呉を寝かせる。虎篭丸はその足で急ぎ鍛冶場へと向かった。

 鍛冶場には火傷の特効薬として、熊の脂が常備されていると七呉に教わっていたからだ。


「七郎左殿!七呉が――――」


 かくして、虎篭丸に連れ戻された七郎左は七呉の様子を見るなり、虎篭丸へ布団を敷くように指示をし、脂壺を取りに鍛冶場へ取って返した。

 残された虎篭丸に出来ることは、言われた通りに布団を敷き、そこに彼女を運んで寝かせてやることだけだった。

 魂鋼はすっかり冷えていた。



「――――う……」

「七呉!」


 日がすっかりと傾き、茜色が開け放たれた窓や入口から差し込むころ、七呉がようやく目を覚ました。

 七呉は最初、自分を覗き込んでくる虎篭丸を不思議なものを見る目でぼんやり見ていたが、不意に痛みを感じたように顔を顰めると自分の両手に巻かれた包帯を見遣った。

 そこでやっと、自分の状態に気づいたように小さく息を吐いた。

 途端、二人へ厳しい声が降ってくる。


「儂は『声』を聞けと言ったんだぞ、七呉」


 虎篭丸と七呉は身を硬くした。

 衝立の向こう側から、西日を背負った七郎左が二人を、いや七呉を険しい目で見下ろしていた。


「完全に教えてもいない調打を使った挙句、自分の霊力が擦り切れるまで打ち続けるとは、何を考えている」


 七呉の師匠たる七郎左の目は、とうとう誤魔化せなくなった。あるいは、最初から気づかれていたのかもしれない。

 だがいずれにせよ、虎篭丸にとって自分がするべきことは決まっていた。

 体を七郎左の方へ向き直させると、彼の視線を断つように唇を嚙んでいた七呉の前へ腕をかざす。


「七呉は悪くありません。俺がそうするよう頼んだのです!」

「!?ちょっと――ちがいます祖父ちゃん。私が黙ってろって言ったの!」

「でも七呉は最初迷ってた。それを圧して頼んだのは俺だ」

「でも決めたのは私で――――」


 やいのやいのと瞬く間に騒がしくなっていく目の前の二人を押し止めたのは、七郎左の深いため息だった。


「七郎左殿……」

「虎篭丸殿、霊脈は落ち着かれましたか」

「は、はい!魂に合っていなかった魂格を打ち直してもらい、『刃』も編むことが出来ました。大太刀です!」


 七呉のおかげなのです、と虎篭丸は繰り返した。そしてその証拠にと、両の手を合わせて、また引き離し、その魂鋼同士の間へ青白い光を帯びた自身の『刃』を顕現して見せた。


「……きれい」


 七呉の呟く声が聞こえる。お前のおかげだと言いたかったが、今は目の前の七郎左に集中せねばならなかった。

 七郎左は一糸乱れぬその『刃』の像をしばし無言で見つめていたが、やがてあの日の、虎篭丸が転がり込んできたときのような、何かを諦めるようなため息を一つ吐いた。

 そして衝立の脇を通り寝間へと入ってくると、七呉の布団の足元近くに正座して、虎篭丸へ向かい、その白いものが混じる頭を下げたのだった。


「無事のご顕現、誠におめでとうございます。月山虎篭丸殿」

「……あ、ありがとう、ございます」

「しかし愚孫の仕出かしは仕出かし。これには火傷が完全に治るまで鍛冶場への出入りを禁じます。いいな、七呉」

「っ!それは――」

「はい」

「七呉っ」

「いいの」


 どうせこの手じゃ出来ることもないし、と上体を起こした七呉は何でもないことのように肩を竦める。今度は虎篭丸が唇を噛む番だった。


「夜が明けましたら、月山様のお屋敷までお送りいたします」


 そんな二人へ、七郎左は淡々と告げた。虎篭丸は何かを言いかけ、しかし言えることなどなにもないのだと思い知るばかりだった。

 頭痛も眼痛も消えた。『刃』は顕現できた。もう、ここにいる理由はなくなったのだ。

 喜ぶべきことだ。少なくとも、以前の自分なら泣いて喜んだだろう。だがいまの虎篭丸にとって、それは初めて出会った無二の存在との別れを意味していた。


「……七呉」

「……なに?」

「手、痛むか」

「痛むよ。ひりひりしてる」

「そうか」

「手、つなげないな」

「……もう、つながなくてもいいんだろう」

「そうだよ」


 暗闇の中、掛布団に潜り込んだ二人はあの日のようにぽそぽそと言葉を交わす。


「もう、つながなくてもあんたは大丈夫」


 何も見えない闇の中のはずなのに、虎篭丸は七呉がきっと笑っていると、そんな気がした。

 そう思うと、嬉しくて、けれど何故か悲しくて、虎篭丸は敷布団の上を滑らせた手の甲の脇を、こつり、と七呉の包帯の巻かれた手に当てた。

 七呉の手が動き、その細い小指が虎篭丸の小指にかかる。


「約束。あんたは一番働きの武者になる。私は一人前の野鍛冶になる」

「……ああ」

「約束だよ」


 けれどその緩やかな指切りが、解かれることはなかった。二人が、眠りに落ちるまで。

 翌朝、虎篭丸が乗った馬の轡をとった七郎左は、七呉に布団で養生するよう言いつけると朝靄の残る中を歩み始めた。虎篭丸は後ろを振り返り、庵の入り口に立つ七呉が散り始めた桜の枝に隠れて見えなくなるまで、そちらを見ていた。七呉もまた、その姿が見えなくなるまで虎篭丸たちを見送っていた。別れ際、二人の間に交わされる言葉はなかった。

 じゃあ、も、また、も、全部あの約束に込めてしまったから。

 やがて日が高く上るころ到着した月山の屋敷では、出奔から実に七日ぶりの帰還となった虎篭丸を怒り心頭の父が待ち構えていた。だが、彼は七郎左が「葛山七郎左、ご令息の虎篭丸殿をお連れいたしました」と言うなり真っ赤だった顔の血の気を引かせて露骨におろおろと視線を左右へ動かし出した。さらに馬から降りた虎篭丸が、修行のために七郎左の世話になっていたことを伝え、その成果たる『刃』を顕現して見せると、今度は腰を抜かさんばかりに驚き、生唾を飲み込んだ。かと思うと見る間に、手のひらを返したような満面の笑みを浮かべ、初めて虎篭丸の両肩を掴み「でかした」と言い放ったのである。お前ならできると思っていた、とも。

 虎篭丸はそれを、何の感慨も浮かばない顔で聞いていた。七郎左が一礼して屋敷前から立ち去ると、父は早速その『刃』を祖父や家臣たちへお披露目するよう虎篭丸に命じた。虎篭丸はただ、淡々と従った。家臣たちも虎篭丸の大太刀に皆大いに驚き、口々に賛辞を送ってきた。だがそんな周囲の熱狂に対して、虎篭丸の心はひどく冷めていた。祖父の心底安堵したような笑みだけが、微かに温もりを感じさせてくれたが、それだけだった。


 それからの虎篭丸は、より一層武術や学問に打ち込んだ。十五で元服を迎え、名を月山虎次郎廣光と改めると、早速の初陣を大妖魔、鵺を討ち取るという手柄で飾った。

 その頃にはもう、彼を鬼子として忌避する者はいなくなっていた。代わりに、月山の虎の子としてその名が知れ渡り、畏怖されるようになっていたが。

 そんなことも、虎篭丸、いや虎次郎にとってはどうでもいいことだった。

 約束だけが、彼を戦場へ駆り立たせた。

 初陣からさして間を置かず一番槍を取って見せた虎次郎は、これで約束が果たせると祝いの席もそこそこに夜明けの馬を駆った。東へ、千代見へと。あの出会いから三年と約半年が過ぎていた。


「七呉はおりません」


 三年ぶりに再会した七郎左は、髪に白いものが増えた以外は全く変わりがなく見えた。淡々として隙のない佇まいも相変わらずで、二の句が継げずにいる虎次郎へ、虎篭丸との一件の後、野鍛冶より拵方の才覚があるとして所縁の神社に預けたこと。いまは独り立ちして各地の戦場を御具足調役として回っていることなどを教えてくれた。

 御具足調役。それは主に、最上大業者と称される刀身武者の御霊具足を点検、整備する役目の拵方だったはずだ。

 ならば――――するべきことは一つだった。

 今はまだ良業物に留まっている虎次郎の名を、最上大業者へ、いや、虎尉州一の武者たる虎尉守へと押し上げるまで。

 より一層の戦働きへ精を出した虎次郎は、ほどなくして計画通りに虎尉守の称号を得ることに成功する。

 そしてとある戦から帰陣した際のお清め調べにて、虎尉守は差し出される手ぬぐいの向こうに懐かしい霊力の片鱗を感じ取った。邪魔な手を払いのけて、胴丸から身を乗り出した。

 こちらを見ることもなく一心不乱に具足を拭いていたある拵方の覆面に手を伸ばし、それを無造作にめくり上げた虎尉守は、彼女の驚愕の表情を前に笑って見せた。


「――――久しいな、七呉」


 己の拵方と心に決めた、七呉との再会であった。


 

 

 

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