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白虎の調律役  作者: gen.


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2/11

二、虎の七呉・上






 頭が痛い。虎篭丸(ころうまる)はいつものように、大桜の陰に隠れながら痛むそこを抱えていた。

 所は虎尉州、月山家本屋敷。その邸内の一角である。


「つ、ぅ……ッ……」


 季節は春。老齢の大桜は大分紅の薄くなった花びらを満開にして、寄る小鳥たちに白雲のような隠れ家を提供していた。だが、痛む頭を抱える虎篭丸にとっては、その鶯の囀りすら憎々しいものだった。

 花など早々に全部散ってしまえ、とすら思った。

 刺すような痛みに霞む視界の中、仮にそうなったとて、自身を苛む痛みまで散ってくれはすまいと解っていながら、それでも思わずにはいられなかった。


(何故、俺だけなんだ)


 もう幾度繰り返してきたかも解らない、そして誰も答えてはくれない問いかけが胸中を満たす。

 虎尉州でも名の知れた名家、月山家の次男として生を受けた虎篭丸だったが、その十二年という年月はその名の通り、小さい篭へ押し込められた虎のように息苦しく窮屈で、常に痛みを伴っていた。

 最初は余りに猛々しく泣く男児の赤子の、その虎のような魂が鎮まるように、と名付けられたはずだった。

 それがいつからか、その泣き声の原因がどんな名医も匙を投げる原因不明の頭痛と、その右目の痛みからくるものだと知れ渡ったときか、あるいはその異形――――生まれついての白髪の髪房と、痛む右目の琥珀色が生母、亨子(たかこ)に知られたときにか、意味を変えてしまっていた。


(こんな髪、こんな目……!)


 髪を引っ張れば頭皮が引きつり、痛みを上げる。きつく瞑った右目を掻けば瞼の上に幾度目かの赤筋が出来る。それでも、頭だけの痛みに苦しめられるよりは、どこかマシな心地になる。

 この国において虎篭丸のような白髪や、金の目へ変じた姿は神蝕(しんしょく)と呼び、畏怖される。

 しかし多くは後天性であり、生まれついてのものは非常に稀有な例といえた。

 加えて、この痛がりようである。

 人々は、月山家の次男が神に愛でられたか憎まれたかは考えるまでもないと噂し、それでも生き続ける彼を畏怖した。虎篭丸を置いて、彼の物心がつくころには、もうそんな世界が、目に見えぬ檻が出来上がってしまっていた。

 最初、虎篭丸はその檻を壊そうと必死になったが、そこでも痛みが足を引っ張った。

 頭が痛めば木刀を取り落とし、目が痛めば筆が滑る。本人がどれだけ必死になろうとも、なればなるほど、痛みは彼をせせら笑うかのように増して、終いには意識を奪った。

 倒れたことも一度や二度ではないが、父母が見舞いに来ることはなかった。兄は論外である。虎篭丸の顔を見る度、視界に嫌なものが入ったという表情を隠しもせず踵を返した。

 唯一の例外は、祖父だった。彼だけは虎篭丸の容姿を恐れず、またその努力を止めることも許さなかった。

 だから今日も虎篭丸は木刀を振っていた。指南役が頭痛でふらつきだした虎篭丸に、またかという表情を見せるまでは。

 頭痛と眼痛は決まって、虎篭丸が集中を始めたときに現れる。ここから出せと言わんばかりに彼の小さな頭を、目玉を内から刺すように苛んだ。


「……ふ、ぅ、……う……」


 代わりに心が凪のように無となれば、痛みはそれに免じると言うかのように引いていった。

 それには虎篭丸の精神が、この痛みと、それにまつわるすべての理不尽に対して心を鎮めなければいけないということだったのだが、齢十二の彼にとってそれがどれほど酷なことか。

 真実、理解し共感してくれる人はいなかった。いないと思っていた。

 とある噂を耳にするまでは。


「……だから、その野鍛冶がそうだって話なんだ」

「まさか。なんで野鍛冶なんぞに身をやつす必要がある」

「それは知らんが、厨に出入りしている者が言うには、その野鍛冶は鋼の声を聞けるのだと。だからそいつの研いだ包丁が一等切れると、そういうのだ」


(はがねの、こえ?)


 頭痛の波が引いてぼんやりとした頭で、虎篭丸はその声たちへ自然と耳を傾けていた。どうやら声の主は庭を手入れする出入りの庭師たちのようだ。


「そのためにわざわざ千代見郷までいけと?そんな暇がありゃ自分で研いで一つでもお庭を回った方が銭になるわな」

「しかし噂が真なら、拵方(こしらえがた)(わざ)というやつを俺たちでも味わうことが出来るんだぞ」


(ちよみごうの、拵方)


 確かそれは、指南役が絵図面を広げて語った、本家周りの地理で聞いた名前である。

 だがそこに、拵方などという特殊な言葉は出てこなかったはずだ。


(拵方――刀身武者の腹心)


 それを虎篭丸に説いたのは指南役ではなく、見舞いに来てくれた祖父だった。

 いわく、いずれ虎篭丸も両手の魂鋼の間に『刃』を編めるようになれば、拵方たちの『拵』にそれを納めて刀身武者として身をたてる日が来るだろう、だから諦めず研鑽を続けるように、と。

 ただ、その『刃』を編むということが稽古や修学以上の集中力を虎篭丸に要求するものだった。

 武家に生まれた多くの者は手のひらに備えている魂鋼。自らの魂の内、霊力で編んだ『刃』を両手の魂鋼同士の間に顕現させること、それが武者たる証である。

 兄、宗太郎は九つの時に、打刀の一振りを編んで見せたというが、虎篭丸の両手はいつまでたっても痛みによる震えを除くことが出来ず、自分の『刃』の像を魂の内ですら編めずにいた。

 刀を振えず、修学もままならず、武者の証たる『刃』も編めない。

 だがもしも、そんな自分という鋼の声を聞いてくれる者がいたとしたら。

 まだ形も曖昧な自分の『刃』でも、受け入れてくれる『(もの)』がいたとしたなら。


(千代見郷――――千代見郷の、拵方)


 その言葉はまるで一筋の光明のように、虎篭丸の胸の内に響いた。

 噂でもいい。なんでもいい。この痛みがあろうとなかろうと、こんな自分を容れてくれる者がいるならば。

 足元に落ちていた木刀をそっと拾い上げた虎篭丸は、噂話に余念のない庭師たちに気づかれぬようその場を後にした。

 その日の夕刻、いつものように一人で夕餉の膳を平げた虎篭丸は、自ら厨に出向くと足りなかったから握り飯を作ってくれと頼んだ。

 世話役以外は関わろうとしない鬼子の登場に厨は固まっていたものの、虎篭丸がもう一度その言葉を口にすると彼らは堰を切ったように慌ただしく動き始めた。震える手が差し出してきた握り飯の皿を、虎篭丸は礼を一つだけ言って受け取った。そして部屋に戻ると昼間に採っておいた笹の葉に握り飯を包んで蔓草で縛り上げ、枕元にその包みを置いて、一人布団の中で絵図面の内容を思い出していた。

 狙いすましたようにあの痛みがやって来たが、今夜ばかりは痛みと格闘することで、眠ってしまうことを逃れることができた。

 やがて、空が墨色から端を青く融かし始めた頃、虎篭丸はそっと部屋を抜け出した。

 幸いというべきか、月山の馬たちは虎篭丸を恐れない数少ない存在の一つだ。


「どう、どう、静かに……」


 その中でも虎篭丸に懐いている鹿毛を引き出した虎篭丸は、懐にあの包みを忍ばせて屋敷を脱け出した。

 向かうは千代見郷。月山の屋敷から東に一里半ほどだろうか。

 虎尉は峻険な山々の多い土地である。千代見郷はその山間部に位置していたと、虎篭丸はしっかりと記憶していた。道なりに東へ行けばいい、ということも。

 そうと決まれば、後は馬を駆るばかりである。

 馬を操ることにも、集中力はいる。ことに今朝は、いや昨日からろくに眠っていない虎篭丸の気力がどこまでもつか、それは彼自身にも知れないことであった。

 それでも、虎篭丸は駆けた。東の先に自分を変えてくれる何かがあることを信じて。縋って。

 痛みが湧き出てくる。無駄なことをやめろと言わんばかりに。


(うるさい、うるさい……!)


 手綱を一層強く握りしめ、咲き乱れる野山の花に目もくれず、虎篭丸はひたすら前を見る。

 痛みを置き去りにせんとばかりに、馬をより早く、早くと駆けさせる。

 それでも痛みはついてきた。馬体を伝わる衝撃がぐわんと頭を揺らす。痛みはその度に暴れ狂い、虎篭丸は吐き気を堪えながら、必死で手綱を手繰り寄せた。

 倒れるものか。倒れてなるものか。

 今日こそ自分は、これまでの自分を捨てるのだと、固く心に決めたのだから。

 でも、ああ、痛む。

 頭が痛む。割れるように痛む。視界が眩む。手から力が抜けていく。


「あ……っ」


 どれだけ堪えられたか、虎篭丸にはもう判らなかった。判らなかったが、気づいた時には視界が急転していた。

 一瞬の浮遊感。その時、あれだけ固く握りしめていたはずの手綱が離れていくのが、やけにはっきりと見えていた。

 直後、湿り気を帯びた土の上に、彼の体は叩きつけられた。馬蹄の音が遠ざかっていく。

 痛い。衝撃と痛みでかすむ視界に、懐から飛び出たあの包みが見えた。馬蹄に潰され、中の飯がはみ出ているのが見える。


「ぅ……く、ううッ……」


 いまの己も大差のない無様を晒しているのだろうと思うと、もはや堪えられなかった。

 伸ばした手が旺盛に伸びた雑草を、なにかの花を掴む。虎篭丸の手は、それをぶちりと握り千切った。手のひらの魂鋼がさらにそれをすりつぶし、青臭いにおいをまき散らす。汚れる。自分の魂鋼が。


(なんで、どうして――俺ばかり、俺ばかりが……!)


 悔しい。悔しくてたまらない。熱くなった目頭から滴るものが虎篭丸の眉間を濡らしていった。

 これまで一度とて、修練から手を抜いたことなどなかった。祖父の言葉を信じ、父からの数少ない言いつけを守って、必死にやって来た。挙句、こんな東の辺境まで、一縷の望みにかけてやって来たというのに。

 どうして自分ばかりが、天に裏切られなければならない?

 誰も答えてはくれない。誰も、いない。あるのは今や全身を苛む痛みだけ。

 自分の周りには、結局、誰も――――


「ねえ、あんた」


 不意に、暗く閉じかけた世界へ、無造作な声が投げかけられた。

 あまりに唐突で、かつ畏まっていないその声が、最初自分にかけられたものだと虎篭丸は気づかなかった。

 だが、そんな虎篭丸をよそに声は続く。


「泣いてるなら、死んでないでしょ。あんた。聞こえてる?」

「……え……」


 ぱかり、と蹄の音がその聞いたこともない高い声に追従する。

 土に汚れた顔をなんとか動かすと、そこに小さなつま先が見えた。ついで、見慣れた蹄が。視界に、あの鹿毛の顔が入る。唇が心配げに虎篭丸の耳元を行き来し、ぶるる、と鼻を鳴らした。


「聞こえてんだね。耳が潰れたのかとおもった――――よかったねお前、ご主人死んでないよ」


 空恐ろしいことをさらりと言いながら、その小さなつま先の主が膝を折る。

 そして、伸ばされた両手がその声と同じく無造作に、虎篭丸の体を仰向けに転がした。

 視界が回る。そこでようやく、声の主が自分とそう変わらない年頃の少女だと虎篭丸は気づいた。同世代の子供など、まして女子などと言葉を交わした覚えはない。

 こんなに雑な扱いを受けたことも、ない。


「この子に感謝しな。この子が私を引っ張ってこなかったら、あんた干物になってたよ」


 そういう少女の目元が赤くなっていることに、その時の虎篭丸は気づかなかった。

 ただ驚いていた。痛みが引いたことにすらも気づかずに。

 別の痛みはやってきたが。


「っ痛い!」

「我慢しろ。うん、骨、折れてないみたいだね」


 虎篭丸の悲鳴を一蹴して、その腕や肩をつついて回った少女の手が、今度は手首を鷲掴んできた。ここまでくると驚きを通り越して、虎篭丸は恐怖すら感じていた。

 いったいこの少女は何者で、なんの権利があって自分にこんな無礼を働くのか。

 月山の屋敷からほぼ出たことのない虎篭丸にとっては未知の存在すぎて、彼の思考を、特に言語を発するところを一時的に麻痺させていた。

 かと思えば。


「よい、しょ!」


 また視界が回る。引っ張られる感覚に、体の節々が痛む。だが、次に虎篭丸が感じたのは温かい背の温もりと、結われた髪が頬に当たるくすぐったさだった。

 

「鉄よりゃ軽いな――お前、ついといで」


 少女の独り言めいた呟きに、ぶるる、と鹿毛の鼻を鳴らす音が応える。


「あ、飯。勿体ない……後で拾いに来るか。ったく、世話が焼ける」


 ぶつくさと文句を言いながら、少女が歩き出す。虎篭丸の視界も揺れながら、動き出す。

 少女の背中に負ぶわれ、痛みが引いた頭で、ようやく虎篭丸は辺りを見渡すことができた。

 薄靄の晴れつつあるそこは、どこかの里の入口のようだった。茫然とする虎篭丸をよそに、少女はしっかりとした足取りで黙々と里の中へと歩いていく。馬の蹄の音もついてくる。

 虎篭丸の鼻先を、なにかの花の香りが過ぎっていく。けれどそれ以上に、少女の髪から、その野良着から感じる鉄臭さと、煙のにおいが、虎篭丸の意識へ鮮烈に刻み込まれた。

 そして少女が歩を進めるにつれ、彼女から立ちのぼっていたそのにおいは、草花の緑の匂いをかき分けるようにして、徐々に行く手からも感じられるようになっていった。

 次に聞こえてきたのは、音だ。煙のにおいの中に、きん、きん、とどこか澄んだ音が混じり出す。少女の脚が坂道を越えて、生垣の合間、入口らしきそこを抜けていく。

 そこで初めて、少女の足取りが少し重くなった気がした。虎篭丸の両脚を抱える手は、しっかりしたままだったが。

 ごう、と、何か勢いのある、颪風のような、けれど違う音が少女の足音に重なった。


「…………祖父ちゃん」


 あの虎篭丸に対する無造作さはどこへいったのか。少女はとても決まり悪げに、きんきん、ごう、と音の出る方へ声をかける。


「なんだ。もう修行は嫌んなったんじゃないのか」

「道に子供が落ちてた。馬も」

「なに?」


 お前だって子供だろう、と虎篭丸は思ったが言葉にはならなかった。少女の髪ごしに、ごう、という音は赤々と燃える窯の火であること。きん、という音は、振り返った人物の振るう鎚であったと気づいたからだ。

 何とも言えない、ただの焦げとはちがうなにかの燃えるにおいと熱が充満したそこに、虎篭丸はいつのまにか入り込んでしまっていた。少女の背に負ぶわれて。


「……お前、飛び出していったかと思えば」


 長い沈黙の後、はあ、とため息を吐いた人物が首から下げていた手ぬぐいで顔を拭う。

 髪に白いものが混じり始めたその人物は、虎篭丸の父よりも年上に、けれど祖父よりは若く見えた。どちらにせよ、虎篭丸が会ったこともない人物であるというのは確実だったが、祖父ちゃんと呼ばれたその人物は少女と同じく、虎篭丸の姿形に驚いた様子は見せず、また背中を向けた。


「儂の布団に寝かせておけ。馬は表に繋いどけ」

「……うん」

「うん?」

「はい!」


 ここは、もしや鍛冶場というものなのでは。虎篭丸が遅ればせながらそう気づいた時には、少女は踵を返してそこを出てしまった。

 そうして鍛冶場の横にある、虎次郎の部屋に入ってしまいそうな小さな庵に入ると、器用に足だけで草履を脱ぎ、どしどし音をたてながら炉端を横切って、寝間と思われる板敷の小部屋に入った。


「おろすよ」

「っぐ……」


 事前通告があったとはいえ、痛いものは痛い。虎篭丸はまだ自由の利かない手足を放り出すように、板敷の床に転がされた。そんな痛みに顔を歪める虎篭丸を一顧だにせず、少女は押し入れから薄い布団を取り出すとてきぱき寝間へ敷いていく。


「脱がすよ」

「!おい」

「布団が汚れる」


 そこから先も問答無用だった。宣言だけして、少女はあっというまに虎篭丸の身に着けていたものをはぎ取ってしまうと、内着一枚になった彼の両脇を掴んで、布団の上へずるりと引き上げた。彼女の手は力強く、全て容赦がなかった。

 かとおもえば、虎篭丸の装束を思いのほか丁寧に畳んで寝間を出ていき、戻った時には水を絞った手ぬぐいを持ってきた。


「しみるよ」

「っ……」


 言葉の通り、沁みた。だが存外に丁寧な手つきで少女は虎篭丸の顔や手足を拭うと――魂鋼に触れられたときはさすがに振り払ってしまったが、彼女は気にした様子もなかった――掛布団をしっかりかけさせ、また出ていってしまった。外から馬の鳴き声が聞こえる。


「…………はぁ……」


 ようやく、独りになった。そう実感した虎篭丸は、知らずに詰めていた息を吐き出した。まるで嵐のようだった。

 そして嵐が過ぎ去った後の静けさの中、きん、きん、とあの鎚の音が遠くから聞こえてくる。

 いつも鳥の囀りすら煩わしいと感じていた虎篭丸だったが、その音はどこか自身の脈動と重なるように規律的で、眠気を誘った。

 ここがどこかもはっきりしていないというのに。そんな理性の警鐘を押しやって、疲れ果てていた虎篭丸の意識は泥に沈むように眠りへと落ちていった。


 

「――――お目覚めですか」


 一瞬、あの屋敷の部屋の中にいるのではないかと思い身を硬くした虎篭丸は、しかし見慣れない天井と薄い布団ごしの板の感触に、ここが眠りに落ちる直前にみた、あの庵の中だと気づいて全身の力が抜けた。

 声の方へ首を倒せば、あの老人――といっていいのかは迷う見目だが――が野良着姿のまま、しゃんと姿勢を正して座っていた。あの少女の姿はない。

 老人は野良着姿ではあったが、出入りの百姓たちや下男下女たちが虎篭丸にするようなへこへことしたお辞儀を見せることも、目を左右に振らせることもなく、まっすぐ彼を見下ろしていた。


「失礼ながら、お持物を改めさせていただきました。月山家のご子息とお見受けいたしましたが、一体どのようなご事情があってこのような(ひな)の里までお越しになられたのでしょうか」


 この人物に嘘はつけない。虎篭丸の直感がそう告げていた。


「……千代見の野鍛冶を探している」

「野鍛冶を?お武家様が何故……」

「その野鍛冶は、一線を退いた拵方だと聞いている。俺の『拵』を頼みに来た」


 布団の中で、虎篭丸の手が拳を握る。指先に、自身の魂鋼が冷たく食い込む感触があった。虎篭丸の祈りに、願いに、決して応えてくれない、冷たい欠片の感触が。


「この虎篭丸の『刃』を、納めてくれる拵方だ……!!」


 そう口にした瞬間、今まで堪えていたものが堰を切ったように溢れ出していた。

 月山家に生まれながら異形の子として恐れられ、腫れ物扱いされている日々。修練へ打ち込もうにも痛む頭と目。そして形を成してくれない『刃』。

 それらを全部ひっくるめて、納まるべきところに納めてくれるだろう拵方を探しにきたのだと。

 引きつる喉と眦を濡らすものの勢いに任せて、虎篭丸はなにもかもぶちまけてしまっていた。

 とても初対面の、それも武家ではない老人に聞かせるような話ではないはずだったが、その時の彼はもう自分を抑えることができなくなっていた。


「……失礼」

「っ……?」


 すべてを黙って聞き終えた老人は、徐にその手を虎篭丸の首と布団の間――うなじへと滑り込ませてきた。何を、と問う間も与えない、ごく自然な動きで。

 不思議とその少し荒れた手のもつ温もりは、虎篭丸のうなじから全身へと染み入るように広がっていった。

 老人が二、三度瞬く僅かな沈黙を挟み、ふむ、と一つ零す。


「……なるほど、確かに霊脈が乱れておられますな」

「!?わ、わかるのか……?」

「はい」


 老人の手が離れると、あの温もりもすぅ、と虎篭丸の体から抜けていった。

 虎篭丸は僅かの間で、それを惜しむ自分がいることに気づいた。あの少女といい、人の温もりなど久しく感じていなかったからこそ、なおのこと惜しく思われた。

 老人は虎篭丸の琥珀と黒の瞳を見つめ、しばし沈黙した。そして何かを諦めるように一つ息をつくと、口を開いた。


「お探しの千代見の野鍛冶とは――――この七郎左でございますゆえ」

「!!」


 咄嗟に起き上がろうとした虎篭丸の動きは、しかし全身を、特に落馬の際下敷きになった右肩を走る痛みで止まってしまう。

 そんな彼を静かに見ていた老人――七郎左は、何かを考え込むような間を置いたあと、淡々と続けた。


「しかしながら、虎篭丸殿。御身の『刃』はまだ形を成しておられません。これは『拵』で解決できる問題ではない。もっと根本的な、御身の魂鋼そのものに何かしらの問題があるものとお見受けしました」

「なら、直してくれ」


 頼む。そのために来たのだ。直してくれ――――助けてくれ。縋るような、いや実際に手足が動けば縋っていただろう虎篭丸の声に、しかし七郎左の表情は動かない。


「すでに私は拵方ではございません」


 虎篭丸の全身が冷えていく。見開いた瞳からは、もう一滴の涙も流れなかった。冷徹なまでの七郎左の一言が、虎篭丸の視界を暗く染め上げていく。


「しかし――――七呉(なご)!」


 遠くから、がしゃりという音に遅れて、はい、と声が返ってくる。

 あの娘だ。そう思った虎篭丸は涙のあとを拭おうとしたが、やはり利き手の右手は痺れて言うことを聞かなかった。ぱたぱたと軽い足音が近づいて来る。草履を脱ぐ音、板敷の床を歩くとんとんという音。


「なんだ、また泣いてたのか」

「七呉!」

「っはい!」


 七郎左の咎めを含んだ声にぴしゃりと打ち付けられたように、顔を出した少女――七呉が慌ててその場に正座する。

 それを確認し、七郎左は虎篭丸へと振り返った。


「……失礼いたしました。これは、七呉と申しまして手前の愚孫でございます。まだ未熟ながら鋼の『声』を聞く術を持っております」

「鋼の、声」

「自身の霊脈を通じて、鋼の出来、質、量などを検める力と申し上げましょうか。無論、魂鋼も例外ではございません。魂鋼を通じることで、御身の霊脈に潜む問題を洗い出すこともできましょう」

「……では」

「はい――――七呉、お前の放り出した修行の続きだ。こちらの虎篭丸殿の霊脈を通じて、何が虎篭丸殿の障りになっているかを確かめろ」

「え……ええッ?私?祖父ちゃんじゃなくて?」


 七呉は突然の祖父の指示に驚きを隠さない。ただ、続いた言葉には渋い顔をした。


「儂は鍛冶仕事がある。お前は修行の続きをしろ」

「……わかったよ」


 虎篭丸にはその表情に見覚えがあった。痛みをなんとか納めようと、色々と試していたとき、井戸水を浴びてみようと引っ張り上げた釣瓶の中、映っていたあの顔だ。

 それは、悔しさ。


「お聞きの通り、恐れながら私は鍛冶の仕事が残っておりますので、御身の霊脈の検めはこの愚孫、七呉がお手伝いをさせていただきます。未熟ながら『声』を聞く技量は確かです。実際に然るお武家様のお腰の脇差に大きな()()()の兆しがあることを言い当ててございます。このお武家様はおかげで障りが出る前に新しいものを誂えることができた、とお礼をくださりました」


 お腰の、とは、魂鋼で編んだ『刃』ではない現物の刀剣のことを指す。

 ふくれとはそんな刀剣にある鍛え疵の一種で修復は困難、しかも一見しただけでは解りにくいという非常に厄介な疵であった。

 虎篭丸はそんな扱いの難しい疵を、あれだけ自分を雑にあしらった七呉が本当に見つけたのかと疑念を抱いた。ただ自分という面倒ごとを押し付けただけなのでは、と。

 だが虎篭丸に拒否するという選択肢は与えられなかった。引き留める間もなく、では、と頭を下げた七郎左が席を立ってしまったからだ。

 庵には不満を隠しもしない七呉と、疑念を抱く虎篭丸という二人だけが残された。

 しばし二人の間には沈黙だけが流れていたが、遠くからあのきん、きん、という鍛錬の音が聞こえ始めると、七呉が観念したように呟いた。


「あーあ、しようがない」


 それはこっちの台詞だと虎篭丸は思ったが、七呉ほど明け透けになれない彼はぐっと唇を結んで応えた。

 膝で立ち上がった七呉は虎篭丸の枕元に近寄ると、断りもなくその掛布団を捲った。虎篭丸の手が拳になっているのを見、彼女の細い片眉が跳ねる。


「開いてよ」

「……本当にできるのか」

「できる。『声』を聞くのならね――あんたこそ、自分の『声』聞いたことあんの?」

「っ……!」


 七呉の一言はどんな刃より鋭く虎篭丸の胸を突いてきた。

 自身の『声』と向き合い『刃』を編む。虎篭丸とて編もうとした。だが、結果は。


「……ある」

「あっそ。とにかく、魂鋼の不調なら魂鋼に聞かないと解らないよ。どんな障り抱えてんのかしらないけど、触らせてくんなきゃ診ようがない」


 正論だった。それでも、魂鋼は武士のもう一つの心臓ともいえる急所である。虎篭丸は本能的に、自身の胸の上に置いたその拳を解けずにいた。

 その煮え切らない様子に、七呉の眉間に皺が寄る。


「あんた、悔しくないの」

「ッ――――」

「私は悔しいよ。『女は野鍛冶になれない』から始まって、いざ修行をつけてもらえるってなったら『声』を聞かされてばかり。鉄に触らせてもらえんのは、問屋から買い付けたのを運ぶときだけ!」


 まるで、諦めるのを待ってるみたいに。ぽつりと零れたその声には、虎篭丸も覚えがあった。

 何度も味わってきた。悔しさと一緒に、響くその『声』を。


「だからあんたの不調もさっさと見つけ出して、祖父ちゃんを見返してやりたいの!あんたはどうなの。そうやって、いつまでもうじうじ疵隠したまま半端者扱いでいいわけ!?」

「――――……ゎけ、ない」

「なに?」

「いいわけ、ないだろ……!」


 ふつふつと、虎篭丸の腹の奥底から湧き上がってくるものがあった。

 怒りだ。悔しさと、苦しみと、ない交ぜになったそれが、虎篭丸に被せられ、いつしか自分でも作っていた見えない檻を打ち破り、どうと胸の中に広がった。


「いいわけない!このままで終わってたまるか。そのためにっそのために俺は――――!」

「じゃあ、どうすりゃいいか解るでしょ」


 険しい顔のまま、七呉がぱ、と手を開いて見せる。

 その指の付け根に胼胝が出来た手のひらを見つめ、虎篭丸もまたその拳を開くと、上下を返した。

 僅かな明かりを反射して、虎篭丸の魂鋼がその手のひらの中心で鈍く光る。

 間髪入れず、七呉が自身の手を被せてきた。





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