二十、白闇
その日は明け方からしとしとと雨が降っており、湿度の高い纏わりつくような空気の中、傘を被った、あるいは翳された人々が陣内を行き来していた。
前回の出陣からすでに四日が過ぎていたが、相変わらず白水名物の霧が立ち込め、薄暗い昼を過ぎても陣内は白い薄闇の中にある。そんな中、三岐守の天幕ではいつかのように三人の御具足衆とそのご専属たち三人が対峙していた。羽鶴が完全に目を覚ましたので改めて場を設けたい、という三岐守からの使者に虎尉守と鎮北守が応えたためである。
三人の武者たちの前には、水野郷の絵図面が置かれていた。いつもより白い貌をした羽鶴が、絵図面のうちの崖、と記されているところの一か所を指さす。
「ここに、足軽たちの死体が運び込まれていました。私が襲われたのも、この近くの森の中です」
「初日の合戦場から、そう遠くもないな」
「はい」
目を覚ましたとはいえ、包帯の取れない体に単を身に着けた羽鶴の姿は痛々しい。自身の隣にいる伽耶も思うところは同じだろう。沈痛な面持ちで鎮北守の後ろに立ちながら、三岐守に応える羽鶴を見ていた。
「死者の数と霊犠怨怒の発生数に因果がある以上、ここもまた霊犠怨怒発生と何らかの因果があるとみてまず間違いないだろう。死者が運び込まれるのが合戦の当日中なのであれば、これから先三日のうちは出入りがないはずだ」
陰陽師の占いで予兆はそう出ているからな、と三岐守が腕を組む。虎尉守が眉を寄せた。
「忍び込む気か」
「それしか確かめようがないから。乱暴な手口だが、押し入る」
「何もなければ祢鼓谷の所領を荒らしたという責めを受けるぞ」
「寧ろ、あった『もの』を如何様に運び出すか、いや、如何様にして帰るかを考えた方がいいだろうな」
祢鼓谷も無関係ではまずあるまいという三岐守の言葉に、虎尉守も考え込む。
「……彼奴らの手勢はどれほどだ」
腕を組み黙っていた鎮北守が、羽鶴を見ながら問いかける。
「私が囲まれた時は六人で、援軍を呼ぶ様子はありませんでした。うち、三人は私が始末しました」
何事もないかのように口にする羽鶴に、七呉と伽耶は思わず息を呑んだ。人が人を殺める戦場は既に遠い昔話であった七呉たちにとって、あらためて今回の話が通常の『戦』とは違うのだと思い知らされる。
「六か」
呟いた鎮北守が絵図面を覗き込む。
「俺は戦える。鬼能は治癒がある。月山、貴様はどうだ」
「人相手は久方ぶりだが、問題ない。向こうもそのつもりで来るだろうからな」
淡々と進んでいく話に七呉が口を開きかけた時、隣の伽耶が先んじて口を開いた。
「わたくしも参ります」
「駄目だ」
「参ります。祢鼓谷様が関わっているのなら洞窟奥に御霊具足の武者も控えているかもしれません。万一の時生身で具足武者と相対されるおつもりですか」
「足手まといだ」
「なりません。わたくしが傷つく時は道慈様が傷つく時、死ぬ時は道慈様が果てられる時です」
断固として付いていくという伽耶に、床几から立ち上がって睨み合う鎮北守の顔が数段険しくなった。
「……三ノ輪さんのいう通り、生身で武者や忍とやりあうのは危険すぎると思います」
「七呉」
「私も行きます。置いていこうとしても勝手に付いていきますから」
「お前は……」
「亀子、お前は怪我が――――」
「私抜きでどうやって『目』を掻い潜って洞穴まで行かれるおつもりですか。紅様」
拵方たちの頑固さに思わず目をかわす武者たちだが、誰もこれといった説得材料を出すことができないまま沈黙が落ちた。
「伽耶は、決してお側を離れません」
「……」
険しいままだった鎮北守の表情に苦みが混じる。どうにかしろと他二人の武者に視線を投げるも、それぞれがそれぞれのご専属の頑なな態度に口が出せない状態だった。鎮北守はあらためて伽耶を見下ろす。
「……本気か」
「本気です」
「正気か」
「正気です――またお確かめになる?」
伽耶は涼しい表情のまま手のひらを差し出す。一方の鎮北守は深いため息を吐き、いらん、とその手を押し戻した。
「……離れるなよ」
「決して」
「鎮北守――――」
「こいつは俺が連れていく。お前たちも勝手にしろ」
三岐守たちにそう言い放ち、鎮北守は再び床几に腰をおろすと腕組みをした。
「七呉……」
「絶対付いていきますから」
「……亀子」
「……」
虎尉守を見据える七呉と、つんとそっぽを向く羽鶴。虎尉守と三岐守は、各々目元に手をあててため息を吐いた。
「方位磁石はあるか」
「ございます」
鎮北守の声に応えたのは羽鶴だ。
「霧が濃いうちに進めるべきだ」
「雨上がりは待つか」
「待たん。だが夜は危うすぎる」
「夜明けと共に出立しよう」
三人の武者が目線をかわして頷き合い、そして各々の背後を見やる。
『夜明けですね・わね』
絶対についていく、という意思を強固にした眼差しが迎え撃ち、今度こそ彼らを黙らせた。
ゆらゆらと濃さ薄さを光の当たり具合で変化させながらも、先の先までは決して見通させない水野郷の濃霧の中を、一行は方位磁石を手にした羽鶴を先頭に進んでいた。時刻は青い暗がりに霧の白い衣が重なる夜明け時。天候は曇り。武者たちは進軍中のように、腰に大小の刀を帯びていた。
「そろそろ、です」
羽鶴の小さな声が警告を発する。彼女が襲われたという地点を迂回しつつも、警戒態勢を崩さずに進む一行。やがて森は木立に代わり、木立は疎らになり、途切れる。
「……ありました」
襲撃に警戒をし続けながらも、羽鶴が指した先に、崖が下から割れ崩れたような洞穴の入り口が確かにあった。ただここに至るまで忍の襲撃はなく、羽鶴が見たという入口の兵も見当たらない。
「……周囲に気配はない。行け」
「ああ」
鎮北守の言葉に同意する三岐守の声が続き、一行は身を隠していた木立を抜けて、足早に洞穴の中へと入って行く。
「……広いな」
「七呉、離すな」
「離しませんて」
七呉は虎尉守、そして伽耶と手をつないでいた。伽耶の手は七呉と、殿の鎮北守につながれている。ひやりとした暗がりの中、進むごとにぽつ、ぽつと明かりが見え始めた。
「松明……?」
照らされる先は凸凹とした石の道ではなく、それをくり抜き板を敷いた舗装までなされていた。洞窟内の湿度は濃く、時折りどこかで滴る水音が反響して聞こえる。
「……相当奥まで続いているな」
三岐守が呟いた。道幅も広く、鎮北守が二人並んでなお、すれ違えるだろう余裕がある。自然と一行は一列というより一塊となって奥へと進んでいた。徐々に水の音が聞こえ、流れている川に橋が渡されているところまでくると、羽鶴、三岐守、七呉、伽耶のそれぞれがぴくりと反応して立ち止まる。
「どうした……?」
虎尉守の潜めた声に、三岐守が呟いた。
「……呪詛の気配だ」
「奥からにおって来ます、それに、これは……」
死臭。と先頭の羽鶴が低く零し、袖口を口元にかざす。一行はより一層慎重に奥へと進んでいく。松明の明かりが途切れることはなく、やがて水の流れる音は大きくなり、滝のような音へと変わっていった。
「!――――あれは……!」
三岐守の驚愕の声が上がる。道の先にはゆうに御霊具足も立ち回れそうな開けた空間が広がっており、そこには巨大な石塔と、その背後には地底湖と思われる湖が壁から流れ出る滝を受け止めて妖しく輝いていた。
そして巨大な石塔の上で、どくりどくりとまるで脈打つかのように蠢いているのは。
「霊犠怨怒……!?」
石塔から離れようとするかのように、無数の怨霊の塊があの特徴的な大髑髏の形を成そうとしていた。だが大髑髏は完成せず、そのためだというかのように怨霊たちは蠢くばかりで石塔から離れない。七呉は強烈な呪詛の気配に思わず口元を押さえる。
「正確には、その幼体。といったところでしょうか」
驚愕する一同に対し、不意に朗々と響く声。声の主は広間の壁に空いた無数の穴の一つから、松明の明かりの下へと進み出た。
「!白水守……ッ!」
「ようこそ皆様。祢鼓谷家ご謹製の養殖地、大首塚へ」
「貴様、やはり――――」
「やはり、なんでしょう?祢鼓谷家の手先だったか?――はい。もちろん。この大首塚を知っていたか?――当然ながら」
佐治を連れて現れた白水守が、悠々とした足取りで大首塚、と呼んだ石塔の前に立つ。
「それとも、三岐守殿がここを嗅ぎつけたと気づいていたか?――ええ。ですから、このように」
ぱちりと指を打てば、岩上の暗がりから次々に降りてくる忍たちに周囲が取り囲まれ、入口も塞がれる。武者たちは即座に中央へ伽耶と七呉を押しやり、羽鶴、三岐守、虎尉守、鎮北守がそれぞれの得物に手を添えて睨み合う。
「おや、当世の武者殿方にしては堂に入った構えですね。まるで、人を殺めることに慣れていらっしゃるような――――ああ、そちらのご専属はそうでしたね。祢鼓谷家直属の手練れを一人で三人も片付けるとは、実に恐ろしいことです」
「慣れているのはそちらの方だろう。白水守……いや、黒綱主計清安!」
「これは心外な。拙が慣れているのは遺骸の始末でして、人を殺めるなどとても、とても」
「戯言を――」
「その辺におし。黒綱」
ひりついた三岐守と白水守のやりとりに、柔らかな声が押し入ってくる。
「あまり怖がらせては可哀そうだろう」
「これは失礼をば。お喋りが過ぎまして……」
新たな足音が四つ、うち一つはもつれるように不規則に響く。
「八塩守――――……ッ!?」
明かりに照らされたその顔に虎尉守が冷えた声を漏らした直後、次いで現れた人影たちに息を呑んだ。それは虎尉守だけではなく、呆然とした七呉の声がこぼれる。
「……祖父ちゃん?」
悠然と構える八塩守と花路。そして二人の後に続く忍の持つ縄の先に、戒められた七郎左の姿があった。
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