十九、調律
日が傾き赤く染まる戦場に、霊犠怨怒の慟哭ともつかない咆哮が轟いている。
『ッ……』
『虎尉守!丑寅から二体!!』
三岐守の警告に火を噴いた虎尉守の機体が、霊犠怨怒の牙を寸前で逃れる。そのまま突進してくる霊犠怨怒を斬り払う三岐守だったが、一撃で屠り去る常の勢いはなく、二度三度と斬り結んだ末にようやくその頭蓋を脳天から下顎まで断ち切った。
一方で瀬筒守と共に両翼を攻める白水守からは、至って冷静な涼しい声の通信が入る。
『このままですと前後に群れがちぎれますよ』
『先に行って八塩守とそちらを叩け!――鎮北守、援護を!』
すでに予定されていた『巻き狩り』の体は崩れており、三岐守、虎尉守らが受け持った箇所は乱戦に近い有様となっていた。三岐守の声に応えるように遠方からの『矢』が降り注いでくるが、命中率の精度が常のそれよりも低く、すり抜けた一体が足軽たちの方へと逃れる。
『チッ――』
舌打ちした虎尉守が逃げた一体を追い、斬り捨てようとするも不意に方向を転じたその霊犠怨怒が呪毒を吐いた。反射で左腕を犠牲に、虎尉守は胴丸への直撃を防ぐ。ゲタゲタと霊犠怨怒を構成する無数の怨霊たちが嗤うような音をたてたのも束の間、右手の大太刀が横一文字にその大顎を上下へ分けた。
『ぐッ……』
『虎尉守が左腕をやられた!鎮北守、矢はまだあるか!?』
『これで終いだ』
『撃ち終わり次第、こっちに回ってくれ!』
『いら、ん……!』
『言ってる場合か!次、酉から来るぞ!』
三岐守に叱責され、歯噛みしながらも虎尉守は操縦桿を握る左腕から感覚が失せていくのを感じていた。再度右手一本で握った大太刀を振るい、自身の左手側から襲い掛かってくる霊犠怨怒を袈裟懸けに斬り捨てる。勢い砕かれた大地に轟音が響き、霊犠怨怒の断末魔が木霊した。
宵闇迫る本陣内では、篝火が常よりも多く焚かれ、その周囲は明るいものの離れたところは一層闇が濃い。
すでに整列の済んでいる御具足調役たちが不安そうに顔を見合わせたり何事かを囁き合う中、その前をうろつく組頭は帰陣の報せをいまかいまかと待ちわびている。七呉たちご専属は彼らより前に立ったまま、帰陣予定時刻を過ぎても現れない伝令を無表情のまま待っていた。昨日からの痛みを抱える七呉の額には冷たい汗が滲みつつある――――と、そこへ法螺貝の音が鳴り響いた。
「!」
はっとして一斉に振り返った七呉たちの視線の先、蹄の音が陣内の砂利を掻く音と共に、母衣を膨らませた伝令が駆け込んでくる。
「御具足衆ご帰陣!全機ご帰陣されます!」
伝令の声が陣内に響き、喜色に湧きかけ御具足調役を始めとする拵方たち、しかし。
「鎮北守様、損傷、軽微あり!三岐守様、損傷、中あり!虎尉守様、損傷、大なり!!虎尉守様、呪毒にて損傷あり!」
続く言葉に緊張が走った。
伝令が報告する損傷は、お清め調べの段階で細心の注意を要することを意味する。組頭たちの矢継早の指示を聞きながら、七呉は拳を握りしめた。今回も『拵』の顕現自体は成功していた。していたが、それだけだ。初めて虎尉守の大太刀に『拵』を施したような霊脈の合一を、七呉は感じられなかった。胴丸内に搭乗していた虎尉守とてそれは同じことだったろう。だが、七呉は自分が施した『拵』を纏った御霊具足を、虎尉守をただ見送るしかなかった。
その結果が、今帰って来ようとしている。俄かに慌ただしくなる陣内の中で、七呉は彼方の既に宵闇に沈んだ山林の方からちかちかと光るものが上昇し、こちらへ向かい飛来するのを見た。いつもの五色。いつもの光。そして、いつもの轟音と風圧を浴びて篝火がいくつか消し飛びそうになるも、五機が着陸するまでに消えたものは辛うじてない。
「――――」
一方、七呉はその篝火に照らし出された虎尉守の御霊具足の有様に絶句した。
折れた兜の前立て、千切れかけた袖と、大首輪を斑に、左籠手を侵蝕し染め上げている呪毒の痕。それ以外にも大小さまざまな霊犠怨怒の噛み痕と思しきものが散らばっている。
御具足調役たちが急いでお清め調べを始める中、虎尉守の胴丸は開かない。七呉は早鐘を打つ心臓に落ち着かけと言い聞かせることで、必死に冷静を保っていた。必要以上に緊張していては調律に難が出る、と自分に言い聞かせて。
「虎尉守様、お清め調べ仕上がりましてございます!」
組頭の声に応え、ようやく胴丸が開く。操縦席から立ち上がった虎尉守が片腕で下りる梯子を、同じ組の拵方たちは総出で支えた。地上に降り立った虎尉守は右手の魂鋼だけで具足を収束させると、小走りに駆け寄る七呉へと振り返る。装束から垣間見えた首筋にも、すでにわずかな変色を見出した七呉は表情を引き締めた。
「急ぎ、天幕までお戻りを」
「……ああ」
無表情の虎尉守の応じは短いが、気にする様子もなく七呉は踵を返す。慌ただしくなっていたのは虎尉守の組だけではなく、他の損傷を負った御霊具足の拵方組はどこも右往左往していた。その中を、七呉が先行する形で、二人は虎尉守の天幕へと戻る。
変色も露な左腕はすでに動かないらしく、虎尉守は常より大人しく小姓たちの手を借りて湯帷子姿になると盥に座った。小姓たちがいなくなったのを確認し、七呉は急ぎ彼の元結を解いてその髪を肩前に流す。髪を梳る工程は省いた。
「……七呉」
「なんですか」
「体の、具合は」
「今はご自身の心配をなさってください」
ぴしゃりと切り捨てる。左腕から広がる呪痕の侵蝕はすでに心臓へと近づいているだろう。神経を集中させながら手桶で五度の湯かけを行い、七呉はすぐにそのうなじへ両手を重ねた。自身の霊脈を励起し、虎尉守のそれを呼び起こす。
「っ……!!」
息を呑んだ。呪毒に侵され、傷つけられ乱れた左腕の霊脈には既に本来の正常な霊脈を詐称し、不自然に肥えた呪毒による霊脈の腫瘍が出来つつあった。不幸中の幸いだったのは、まだ心臓付近の霊脈には侵蝕が及んでいなかったことくらいだ。
そのまま構わず、自分の霊脈を重ね合わせていく。霊脈が本来持つ、正しい呼吸を送り込みつつうなじに重ねた両手を滑らせ、肩に置く。
「御手を」
「……」
その声に虎尉守の右手は持ち上がったが、左手はピクリと動くも盥に落ちたままだった。それに構わず、七呉は身を乗り出してまず右腕から滑らせた右手を重ね合わせ、自分から指を嚙合わせるように深く手をつないだ。かと思うと、その右手をぐいと後ろに引きながら左手を肩から先へと滑らせ、虎尉守の背に顔を押し付けつつ、何とかその左手を同様に握りこむ。繋がった魂鋼から、重なり合っただけの霊脈の同期が開始された。
七呉はあまりに広い穢れを囲い込みながら、同時に自身の霊力で侵蝕を追いやり、次々に霊脈の今まさに侵蝕せんとする『患部』と正常な部位を切り離していく。同期される呪毒の抵抗が自身の内側を掻き乱す不快感に耐えながら、虎尉守の霊脈の流れが絶えないように自身の霊力を送り込み、その流れを保つ。
それは虎尉守が切り離された患部を修復するまでの間、より深い虎尉守の『声』に触れるということでもあった。一度にすべての箇所を切り離すことは出来ない分、その声はより長く、明確な言葉となって七呉の内にも響いた。
(七呉)
(顔色が危うい。平気なはずがない)
(俺をそれでも救おうとしてくれるのか)
(何故)
(七呉の霊力を感じる)
(七呉)
(何故俺を信じてくれなかった)
(何故そう問いかけなかった、俺は――――)
深い悔恨と苦悩、七呉を案じつつも怯えるような『声』。
そんな『声』に若干呆れながらも、七呉は迅速に患部の切り取りを完了させた。あとは虎尉守の霊力の流れを無理やり引きずり上げるように、大量の霊力を注入し正常な霊脈の再構築を活性化させていく。こめかみを伝って滴る汗が、盥に落ちて幾度かの小さな水音を立てた。
切り離された患部の呪毒は、虎尉守の再構築が終わるまで七呉自身が引き受けなくてはならない。七呉の体内へと引きはがされたそれらは、霊脈を冒す不可視の存在から形を変えて、徐々に七呉自身の臓腑に溜まっていく。
(寝ぼけたこと言ってないで集中してください)
(あなたの命がかかってるんですよ)
(顔色?悪いに決まってるでしょう)
(でもあなたの命の方が危ういんです)
(私はあなたを折れさせない)
(私は私)
(私は千代見の七呉)
(だから大人しく、救われなさい―――!)
ごぷ、と喉奥を灼いて溢れ出そうになるものをいまは無理やり飲み下しながら、虎尉守に霊脈を編み直させる一方で、切除した呪毒を吸い上げ、追い込み、囲い込む。ついに最も大きな腫瘍を切り離し、虎尉守が霊脈を完全に補い終えたと同時、七呉はその手を振り払って手桶を引っ掴んだ。
「ォえッ―――」
二度、三度と呪毒の塊を吐き出す七呉だったが、それでも吐き出すものの勢いは止まらず、しまいには明らかに呪毒のそれとは異なる赤いものを吐き出した。
尋常ではない様子に振り返った虎尉守が手を伸ばそうとしたその目の前で、ぐらりと、細い背が傾ぐ。
「七呉ッ――――!!」
遠のく意識の中で、悲鳴のような虎尉守の声を聞いた気がした。
●
(あたたかい……?)
七呉の意識は、不意に温もりを感じた。
それと同時に、自分の全身がぞくぞくと冷え切っているような寒気を感じ、温もりの方へと意識は向かおうとする。微睡むような感覚から温もりの方へ近づくにつれて、意識が浮かび上がり、はたと視界が開けた。
見覚えのある天幕の天井色と薬草のにおいに何度か瞬いているうち、痛んだ喉からけほりと小さな咳が出る。
「!気が付いたか」
七呉の視界に、ほっと安堵した顔の三岐守が入ってくる。既視感の正体は彼女の天幕だったからかと気づいた七呉は、まだ眠気の重だるさの残る体のうち、素直に動く首から上を左右へと動かした。
「虎尉守ならいないぞ。治療の邪魔ゆえ追い出した」
「!」
まるで犬をつまみだしたかのような無造作な言い捨て具合に、七呉はぱちりと瞬く。
「ともあれ、起きれるか?嗽をしてから水を飲んだほうがいい」
「……はい」
かすれた声で答えた七呉は、もぞもぞと畳の上で上体を起こす。ふと視線を巡らせば、反対方向の空間に敷かれた畳で眠りについている羽鶴が見えた。ということはここは三岐守用の寝所かと慌てて立ち上がろうとする七呉を、三岐守は片手で制する。
「落ち着け。そら、水だ。吐き出す分はこちらに」
六将家の姫に世話をされるという事態に恐縮しつつも、大人しく口と喉を濯いで手桶に吐き出してから、彼女が注いでくれた新しい水を飲み干す。そんな七呉を見守り「どれ」とその額へ三岐守が手をあてる。流れ込んでくる霊力の覚えのある温かさに、あの温もりは三岐守の通力だったのかと七呉はようやく気付いた。
「……うん、問題ないようだな。喉はまだ痛むか?」
「少しだけ……でも大丈夫です」
「そうか。……無用な世話かとも思ったが、『怪我』も治させてもらったぞ」
「!!」
かっと顔が熱くなるのが自分でも解った。対照的に表情を引き締めた三岐守は、徐に頭を下げる。
「すまなかった」
「さ、三岐守さま」
「貴公に対する虎尉守の執心のほどは解っていたというのに、軽率な真似をした挙句貴公を深く傷つけてしまった。私の落ち度だ」
「……顔を、あげてください。お願いですから。おかげさまで、もうどこも――喉以外は――痛くありません」
七呉の言葉に顔を上げる三岐守だったが、その柳眉は寄せられている。まるで自身も痛みを感じとっているかのように、七呉の瞳を見つめながら。
「だが、恐ろしかったろう」
「……、……はい」
良く知っていると思っていた男性が獰猛な獣と化した姿を知り、自分はそこから逃れられないと知ってしまった。
それだけはどうあっても、知る前には戻れない疵である。
三岐守は自嘲を含んだ苦み走った笑みを唇に刷きながら、あらためて自身の手元へ視線を落とした。
「体は癒せても、心は癒せないのが私だ……貴公らには、詫びても詫びきれぬ」
「もう、いいんです。私が選んだことです。私が選んで、お伝えして、それに嘘も吐きました。だからこれはもう、私たちの問題なんです」
「七呉……」
「三岐守様だって今回の出陣でお疲れだったでしょうに、貴重な通力を使ってまで癒してくださった。ですからもう、これで手打ちとしましょう」
「……強い女子だな、貴公は」
「そうでもないです。しぶとくはあると思いますけど。我ながら」
「いいや、強いとも。だが、だからこそ少し危うくもあるが」
「危うく……?」
「湯帷子のままの虎尉守が、貴公を抱いて駆け込んできたときは肝が潰れた。貴公、二刻もの時間をかけて呪毒を抜いていたのだ。気づいていたか?」
「え」
そんなにかかっていたとは、と目を瞬かせる七呉に三岐守は苦笑する。
「有能なうえ魂も強い。それゆえ貴公には出来ることこそ多いが、体のほうが常についてこれるとは限らん。私が言えたことではないが、あまり自分をいじめん方がいいな」
「……覚えておきます」
「そうしてくれ。さて、そろそろ帰してやらんと虎尉守が風邪を引くかもな」
「風邪、ですか?」
「あまりに邪魔臭かったので叩き出したが、あのあと大人しく天幕に戻りこそすれ、着替えも終えた万全の状態でいるとは考えにくい」
果たして、三岐守の言葉通り、天幕に戻った七呉が見たのは生乾きの湯帷子姿のまま立ち尽くす虎尉守と、そんな彼の周りで着替えを手におろおろする小姓たちだった。
はあ、とため息をつくと天の援けとばかりに小姓たちが振り返る。七呉は片手を振って「もう戻って大丈夫ですよ」というと、彼らは手にしたものを七呉へと託してぺこぺこ頭を下げながら天幕を出て行った。
「誰かを困らせないと人の心配もできないのですか、あなたは」
「……」
振り返らない虎尉守の新しい装束などを畳の上にどさりと置いた七呉は、つかつか歩み寄り彼の前に立つ。だが視線は合わさらない。虎尉守の顔は自身の右斜め下を向いている。
「聞いておられますか」
「……聞いている。ただ、合わせる顔がないだけだ」
「あ、そうですか」
途端、空の弾けた音と共に、虎尉守の視界が真横へぶれた。揺れに遅れて、じんと痺れる自身の左頬に瞬く。鎚を振い慣れた七呉の右腕は相応の速さと重さで、虎尉守の左側面を平手打ちしたのだ。
「手打ちです。私を恐ろしい目に遭わせた自覚があるなら、今すぐ私の言うことを聞くべきでしょう?こっちを向いてください」
それでも慣れぬ衝撃に、痺れる右手をぷらぷらと振りながら言う七呉の方へと、虎尉守の顔は鈍重に振り返る。
「確かに霊脈など介さずとも、あなたの臆病さはよく解りました」
揺れる虎尉守の瞳を見据える七呉の手が、その両頬をがしりと掴む。
「だから、よく聞いてください――――嘘を吐いてすみませんでした。あなたを危険なことに近づけたくなくて、その場しのぎの言い逃れをしました。それでもあなたを想っていることに変わりはありません。いまもです。あなたはどうですか?」
「……七呉」
「答えて」
言葉よりも先に、七呉の両手の親指に、熱いものが伝わっていく。その微かな震えも。
「――――想っている。想っているとも。お前を。お前だけを。信じてくれ、七呉」
「いいでしょう。信じます」
「……すまなかった」
「はい。次言ったらもう一発殴ります。口先じゃなくて行動で示してください」
「ああ――ああ、七呉。殴ってくれていい。すまない、すまなかった……!」
虎尉守の両腕が七呉を掻き抱く。勢い彼の胸と自身との間に挟まれるようになった両腕を抜き、虎尉守の背に回した七呉は、自分の肩を濡らす熱いものを感じながらぽん、ぽんとその背を叩くのだった。
「本当に、しようのないひと」
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