十六、出陣
(……とうとうすべてが三岐守様の言った通りになった)
虎尉守の元結を解き、用意されている櫛で念入りに梳りながらも、七呉の心はよそにあった。時期も、場所も、出現する妖魔の種類まで言い当てたかの人物は、この結果に一体何を思っているのだろうか。
(……解るはずもない)
今の七呉に理解できるのは、自分の理解の範疇を超えた出来事が起きつつあるということだけだった。
そして、そのために――――その未知の陰から、目の前の人物を守るためにも、この調律を確かに終わらせなければいけないということ。
櫛を置き、選り分けた髪を肩前に流すと、手桶で汲んだ湯を両肩、うなじへとかけること五度。ここまでは戦後の調律と同じだが、手桶を鍋に放り込んだ七呉は立ち上がり、虎尉守の正面へと回った。両手を伸ばし、首の後ろ――うなじへ重ね合わせる。必然、体格差から抱きつくような姿勢になったがこればかりは仕方がないと自分へ言い聞かせた。
「始めます」
「ああ」
今回の調律は損耗治癒ではなく、霊脈を重ねて顕現を補助するための予行演習。本番は立って両手を取り合うため、この調律も向き合っての姿勢となる。
しかし、七呉の心は落ち着かなかった。いっそなにもかもこの場で虎尉守に打ち明けてしまおうかと声がする。一方で、だめだ、何のために三岐守様が拵方を選んだのか考えろとも。
散り散りになりそうな意識を無理やり一本にまとめ上げながら、七呉は深く息を吐いた。
(集中しろ――――)
自身の霊脈を励起する。暗闇へ明かりが灯ったように、虎尉守の霊脈が現れ始め、二つが近づいていく。うなじに重ねた手は両肩を辿り、腕を辿り、そして上向けられた手のひらへと重なった。同時に、二人の霊脈が重なり合い、融け合っていく。
霊脈の交感は、調律のように切羽詰まった事情でもない限り、本来なら心地よいもののはずだ。だが、この時は。
「……不安か」
霊脈を重ねた以上、感情に嘘はつけない。融け合おうとしながらも、一方の感じている不安や緊張は相手にも手に取るように伝わっていく。
七呉は何も言わなかった。何を言ったとしても、この感情の真実ではないことになるだろうから。ならば何も言わない方がまだマシだと思えた。
「お前は必ず顕現できる。俺も必ず帰ってくる」
七呉の無言を肯定と捉えたのだろう虎尉守の声は優しい。その優しさが今の七呉には例えようのない緊張と、後ろめたさを感じさせるだけだとしても。
虎尉守が魂の内側に編み上げていく『刃』を追うように、七呉の霊力もまた『刃』へ『拵』を施していく。やがて抜き身だった『刃』は『拵』を手に入れ、一振りの立派な大太刀の姿を手に入れた。
ほう、と七呉が小さく息を吐いたのも束の間。虎尉守の手がくるりと反転し、七呉の手首を掴んだ。
「ちょっ……」
霊脈の重なりが途切れてしまう。見開いた七呉の目に飛び込んできたのは、自分の手首を強引に引いて盥の中、その先の虎尉守の胸へと抱きつかせる彼の姿だった。
「――――おおよそ二か月と十三日間我慢した。少し許せ」
一瞬なんのことかと思った七呉だったが、あの川原でのことを言っているのだと気づいて呆れ半分の恥ずかしさが頬を熱くした。その頬に当たる虎尉守の髪のくすぐったさや、自身を籠めている胸と腕のたくましさ。その一つ一つが七呉の気持ちを落ち着かなくさせて、同時に温かいものをもたらす。
しばし虎尉守の太ももに座るような形で身を預けていた七呉だったが、自身の胸中のざわめきが納まると、そのままじろりと視線を上向けた。
「……出陣前に風邪を引かれるおつもりですか」
「つれない奴だ、お前は」
翌々日の夜明け前は霧が出ていた。陣幕の隙間を滑りこむように忍び込んでくるその白を纏わせて、掲げられた松明の明かりのもと整列している御徒役たち。その先には戦装束に身を包んだ御具足衆と、覆面のない拵方――――彼らのご専属たちが向き合って立っていた。
法螺貝の音が鳴り響くと、御具足衆たちの差し出された両手のひらへ、ご専属たちのそれが重なる。
七呉もまた虎尉守の手のひらと自身のそれを重ねて、彼の魂の内に編まれた『刃』へ、『拵』を施していく。背後に控える御徒役たちからの補助もあり、霊力的な消耗はほぼないに等しかった。だが、七呉の魂は具足が編み上げられていくと共に離れていく虎尉守の手の感触に、言い知れぬ不安を抱いていた。
やがて六機の御霊具足が顕現を果たすと、巻き起こった風が纏いつく薄霧を引き裂いて、視界が晴れていく。七呉もその風を浴びながら、今は胴丸の中にいるのだろう虎尉守もまた、こちらを見ているのだろうことを感じていた。
「御具足衆、ご出陣!」
再び法螺貝の音が鳴る。その音を掻き消すかのような噴射音と共に六つの機体が上昇を開始し、そして定められた一方へ向かって飛び立っていった。残されたのはその風圧に靡く陣幕、そして七呉たち拵方のみである。
すでに陣外では霊的処置を施された槍を担いだ足軽たちなども出陣しており、風が治まればあとは人の気配も薄れた静けさだけが残った。
飛び立った先を見ていた七呉の傍らへ、草を踏む足音がたつ。
「……こんなに早くお戻りいただきたい、なんて思う日が来るとは思いませんでしたわ」
隣に立った伽耶の言葉に、七呉は浅く頷いた。
「お二人とも」
そんな二人の背中に、かかる声がある。揃って振り返れば、拵方の装束姿の羽鶴が、両手を腹の上に重ねて立っていた。
「……お待ちしておりますから」
それ以上は何も言わず、あのおさげ髪を揺らして一礼すると、羽鶴は踵を返して去って行く。残された二人は、どちらともなく顔を見合わせた。
「……どうなさるおつもり?」
「……あのお話は全部的中してましたから、私は……行こうかと」
「そう」
「三ノ輪さんは?」
「……同じですわ。わたくしも」
この決断が虎尉守を守る結果につながるのであれば、と七呉は心を決めていた。伽耶とて同じだろう。今はただ、背かせたくはない、という三岐守の言葉を信じるしかないとしても。
御徒役たちの立ち去る足音がまばらになっていく中、佇み続ける二人に「お二人とも」と花路の声がかかった。
「不安なのはわかるけれど、私たちもお出迎えのお勤めをしなくてはね」
その声の方へと振り返った二人は、はい、と声をそろえるのだった。
白水州はその名の通り豊かな水源をいくつも湛える事で知られている。この水野郷もまたその例にもれず、郷内を貫く川や無数の池沼から立ちのぼる朝霧が郷内の林の中にまで濃く立ち込めていた。白んだ空から差す日がその霧を一層白く煙らせ、駆動風圧で霧を散らせる御霊具足周囲以外は一寸先も見通せない白が蠢いている。平時なればこれを風流と愛でることもできたのだろうが、今は戦時。それも霊犠怨怒の発生地点と目されている土地である。
その青ざめた白は、足軽たちを怯えさせる脅威以外の何物でもなかった。
人と人との戦であるなら、何かしらの気配――狼煙や伝令の蹄の音――を相手取っていると感じることができるが、敵は妖魔。『その時』が来なければ、姿形すら見えぬ怪異である。
足軽たちは四方八方へ睨みを利かせたくなる衝動をひたすらに抑えていた。隊列を乱せば縮むのは自分の寿命であると彼らは痛いほど知っていた。
やがて『その時』が訪れる――――御霊具足全機の探知機が、妖魔発生の警報を鳴らした。
『来るぞ!』
三岐守の警告と共に、無数の慟哭とも悲鳴ともつかぬ絶叫が霧を震わせる。無数の髑髏の集合体、霊犠怨怒が水気を帯びた地中からのたうち回るように次々と地上へ現れだしたのだ。
「ひっ……」
「で、出た――――」
『怯むな!隊列を維持しろ、虎尉守と私の間合いに入るなよ!!』
三岐守の吶喊は短く、的確だった。瞬時に駆動率を最高まで引き上げられた噴射口が辺りの霧を散り散りにしながら二機の機体を異形の群れへと突撃していく。
霊犠怨怒たちもまた獲物が自らやってきたとその大顎を開いて迎え撃つが、その動きよりも大太刀と長巻の二連撃の方が早かった。
『シッ!!』
虎尉守の斬撃で顎を上下に割られた霊犠怨怒がその威容を崩壊させ、細かな怨霊へと還っていく。もはや御霊具足に抗する力もないそれらは、虎尉守の次の得物を狙う斬撃に巻き込まれるか、あるいはその合間を逃れて足軽たちに襲い掛かっていくが、足軽たちとてただ襲われるだけの獲物ではない。霊力の籠められた槍の穂先を振りかざし、一個の妖魔と分かれた怨霊たちが人里へ降りぬよう殲滅するのが彼らの役目だった。
彼らの蛮勇の雄叫び、あるいはそれが敵わなかった悲鳴を背に、虎尉守と三岐守はさらに群れへと食い込んでいく。
正面からの突破が不利と判断したのか左右から回りこもうとする霊犠怨怒は、予定通り両翼から回り込んでいた瀬筒守の十文字槍と、白水守の小太刀二刀流が迎え撃っていた。
彼らの背後に控える足軽部隊もまた、御霊具足が四散させた怨霊たちを狩り取る手柄を上げようと躍起になっている。
そうこうしている間に頭上から降り注いでくるのは、離れた高台に陣取った鎮北守の『矢』だ。上空へ逃れようとした霊犠怨怒たちは、残らずその的となり霧散していった。
すべてが順調と言えた――――順調すぎると、言ってもよかった。
数と勢いに任せた攻勢へ転じることができない霊犠怨怒たちは、徐々に数を減らして御霊具足の包囲網に巻き取られていく。呪毒すら吐く暇を与えられず切り裂かれてしまえば、待っているのは只管の殲滅だ。
そして霊犠怨怒が追い詰められた先、行く手には待ち構えていた打刀二刀流の御霊具足が一体、噴射口から火を噴かせていた。
『来たね』
八塩守の突撃を合図に、霊犠怨怒の群れは完全にその陣形を崩壊させた。
ここからは散り散りになった霊犠怨怒たちを誰がどれだけ討ち取れるか、いわば御霊具足たちの独壇場である。噛みつこうとしてくる霊犠怨怒を避け、あるいはあえて噛ませて断ち切り、その呪毒を飛んで逃れながら切り刻んでいく武者たちの足元では、霊犠怨怒の残骸、人を襲う怨霊へ堕ちたものを自由にさせまいと、血泥を跳ね上げ奮戦する足軽たちがいた。
開戦から半刻も経たずして、戦いの趨勢は決していた。
開戦前は白く稜線を縁どっていただけの太陽が高く上る頃、陣中には母衣をはためかせた伝令が到着した。興奮状態の馬の轡を引き、伝令、と高く声を上げる。
「御具足衆ご帰陣!ご帰陣されます!――――全機ご無事です!!」
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