十四、薬と夜話
(お、落ち着かねぇ~~……)
他人が手綱をとった馬に揺られながら、七呉は早くもご専属契約について後悔し始めていた。
ただでさえ初めて乗る馬の高さや、その温度や呼吸といったものにも慣れないのに、四方八方からあの娘が虎次郎様の、という好奇の視線やら囁き声が飛んでくるのである。
加えて大勢での行軍はさっさと進める自分一人のときのそれとは違い、一定の速度を保ち脱落者が出ないように配慮されている。つまり、七呉にとっては苛立たしさすら感じる速度の中、晒しものになっているような状況だった。
(私一人ならもう半里は先に進んでただろうに)
前を行く虎尉守とは気軽に話をできるような距離でもないし、そもそも話題もない。
せめてうんざりした顔だけは隠す努力をしつつ、七呉は移り変わっていく周囲の景色へと視線を移した。まだ軍列は虎尉州の中を出ていない。少しずつ色づき始めた紅葉や銀杏の色が、緑の中にちらほらと見え始めている。
見頃を迎える頃には白水にいるのだろうと思うと、見慣れた秋の山々が名残惜しく感じられるのだから不思議なものだ。
初日はそんなことを考えているうちに日が暮れて、虎尉守の行列は最初の宿場町へと到着した。
七呉はというと、長時間の慣れない乗馬ですっかり太ももの付け根から脹脛までが痛んで言うことを聞かなくなっていた。おかげで虎尉守に直々に下ろされるという醜態をさらす羽目になり、余計に注目を浴びたのが恥ずかしく、穴があったら入りたいとはこういう気持ちかと歯噛みした。
おまけに木賃宿と川での行水になれきった七呉が案内されたのは、本来虎尉州公冴嶽家が使う本陣屋敷である。それも虎尉守の部屋近くの個室を宛がわれ、温泉にも必ず入るようにと虎尉守から直接言い渡された。
(お大名様の出陣ってのはこういうもんなのか……)
冴嶽家の旗と同じく月山家の旗が翻る様を本陣屋敷の中から呆然と眺めつつ、野良とご専属の違いというものをあらためて解らされた七呉であった。
ともあれ言いつけは言いつけである。用意されていた浴衣と羽織もの、それに手ぬぐいを手に、よたよたと温泉への道を下っていった。
虎尉守より先に入るのは如何なものかとは思ったものの、軍議がある虎尉守から「先に入らねば混浴だ」と脅されて――脅しだと思いたい――いたため、こればかりは仕方がないと割り切るしかなかった。
そうして温泉の湯で脚を揉み解し、部屋に戻っては用意されていた膳を平らげて、続きの間に敷かれていた布団へ早々に入ってしまおうかと迷い始めた宵のころ。
「七呉」
障子戸の向こうから、着陣以来の声が聞こえた。
慌てて立ち上がった七呉は若干足を縺れさせつつも、なんとか障子戸を開く。
湯上りなのだろう湯の気配を纏った虎尉守が、七呉と同じような浴衣に羽織物姿でそこにいた。急用かと思った七呉も、虎尉守の落ち着いた様子にその緊張を解いたが、次いで出てきたのは疑問だった。
「何事ですか?」
「温泉は入ったな?」
「入りましたけど……」
「なら、これを痛む箇所に塗っておけ」
差し出されたのは印籠である。目を瞬かせる七呉の前で一番上の蓋を取って見せた虎尉守は、そこに納められた小さな陶器の壺の中を指し示した。
「軟膏だ。明日も馬上の旅になるからな」
「あ、ありがとうございます」
再び蓋を閉めて差し出されたそれを受け取ろうと、七呉が手を伸ばす。が、虎尉守の手は下げ緒を握ったまま動かない。
「?あの……」
不意に視界が暗くなった。湯の香りがいや増す。
「――――塗ってやろうか」
「!!結構です!」
低い囁きに飛び上がった勢いそのまま障子戸を閉めようとするも、虎尉守の片手が呆気なくそれを阻む。
「待て、これは持っておけ」
「……一歩でも敷居越えたら噛みますよ」
あらためて差し出される印籠にも、ぐるる、と唸りながら七呉は警戒を解かない。そんな姿に笑って、虎尉守はちょん、とその頭の上に印籠を載せた。色んな意味で動けなくなる七呉に笑みを深めると、虎尉守は踵を返す。
「おやすみ、七呉」
ちゃんと塗っておくように、と付け足して。
その足音が二間向こうの障子戸を開き、聞こえなくなってようやく、七呉はずるりとその場にへたりこんだ。当然のように頭から転がり落ちる印籠を慌てて受け止める。
その重みを手のひらで感じつつ、七呉は思わず呟くのだった。
「お……落ちつかねえ………」
それでもきっちり障子を閉めてからもらった軟膏をきちんと塗り込んだためか、温泉との相乗効果か、翌朝起きると脚のだるさは確かによくなっていた。
一方で印籠をいつ返すべきかと時機を計りかねている間に出立の時間が来てしまい、七呉は仕方なしにいつでも返せるようにと袴の帯紐へ印籠を下げることにした。
(……?なんだ?)
そして馬に跨った七呉だが、何やら昨日以上の注目を浴びている気がする。それが『刃』に次ぐ武士の魂ともいえる印籠にあるなどつゆ知らず、その晩の宿で訪ねてきた虎尉守へ印籠を返そうとするも、初めての馬旅なのだから持っておけ、と押し切られてしまう。
しっかり障子戸を掴みつつも、そこでようやくこの薬が自分のためだけに用意されたのではと思い至った七呉は、わずかな気恥ずかしさと共に礼をいうのだった。
「……ありがとうございます」
目を伏せがちに呟いた七呉の頭に、その晩は印籠ではなく虎尉守の手が乗った。
しばらくは、そんなやり取りが繰り返された。虎尉守は毎晩欠かさず訪ねてきては、部屋に入れようとしない七呉と二、三の他愛もない会話を交わして部屋に戻る。その頃には軍列から七呉に向けられる視線も温かい、というか生温いものに変わっており、出発時とは別の居たたまれなさを感じ始めていた時だった。
虎尉州を出発して実に十三日。一行は白水州の境を越えて、とうとう水野郷へと到達した。
すでに接収が完了しているのだろう郷内の村々や陣幕の中には、白水州公たる祢鼓谷家の旗以外にも、黒綱家、幡川家の旗が翻っている。
(金と、琥珀と、白だ)
水野の名の通り、日に照らされた朝霧の白を漂わせる水辺が多くみられる郷内には、楢や山毛欅の黄色や琥珀色、それに本来なら刈り入れ時のはずの稲穂の金色が重たげな首を垂れたままでいる。虎尉州の山々が見せる鮮烈な紅と橙、そして緑のような錦秋といえる彩りとはまた違った、静謐な趣がそこにはあった。
(……綺麗だ。綺麗ではあるけれど)
この戦が早々に終わらず、稲が刈り取られないままであったら、ここに暮らす人々の暮らしはどうなってしまうのだろう。白水が八塩に次ぐ穀倉地帯である以前に、本来ここで鎌を振っていたはずだろう人影がない郷内の異様な静けさが、この先に待ち構えているものが平時とは違う『戦』なのだと再確認させてくる。七呉はそんな事を考えながら田畑の脇を通り、陣内へ入った。
もはや恒例になってしまった虎尉守の手を借りた下馬を経て、自分をここまで運んでくれた馬の首を撫ぜて労をねぎらっていたところに、その足音たちは近づいてきた。
傍らの虎尉守の空気が変わったのを感じ取ったのか、馬がブルルと鼻を鳴らす。七呉も遅れてその足音の方へと振り返った。
「――――ようこそ、白水州へ。御出でをお待ちしておりました。虎尉守殿、それに」
つ、と片目だけの視線がこちらを見たことに、何故か体が固まる。
「ご専属殿」
白水守のその言葉と眼差しに、どこか月山の手勢たちの視線とは違った含みを感じるものの、七呉の胸中はそれを上手く言葉にすることができなかった。そしてそんな視線を断つかのように虎尉守は七呉と白水守の間へ腕を出す。七呉はその虎尉守の白水守に対する眼差しに、以前の無関心とは違った嫌悪めいたものを感じ取った。
「御具足衆の一人が出迎えとは、随分な余裕だな白水は」
「いえいえ、先ほども申し上げました通り御出でをお待ちしておりました。すぐにでも軍議にかかりたく」
「瀬筒と三岐、それに鎮北はどうする」
「御三方も本日中にはご到着予定にて、虎尉守殿におかれましては議場近くでお待ちいただければと。ああ、それとも遊興楼閣でお休みなされますか?」
「結構だ。暇なら天幕まで案内を出してくれ」
「喜んで」
何故だろうか。二人の淡々としたやり取りにやたらと棘を感じるのは。
白水守の様子は以前あの遊興楼閣で自分たちの世話をしてくれた時と、何ら変わりがなく見える。あの眼帯を目にしたとしても、何も知らなければこの人物が白水州一の武者、と言われても俄かには信じられないだろう小柄な体に柔らかな物腰。
それに対して虎尉守は、まるで彼の視界に七呉が入ること自体が我慢がならないというかのような喧嘩腰、とまでは行かないものの、とにかく冷ややかな態度を崩さない。
七呉がさすがに割って入ろうかと迷い出した時、ふと頭上からの視線を感じた。
視線の先を追いかければ、そこには白水守のご専属たる短髪長身の青年が立っている。
「?」
不思議に思いながらも礼をした七呉へ、彼もまた無言の礼を返してきた。
そうこうしているうちに虎尉守たちの間で話がまとまったのか、白水守が陣幕の奥へと手を差し伸べる。
「それでは皆様、こちらへどうぞ」
白水守直々の案内で、一行は陣内の奥へと進んでいくのだった。
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