十二、白水守
「――――御免」
七呉を連れた虎尉守は、一家の庵の戸口を一歩またぐなり、声を張り上げた。
「ご無沙汰しております。葛山七郎左殿。この月山虎次郎廣光、ご令孫の七呉殿を、我が専属の拵方に迎える許しを頂きたく参上いたしました」
中で積まれた鎌を研いでいた七郎左が振り返り、その目を見開いている。突然の宣言に七呉は大いに慌てたが、自分が何かを言うよりも、七郎左の動きの方が早かった。
研ぎ場から腰を上げた七郎左は、首にかけた手ぬぐいで軽く手を拭うと七呉たちの方へと向き直った。
「……まずは、お顔をお上げください。月山様。それから、どうぞお上がりを。粗末なあばら家ではございますが」
七郎左の声は静かだった。顔を上げる虎尉守の前で土間から板間へ上がると、自身が書き物用に使っている薄い座布団を引き出し、「そちらへ」と、設けた上座へ虎尉守を促した。
虎尉守も黙ったまま、その導きに従って座布団の上へ腰を下ろす。
「お前はこっちだ」
七呉は当然のように、七郎左の傍らへ座るよう指示された。逆らう理由もなく、七郎左の左斜め後方に七呉は正座する。
七呉が座ったのを確認した七郎左が、あらためて虎尉守へと向き直り口を開いた。
「当家の愚孫が何を仕出かしたかは一部これから聞き及んでおります。御具足衆方のお集まりの座敷にて、投扇興を用いてこれの身の振りを決められようとしたとか」
そこから入るのか、と七呉は身の縮む思いがした。七郎左の声は静かだが、厳しい。七呉が白状したあの時から、件の話を快く思っていないのは一目瞭然だった。
対する虎尉守の声もまた、静かだ。
「仰る通りです」
「しかし勝負はこれが勝ち、独立は守られたと聞いております。この期に及んで何故、愚孫をお選びなさるのか」
「我が刃と魂が欲しております」
冷徹ともいえる七郎左の声の響きに対し、虎尉守の声もまた静かながら一歩も引かないという意思が感じられるそれだった。
沈黙が落ちる。両者の間に流れる張り詰めた空気に、七呉もまた息を呑んでいた。
七郎左の首が微かに動く。
「七呉」
「は、はい」
「お前のお勤めだ。お前はどうしたい」
「わた、しは……」
虎尉守と七郎左、両者の視線が自分に集中している。心臓が早鐘を打ち、膝に置いた手が拳に変わる。けれど、もう、七呉の答えは決まっていた。
「――――虎尉守様の戦場に、お供したいと思っています」
「七呉……!」
思わず声を上げた虎尉守に対し、七呉もまた鋭い視線を向けて釘をさす。
「戦場に、です。月山のお屋敷には参りません」
そんな二人のやり取りを見ていた七郎左は、ふう、と深いため息を吐いた。腕組みを解き、あらためて虎尉守の方へと向き直る。
「……この愚孫がこう申しております上には、私めから申し上げることは御座いません。お好きになされるとよろしいでしょう」
「じ、祖父ちゃん……」
「大変申し訳御座いませんが、仕事が山積しておりますためお構いできません。七呉、月山様をお送りしろ」
「……うん」
「うん?」
「は、はい!」
よろしい、と頷いた七郎左が虎尉守の方を見ると、彼は両手の拳を膝の前に突き、七郎左へ向かって深々と頭を下げていた。そんな虎尉守の姿に、七郎左はまた小さな溜息を吐くと「では」とだけ言い残し、再び研ぎ場へと降りていく。
濡らされた砥石の上を鎌の刃が滑る、その独特な音が流れ出すのを境に、虎尉守は顔を上げた。
七呉と無言の視線を交わすと、二人は板間から式台へ降りて土間の草履を引っ掛ける。振り返ることのない七郎左の背中に、虎尉守は戸口を出る間際、あらためて頭を下げた。
「御免」
返事はなかった。
虎尉守は馬を駆る。その顔に感情は浮かんでいない。叶うなら連れて帰りたかった七呉は腕の中におらず、今向かう先は帰るしかない屋敷である。必然、多くの人が「虎尉守」と口にしたとき思い浮かべるであろう無表情に戻っていた。
虎尉守、いや虎篭丸が大太刀を顕現させた時から、父をはじめとする多くの人間がそれまでのことなどなかったかのように振舞いだした月山の屋敷は、祖父が亡くなってからはより一層寒々しい場所として虎尉守の目に映っていた。
ことに、大太刀顕現の意味などろくに解らないだろう下男下女たちにとって、いまだに彼は『鬼子』なのである。門を潜り、下馬した虎尉守から轡を預けられる下男の手は震えていた。何もかもが今更のことである。
そのまま玄関口ではなく、庭先から屋敷に上がった虎尉守だったが、すぐさま近づいてくるどたどたと忙しない足音へ辟易したと言わんばかりのため息を一つついた。
その背中へ、焦りを多分ににじませた怒鳴り声がかかる。
「虎次郎ッ!!」
無表情だった彼の顔に、煩わしい、という感情が浮かぶ。一応は立ち止まったものの、浮かんだそれを隠しもせず、虎尉守は肩越しに振り返った。
「お前ッお客人を放ってどこへ行っていた!」
今にも掴みかからん勢いで顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくるのは、虎尉守の兄にして月山家次期当主と目される、月山宗太郎景満である。
母亨子から溺愛されている宗太郎は、形ばかりの初陣を終えたのちは一度も戦に出されることもなく、この月山の屋敷の中で過ごしていた。しかし直弟の虎次郎が次々に手柄を上げてとうとう虎尉守の称号まで得てよりは、彼を次期当主にと推す声が少なからず出ていることに危機感を覚えたか、彼を無視していた幼少期よりいっそう高圧的で刺々しい態度をとるようになっていた。
皮肉なことに、そんな宗太郎と彼を溺愛する生母だけが、今となっては虎尉守へ態度を変えぬ肉親である。
だからといって、今更そんな彼らの姿に虎尉守のなにかが動かされるわけでもなかった。
顔だけを向けるというぞんざいな態度を崩しもせず、虎尉守は淡々と続ける。
「客などいない」
「なっ」
「あれが勝手についてきただけだ」
宗太郎の顔が引きつった。赤から青へ、どちらへ傾かせればいいのかすら知れぬとばかりに。
「ッお、お前!あの黒綱家のお方に対して何という――――」
「いえいえ、実は弟君の仰られる通りなのですよ」
兄弟の諍い、というよりも一方的な怒鳴りつけに対して、飄々とした声が割って入る。
その足音は慌てて振り返る宗太郎のそれよりもよほど静かに、彼の後ろからついてきた。
「黒綱殿……!」
ただでさえ煩わしげだった虎尉守の眉間の皺が一層深くなる。
そんな様子も、その一つだけの瞳にはっきり映しているのだろうに、白水守こと黒綱主計清安は眼帯に覆われていない方の目を緩やかな弧へと変じさせた。
相変わらず小柄で中性的な容貌ながら、その立ち姿は廊下の脇に退いた宗太郎と比べるまでもなく飄々として隙がない。道を開けた宗太郎に目礼し、ご専属の佐治を連れて進み出てくる姿は、どちらが屋敷の主か知れたものではないという有様だった。
「お帰りなさいませ、虎尉守殿。遠駆けは楽しまれましたかな」
「貴様がまだいると知らなければ楽しいままで終われた」
「虎次郎ッ!」
「それはそれは、お気分を害してしまい申し訳御座いません。お詫びと申し上げてはなんですが、貴殿のご執心のあの拵方について、いくつか面白いお話をお持ちいたしまして――」
「要らん」
つらつらと流れるような口上を、虎尉守は一蹴する。
そこで初めて、彼はその体を――半身のみではあったが――白水守へと向けた。その目つきを一層険しくして。
「貴様の口から聞く話など一つもない。己のご専属のことであれば、尚更な」
「!おや、おや、これはこれは……虎尉守殿のお出かけは遠駆けではなく狩りでございましたか。それも相当な上首尾でいらしたご様子」
いよいよ笑みの深まる口元に片手をあてた白水守の物言いに対して、虎尉守の目つきは冷えるばかりだった。
苛立ちの中に一抹の怒りを混ぜた低音が、その唇から流れ出る。
「……あの若殿様にも言ったがな。貴様は腰巾着なら巾着らしく、その口縛って黙ってろ」
「……ふふ、これは一本取られました。お望み通り、この口は閉じておくことといたしましょう。ただ――――御入用の際は、いつでも解いてごらんにいれますよ」
「……」
明らかな侮辱にも涼しく小首を傾げて見せた白水守へ、虎尉守はこれ以上は話すこともないとばかりにふいと背を向け、廊下を歩み去って行った。
棘塗れの応酬に晒され、一人開いた口が塞がらないのは蚊帳の外に置かれた宗太郎である。彼は白水守と佐治が踵を返すに至って、ようやく我を取り戻したように、慌ててその行く手へと進み出て深々と頭を下げた。
「く、黒綱殿!この度は、この度は愚弟が誠申し訳なくッ……!!こ、ここからはこの宗太郎めが引き続きお持て成しを……!」
「いえいえ、お気遣いなく。おかげさまで大変楽しいお時間でございましたが、そろそろお暇させていただきます。我らが殿にも早速お持ちしたい土産話が増えましたので」
「さ、然様で……」
「はい。それでは失敬をば」
白水守の顔はその言葉通り、最後までにこやかなままだった。その供をする佐治すら、無表情を貫いている。宗太郎の懸念した怒りの気配は、確かに影も形も見当たらなかったが、それがますます宗太郎の小心を震えさせた。
いっそ多くの武人がそうであるように、侮辱に対して怒りに身を震わせてくれれば宥めようもあるものを、笑まれたままでは取り付く島もない。
せめて、と宗太郎は呼べるだけの家中の下男下女を集めて、馬に乗った白水守たちの背中が見えなくなるまで盛大な見送りをした。
そうして彼らの姿が道の向こうへ消えて、ようやく、呼吸が出来るとばかりに正門へ寄り掛かりずるりと頽れてしまった。若様、と焦る下男たちに構う余裕もなければ、ついぞ白水守が自分を「月山殿」とすら呼んでいなかったことにも気づかない。それが宗太郎という人間の限界だった。
一方、待たせてある自身の軍列に向け馬を進める白水守は、月山の屋敷が見えなくなってしばししてから、徐に肩を揺らした。その生白い頬を膨らませたかと思うと、堪え切れぬとばかりに息を噴き出す。
「――――ぷっ……ふ、くくッ……あははははは!」
静かな林道に、突然の笑い声が弾けた。後ろを行く佐治の顔は変わらない。彼らの進める馬の足取りもそのままだが、ただ馬上で爆笑する白水守の笑い声ばかりが響き、驚いたのだろう鳥たちの飛び立つ音がそこへ混じった。
一頻り笑い終えた白水守の上体が、ぐらりと後ろに傾く。仰け反ったその姿勢、片方しかない目は蠱惑的な三日月を描いていた。八塩守や虎尉守らの前で見せていた、ある種のしおらしさは影も形もない。ハァ、と艶めいた吐息を一つ。三日月の端に浮かんだものを指先でぬぐい取る。
「聞いたかい英直。あの虎尉守殿も随分と口が達者になった。巾着なら巾着らしく、とは、く、あははは……」
まだ笑いが引かない一方で、一見不安定な姿勢を取りつつ馬から転げ落ちる様子もない。白水守の騎乗姿は非常に安定しており、馬もまたそんな主人に驚くでもなく粛々と歩を進めていた。
黒々とした結い髪だけが、そんな主に翻弄されて左右へ揺れている。
「でも、いいのかなあ本当に聞かないで……締めて放った巾着の中に、大事な忘れ物が入ってるかもしれないのに、ねえ」
佐治は相変わらず黙っている。主人を侮辱されたときも黙っていたように、彫刻めいた無表情を貫いている。ただ、その視線だけは白水守へ注がれていた。
「ともあれこれで虎尉守殿の陣も安泰だ。しばらくはまたつまらない戦ごっこ……あの巻狩りが続くだろう。八塩守殿のお望み通りに、ね!」
そう言って徐に馬を早める白水守の後へ、佐治は苦も無く続いていく。駈足の風を受けて翻る白水守の袖口からは、その生白い腕に残る無数の傷痕が垣間見えた。引き攣ったものや切り裂かれたのだろうもの、数は多いがいずれも古く、今の彼の動きを阻害する様子はない。
そんな白水守の姿を斜め後ろから見つめていた佐治が、不意に口を開いた。
「……主計」
「なんだい英直」
仮にも主と従のそれとは思えない呼びかけにも、白水守は気にした様子がない。
「右半身に凝りが見える。戻ったら調律させろ」
「本当に目敏いねお前は。いいよ。調律させてあげる」
顎先を持ち上げつつ、肩越しに意味深な笑みを深める白水守に対して、眉間の皺をわずかに深めた佐治は「前を見ろ」とだけ言い、馬を進めるのだった。
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