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第5話 高校生活スタート

 四月。

 桜の花びらが舞い散る中、俺の新しい高校生活が幕を開けた。


 オヤジの気まぐれで強制的に住まわされることになった宗教施設『桃源会館』からは、自転車で二十分ほどの距離にある。私立聖明(せいめい)学園高等学校。それが俺の転校先だ。

 地域でも名の知れた中高一貫の私立進学校であり、「規律」と「文武両道」を重んじる厳格な校風が特徴だという。


 新しい制服に袖を通し、俺は少し緊張しながら教室の扉を開けた。


「伍東《ごとう》奏多《かなた》です。親の都合で二年間ほどアメリカにいて、少し遅れての編入になりますが、よろしくお願いします」


 教卓の横で短く自己紹介を済ませる。


 クラスメイトたちの視線は、転校生である俺への好奇心に満ちていたが、厳格な校風のせいか、どこか張り詰めたような空気も感じられた。

 目立たず、おとなしく平和に卒業する。そのささやかな目標を胸に、俺は指定された空き席へと向かった。


 一時間目の授業が終わり、休み時間になった直後のことだ。

 一人の男子生徒が、人懐っこい笑顔を浮かべて俺の席に近づいてきた。


「おっす!俺、半田《はんだ》哲《てつ》!よろしくな、伍東!」


 彼はとにかくポジティブで明るい性格らしく、初対面の俺にも物怖じせずにグイグイと距離を詰めてくる。周りの生徒たちが少し様子見をしている中で、彼のような存在は非常にありがたかった。


「ああ、よろしく。半田」

「伍東って大人びてるっていうか、落ち着いてるよな!あのさぁ。本当にアメリカにいたの?」

「そうだよ。つい数日前に帰国したばかりなんだ」


 俺が答えると、半田は目を輝かせて身を乗り出してきた。


「すっげぇ!シュワちゃんに会った?」


 あまりにも無邪気でステレオタイプな質問に、俺は思わず吹き出しそうになった。


「ははは。アメリカは広いから会えなかったよ」


「マジかー!でも、ハリウッドとかグランドキャニオンとか行ったんだろ?いいなぁ、俺も一回でいいから海外行ってみたいぜ!」


「まあ、観光地ばっかりじゃないけどな。でも、面白い国だったよ。半田は部活とかやってるの?」


「俺は帰宅部!この学校、校則とか先生の目とか無駄に厳しくてさぁ。放課後くらいは息抜きしないとやってらんないんだよね。伍東も今日、この後暇なら一緒に駅前行かね?」


「悪い、今日は帰って片付けなきゃいけない荷物があるんだ。また今度誘ってくれよ」

「おう、わかった!これからよろしくな、伍東!」


 半田は嫌な顔一つせず、快く引き下がってくれた。

 気さくで話しやすく、すぐに意気投合して友達になれた。


 変な宗教法人の教祖にされた時はどうなることかと思ったが、学校生活は至って順調な滑り出しだ。半田という常識的な男友達もできたし、この調子なら、俺が望む「平穏な日常」を問題なく送っていけそうだ。

 俺は心の中で小さくガッツポーズをした。


 +++


 そして迎えた、週末の土曜日。


「よし、こんなもんかな。元気に育てよ」


 俺は自宅である『桃源会館』の広い庭にしゃがみ込み、額の汗を拭った。


 ホームセンターで買ってきた真新しいプランターに土を入れ、買っておいたきゅうりやナスの苗を丁寧に植え終わったところだ。俺のささやかな趣味である、植物の栽培のスタートである。


 春の暖かな日差しと、湿った土の匂いが心地よい。

 庭の水道で泥だらけになった手を洗いながら、俺は大きく深呼吸をした。


「それにしても、本当に何もない一週間だったな」


 転校してからの数日間、学校生活は平穏そのものだった。

 そして何より、この宗教施設での生活も、驚くほど静かなものだった。


 あの悪徳税理士の白石さんが「こちらの教団はほぼ活動しておりません」と言っていた通り、信者らしき人物が訪ねてくることもなければ、怪しい電話がかかってくることも一切なかった。


「あんなにビビってたのが馬鹿みたいだ。案外、ただの古い空き家みたいなもんじゃないか」


 俺は庭先の縁側にどっこいしょと腰を下ろし、冷えた麦茶を喉に流し込んだ。

 ただただ広い一軒家に、一人暮らし。

 家賃もかからないし、オヤジからの生活費もきちんと振り込まれている。おまけに庭で好きな植物も育て放題だ。

 冷静に考えてみれば、高校生にしては破格の好待遇ではないだろうか。


「明日は日曜日か。まあ、明日もこんな感じで平和に終わるんだろうな」


 もし仮に、白石さんが言っていたように信者と名乗る人が来たとしても、適当にお茶でも出して雑談すればいいだけだ。

 アメリカで友人たちの相談に乗っていた時と同じように、適当に相槌を打ってやり過ごせば、向こうもすぐに満足して帰ってくれるだろう。


「休日はゆっくり起きて、植物に水をやって、溜まっているポッドキャストでも聞くか。夕飯は少し奮発して焼肉弁当でも買おう」


 実に平穏で順調だ。


『桃源交霊会』という名の宗教法人が、かつて何をしていた場所なのか。そんなことはもうどうでもいい。俺は春のうららかな陽気の中で、平和ボケした大あくびを一つした。

 この生ぬるい週末が卒業まで続くことを、切に願いながら。

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