第4話 不自然な本棚
二階での荷ほどきをあらかた終えた俺は、一階へと降りてきた。
休眠中とはいえ、宗教法人の本拠地がどんなものか、再度確認しておく必要がある。
薄暗い廊下を抜け、一階の最も広い空間へと足を踏み入れた。
「……なんだ、ただの集会所か」
そこには長机とパイプ椅子が規則正しく並べられているだけで、これといって特徴がなかった。
祭壇があるわけでもなく、不気味なご神体が鎮座しているわけでもない。どこかの町内会の公民館と言われた方が、まだしっくりくる。
「こんなところで宗教活動をしていたのか?」
俺は不思議に思いながら、パイプ椅子の一つに腰を下ろした。
未知の宗教である『桃源交霊会』が、どんな教義を持っていたのかは分からない。だが、ふと俺はアメリカでの生活を思い出した。
あっちでは、友人に誘われて教会のミサで一緒に歌ったり、ホームレスの炊き出しを手伝ったりしたことがあった。俺にとっての宗教観とは、神様によって救われるという大層なものではない。友人や隣人との良好なつながりを持つための、一つの手段やコミュニティのようなものだという認識だ。
「ここの宗教も、案外そういうご近所の集まりみたいなもんだったのかもしれないな」
だとしたら、机と椅子しかないこの殺風景な空間にも納得がいく。
白石さんの言う通り活動していないならそれでいいし、もし元信者とやらが来ても、お茶でも出して世間話をすれば満足して帰るだろう。俺は未知の宗教に対して、そんな風に楽観視していた。
ふと、部屋の奥に視線を移す。
到着した直後、俺が違和感を覚えた不自然な空間だ。
「やっぱり、部屋の広さに対して壁の配置がおかしいよな……」
俺は立ち上がり、奥の壁際へと歩み寄った。
普通の居間やキッチンがある奥に、備え付けの大きな本棚と、古めかしいふすまがある。まるであの後ろに別の空間を隠すために、後から無理やり増設したかのような違和感だ。
俺はふすまの取っ手に手を伸ばしかけた。
――この奥に、何がある?
好奇心が頭をもたげたが、次の瞬間、俺はその手を引っ込めた。
「……いや、よそう」
どうせ活動していない宗教法人の施設だ。過去に何かあったとしても、今はもう終わったこと。わざわざ粗探しをして、埃を被った面倒ごとを引きずり出す必要はない。
もし気味が悪い儀式の道具なんかを見つけてしまったら、せっかく芽生えた平穏な気分が台無しになる。触らぬ宗教に祟りなし、だ。
「俺の生活スペースは二階だし、活動していないならこのままでいいか」
俺は踵を返し、不自然な壁から背を向けた。
再びパイプ椅子に座り直した俺は、ポケットからスマートフォンを取り出した。
壁の奥は調べないにしても、自分が代表役員にされてしまった団体の名前くらいは、ネットで少し調べておいても損はないだろう。
「えーっと、『桃源交霊会』、と」
ブラウザの検索窓を開き、フリック入力で文字を打ち込む。
どんな教義なのか。白石さんが言っていた『前代表が色々とありまして』という言葉の真意は何なのか。
検索ボタンを押そうと親指を伸ばした、その時だった。
――ピコンッ。
画面上部に、メッセージアプリの通知がポップアップした。
送り主は『オヤジ』。
「……こんなタイミングで何だよ」
嫌な予感を抱きながら通知をタップすると、南国の青い海と水着の美女たちを背景にした自撮り写真と共に、能天気なメッセージが表示された。
『当面の生活費は振り込んだぞ!日本の女子高生は可愛いからって、変な気は起こすなよ!青春を謳歌しろ!アディオス!』
「っ……このクソ親父がぁぁっ!!」
俺は怒りのあまり、スマートフォンを長机に向かって思い切り放り投げた。
ガコンッ、と鈍い音を立ててスマホが滑っていく。
誰のせいでこんな訳の分からない状況に巻き込まれていると思っているんだ。それに自分は女性を周りにはべらしておいて、俺には変な気起こすなって、どんな了見だよ。
「もういい!調べる気も失せた!」
俺は大きく息を吐き出し、乱れた呼吸を整えた。
これ以上オヤジのペースに乗せられて、気分を害されるのは馬鹿らしい。手元にスマホを引き寄せると、検索窓に入力した『桃源交霊会』の文字をすべて消去した。
得体の知れない宗教のことなんて、今はもう考えたくない。
窓の外を見ると、すっかり日が傾き始めていた。
アメリカでの騒がしい日々が嘘のように、静かで穏やかな時間が流れ始めた。
「……明日は、ホームセンターに行こう」
プランターと、土と、育てやすい野菜の種を買うんだ。
それから、来月からの高校生活に向けて、通学ルートの下見をしておかないと。
高校での新しい生活。目立たず、騒がず、普通の高校生として平和に卒業する。それが俺の目標だ。
「よし、夕飯の買い出しにでも行くか」
俺は大きく伸びをして、殺風景な一階の集会所を後にした。




