第40話 大繁盛
2月。
底冷えする冬の寒さが続く中、俺は桃源会館の一階広間で、淹れたてのコーヒーを啜りながら深く息を吐き出した。
諸悪の根源である親父は、見事にすべての罪を被って警察に連行された。そして、長谷川調査官や白石税理士の尽力もあり、不気味なカルト教団だった宗教法人は、ついにクリーンな『NPO法人ピーチ・ライフサポート』へと完全移行を果たしたのだ。
「……これで勝つる!」
俺はガッツポーズを決め、完全なる平穏の到来を確信した。
これでもう、怪しい新教祖として怯える必要はない。ただのNPO法人の代表理事として、おとなしく平和に高校を卒業できるのだ。
「ずいぶんと気が早いですね、伍東代表」
しかし、俺の勝利宣言を遮るように、広間の入り口から冷ややかな声が響いた。
書類の束を抱えた白石さんと、ダークスーツ姿の長谷川調査官だ。
「NPO法人への移行は、あくまでスタートラインに過ぎません。むしろ、宗教法人の頃よりも厳しい現実が待っているんですよ?」
白石さんが呆れたように溜息をつく。
「厳しい現実って……活動はクリーンになったんじゃないですか?」
「活動自体はね。ですが、NPO法人は宗教法人と違い、情報公開義務が非常に厳しいのです」
長谷川調査官が、手元の分厚いファイルをトントンと叩いた。
「毎年の事業報告書、収支計算書、そして役員名簿などを所轄庁に提出し、誰でも閲覧できるように一般公開しなければなりません。世間の目に常に触れる、ということです」
「役員名簿の一般公開……!」
俺が絶句していると、その言葉に反応して、広間の奥からものすごい勢いで飛び出してきた人物がいた。
「生徒会長である私が、副代表理事として完璧に管理いたしますわ!」
眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせた天王寺雅だった。
「書類上の役員とはいえ、名簿が公開されるということは、世間的にも導師様……いえ、代表理事の隣に立つ存在として認知されるということ! この完璧主義の私に相応しいポストですわ!」
「お待ちになって、天王寺さん」
そこに、涼やかながらも絶対に引かない圧を放つ四ノ宮沙蘭が立ちはだかった。
「法人がNPOに変わろうとも、私の大司教としての……いえ、代表の右腕としての立場は譲りません。副代表理事はこの私こそが務めるべきです」
「新参者には荷が重いと言いたいの? これからのクリーンな組織運営には、生徒会で培った私の完璧なマネジメント能力が必須ですわ!」
「私は誰よりも長く、伍東くんのおそばで至誠を尽くしてきたのですから!」
白石さんたちが持ってきた『役員名簿の公開』という現実が、思わぬ火種を生んでしまった。
クリーンな組織の裏で、役員ポスト(=世間公認の俺の隣)を巡る、女たちの水面下の熾烈な争奪戦が勃発してしまったのだ。
「ストップ! 二人とも、NPOなんだから大司教とか至誠とか言うな!」
俺は慌てて二人の間に割って入った。
「とりあえず、四ノ宮さんは実務担当の理事! 天王寺さんは書類に強いから監事! これで決定!」
俺の鶴の一声(半ばヤケクソ)で、なんとか役員名簿の枠組みを埋めたのだった。
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しかし、本当の地獄はそこからだった。
NPO法人の設立に伴い、長谷川調査官の指導のもと、「若者の自立支援」や「現代社会のストレスケア」といった名目で、過去の活動実績をクリーンにまとめた活動報告書を世間に公開した。
これが、完全に裏目に出た。
『親身に話を聞いてくれる、完璧な若者支援施設があるらしい』
『代表の男の子が、多様性を認めてくれる超イケメンカウンセラーなんだって!』
活動内容があまりにも真っ当でクリーンすぎた結果、SNSなどで一気に口コミが広がり、大評判になってしまったのだ。
そして数日後。桃源会館の門の前には、全国から『救済を求める女子』たちが大挙して押し寄せる事態となっていた。
「嘘だろ……なんでこんなに並んでるんだよ!」
俺は窓から外を見て、血の気を引かせた。
「大成功ですね、代表理事! さあ、どんどん中へご案内しましょう!」
長谷川調査官が嬉しそうに誘導を始めている。
広間は、新規の悩み相談に訪れた女子たちで瞬く間にあふれかえった。
パニック状態の中、既存の信者たちも対応に追われているのだが――。
「さあ、そこの迷えるあなた。まずは導師様に至誠を捧げ、霊気を極限まで高めて調和を生み出すのですわ……!」
「えっ? しせい? れいき? なんですか、それ……」
新規の女子に対して、四ノ宮妙子や伊佐美先生が、得意げに旧教義のヤバいワードをドヤ顔で漏らしてしまっているではないか。
「ストップ! ストップゥゥッ!」
俺は全力でスライディング土下座をする勢いで、二人の間に割り込んだ。
「あ、あの! 今のはですね! 『至誠』とは、自分自身の心に誠実に向き合うという最先端の心理学用語のメタファーでして!」
すかさず、隣にいた沙蘭も完璧な笑顔でフォローに入る。
「ええ! そして『霊気を高める』というのは、ポジティブなモチベーションを高めて、グループセラピーでのコミュニケーション(調和)を円滑にするという意味なのです!」
「あー、なるほど! すごい、専門用語なんですね!」
「なんか本格的なカウンセリングって感じで感動しました!」
新規の女子たちは、見事に納得して目を輝かせている。
「ふぅ……危なかった」
「伍東くん、あちらでも伊佐美先生が『八百万交和』の話をしようとしています!」
「マジか! 先生、それはチームビルディングの隠語だって説明してくる!」
クリーンなNPOとしての体裁を保つため、俺と沙蘭は、妙子さんたちが無意識に漏らす旧教義のワードを、リアルタイムで必死に現代語(健全な心理学用語)に翻訳し、隠蔽して回るという地獄のミッションを強いられることになった。
カルト教団からNPO法人へ。
組織がまっとうでクリーンになればなるほど、皮肉にも世間の信用を集めてしまい、俺たちの忙しさとドタバタはかつてないスピードで加速していくのだった。




