第39話 帰国した親父
そして、運命の日は唐突に訪れた。
「ハハハハ!帰ってきたぞ、奏多!」
1月も半ばを過ぎた、凍えるような冬の日の午後。
桃源会館の玄関の扉が勢いよく開き、真冬だというのにアロハシャツにサングラス、そして日焼けした肌というバカンス帰り丸出しの軽薄な出で立ちの男が現れた。
諸悪の根源、親父の伍東仁だ。
「親父……急になんの用だよ」
「なんだその顔は!もっと感動の再会を喜べよ!」
親父は意気揚々と一階の広間に入り込むと、ドカッとパイプ椅子に腰を下ろした。
「風の噂で聞いたぜ、奏多!お前、宗教からNPO法人に切り替えて、クリーンな若者支援とかいう名目で活動報告書を出したらしいな!そしたら逆に信用されて、全国から救済を求める女子が押し寄せて大繁盛だそうじゃないか!」
「……なんでそんなことまで知ってんだよ」
「息子の稼いだ金は、俺の金だからな!」
親父はサングラスをずらし、満面の笑みで親指を立てた。
「早速だが、そのNPOで集まった金、俺の海外口座にドカンと移してくれ!次はドバイ辺りで新しいビジネスを立ち上げようと思っててな!」
相変わらずのクズっぷりに、俺はため息をつく気すら起きなかった。
「断る。NPOの資金は、全部真っ当な活動のために使うって決まってるんだ」
「ああん?名義上の代表が偉そうに。俺がオーナーだってこと忘れたのか?白石!白石はどこにいる!」
「お呼びでしょうか、仁社長」
広間の奥のふすまが開き、白石さんが冷ややかな笑みを浮かべて姿を現した。
「おお、白石!ちょうどいい、奏多の奴が反抗期でな。お前からパパッと資金を移動する手続きを進めて……」
「お断りします」
白石さんは歩み寄りながら、冷たく言い放った。
「私は現在、この『NPO法人ピーチ・ライフサポート』の専任税理士です。あなたのような無関係な一般人に、法人の資金を流す権限はありません」
「はあ!?無関係だと?この法人の実質的オーナーは俺だぞ!」
「ええ、その通りです。ですから……あなたには、すべての『過去の責任』を取っていただきます」
白石さんが指を鳴らした瞬間、玄関の方から複数の足音が響いた。
「伍東仁さんですね」
現れたのは、ダークスーツ姿の長谷川調査官と、数名の制服警官たちだった。
「なっ……警察!?なんでこんなところに!」
「旧『桃源交霊会』における複数の違法行為、および巨額の脱税容疑で、逮捕状が出ています。同行願います」
「だ、脱税!?待て待て、法人の代表役員は奏多になってるはずだろ!」
親父が慌てて俺を指差すが、白石さんが手元のファイルをバサリと広げた。
「残念ですが、過去の不正な資金操作の指示書、そして脱税した資金があなたの海外口座に流れたという完璧な証拠書類を、すべて国税局に提出させていただきました。奏多くんは、あなたに名義を悪用されただけの『被害者』に過ぎません」
「し、白石ぃぃぃ!てめえ、最初から俺を売るつもりで……!」
「私は常に、厳正厳格にお金と向き合う弱者の味方なのです。さようなら、元社長」
白石さんの完璧な裏工作と、長谷川調査官の迅速な手配により、親父は逃げ道の一切を塞がれていた。
「奏多!お前からもなんとか言え!実の親父が逮捕されてもいいのか!」
警官に両腕を掴まれ、手錠をかけられながら親父が叫ぶ。完全に因果応報の自業自得だ。
「ああ……なんて尊いのでしょうか……!」
その時、騒ぎを聞きつけて広間にやってきた四ノ宮沙蘭が、両手を胸の前で組み、大粒の涙をポロポロと流し始めた。
「え?四ノ宮さん?」
「導師様……いえ、代表理事様。偽りの過去を清算するため、ご自身の血を分けた実の父親すらも合法的に切り捨てる、その非情なまでのご決断……!」
沙蘭は恍惚とした表情で、完全に間違った方向に感極まっていた。
「これぞ、新たな桃源郷をクリーンに築くための、偽りのない『至誠』の証明ですね!私、その深いお覚悟に心の底から感動いたしました!」
「いや、感動するとこじゃないから!親父の自業自得だから!」
俺はすかさずツッコミを入れた。
「なんで親父が捕まって、お前の俺への信仰心が高まってんだよ!」
相変わらずの沙蘭の斜め上の解釈に頭を抱えながらも、俺たちはパトカーに乗せられる親父を見送るために外へと出た。
+++
冬の冷たい風が吹き抜ける、桃源会館の門の前。
後部座席に押し込まれた親父の顔は、さすがにいつもの軽薄さは消え、どこか老け込んで見えた。
俺はパトカーの窓に近づき、静かに口を開いた。
「……仕送り、今までありがとうな。まあ、向こうで少しは真っ当になってくれよ」
俺が呆れながらも、少しだけ親離れの寂しさを込めて一言かけると、親父はゆっくりと顔を上げた。
「……ああ。今まで悪かったな、奏多」
親父の口から出たのは、思いがけない謝罪の言葉だった。
サングラスの奥の目が、本当に申し訳なさそうに伏せられている。
「俺が全部、間違ってたよ……お前に苦労ばかりかけて、本当にすまなかった」
(親父……)
俺の胸の奥に、ほんの少しだけ温かいものが込み上げた。身勝手な男だったが、いざ逮捕されるとなって、ようやく親としての情や反省の念が芽生えたのだろうか。
少しだけ可哀想なことをしたかもしれない。俺がそう思いかけた、まさにその直後だった。
「というわけでよ!奏多!」
親父は突然バッと顔を上げ、先ほどまでの反省の色など微塵もない、ギラギラと輝く強欲な笑顔を見せた。
「反省してこれから寒〜い留置所に入る俺のために、NPOで稼いだ金から、毎月俺の口座にたっぷりと仕送りを頼むぜ!差し入れは高級フルーツと特上寿司な!ハハハッ!」
…………。
俺の中に芽生えたわずかな家族愛は、コンマ一秒で木っ端微塵に粉砕された。
「……刑事さん、こいつ二度と出さなくていいです。窓閉めてください」
俺は無表情のまま、パトカーの窓をピシャリと閉めた。
「おい待て奏多!頼むよ、せめて長袖服とカップ麺だけでも……!」
「二度と関わるか!留置所で一生冷や飯食ってろ、このクソ親父!!」
親父の情けない叫び声はサイレンの音にかき消され、パトカーは静かな住宅街の奥へと消えていった。
「……はぁ、終わった」
俺は大きく伸びをして、1月の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
諸悪の根源は去り、法人もクリーンになった。これでようやく、次こそ俺のおとなしく平穏な高校生活が始まるはずだ。




