第37話 悪魔の提案
1月。
大晦日の夜、信者たちの「毎年恒例の行事」による脱衣パニックから数週間。厳しい冷え込みが続く中、俺は桃源会館の広間で、温かいほうじ茶をすすりながら一息ついていた。
宗教法人から「NPO法人ピーチ・ライフサポート」へと活動拠点を移管し、俺はようやく怪しい教祖ではなく、健全なNPO法人の代表理事としての肩書きを手に入れた。相変わらず信者たちの暴走はゼロではないが、それでも世間的な体裁は格段にクリーンになったはずだ。
「ちょっと、伍東奏多くん。どういうことか説明してもらえるかしら」
静かな広間に、氷のように冷たく、刺すような声が響き渡った。
声の主は、タイトなスーツに身を包み、鋭い眼光で俺を睨みつける税理士の白石莉乃さんだった。
「どういうことって……とりあえず、明けましておめでとうございます、白石さん」
「新年の挨拶は結構よ。とぼけないでちょうだい。私が管理している『桃源交霊会』の法人口座への入金が、先月からぱたりと止まっているの。あれだけポンポン振り込まれていた、大人の女性たちからのコンサル料やお布施はどこへ消えたの?」
白石さんは腕を組み、コツコツとヒールを鳴らしながら俺に詰め寄ってきた。
金にがめつい彼女にとって、金のなる木だった法人口座の動きが止まったことは、一大事なのだろう。
「ああ、そのことですか」
俺は落ち着いて立ち上がり、新しく作ったNPO法人の真新しい通帳をテーブルの上に差し出した。
「宗教法人のままだと世間の目も厳しいし、親父の介入や過去の噂もある。だから、健全な若者の自立支援とストレスケアを目的とした『NPO法人ピーチ・ライフサポート』を立ち上げて、活動と資金をそっちに移管したんです。信者……じゃなくて、相談者の皆さんも、今はこっちのNPOに寄付をしてくれています」
「NPO法人に移行ですって?」
白石さんは訝しげに眉をひそめながら、テーブルの上の通帳を手に取った。
そして、印字された最新の残高に目を落とした瞬間――彼女の動きが完全にフリーズした。
「い、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……っ!?」
白石さんの細い目が、これ以上ないほどに見開かれた。
「宗教法人の頃より、さらに桁が増えているじゃないの!どういう手品を使ったのよ!?」
「手品なんて使ってませんよ。長谷川調査官の指導のもと、クリーンな法人として活動報告書を公開したら、かえって『信頼できる相談窓口』として大評判になっちゃって……」
俺が苦笑いしながら説明すると、白石さんは持っていた通帳をワナワナと震わせた。
数秒間の重い沈黙の後。
白石さんは眼鏡をクイッと中指で押し上げると、まるで別人のように、満面の、そして極めて胡散臭いビジネススマイルを浮かべた。
「奏多くん。素晴らしい決断です。私、あなたのその経営手腕に心の底から感動いたしました」
「……え?」
「今日から私、この『NPO法人ピーチ・ライフサポート』の専任税理士に就任させていただきます。顧問料は勉強させていただきますわ」
あまりの変わり身の早さに、俺は開いた口が塞がらなかった。
「ちょっと待ってください。白石さんは、親父に雇われているんですよね?親父の許可もなしに勝手に……」
「仁社長?あんな南の島で遊び呆けているだけの男、もう用済みですわ」
白石さんは、冷酷なまでにスパッと言い放った。
「これだけの莫大な資金力と将来性を持つNPO法人の前では、あの男への義理など一円の価値もありません。私は常に、より豊かな水源の味方なのです」
「相変わらず金にがめついっていうか、ブレない人ですね……」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
白石さんは悪びれる様子もなく微笑んだが、すぐにその目を細め、声のトーンを一段階落とした。
「ですが、奏多くん。この新しいNPO法人を完全にクリーンな状態で運営していくためには、一つだけ、非常に厄介な爆弾を取り除かなければなりません」
「爆弾?」
「ええ。休眠状態にして放置している、元の宗教法人『桃源交霊会』のことです」
白石さんはテーブルに身を乗り出し、俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「あの宗教団体には、前教祖時代のグレーな噂だけでなく、私が処理した……いえ、仁社長の指示で行った数々の怪しい資金操作の記録が残っています。もしあれに警察や税務署のメスが本格的に入れば、代表役員として登記されているあなたにすべての責任が及びます」
「っ……!」
俺は息を呑んだ。
「そうなれば、あなたは逮捕され、経歴に傷がつき、せっかく立ち上げたこのNPO法人も連鎖的に崩壊する。沙蘭さんたちとの居場所も、すべて失うことになります」
「じゃあ、どうすればいいんですか……!今すぐ俺が代表を辞任すれば……」
「それでは逃げ切れません。ですから……」
白石さんは妖しく、そして冷酷に唇を歪め、悪魔のような提案を口にした。
「あの宗教団体でのすべての違法行為の責任を……お父様にすべて押し付けましょう」
「親父に、すべて押し付ける……?」
俺は思わず後ずさりした。いくら身勝手で自由奔放な親父とはいえ、実の父親に罪を被せるなんて、常軌を逸している。




