第34話 熱弁
「いかがわしい施設とは、心外ですね」
その時、凛とした涼やかな声が地下室に響き渡った。
隠し階段を下りてきたのは、四ノ宮沙蘭だった。彼女は学校で見せるクールな高嶺の花としての完璧な佇まいで、長谷川調査官の前に堂々と立ち塞がった。
「あなたは……?」
「私はこの施設の活動をサポートしている者です。調査官殿、あなたは最新の心理療法についてご存知ないようですね」
沙蘭は一切の動揺を見せず、中央のマットとスポットライトを指さした。
「ここは、最新の感覚遮断を用いたマインドフルネス・ルームです」
「マインドフルネス……?」
「ええ。外界からの視覚や聴覚の刺激を極限まで遮断し、このマットの上で己の精神と深く向き合う。それこそが、当法人が提供している心の平穏へのアプローチなのです」
長谷川調査官が眉をひそめる。
「しかし、帳簿には『桃源郷への祈祷代』などという名目で、百万円単位の寄付金が記載されていました。ただの瞑想ルームにしては、あまりにも高額すぎませんか?」
「高額ではありません。なぜなら、私たちが提供しているのは、最終段階である『桃源郷の開顕』だからです」
沙蘭の口から、ヤバい旧教義のワードが飛び出した。俺はヒヤッとしたが、彼女の言葉の続きに耳を疑った。
「『桃源郷の開顕』とは、現代社会のストレスという檻から魂を解放する、高度な心理療法のメタファーです」
沙蘭は理路整然と熱弁を振るい始めた。
「現代の社会で戦う女性たちは、常に完璧であることを求められ、重いプレッシャーと孤独に苛まれています。そのストレスの檻から自我を解放し、完全なるリラクゼーション(桃源郷)へと導く。そのための専門的なカウンセリングと、この感覚遮断ルームを用いた高度なセラピーの対価として、皆様は自らの意思で浄財を納めているのです。白石税理士が作成した帳簿の通り、法的に何ら問題はありません」
完璧な論理武装だった。ヤバい旧教義を、現代社会のストレスケアという極めて真っ当で高度な心理療法にすり替えてしまったのだ。
沙蘭の圧倒的な熱弁と、白石さんが偽装した真っ当な帳簿の前に、長谷川調査官は完全に論破されてしまった。
「現代社会の……ストレスという檻から……魂を解放する……」
長谷川調査官が、ふらりとよろめき、その場に膝をついた。
「長谷川さん!?」
彼女は超優秀なキレ者調査官だが、生真面目すぎるがゆえに、誰よりも深い孤独や職務上の重いストレスを抱え込んでいたのだろうか。常に冷徹な仕事人として完璧を求められる彼女の心に、沙蘭の語った「ストレスという檻からの解放」という言葉が、クリティカルヒットしてしまったらしい。
「私……毎日、数字と法律の冷たい世界で、誰にも弱音を吐けなくて……ずっと、息が詰まりそうでした……」
長谷川調査官の目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「私も……その桃源郷で救済されたい……っ」
まさか調査官の洗脳に成功してしまったのか?!
俺が言うのもなんだか、あんただけは堕ちたらダメでしょ!
彼女は泣き崩れながら、完全に張り詰めた糸が切れてしまった。
「いつでもご相談に乗りますよ。私たちは、迷える魂を歓迎しますから」
沙蘭が聖母のような微笑みで優しく肩を叩くと、長谷川調査官は「素晴らしい法人です……疑って申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げ、なんと信者予備軍に堕ちて帰っていったのだ。
嵐が去った地下室で、俺は呆然と立ち尽くしていた。
沙蘭の思い込みが激しい狂信的な行動が、結果的に誰よりも俺を守るための最強の盾として機能してしまった。
「四ノ宮さん……君って本当に……」
見事に調査官を論破し、俺の平穏な日常と未来を絶体絶命の危機から守り抜いた彼女の圧倒的な頼もしさと知性に、俺は思わず再度惚れ込んでしまった。
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その後、天王寺会長や伊佐美先生たちも解散し、桃源会館には俺と沙蘭の二人だけが残された。
「はぁ……終わった……」
俺は一階の広間で、完全に安堵してパイプ椅子にへたり込んだ。極度の緊張から解放され、手足がゼリーのように重い。
「伍東くん、お疲れ様です。温かいお茶、淹れましたよ」
沙蘭が隣の椅子に腰を下ろし、湯呑みをそっと差し出してくれた。
学校でのクールな高嶺の花でもなく、調査官を論破した完璧な大司教でもない。そこには、俺だけに向けてくれる、恋する一人の女の子としての柔らかい笑顔があった。
「ありがとう、沙蘭。今日は本当に助かった。沙蘭がいなかったら、今頃俺、牢屋にいたかもしれない」
俺が心から感謝を伝えると、沙蘭は少しだけ照れくさそうに頬を染め、俺の服の袖をチョコンとつまんだ。
「大げさよ。それに言ったでしょう?伍東くんの日常は、私が完璧に守り抜くって」
彼女は少しだけ体を寄せてきて、その石鹸のような甘い香りがふわりと俺の鼻腔をくすぐった。
「伍東くんが、私に普通の女の子としての幸せな時間をくれたから……だから、私も伍東くんの居場所を、何があっても守りたいんです」
上目遣いで真っ直ぐに俺を見つめるその瞳には、狂信的な教義の影など微塵もない。ただ、俺という一人の人間への深く純粋な愛情だけが溢れていた。
ドクン、と。
俺の心臓が、先ほどの税務調査とは全く違う理由で、激しく高鳴り始めた。
「沙蘭……」
俺は彼女の小さな手を、そっと握りしめた。彼女もまた、嬉しそうにその手を握り返してくれる。
税務署のガサ入れという絶体絶命の危機を乗り越え、教団のドタバタ劇の裏側で、俺たちの絆は確かに、そして深く結びつこうとしていた。ただおとなしく高校を卒業したかっただけの俺の人生は、この愛おしくて最高に頼もしい最強の盾と共に、さらに予想のつかない明日へと向かっていくのだった。




